多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

世界80言語対応の『多言語翻訳GoWest』を運営しています。 お見積もりはお気軽に『お問い合わせ』からお願い致します (^-^)b 『我孫子ゲストハウス』の運営も行っております。



    ブログランキングに参加していますので、クリックをお願いします!
    I’m participating in blog ranking, please click the following buttons!
    Je participe au classement des blogs, veuillez cliquer sur les boutons suivants !
    Ich nehme am Blog-Ranking teil. Bitte klicken Sie die folgenden Schaltflächen!
    Я участвую в рейтинге блогов, пожалуйста, нажмите на следующие кнопки!
    にほんブログ村 外国語ブログへ
    にほんブログ村
    人気ブログランキング

    タグ:仙台空港

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    もうすぐ3月11日がやって来る。 最大被災地出身の関東在住者にとっては、
    心中穏やかではない。 過去に類を見ない未曾有の大震災が起きた時、被災地からは
    遠く離れた場所に居た。 但し、その場所は、子供の頃から慣れ親しんだ土地である
    ため、テレビに次々に映し出される映像は、どこも見覚えのある場所ばかり。

    gkh7201

    最初に目に飛び込んで来たのは、仙台空港が津波に飲まれて、水没するところ
    だった。 次に見たのは、仙台市内が津波に飲まれるところ。 仙台市内には、
    一ヶ所だけ海水浴場があるが、その付近は、道が狭く、しかも、一本道しかない
    ので、道路事情が悪いことも知っていた。 次々と津波に流される車や家を見て、
    早く逃げて欲しい気持ちと、あの場所に居たら、もう助からないことも同時に
    分かってしまう自分が居た。

    東日本大震災は、かなり昔から、『30年以内に99%の確立で必ず起こる大地震』
    として、東北大学が予想していた大地震。 よって、例え、震度7(マグニチュード
    9.0)であったとしても、津波さえ来なければ、ここまで被害が拡大することも
    なかった。 地震がかなりの頻度で起こる地域であるため、地震慣れし過ぎて、
    避難しない人が多いことも知っていた。

    11031904b

    次に目に入ってきたのは、東松島市の惨状。 正に自分の地元。 JR仙石線が
    行方不明になったというニュースだった。 津波が襲った後、仙石線の電車は、
    一方が津波に飲まれて大破、もう一方は、高台に緊急停車して助かったが、
    当初は、どちらも乗客は全員死亡と伝えられた。 学校の屋上では、『SOS』を
    掲げた人たちが映し出されたが、すぐ近所に航空自衛隊があるため、何とかなる
    だろうと思っていたが、その航空自衛隊ですら、津波に飲まれて、完全に機能が
    停止したため、屋上などに取り残される人たちが続出した。

    地震が発生した翌日には、福島第一原発で事故が発生したため、福島県全体が
    完全に通れなくなった。 東日本大震災が発生した翌日、最大被災地で自分の
    地元である石巻で、取材のための通訳の依頼が入ったのだが、この原発事故の
    影響により、結局は行けなくなった。 当初は、米軍と共に行けば、何とか
    石巻まで行けるとの話だったのだが、結局のところ、余りの被災度合いのため、
    最終的には、行けないこととなった。

    explosion

    その後もテレビでは、連日、東日本大震災のことばかり伝えたが、関東の方では
    輪番による、計画停電が始まった。 福島での原発事故による影響が関東でも
    如実に現れた形が、この計画停電だった。

    被災当時、さいたま市大宮区に住んでいたのだが、大宮区は、埼玉県の経済の
    中心であるため、大宮区全体での停電は避けなければならないという理由により、
    大宮駅を境に、東口と西口とが別々の時間帯で計画停電が実施された。 この時
    には、関東全域が同じような計画停電を実施しているのだと思い込んでいたのだが、
    実際に計画停電を行った地域は、半分にも満たず、横浜市、川崎市、千葉市等
    では計画停電は実施されなかった。

    計画停電初日、大宮区東口地域は、午後7時から午後10時までの時間帯で計画
    停電が実施されたため、会社から帰宅した時には、電気がなかった。 帰宅前に、
    近所のスーパーにも寄ったのだが、停電により、閉店していた。 近所の
    コンビニなどでは、被災当初こそ計画停電中は営業を停止していたものの、
    数日も経たない頃には、ろうそくや懐中電灯のようなものを使って、停電中でも
    営業が再開された。 カップラーメンやパンなどの食料品には、『各自〇〇個まで』
    のような購入制限が付けられた。 これは、流通事情が極端に悪くなったため、
    一時的に、食料の入荷が滞ったためであった。

    2ghjk3

    東日本大震災が発生した翌日、変わらず出勤となったのだが、誰一人として、
    被災地を心配する人間は居なかった。 むしろ、原発事故の話ばかりで、
    津波被災地は、完全に無視された。 自分の実家付近が被災地となったため、
    会社側にとりあえず実家に帰りたい旨を伝えたところ、仕事を辞めてから行く
    ように言われた。 この時点でも、かなり愕然としたのだが、関東は関東で大変
    なので、仕方がないと自分に言い聞かせた。

    その後も、原発事故の影響により、東北道、東北新幹線共に、完全に通行止めと
    なったため、実家に帰れる目処すら立たなかった。 東日本大震災から1ヶ月
    ぐらい経過してようやく、高速バスが極一部だけ復活したのだが、その運賃は、
    仙台まで片道6,000円超の通常よりも割高な運賃だけだった。 これ以外の
    交通手段は、緊急処置として羽田空港から仙台空港まで飛んでいた飛行機
    のみだった。 車で仙台に行く場合も、福島が通れないため、新潟と山形を
    経由して被災地入りする人たちが続出した。

    いつでも帰れる場所だと思っていた自分の地元は、いつ帰れるのかすら分からない
    遠い場所になった。 実際に、自分の地元である石巻に帰れたのは、新幹線が
    ようやく福島まで再開したゴールデンウィークになったからだった。 被災当時、
    親が携帯を所持していなかったため、連絡が一切とれない状況がゴールデンウィーク
    まで続いた。 実家に何度電話しても電話は通じなかったが、後で知ったところに
    よると、母親は隣町にある姉の家に避難をしていた。

    テレビで何度も映し出されていた自分の地元は、変わり果てていた。 変わり果てた
    と言うよりも、地獄絵図そのものであった。 大宮駅に到着して、最初に掛けられた
    声は、『カラオケ如何ですか?』だった。 新幹線でものの2時間程度の場所
    なのに、余りにも違過ぎる現実を目の当たりにして、悔しいや悲しいを通り
    越して、呆然とした。 

    海外でも、フクシマの原発事故の事は、大々的に報道されたが、使われていた
    画像は、どれもこれも津波被災地の宮城県のものだった。 報道されている内容
    自体が、ウソだとすぐに分かった。 大袈裟な噂ばかりが一人歩きを始めた。

    東日本大震災では、福島の事ばかりが語られるが、実際は津波被災地の方が凄惨な
    状況であるため、津波被災地にももっと目を向けて欲しい。

    【被災当初の宮城県の様子】


    2016年2月10日現在、警察庁がまとめたところによると、東日本大震災による
    一連の余震での死者も含め、死者15,894人(宮城県9,541人、岩手県4,673人、
    福島県1,613人、茨城県24人、千葉県21人、東京都7人、栃木県4人、神奈川県4人、
    青森県3人、山形県2人、群馬県1人、北海道1人)、行方不明者2,562人と
    なっている。

    【お勧めの一冊】



    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    東日本大震災。 2011年3月11日、世界最大級マグニチュード(M)9.0のエネルギーが
    東北の大地を突き上げ、大津波が太平洋沿岸をことごとく破壊した。

    復興に立ち向かうために、あの日の事実、今の現実を後世に伝えなければならない。
    出典:河北新報

    『仙台空港ターミナルビルに1,300人が孤立』。 2011年3月13日夕に発行された号外は、
    宮城県や県警などの情報として、こう報じた。 国内8都市、海外7都市と結ぶ東北の
    空の玄関口は、滑走路などが津波に襲われ水没。 周囲は無数の自動車やがれき、
    小型飛行機が浮かぶ中で、空港ビルは『孤島』と化していた。

    c3c4e2d17d29


    ◎仙台空港水没(岩沼市、名取市)
    仙台空港の上空は、どんよりとした低い雲が垂れ込めていた。 3月11日午後2時40分、
    中国国際航空924便が、乗客61人を乗せ、中国・大連に向けて離陸した。 激しい揺れが
    襲ったのは、わずか6分後だ。 実は、地震の1分前、2時45分に大阪(伊丹)発の
    日本航空2209便が着陸するはずだった。 天候不良で到着が遅れていた。

    仙台空港であの日、発着を予定したのは国内線約80便、国際線8便に上る。 空港で
    旅客機の駐機がゼロになるのは1日3、4回、それも、それぞれ数分から20分程度に
    すぎない。 地震発生時、大阪便の遅れで、奇跡的に滑走路に旅客機はなかった。
    空港関係者が『不幸中の幸い』と胸をなで下ろしたのは、だが、わずかな時間だけだった。

    午後4時ごろ、車やがれきをのみ込みながら、巨大津波が襲来する。 宮城県岩沼市
    下野郷の特別養護老人ホーム『赤井江マリンホーム』は、目と鼻の先に太平洋が広がる。
    津波が来るとラジオが告げた。 事務長の鈴木信宏さん(53)は、避難先を約1キロ北の
    仙台空港ターミナルビルに決めた。

    職員は利用者96人を9台の車でピストン輸送した。 職員を含む144人全員が避難を
    終えたのは、津波が襲来する直前、午後3時53分だった。 空港ビルは、宮城県名取市と
    岩沼市の指定避難所だ。 地域の住民約250人が続々と集まった。 岩沼市議会議長の
    沼田健一さん(61)=同市下野郷=も身を寄せた。



    津波が滑走路を水の底に沈め、到着ロビーなどがある空港ビル1階にがれきや車などを
    押し込んだ。 停電、断水、通信不能。 旅客や地域住民、航空会社やビル、関連施設の
    職員ら1,600人が孤立した。 目の前の惨状に、沼田さんは『1週間は脱出できないと
    覚悟した』。

    1,600人は2階、3階に分かれ、土産品などを食べた。 空港に食料と水は十分にあった。
    孤島のビルに最初にたどり着いたのは、富山県高岡市高岡消防署の特別救助隊員
    だった。 夜通し車両を走らせ、12日早朝から救助に入った。 空港の約1キロ手前で
    道路は冠水。 ボートで接近を試みたが、がれきに阻まれ船外機もオールも使えない。
    隊員が交代で、胸まで水に漬かってボートを押した。 午前10時22分、ようやく空港ビルに
    着いた。

    救助隊長の小原政和さん(35)は、避難者たちの安堵の表情を見て、『全員を助け出さ
    なければならないと強く思った』と振り返る。

    『滑走路伝いに西側ゲートから陸路が使える』。 救助隊から連絡を受けた名取市消防
    本部が、がれきを撤去し、午後4時ごろ、車1台分の通路を確保した。 地震発生から
    25時間。 空港の孤立状態が解消された。

    マリンホームの利用者と職員は12日夕方、空港職員らは13日にバスや徒歩で脱出を
    開始した。 最後の住民約100人が空港を後に
    したのは3月16日だった。

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    ブログネタ
    被災地通信 に参加中!

    仙台空港は、国が管理する国内空港として初めて、2016年6月30日に完全民営化
    される。 国が運営権を売却するかたちで手続きが進められており、民営化後は、
    東京急行電鉄、前田建設工業、豊田通商などで構成する企業グループが、現在
    国が管理する滑走路と宮城県などの第三セクターが運営する空港ターミナルビルを
    一体運営する。 滑走路自体の所有権は国に残ったままとなり、期間は最長で65年。

    0104045531

    国土交通省が、最終審査に応募した3つの企業連合から選定結果を発表したもので、
    同企業連合が事実上の新空港運営者となる。 国土交通省は同企業連合の選定
    理由に、東急グループの不動産開発などの総合力と、LCC向けの空港機能の整備や
    一般向けの商業施設の拡充が期待できる点などを挙げている。

    国内空港の民間化は、民間企業が持つ経営資源を取り入れて空港経営の厳しい
    現状を活性化するのが狙いで、今後、他の地方空港にも導入される見通しという。

    0517-shogen_iwanuma_NP

    海からわずか1キロの地点にある仙台空港は、2011年3月の大津波で1階天井まで
    浸水。 陸の孤島と化した。 この時空港に居たのは、旅行者、空港関係者、近隣
    から避難して来た地元住民ら、合わせて1,700人。 水道、電気、ガスのライフラインが
    途絶え、食料の備蓄もなく、小雪降る寒さの厳しい状況を何とか乗り越えたが、空港
    ターミナルは、3日間孤立し、3階は介護施設から避難して来た高齢者、一般客、空港
    従業員で溢れかえった。

    津波災害から、約1ヶ月後の4月13日(水)以降、仙台空港は、臨時便として限定的な
    規模での運航を再開した。 『がんばろう日本』と機体に描かれた飛行機が周囲に
    がれきが残る滑走路に着陸したのは、まだ記憶に新しい。

    img_1990

    仙台空港の完全民経過を受けて、関西空港を拠点とする格安航空会社(LCC)
    ピーチ・アビエーションが、仙台空港を新たな拠点空港と位置付ける方向で調整を
    進めている。 国内線の路線拡充や国際線の新規路線開設なども見込まれる。
    関係者によると、ピーチは17年夏までに、仙台を関西、那覇、成田の各空港に次ぐ
    第4の拠点とする。

    仙台空港に夜間駐機し、国内線に加え、アジアと結ぶ国際線の複数路線を就航させる
    見通し。 現在は関西線(1日3往復)のみの路線数を大きく増やす見込み。 

    民営化後は、着陸料の引き下げなどが見込まれており、コストを重視する経営スタイルの
    LCCにとっては、新規路線を開設しやすい環境が整う。 国内の各空港は、アジアの
    盛んな訪日需要の取り込み競争が激化している。 東北は他の地方に比べ取り組みが
    遅れていたが、割安なLCCの路線拡大で、海外誘客にも弾みが付くことが期待されている。

    ピーチは現在、国内に10路線、海外に7路線を展開している。 仙台空港には、
    東北初のLCCとして、13年4月に関西線を就航させた。 東日本大震災後に決まった
    仙台空港発着の新規路線第1号となった。

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

    このページのトップヘ