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共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:仙台

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    東京電力福島第一原発事故によって、古里での平穏な生活が失われたとして、
    福島県民ら約3,600人が国と東電に約215億円の損害賠償などを求めた訴訟の
    控訴審判決が2020年9月30日、仙台高裁であった。



    上田哲裁判長は、1審・福島地裁判決と同様に国と東電の責任を認め、両者に
    賠償を命じた。

    全国で約30ある同種訴訟では最大規模の訴訟で、国、東電の双方を被告とした
    訴訟としては初の高裁判断。



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    ベラルーシの首都であるミンスクは、人口約200万人程度のこじんまりとした街で、
    仙台の姉妹都市となっている。

    ミンスク空港からミンスク市内へやって来る際は、宿のおばさんに地下鉄の
    終点駅まで乗せて来てもらったため、空港への行き方が分からなかったが、
    ミンスク駅のお隣り(と言っても、日本の感覚で言うと5件ぐらい隣り)に
    あるバスターミナルから空港行きのシャトルバスが20分間隔で出ている事が判明。
    更に、後で分かった事だが、このシャトルバスは、40分おきに乗り合いタクシーと
    路線バスが交互に出発しているため、空港への到着時間が20分程度異なっている。

    乗り合いタクシーは空港まで40分程度で到着するのだが、路線バスの場合は、
    1時間弱掛かる。 しかも、乗り合いタクシーの場合は、「降ります」の意思表示
    ボタンが付いていないため、降りたい場所に近づいたら、運転手に
    「降ろしてください」と意思表示をしない限り、タクシーから降りる事すら
    ままならないw

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    ミンスクは、こじんまりとした街なので、徒歩で街中にある主要な観光地を
    全て見て周ることが出来るが、要所要所では、やはり、運賃約30円でどこまで
    でも乗れる地下鉄が便利。 外は暑いので、地下鉄の中は避暑地にもなる。
    有事の際には、核シェルターにもなるモスクワの地下鉄とは異なり、ミンスクの
    地下鉄は、そこまで深い場所を走っていないため、エスカレーターの移動も
    さほど苦にはならず。 ミンスクは思っていたよりも綺麗な街並みなので、主な
    観光地を徒歩で丸1日掛けて、ほぼ網羅した。

    「最も社会主義時代の痕跡が色濃く残る国」という偏った情報に騙されて、
    重苦しい雰囲気の街を想像していたのだが、ミンスクは、想像以上に綺麗な街で
    あった。 ドイツ軍に街を破壊されてからは、ソ連式の復興計画に則り、
    街の復興がなされた名残で、多少ソ連式の重厚な建物は残っているものの、
    そこまでの暗さは感じられなかった。 道路の清掃も行き届いており、中途半端に
    アメリカの薄汚い街へ観光に行くよりも、ミンスクの方が断然お勧め。 ロシア語も
    全く訛っていないため、ロシア語留学にも適している。

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    明るい雰囲気のミンスク市内。 この周辺が街の中心部であるため、お土産屋の
    キオスクが軒を連ねていた。 ベラルーシの民族衣装を着た人形やロシアの
    マトリョーシカなど、観光客は少ないなりに、それなりには居るのだと思った。
    但し、皆ロシア語で喋っていたため、旧ソ連邦内、特に、ベラルーシではビザが
    必要のないロシアからの観光客だと思う。

    ヨーロッパにある街の中心部には、必ず教会があるのだが、敬虔な祈りの場で
    あるため、観光地ではない。 写真を撮るのは余りお勧め出来ないが、邪魔に
    ならない程度であれば、特に文句を言われることもないので、主なものだけ
    写真に収めて、教会を後にした。

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    先ほどの教会がある地下鉄の駅からは若干離れているものの、正しい歴史を
    知るために、第2次大戦の記念館に行く事にした。 ミンスクは、ドイツ軍に
    よって破壊された街だが、ビリニュスはソ連軍によって破壊されたもの。
    ヨーロッパでは、至る所で殺し合いをしているので、それを乗り越えてEU
    というものが存在している事を忘れてはならない。

    博物館に行く途中にデパートがあったため、若干寄り道。 地下に食料品
    売り場があったため、ミンスクの生活を垣間見るために、色々と見て回った。
    ミンスクでは、流石にお隣りウクライナ・ポロシェンコ大統領の「アリョンカ」は
    売っていなかった。 物の全くない時代に旧ソ連に住んでいた者としては、
    世界が大きく変わってしまったという感想しか出て来ないのだが、逆を言うと、
    超極貧な地域でも、ものの20年程度で、この様に大発展出来る事を意味している。
    日本の場合は、逆にこの20年間ですっかりと退化してしまったため、
    ベラルーシをはじめ、旧ソ連地域における存在価値を全く見出せなかった。

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    そのお隣りに本屋があったため、日本語の本を物色。 旧ソ連邦では、日本語の
    人気が高いため、日本語の教科書が30種類程度も置いてあった。 ここで
    自分へのお土産として、露和辞典を700円程度で購入した。 語彙数は約2万語
    であるため、基礎的な単語しか書かれていないのだが、用例が多いため、非常に
    勉強になる1冊であった。

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    日本三大七夕祭りのひとつにも数えられている、『湘南ひらつか七夕まつり』の
    歴史は、戦後まで遡ることが出来る。



    第二次世界大戦中、平塚市には海軍火薬廠があったため、1945年7月の空襲で
    平塚市街は焦土と化し、終戦後の1950年7月に初めて復興まつりが開催された。
    その後、平塚商工会議所、および、平塚市商店街連合会が中心となり、
    仙台七夕まつりを模範とした第1回『平塚七夕まつり』が1951年7月に開催された。

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    その後、回数を重ねるごとに規模が拡大して行き、平塚七夕は、日本でも指折りの
    規模の七夕祭りに発展した。 『日本三大七夕祭り』は、仙台七夕、平塚七夕と
    愛知県の安城七夕、あるいは、同じ愛知県の一宮七夕とされているが、関東では、
    この他にも、『関東三大七夕祭り』という括りがあり、平塚七夕、茂原七夕、
    入間川七夕がその括りとされている。

    仙台七夕の吹流しは、全て和紙で制作されているが、その他の七夕は、折り紙や
    通常の紙を使用しているため、見た目が大きく異なる。 尚、仙台七夕の吹流しは、
    開催の数ヶ月も前から制作を開始し、1本数十万~数百万円も掛けて制作している。

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    日本の三大美人は、秋田、京都、金沢と言われているが、逆に、三大ブスは、
    仙台、水戸、名古屋と言われている。 その理由は、諸説あるが、各都市共、
    殿様の芸者通いが主な理由だったとか。

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    仙台は東北にある都市だが、そのすぐお隣りには、秋田があり、こちらは東北を
    代表する秋田美人が多いことでも有名。 仙台と秋田を比べると、仙台の方が
    圧倒的に人口が多いが、秋田には美人が多いものの、その中でも嫁に行けない
    容姿の女性は、人口が多い仙台へと出て行っため、このように言われるように
    なったとか。 また、伊達綱宗が吉原で高尾大夫を身請けしようとしたところ、
    断られたため斬ってしまい、その祟りで仙台にはブスが多くなったとの説もある。 
    これ以外にも、仙台の殿様は、参勤交代の際に芸者通いをしていたことから
    仙台には美人がいないという噂が広まってしまったとも言われている。

    水戸に関しても、ブスが多い詳しい理由は分かってはおらず、佐竹氏が秋田に
    国替えになる際に美人を全員連れて行った結果、ブスばかりになってしまった
    というのが理由らしい。 また、仙台と同様に、殿様が自分の領地の女性ではなく、
    別の場所の女性と遊んでいたことなどから、ブスが多いと噂になったとされている。
     
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    名古屋は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が武将としてどんどん美人を城に
    上げて行った結果として、後に残ったのはブスばかりになってしまい、現在に
    至るという説や、身近なところばかりで婚姻を繰り返したからとか、名古屋人は
    西に東へと移動したため、当地にはブスだけが残ったとかの説が有力視されて
    いるものの、各都市共、実際のところは、ハッキリとした理由は分かってはいない。

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    常磐山元自動車学校(宮城県山元町)に通う当時18~19歳の教習生25人らの
    命を奪った東日本大震災の大津波。 『わが子がなぜ』。 無念の思いを胸に
    学校を提訴して4年7カ月、教習生25人の遺族と学校との間で和解が成立した。

    『不十分な点はあるが、和解せざるを得ない』。 仙台市内で記者会見した
    遺族たちは、会見場に教習生の遺影を丁寧に並べた上で複雑な胸中を明かした。

    遺族の多くが望んだ学校経営者による『誠意ある謝罪』は、その文言が法廷で
    裁判長によって読み上げられただけだった。

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    長女悠さん=当時(18)=を亡くした高橋範雄さん(57)は『口頭での陳謝が
    実現しなかったのは非常に残念。 ただ、判決では謝罪自体を得られなかった
    だろう』と自らに言い聞かせるように語った。

    長男公紀さん=同=を失った岩沼市の佐野美智子さん(55)は『和解内容は
    学校の不備を指摘し、教習生に何ら落ち度がないことを認めてくれた。 ずっと
    求めていた答えが得られた』と声を震わせた。

    悲劇を繰り返さないため、事件の教訓化も切望した。 長男佳祐さん=当時(19)
    =が犠牲になり、遺族会代表を務めた福島県新地町の寺島浩文さん(53)は
    『子どもたちの死を無駄にしないでほしい』と言い続けてきた。

    和解を受け『家庭をはじめ企業、学校、公共施設の長は危機管理意識を持ち、
    防災に取り組むことを強く願う』との談話を出した。

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    東日本大震災から5年を迎えるにあたり、宮城県内の5つの津波訴訟の原告の遺族や
    家族が、企業や組織の防災のあり方について議論する公開討論会を3月5日に仙台
    市内で開く。 企業や学校、保育現場など、異なる施設管理下での津波犠牲者の
    原告たちが一堂に会して議論する会合は初めてとなる。

    討論会を企画しているのは、七十七銀行女川支店で働く従業員を亡くした遺族と行方
    不明者家族でつくる家族会と、その訴訟弁護団。他に、石巻市立大川小学校、私立
    日和幼稚園(石巻市)、山元町立東保育所、常磐山元自動車学校(山元町)の管理下で
    津波の犠牲になった遺族らに呼びかけて、開催が決まった。

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    第1部では、七十七銀行女川支店の家族会がこれまでの5年間の歩みを振り返り、また、
    岩手県内の企業が震災時の対応について報告をする。 第2部では、企業や組織は
    従業員等の関係者の命をどのように守るべきなのかを、各原告の遺族同士が登壇し、
    議論する予定だ。

    討論会の呼びかけ人のひとりである田村弘美さんは、女川支店で勤務中だった長男
    健太さん(当時25歳)を亡くした。 同支店の行員は、発災後に支店長の指示で支店
    ビルの屋上に避難したが、巨大津波に襲われて4人が死亡、支店長を含む8名が行方
    不明となった。

    企業防災のあり方問い続ける七十七銀行の従業員遺族
    田村さんら3遺族・家族が原告となり、銀行側に安全配慮義務違反があったとして計約
    2億3千万円の損害賠償を求めた裁判は、現在最高裁で争われている。

    遺族側は、津波の浸水予測域にありながら実効性のある避難訓練を行っていなかった
    同支店の防災体制や、支店から徒歩で約3分の場所にある町の指定避難場所の高台
    ではなく、より低く津波避難ビルでない支店屋上に避難させた対応などを問題視した。
    一方銀行側は、「ビルを飲み込むほどの巨大津波は予見できなかった」と主張した。

    仙台地裁(斉木教朗裁判長)は2014年2月の判決で支店ビルの適格性を認めたうえ、
    屋上への避難を「経済合理性があった」と認めて、遺族側の訴えを退けた。 仙台高裁
    (中山顕裕裁判長)も、2015年4月の判決で一審を支持。遺族側は翌5月に上告した。

    銀行側の不十分な防災体制を問題としない判決が出されたことに、遺族は危機感を
    募らせている。 田村さんらは討論会で、経済合理性や事業継続性が優先され、防災
    計画が軽視される傾向にある企業防災のあり方について、議論を深めたいとしている。

    遺族からの接触拒む日和幼稚園
    送迎中の園バスが、高台から海辺に降りて津波と火災に巻き込まれ、5人の園児と
    職員1人が犠牲になった石巻市の私立日和幼稚園(休園中)の事故。 園側が安全
    配慮を怠っていたために事故が起きたとして、4人の園児の遺族が2011年8月、計約
    2億6700万円の損害賠償を求めて運営母体と当時の園長を相手に提訴した。

    裁判では、保育士らが防災マニュアルが置いてある場所や内容を知らないなど、
    ずさんな管理体制も明らかになった。裁判は2014年12月に、園側が和解金計6000
    万円を支払うことで、仙台高裁(中西茂裁判長)での和解が成立している。

    和解条項には、「(園側が)一審判決で認められた法的責任を認めるともに、被災園児ら
    と家族に対し、心から謝罪する」などの文言も盛り込まれた。 しかし、遺族によれば、
    和解成立から1年以上が経つ今も園側からの直接的な謝罪はなく、園側は遺族が
    送った手紙を受け取り拒否で返送するなど、接触すら拒み続けている。

    事故で長女愛梨ちゃん(当時6歳)を亡くした佐藤美香さんは、「裁判が終わっても、
    遺族がこうして二重三重に苦しめられ続ける状態はなんとかならないかと思っている」と、
    苦悩を打ち明ける。討論会では、和解の枠組みの課題のほか、事故後の園側の対応の
    問題、保育現場の防災や安全管理の体制についても共有したいという。

    1遺族が上告中の東保育所
    保育管理下での津波被災は、県南でも2件起きている。 そのうちのひとつ、山元町に
    ある町立東保育所では、3人の園児が犠牲になった。

    地震発生直後、園は町役場の指示で、1時間ほど園庭に園児らを待機させた。 津波を
    目撃した保育士の言葉をきっかけに、園長の指示で居合わせた保護者の複数台の車に
    乗り込み逃げたが、最後尾の車が津波にのまれた。

    2人の園児の遺族が2011年11月、「町は防災無線やラジオで適切な情報収集をせず、
    園庭に待機し続けるという誤った指示をした」として、町に計8800万円の損害賠償を
    求めて提訴。 仙台地裁(山田真紀裁判長)は2014年3月の判決で、情報収集の適切性
    については「疑問が残る」としつつも、保育所まで到達する津波は「予見できなかった」と、
    請求を棄却した。 仙台高裁(中西茂裁判長)では、町が和解金300万円を支払うことで
    1遺族が和解に応じたものの、一審判決を支持した判決を不服として、1遺族が上告した。

    公開討論会には、裁判を続ける遺族が参加する。

    役員の責任認定求めて控訴した教習所遺族
    同じく山元町の常磐山元自動車学校では、亡くなった教習生25人の全遺族とアルバイト
    従業員1人の遺族が、適切な避難指示が行われなかったとしてそれぞれ学校側を相手
    取り裁判を続けている。

    仙台地裁(高宮健二裁判長)は2014年3月、遺族側の訴えを認めて請求のほぼ満額と
    なる計約19億1千万円の損害賠償を命じる判決を出した。 しかし、被告の自動車学校側
    だけでなく、教習生側の一部の遺族と従業員側の遺族は、役員個人の責任が認められ
    なかったことを不服として控訴。 仙台高裁(中西茂裁判長)での審理はほぼ終了し、
    現在和解の可能性を検討する段階となっている。

    討論会には、従業員側の原告が参加し、企業の従業員も含めた安全管理のあり方を
    訴える予定だ。

    大川小裁判は4月に証人尋問
    約50分間の校庭待機後に津波に襲われて74人の児童と10人の教職員が亡くなった、
    石巻市の市立大川小学校。 児童19家族が、学校の安全配慮義務違反を訴え市を相手
    取った裁判は、仙台地裁(高宮健二裁判長)で佳境を迎えている。 校庭の目撃者や
    関係者の証人尋問が4月に決まったところだ。

    遺族側が、事故後に学校や教育委員会側から適切な対応が受けられなかったことを
    問題としているのもこの裁判の特徴だ。 文部科学省も大川小の事故をきっかけに、
    学校事故後の調査や遺族への対応に問題が多いことを認め、調査と対応の指針作りに
    乗り出している。

    組織防災の現場に生の声をどう伝えていくか
    田村弘美さんは、「東日本大震災では組織管理下で大切な命が失われた 。裁判をして
    何がわかったのか。 次にどうすれば防げるのか。 教訓として引き継ぐには組織は
    どうあるべきか。家族として思うことをそれぞれに話す場にしたい」と話す。

    津波犠牲者の遺族が起こした裁判で、原告たちに共通するのは、「適切な対応をすれば
    助かる命だった」という思いだ。 裁判やこれまでの活動を通じて得られた知識や情報を、
    企業や学校などの安全管理の現場に当事者の生の声としてどう伝えるのか。 遺族
    たちが、自ら探り出す活動が始まる。

    フォーラム「東日本大震災から学ぶべきもの≪大切な命を守る企業防災・組織防災を
    一緒に考えましょう

    日時:3月5日(土)13時から17時まで 

    場所:仙台弁護士会館4階大会議室 

    申し込み不要。無料。 

    詳細は、同家族会のFacebookページにてに掲載される。 

    主催:七十七銀行女川支店被災者家族会 

    問い合わせ:電話 022-262-1901(一番町法律事務所 北見弁護士)

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    東日本大震災の津波による七十七銀行女川支店(宮城県女川町)従業員の
    犠牲をめぐる訴訟で、最高裁で敗訴が確定した原告の遺族は2016年2月20日、
    仙台市内で記者会見した。 『企業防災の指針となる判断が示されずに幕を
    閉じた』と強調。 遺族は安全な社会の実現に懸ける思いを一層強めた。

    長男健太さん=当時(25)=を亡くした大崎市の田村孝行さん(55)は決意を
    語った。 『働く者の安全が担保されていない。 原因を究明し、企業防災の
    在り方を追求していく』

    田村さんと妻弘美さん(53)は訴訟と並行して女川町で語り部をし、健太さんらの
    身に降り掛かったことを伝えてきた。

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    早期退職して企業防災の向上を訴える活動に専念するべきかどうか、心が揺らぐ。
    震災から間もなく5年。 田村さんは寝ても覚めても今回の悲劇が頭から離れず、
    心が安らぐ日はなかった。 『銀行は法的責任を免れたが、息子ら12人が犠牲に
    なった責任がある。 真剣に向き合い改善策を示してほしい』と切望する。



    弘美さんは18日、1985年の日航ジャンボ機墜落事故遺族の美谷島邦子さん(69)に
    上告が退けられたことを電話で伝えた。 『声を上げて活動してきたことは大切。
    頑張って続けてほしい』と激励され、勇気が湧いた。

    遺族と企業が向き合い命を守る。 弘美さんが美谷島さんから学び目指す姿だ。
    『家族と銀行が歩み寄り、人命最優先の体制をつくることが息子にとって一番の
    慰めになる』と願う。

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    東日本大震災の津波で従業員が犠牲になった七十七銀行女川支店をめぐる訴訟で、
    2月20日に記者会見した他の遺族も、企業の防災意識の徹底を求めた。

    妻祐子さん=当時(47)=の行方が分からない女川町の高松康雄さん(59)は
    『いい加減な避難行動を裁判所が良しとしたことで、同じ事が繰り返されないか
    心配だ。 残念としか言いようがない』と落胆した。

    姉美智子さん=当時(54)=を失った仙台市太白区の丹野礼子さん(57)は
    『12人の犠牲を無駄にせず、職場の防災意識徹底を社会で広く図って欲しい。
    それが故人の供養になり、今後の命を救うことにつながる』と望んだ。

    弁護団の佐藤靖祥弁護士は『津波訴訟は各地であり、最高裁として安全配慮義務の
    統一的解釈を示して欲しかった』と悔やんだ。

    <2011年>
    3月11日 東日本大震災発生。 女川支店屋上に避難した従業員13人のうち
    12人が死亡・行方不明になる

    <2012年>
    9月11日 従業員3人の遺族が銀行を提訴。 銀行が2009年に防災マニュアルを
    改定して屋上を避難先に追加したことや、震災直後に避難先として高台ではなく
    屋上を選んだことについて『安全配慮義務違反に当たる』と主張

    <2013年>
    1月15日 銀行側が弁論で『支店屋上の高さを超える津波襲来は予見できなかった』
    と反論

    12月17日 仙台地裁で訴訟が結審

    <2014年>
    2月25日 仙台地裁が『高さ約10メートルの屋上に緊急避難することには合理性が
    あった』として訴えを棄却。 遺族側は即日控訴

    <2015年>
    4月22日 仙台高裁が1審判決を支持し、控訴を棄却。 遺族側は上告

    <2016年>
    2月17日 最高裁第2小法廷が上告を退け、遺族側の敗訴が確定

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    『仙台市若林区荒浜で200~300人の遺体が見つかる』。 大震災が発生した
    2011年3月11日の夜、衝撃的なニュースが全国を駆けめぐった。 百万都市・
    仙台の海岸沿いに広がる約900世帯の地区では、多くの住民が犠牲になった。
    だが当初伝えられた遺体の数は、混乱の中で錯綜した情報の一つだった。

    その時 何が『遺体200~300人』(仙台・荒浜)
    出典:河北新報 2011年5月22日

    『大津波警報が出ている。 早く逃げろ』 県道塩釜亘理線の東側に開けた
    住宅地。 荒浜新1、2丁目の約300世帯でつくる荒浜新町町内会の大橋公雄
    会長(67)は地震直後、住民に近くの荒浜小に避難するよう自転車で呼び
    掛けて回った。 住民の反応は鈍かったという。

    荒浜は高さ6.2メートルの防潮堤で守られている。 高さ2.5メートルの
    離岸堤も備える。 1978年の宮城県沖地震や、昨年2月末のチリ大地震津波
    でも、被害はなかった。

    『荒浜に津波は来ない』。 体験からそう信じる住民が少なくなかった。
    荒浜小に避難した住民の中にも、しばらくして自宅に戻る人が現れた。

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    午後3時55分。 濁流が猛烈な勢いで町をのみ込んだ。 4階建ての校舎には
    約320人の児童、地元住民が避難。 津波の威力はすさまじく、校庭などに
    残っていた人々は流されたという。

    荒浜南部の福祉施設で働いていた遠藤雅人さん(32)は地震後、利用者、
    職員計約70人と施設屋上などに避難した。

    『バリバリという音を立てて防潮林の松の木がなぎ倒され、今度はその大木が
    住宅街を根こそぎ破壊した』 犠牲者を出したのは、住宅街だけではない。
    県道塩釜亘理線より西の水田地帯では『車を乗り捨てて逃げる人が濁流に
    のまれた。 大勢の人が必死で走っていたが、津波の速さは尋常ではなかった』
    と遠藤さん。

    複数の生存者によると、大勢の住民が津波の到達直前まで、水田地帯の農道に
    車を止めて沖を眺めていたという。 水田付近で事務所の片付けをしていた
    会社員男性(32)は『住宅街から逃げた住民が車内でラジオを聞いたり、
    立ち話したりしていた。 そのうち津波が押し寄せ、一瞬で辺り一面が水に
    沈んだ』と話す。

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    なぜ、住民はより内陸へと逃げなかったのか。 荒浜に先祖代々住む大学
    源七郎さん(69)が説明する。 『住宅街の西を通る県道塩釜亘理線まで
    逃げれば大丈夫と思ってきた住民がほとんどだった。 地区の避難訓練でも、
    県道を渡ることに力点が置かれてきた』

    仙台市が町内会に配布していた『津波避難マップ』。 津波が県道に到達する
    とは想定されておらず、荒浜の住宅街の中でも県道に近い西部は『津波警戒区域』
    に設定されていなかった。 だが、実際に津波はさらに内陸側の東部道路周辺
    まで達した。

    『荒浜新1、2丁目で200~300の遺体との情報』。 これは3月11日夜にあった
    緊急通報の一つだ。 大震災発生の直後で、消防、警察にはそれぞれ何千件
    もの通報が殺到。 関係機関による事実確認は混乱の中、難航を極めていたが、
    その衝撃的な内容は報道関係者の意識を引き付けた。

    情報は一部メディアで『海岸に200人以上の遺体』などと変遷しながら、事実
    として数日間、発信され続けた。 仙台市の死者・行方不明者は21日現在869人。
    荒浜地区での犠牲者は約180人に上るという。 遺体の大半は、県道塩釜亘理線
    沿いの荒浜新1、2丁目や海岸ではなく、荒浜西部の南長沼周辺や東部を流れる
    貞山堀で見つかった。

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    2015年12月6日に仙台市営地下鉄東西線が開業した。 仙台市内では、3本目の
    地下鉄となり、この東西線と地下部分で並走しているJR仙石線は、実は、日本で
    初めて地下を鉄道が通った路線となっており、東京メトロ浅草線よりも、仙石線の
    方が先に開業している。 但し、現在その部分は、廃止されており、現在の地下
    部分は、2000年に再度地下化したもの。


    東西線の工事は、東日本大震災発生後にも遅れずに、予定通り2015年の開業と
    なっている。 東西線は、リニアモーター方式を採用しているため、仙石線との相互
    乗り入れは出来ない。

    東西線は、計画当初、モノレールでの建設が検討されましたが、その後、仙石線の
    延伸へと変更され、最終的には、その仙石線とは乗り入れない形で、リニア方式が
    採用されたもの。

    車両とホームとの隙間が、かつて見たことがないぐらいに、ピッタリと作り上げられて
    いたのが非常に印象的。 地下鉄仙台駅は、JRあおば通駅と同じで、JR仙台駅とは
    違うのだが、東西線が出来て、その定義が崩れたため、どっちに行ったら良いのか
    分からなくなりました。 仙台では、来年の3月に北海道新幹線も開業します♪



    同じ12月6日からは、地下鉄の開業に合わせて、『仙台光のページェント』が始まったが、
    この光のページェントは、日本で初めて樹木にイルミネーションを取り付けたイベント
    としても有名で、今年で30周年目の記念の年となっている☆ 仙台のイルミネーションは、
    ケヤキ並木が完全にトンネルになっており、その真中を歩く事が出来るため、他の地域の
    イルミネーションとは、迫力がまるで違います。

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    宮城県の郷土料理で、冬の定番と言えば、仙台セリ鍋。 セリ鍋は文字通りセリが
    主役の鍋で、セリの葉っぱや茎は当然ながら、新鮮さの象徴である真っ白な根っこも
    綺麗に洗って丸ごと頂きます。

    宮城県名取市などがせりの栽培をする名産地として有名で、せりを根っこから葉の先
    まで贅沢にどっさりと、鶏肉(鴨肉なども)一緒に鍋にした、健康かつ絶品な鍋料理です。

    宮城県以外では、なかなか食べる機会のない郷土料理であるため、仙台に行った
    際には是非お試しあれ。

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    【仙台セリ鍋のレシピ】

    材料 (2人分)
    ■ 〈出汁〉
    液体鶏ガラスープ大さじ5
    料理酒大さじ2
    水800cc
    ごま油適量

    ■ 〈鍋の材料〉
    セリ 1束
    白菜 1/4個
    長ネギ1本
    油揚げ1〜2枚
    お豆腐3個パックの1個

    ① 出汁の材料を全て鍋に入れてかき混ぜます。
    ② お好きな具材を入れて、煮込みます(セリはまだ入れません)。
    ③ 食べる直前にセリを投入! 火を止めて蓋をしてセリを蒸らす感じでOK!
    ④ 残ったスープでうどんを煮るのも美味しいです。

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    【EN】
    Sendai is city of trees and symbol of reconstruction from the tsunami disaster.
    Moving forward as one!

    【FR】
    Sendai est la ville des arbres et le symbole de la reconstruction de la catastrophe
    du tsunami. Aller de l'avant comme l'un !

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    【DE】
    Sendai ist die Stadt der Bäume und das Symbol des Wiederaufbaus von
    der Tsunami-Katastrophe. Gehen wir vorwärts zusammen als ein!

    【RU】
    Сендай - это город деревьев и считается
    символом реконструкции цунами.
    Пойде вперед, как один!

    【PT】
    Sendai é a cidade de árvores e o símbolo da reconstrução do desastre
    do tsunami. Avançando como um!







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    被災地通信 に参加中!

    東日本大震災以降、仙台では、やさしい日本語、英語、中国語、韓国語、
    モンゴル語、ポルトガル語、タガログ語他での多言語災害情報を提供して
    います。 これは、災害発生時等の緊急時に、日本語のみでの情報発信に
    危機感を感じた外国人のために始められた新たなサービス。

    大災害を何もかも人事にしている首都圏では、このようなものはなく、企業の
    避難訓練ひとつを取ってみても、全く危機感がないため、実際に災害が起きた
    場合には、何の役にも立たないでしょう。 災害は、忘れた頃にやって来る。
    この言葉は、全くその通りで、普段から、防災、減災意識を高めなければ、
    助かる命も助かりません。

    防災訓練等は、国が率先して行うものではないため、普段から、災害発生時には、
    どこへどのように避難すべきなのか、心の準備をしておきましょう。 備え
    あれば、憂いなしとは、先人の知恵です。

    地震が発生したら、まず、戸を空けて、屋外に逃げましょう。 家の中に
    留まる場合は、机の下よりは、トイレか、風呂場に逃げるのが、一番安全です。

     



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