1764年、エカテリーナ2世は、ベルリンで225点の絵画を買い付けた。
オランダ、フランドル地方の画家の絵で、レンブラントの絵が多く含まれて
いた。 この絵が運び込まれた冬宮の一部がエルミタージュ(隠れ家、草庵)と
呼ばれるようになった。
エカテリーナは、1764年から冬宮の隣に収集美術館を建設し始め、1975年に
完成させた。 これが小エルミタージュと名付けられた。 1774年には、買い
集めた絵の総枚数は、2080枚に達していたので、すぐに次の建設が始まった。
1987年には、河岸側に旧エルミタージュが建設された。 ここには、ルネッサンス
期のイタリアの絵画が集められた。 レオナルド・ダ・ビンチの『聖母子像』は
特に有名である。
更に、エカテリーナは、1787年に旧エルミタージュの隣にエルミタージュ劇場を
建設した。 設計者は、クヴァレンギである。 400人を収容する堂々たる劇場
である。
次のニコライ1世の時代、1839年に旧エルミタージュの内側に文字通り新しい
美術館の建設が始められ、1952年に完成した。 レオ・フォン・クレンツェの
設計した新エルミタージュである。 ここには、レンブラント・コレクション、
ヴァン・ダイクやルーベンス等のオランダ・フランドル絵画もある。
新エルミタージュは1852年の完成と共に公開され、1866年には一層自由に見る事が
出来るようになった。 冬宮は、二月革命後、臨時政府の建物となり、十月革命で
革命派の兵士水兵に占拠された。 十月革命後、皇室所有の美術品は大貴族の
宮殿から没収された美術品で更に膨大なものとなった。
1922年エルミタージュは、冬宮の中にも拡張された。 今やエルミタージュは、
市民に開放される美術館となったのである。 途中所蔵の絵画が西側に売り飛ば
される時期もあったが、1946年、ついに冬宮全体がエルミタージュとなったので
ある。 そして1948年、モスクワの資本家達が集めた現代西欧の絵画が運び
込まれた。
旧冬宮の新しいスペースにモスクワの商人セルゲイ・シチューキンが集めた
マチスの大作『踊る人』と『音楽』、それに青の時代のピカソの絵が展示された。
シチューキンはフランスに亡命していたが、自分がソビエト政権に渡して来た
コレクションについて、次のように語ったと記録されている。
『私は自分のためではなく、それよりは自分の国のため、自分の国民のために
収集したのである。 わが国に何があろうと、私のコレクションはあの地に残ら
なければならない』
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