東日本大震災で569名(2014年1月31日現在)が死亡した宮城県牡鹿郡女川町。
被災時に、町内にあった七十七銀行女川支店の行員は支店の屋上に避難したものの、
屋上を超える20メートルの津波に対して、銀行側が安全配慮義務を怠ったとして、
遺族は損害賠償請求の訴訟を起こしたが、2014年2月25日の一審判決、並びに、
2015年4月22日の二審判決でも原告である遺族側の請求が退けられた。
原告側の訴状によると、地震発生後、職員は支店長の指示で高さ約10メートルの
屋上に避難したが、津波に流された。 近くに銀行が避難場所と決めていた高台が
あり、遺族側は『津波が予想出来たのに、安全な所に避難させる義務を怠った』と
主張した。
屋上に避難したが、津波に流された。 近くに銀行が避難場所と決めていた高台が
あり、遺族側は『津波が予想出来たのに、安全な所に避難させる義務を怠った』と
主張した。
震災当日、女川支店には、14人の行員らが出勤。地震の約10分後の14時55分頃、
支店長が外出先から戻った。 既に6メートルの大津波警報が出ていた事から、
支店長は15時前、高さ約10メートルの2階屋上への避難を指示した。
支店長が外出先から戻った。 既に6メートルの大津波警報が出ていた事から、
支店長は15時前、高さ約10メートルの2階屋上への避難を指示した。
その後、子供を心配した派遣スタッフの1人は帰宅。 残りの行員ら13人が屋上へ
避難していたが、約30分後の15時25分頃、行員らのいた屋上は津波にの飲み
込まれて、全員が流された。 結局、津波に飲まれて生還出来たのは、行員
1人のみ。 4人が死亡し、8人が行方不明のままになっている。
避難していたが、約30分後の15時25分頃、行員らのいた屋上は津波にの飲み
込まれて、全員が流された。 結局、津波に飲まれて生還出来たのは、行員
1人のみ。 4人が死亡し、8人が行方不明のままになっている。
銀行側は『震災前も発生当時も、支店屋上を超える津波は予想できなかった』と反論
していた。 一審・仙台地裁は、支店長が屋上を超す高さの津波の予想は困難だった
として、銀行の安全配慮義務違反を否定した。 遺族は控訴したが、被告側にあたる
銀行側の主張との溝は埋まらない。
職場で働いている間に、万が一の事が起きた場合、従業員の命よりも、経済合理性の
方が優先されるのか? 銀行管理下に置かれている銀行員が、支店長の指示を
無視してまで、ひとりだけで高台に逃げる事は可能なのか? 1000年に1度の大震災
とは、体のいい言い訳であり、この地は、大昔からの津波襲来地であるため、神社や
石碑が過去の教訓として残されている。
天災と人災は、明らかに違う。 この付近には、七十七銀行以外にも、
石巻信用金庫、並びに、仙台銀行があったが、両行の行員たちは、すぐ
目の前にある高台に逃れて全員が無事だった。 それぞれの支店長の判断が
異なっただけで、生死が分かれたのである。
1000年に1度の大災害は、誰にも予想出来なかったとされているが、宮城県では、
30年以内に99%の確立で、大地震が起こると再三言われていたにも関わらず、
七十七銀行では、まともな防災対策を取らなかった。 被災時、支店長の指示
により、屋上では、行員数名による津波の監視が行われたが、すぐ隣にあった
4階建ての『マリンパル女川』の影に隠れて、前方の視界が遮られ、外洋から
押し寄せる津波が全く見えなかったのである。
すぐ目の前にある高台までは、ゆっくり歩いても3分程度。 その高台には、
付近の住民たちが、皆既に避難をしていたが、七十七銀行の行員達が急に
ひょっこり屋上に現れたため、皆ビックリしたそうであるが、時既に遅しで、
流されまいと必死に円陣を組んでいた行員達が、屋上から流されていくのをなす
すべもなく見守るしかなかった。 七十七銀行の建物が取り壊されたのは、
被災1年が経過した頃であるが、裁判所がこの地を実際に見に来たのは、被災から
1年半後であり、建物が既に取り壊された後であるため、実際の様子は、見る事が
出来なかった。
女川支店は、1973年に建築された2階建て鉄筋コンクリート造りで、2階屋上の
一部にある3階電気室屋上までの高さが13・35メートルあった。 2009年には、
災害対応プランを改正。 『屋上等の安全な場所」も追加して、避難場所の
選択肢を増やしたとされる。 被告は『宮城県地震被害想定調査で予想された
女川町の津波の最大高さが5.3~5.9メートルだったことなどから、女川支店が
津波避難ビルとしての適格性を有するもの』と判断したという。
但し、内閣府の津波避難ビルガイドラインでは、『津波避難ビル等の選定に
あたっては、想定される浸水深が2mの場合は、3階建て以上(想定される
浸水深が1m以下であれば2階建てでも可)、3mの場合は4階建て以上のRC
またはSRC構造の施設を候補とするが、津波の進行方向の奥行きも十分に
考慮しておく』と記されている。
災害対応プラン策定時に、『女川町の津波の最大高さが5.3~5.9メートルで
あったこと』などを挙げていながら、『支店付近の浸水度は1~2メートルと
予測されていた事が判明した』という被告の主張を引用するなど、裁判長は
ガイドラインに合わせるかのように、女川支店を『津波避難ビルであった』と
推認している事が分かる。
『各支店の立地状況や、津波到達予想時刻までの時間的余裕の有無等の具体的
状況に応じて、人命最優先の観点から、一時的・臨時的な避難場所として迅速に
避難し得る支店屋上をも避難場所として追加したというのは、合理性を有する
ものであったと言えるから、災害対応プランにおいて、屋上を避難場所の1つ
として追加したこと自体が安全配慮義務違反に当たるとはいえない』として、
支店屋上を避難場所に追加した事も“肯定”している。
未曾有の大震災に見舞われ、家族を失った家族の気持ちは如何ばかりのものなのか
察するに余り有る。 企業側の責任すら問えない「臭いものにフタ」をする社会は、
そろそろ終わりにした方が良いのではないだろうか。
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