多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

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    タグ:九龍半島

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    香港では、朝から外食をするのが普通であるため、皆朝は早い。 名古屋で
    朝っぱらからモーニングをするのと同じなのだが、個人的には、朝はギリギリまで
    寝ていたい派なので、朝から外食という風習に慣れるのは容易ではないものの、
    折角朝早く起きたので、思い切って、重慶マンションで噂のインド料理を食べて
    みることにしたのだが、20香港ドル(約300円)と格安な割には、本格的な
    カレーを味わうことが出来た。

    【朝の尖沙咀】
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    この重慶マンションは、インド人が多いのと、薄汚い雰囲気が相まって、非常に
    怪しい雰囲気を醸し出しているのだが、単にインド人街と思えば、特に恐れる
    場所ではなく、この重慶マンションの中には、かなりの数の格安の宿と、香港の
    中でも指折りのレートの良い両替所があるため、利用価値大の香港の穴場。
    但し、女性一人で中に入るのには、かなりの勇気が要るため、せめて2人連れ
    ぐらいでなければ、中には入れないかも。

    この建物の前を通るだけでも、『偽物の時計あるよ~』と怪しげな日本語で話し掛け
    られるため、その時点で尻込みする人も多い。 某映画では、麻薬取引の巣窟として
    描かれたため、そのイメージが強いせいか、奥までたどり着くのには、かなりの
    勇気が必要。

    尖沙咀と中環を結ぶスターフェリー】
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     尖沙咀と中環を結ぶスターフェリーは、24時間営業で、平日は2.4香港ドル
    (約36円)で九龍半島と香港島を結んでいるため、ちょっとした観光にも最適。
    ものの10分程度で対岸へと到着してしまうが、気軽に船旅を楽しめ、昼と夜とでは、
    景色がまるで異なるため、どちらに乗っても、周囲の景色を楽しみながらの小旅行
    気分を味わうことが出来る。 この場所では、毎日夜8時からシンフォニー・オブ・
    ライツが開催されており、ちょうどその時間帯に乗車をすると、九龍半島、香港島、
    何れのシンフォニー・オブ・ライツも楽しむことが出来る。 徐々に迫り来る高層
    ビルを見ながら、中環へと到着する様は、正に圧巻。

    中環
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    香港島を代表する繁華街、並びに、オフィス街と言えば中環。 英語名は
    セントラルとなっており、香港島の心臓部。 香港国際空港から到着する香港駅も
    中環にある。 日本で言うと、銀座のような場所。 中環付近は、近代的なビルと
    レトロなビルが入り混じっており、ちょっと裏の路地へと入り込むと、一気に
    景色が豹変する。

    中環からは長いエスカレーターが香港島の中腹まで延びており、地域住民の通勤の
    足となっている。 このエスカレーターは、多くの観光客も利用するため、香港の
    観光地のひとつとなっている。 尚、香港のエスカレーターは、日本のように極端に
    遅くないため、早いエスカレーターに乗ったことがない人の場合は、多少準備が
    必要。

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    【尖沙咀】
    九龍半島突端部にある尖沙咀(チムシャーツイ)は、香港でも指折りの
    繁華街であると共に、かなりのディープスポット。 尖沙咀から九龍半島
    突端部までは、歩いてものの数分程度。 そこから先は、スターフェリー
    (2.2香港ドル=約33円)で対岸の香港島の中環(英語名Central)まで10分
    程度で渡ることが出来る。

    このフェリーは、24時間営業で、尖沙咀⇔中環は、地下鉄で行った場合、
    直通で行く事が出来るものの、このフェリー乗り場から尖沙咀駅までは
    歩くと5分以上は掛かるため、このまま香港の夜景を楽しみながら船の旅を
    楽しむのも一興。

    【香港中心部】
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    【重慶マンション】
    空港で両替した香港ドルがそろそろ底を突いて来たため、香港一の
    ディープスポットとも呼ばれている『重慶マンション(重慶大厦)』で両替。
    一説によると、ここは、香港一の悪の巣窟とされているものの、単に
    インド人しかいない超怪しげな建物なだけで、そこまで身の危険は感じない。

    因みに、前回は、重慶マンション内にある激安ゲストハウスに宿泊したが、
    上手く利用すれば、かなり利用価値大な香港一のホットスポット(笑)
    内部はかなり薄汚いのとインド人しか居ないため、怪しさ満点♪ 旅行上級者
    以外はお勧め出来ないとあちらこちらに記載されているのだが、翌日の
    朝食もこちらでカレーを食べました(爆)

    【香港島】
    1日フリーチケットを購入していたため、一旦尖沙咀から香港島の中環へ
    抜けた後、再度同じ路線で引き返して、左敦(英語名Jordan)で下車し、
    廟街(通称男人街)へと繰り出しました♪ 男人街の外れには、翡翠を
    取り扱ったこれまたディープスポットがありますが、その他、占いやら、
    大〇のおもちゃやら、色々なガラクタが路上販売されており、怪しげな
    雰囲気満点(笑) 尖沙咀からは、実は、香港島の反対方向に向かって
    歩くと10分程度で左敦に到着出来ます。

    ナイトマーケット
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    【旺角 女人街】
    男人街とは違った品揃えの女人街。 主に衣類や食べ物が売られています。
    日本のバッタ物が沢山売られているため、本物と比較するのも楽しいかも
    知れませぬ(笑) 日本ではなかなか見ることが出来ない、あるいは、
    極端に高いフルーツが安価で沢山売られているため、珍しいフルーツの
    食べ比べも良いかも♪

    旺角(女人街)の周辺には、夜市だけではなく、歩行者天国もあり、夜に
    なると路上ライブが繰り広げられたりと、香港の夜を代表する中心街。
    日本で言うと、六本木のような場所だが、六本木の場合は、飲み屋と
    いかがわしいおなごどもを取り揃えた店以外は全て閉店するため、街の勢いが
    全く違います。

    【100万ドルの夜景】
    尖沙咀駅と尖東駅は地下通路で繋がっているものの、歩いて10分以上も
    掛かるため、乗り換えにはそれなりの時間が必要となる。 九龍半島の突端部
    では、毎日夜8時から無料の『シンフォニー・オブ・ライツ』が開催され、
    東洋一のギラギラの夜景も夜11時を過ぎると、このような大人しい夜景に
    なります。 香港の高層ビルの高さは100階を越えるため、アジア有数の
    摩天楼となっています。『100万ドルの夜景』、『世界三大夜景』とも
    言われている香港の夜景が楽しめるヴィクトリア・ピークス(広東語では
    『山頂』)は、このビル群のすぐ裏側にある。

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    イギリスは当初、主権を中国に返還しても、行政権をイギリスが持ち続ける
    という方式も考えていた。1982年9月24日、北京の人民大会堂で、マーガレット・
    サッチャーは鄧小平との会談に臨んだ。 フォークランド紛争に勝利して自信に
    満ちたサッチャーは、意気揚々と北京に乗り込んだが、そこで手痛い挫折を
    味わった。

    イギリスが香港を条約によって正式に得たということ、香港の繁栄はイギリスが
    築いたということを堂々と主張するサッチャーに対して、鄧小平は大いに怒り、
    『爆撃しろ』という言葉も吐いたという。

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    サッチャーが香港に関するイギリスの法的な立場を強調したことに、鄧小平は
    一向に関心を示さなかったという。 中国人の目から見れば、イギリスが香港
    統治の根拠としている南京条約・北京条約・新界租借条約は、強制しされた不平等
    条約であり、中国人としては香港を取り戻すことはナショナリズムに触れる問題
    であった。

    この後両国は交渉を重ねるが、結局イギリスは香港統治の継続を断念し、1984年
    12月19日に中英共同声明が正式調印され、イギリスは1997年7月1日に香港を中国に
    返還すること、そして返還後の香港では『一国二制度』が実施されることが約束
    され、香港返還問題は決着を見た。

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    尚、1997年に租借期限を迎えたのは、新界地区のみであり、期限なしで割譲された
    香港島と九龍半島については、理論上この日を期限とする必要はない。 しかし、
    香港の発展はこの三地区を跨いで進められており、道路や地下鉄網だけではなく、
    啓徳空港の滑走路も新界と九龍の双方に跨っているため、新界のみを返還するのは
    事実上不可能であり、全ての香港が一括して返還されることになったのである。

    中英両国は、全ての香港の返還に基本合意したが、1984年の共同声明調印から
    1997年の返還までの過渡期と言われる時期の香港政治は波乱万丈であった。 特に
    民主化問題を巡って、両国は対立を繰り返した。 1997年の返還自体は、
    スムーズに行われ、『一国二制度』方式の実践が始まった。

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    戦後の香港は、著しい経済発展の時代でもあった。 戦前の香港の主要産業
    であった中国大陸との中継貿易は、共産党政権の誕生によって、大きな打撃を
    受けたが、大陸から香港に来た資本家が工業を興し、難民がこれに労働力を提供し、
    香港はやがて台湾、韓国、シンガポールと共に『アジア四小龍』と称される。
    新興工業経済地域(NIES)に数えられるようになったのである。

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    しかし、庶民の生活は苦しく、植民地支配の下、政府の福祉や弱者対策も不十分
    であった。 このため、1960年代までの香港では、暴動も頻発した。 1956年の
    九龍半島と新界の工業地区での暴動は、戦後初めてのものであり、10月10日の
    中華民国の建国記念日に、公共住宅に中華民国旗を掲げることへ不満を持った
    親国民党の派閥が起こした右派暴動であった。 1966年4月6日には、香港島と
    九龍を結ぶ庶民の足『スターフェリー』の値上げに反対する運動が暴動化した。

    中でも大規模なものは、大陸の文化大革命の影響を受けた左派系の派閥が主導した、
    1967年の暴動であった。 同年5月、九龍の造花工場の労働闘争が、香港政庁批判の
    政治運動と化した。 これを背後で共産党組織、広東省の紅衛組織が支援し、
    暴動化した。 8月には左派は、時限爆弾によるテロを開始し、半年以上の
    混乱の中、政府公表で死者51人、負傷者848人、逮捕者は5,000人以上、秘密裏に
    大陸に追放された者多数という悲劇を産んだ。

    これにより、香港の左派は、大きく信用を失ったが、同時に香港政庁もこれまでの
    高圧的な統治への反省を迫れらた。 1970年代になると、『中文公用語化運動』や
    『保釣運動(尖閣諸島の防衛)』など、地元意識の高まりを象徴する学生運動が
    多発した。 イギリスの労働党政権も、香港の福祉の充実を香港政庁に対して
    求めた。

    政庁と市民は、それまで政庁が政権を独占し、地元市民の生活は、半ば放置された
    ような状態にあったが、経済、社会の発展に伴い、相互に要求を伝えたり、民意を
    聴衆したりする必要性を認識した。 民主化は行われなかったが、香港政庁は、
    詰問などの仕組みを通じて、民意を汲み取ることに努めた。

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