ソ連崩壊直前の1989年当時、ロシアの通貨であるルーブルは、360円だった。
但し、その年にロシアルーブルは一気に下落して、10分の1の価値である、36円
まで暴落した。 ここからロシアの経済危機とハイパーインフレが始まった。
90年1月には、モスクワのプーシキン広場に初めてアメリカ資本のマクドナルドが
進出し、ソ連の歴史が始まって以来、身分の高い店員様が客に対して、
『ありがとうございました』と言ったことが非常に話題となった。 それまでの
ソ連の店では、客が店を後にする際に『ありがとう』と言い、店員の言葉と言えば、
『どういたしまして』が普通だった。
 
当時、和食レストランは、モスクワでは『サクラ』という一店しか存在していな
かったのだが、今では、モスクワ市内だけでも、700店を超えるのだとか。 今や、
ユニクロや丸亀製麺までもが進出を果たしており、この25年間のロシアの変貌振り
には驚きを隠せない。 恐らく、この25年間でここまで変貌を遂げた国は、ロシア
以外にはないであろう。 中国も大変貌を遂げてはいるものの、社会主義から資本
主義への転換はしていない。 ロシアが最も変わったところは、やはり、社会主義
から資本主義へと転換し、地獄の底を這いながらも、ここまで経済発展したところに
尽きる。 現在のモスクワ・シティーは、新宿と何ら遜色がないばかりか、むしろ、
発展している。 これが、経済危機で何年も完成が遅れた建物群かと見まごうばかり
である。

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ソ連当時、バスのチケットは、運転手から買うものだった。 よって、車内で隣の
人にお金を渡せば、めぐりめぐって、自分のところへチケットとおつりが返って
来るという、非常にのどかなものだった。 その後、ソ連が崩壊してしまったため、
このような風習はすっかりと消え去った。 ソ連時代の最大の特徴は、民族友好で、
ソ連国内に約180も居る多民族は、皆平等なソ連人だった。 基本的に国民全員が
公用語であるロシア語を操り、社会主義の時代は、国をあげて教育にも熱心に力を
入れたため、あれだけ広大な国であるのにも関わらず、ロシア語には方言という
ものがほぼない。

社会主義とは、アメリカ的なイデオロギーから見ると、悪らしいが、国家が計画的に
経済を建設する社会であったため、国民全てに、マンションと別荘も与えられる
という、強欲資本主義では到底あり得ない特典もあった。 よって、贅沢さえしな
ければ、皆が幸福で居られる社会でもあった。 それゆえに、逆に発展性がなく
なり、働いても働かなくとも、給与は同じという生温い社会が70年間も続いたため、
ソ連は崩壊したとも言える。


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