冷戦下での大陸の共産党政権と台湾の国民党政権の対立を前に、香港では、
その政治的影響を食い止めるための様々な処置が採られた。 1949年5月には、
社団条例が制定され、香港で活動する全ての社会団体に登録を義務付け、
政治活動と香港以外の団体の香港支部の活動を禁止した。 これによって、
香港では、共産党、国民党共に非合法ということになった。 社団条例に
基づき、1949年11月には、38の共産党系の合唱団、劇団、学会等が解散を
命じられた。

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また、戦前の自由往来から転じて、中英国境は封鎖された。 1949年1月の人民
入境統制条例は、大陸からの反乱を扇動したり、公共の安寧を乱したりする疑いの
ある者を入境させることを禁じた。 1950年5月1日以降、香港政庁は、大陸から
香港に入る中国人に対し、香港政庁発給の『旅行証明書』の取得を義務付けた。
このように、戦後大陸と香港の相互往来は厳しく制限され、両地の分断状態が
出現した。

大陸は社会主義大国の、香港は資本主義の植民地統治の下に置かれ、それぞれ
全く異なる政治、経済、社会の構造を築き上げて行った。 台湾と同様に、
香港でも、香港・マカオ以外の共産党政権下の中国全土を『中国大陸』や
『大陸』と呼称して、自身とは区別するようになった。

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それでも、分断の有無に関わらず、大陸から香港への人口流入は戦後ずっと
続いた。 終戦時には、60万人であった人口は、良く1946年には100万人を
回復し、1950年末には、200万人に迫り、その後も、およそ10万人のペースで
増加が長く続いた。 香港政庁の難民政策は、比較的寛容で、1980年までは、
市街地にたどり着いた不法入境者は、強制送還しない政策が採られた。 このため、
合法的な移民のみならず、戦後すぐには共産党と国民党の内戦、中華人民共和国の
建国後は、大躍進運動や文化大革命等に代表される大陸の政治的混乱から逃れて、
多くの中国人が難民となって、密航等の海陸の困難なルートを通って香港にやって
来た。

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