アンリ4世は1610年に暗殺され、9歳のルイ13世が王になった。 幼い国王を
助けたのは、強力な相談相手の大枢機卿リシュリューだった。 リシュリューは、
国王に権力を集中するために、多くの城を破壊して土地を差し押さえた。

国王は、裁判所を監視したり、徴税したりする代表を任命した。 フランスの
船や商人による北アメリカとアフリカの港との貿易が定着すると、フランスの
収入は増えた。 この地域との商業関係が、後に海外植民地をつくる基盤となった。

リシュリューはまた、オーストリアのハプスブルグ王家が勢力を伸ばすのに
対抗して、オランダ、スウェーデンと同盟を結んで、1618年から1648年まで続いた
三十年戦争に勝つことが出来た。 戦後、フランスはライン川沿いに新しい領土を
獲得し、国境地帯を強化した。

しかし、フランス国王たちは、間もなく不評をかうようになった。 重税と農作物の
不作で、農村地帯の生活は苦しくなっていた。 ルイ14世が即位した1643年には、
反乱が広まっていた。 これはフロンドの反乱と呼ばれ、国王軍によってパリで
鎮圧された。 ルイ14世は、貴族や台頭して来た中流階級が強力になり過ぎた
ために反乱が起きたと知って、親政政治を始めた。

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ルイ14世は、フランスを世界で最も豊かで強大な国家にしようとした。 保護貿易
政策がとられているフランス経済は強くなった。 新しい道路と運河が地方同士を
結び付けた。 1700年に、フランス軍は領土を拡張し、ルイ14世の孫をスペインの
王位に就けるため、スペインとオランダに攻め入った。

ルイ14世の軍事作戦は成功したが、戦費のためにフランス王国の財源は乏しく
なった。 更にルイ14世は、ユグノーの権利を奪い、結局は信仰の自由の保障を
止めてしまった。 その結果、商人や貿易商という重要な階級を形作っていた
数十万のユグノーたちは、ヨーロッパの他の土地や北アメリカに移住して行った。
このため、フランス経済は更に弱くなった。

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