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    タグ:中央アジア

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    カザフスタンの人口は、約1680万人で、そのうち、この国の名に由来するカザフ人
    (チュルク系の言語を話し、イスラム教スンニ派を信仰)の占める割合は、約40%に
    過ぎない。 また、スラブ系民族に属するロシア人は、人口の38%を占めており、
    カザフスタン人とほぼ同じ割合である。

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    主な少数民族としては、ドイツ人6%、ウクライナ人5%が挙げられるが、その他にも
    タタール人、ウズベク人、ウイグル人、ベラルーシ人、朝鮮人も住んでいる。
    カザフ人と言うのは、トルコ系とモンゴル系の両民族の血を引いている。
    『カザフ』という言葉が使われるようになったのは、16世紀である。 17世紀に
    なると、カザフ民族は、3つの独立した集団に分離し、互いにしばしば対立し、
    また、モンゴル系の部族とも争いを繰り返した。 彼らは、19世紀まで主に
    遊牧民として生活をしていた。

    1822年以来、カザフ人の住む地域は、ロシアに占領されていた。 1873年に併合
    された後、1880年代を中心に、ロシア人の入植が始まった。 1916年には、皇帝
    支配に抵抗して、暴動が起こったが、流血のうちに鎮圧された。 1917年のロシア
    革命後の数年間、カザフスタンは、内乱の舞台となったが、ボリシェビキの勝利に
    終わった。

    1920年、キルギス自治共和国がロシア共和国内の自治共和国として設立された。
    当時、キルギスという言葉は、カザフと混同して使われた。 1926年には、カザフ
    自治共和国と改称し、更に、1936年には、ソ連構成の一共和国に昇格した。

    その中でソビエト化や集団化の政策は暴力をも辞さずに推進された。 1941年には
    数十万人のロシアに住むドイツ人が、強制的にカザフスタンに移住させられた。
    1954年、新しく開拓地を広げる運動が起こったが、結果的には、ますます多くの
    ロシア人入植者をもたらしただけであった。

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    1985年からの、ゴルバチョフのペレストロイカ(改革)の気運の中、1986年に
    反ロシア抵抗運動が初めて起こった。 1990年10月25日にカザフスタンは、主権
    宣言を採択し、翌1991年12月16日に独立宣言を採択した。 同年12月21日は、
    独立国家共同体(CIS)に加盟。 この国家連合は、まだ創立後間もなく、形態が
    定まっていなかったのだが、その加盟国の中でカザフスタンは、際立った存在で
    ある。

    非スラブ系の共和国の中で、核兵器を所有するのは、カザフスタンのみで、国内
    では、カザフ民族とカザフ以外の多民族の間の緊張が高まっている。 また、
    ロシアとの国境問題もある。

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    ウズベキスタンは、ソビエト時代の民族別国境画定(1924年~1925年)によって、
    人為的に国境が定められて来た。 フェルガナ盆地の東端がウズベキスタンと
    キルギスに分割され、更に1929年には、ウズベキスタンの一自治州だった
    タジキスタンが連邦構成国へと昇格したことで、現在の国境線が画定された。
    ソビエト連邦崩壊後、かつての共和国が民族や宗教、それに領土をめぐって
    憎しみ合ったり、紛争に至ったりする原因は、ウズベキスタンも同じだ。

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    1999年8月、JICA(国際協力機構)から派遣された日本人技師4人が拉致された
    事件で、犯行声明を出したのは、『ウズベキスタン・イスラム運動(IMU)』と
    呼ばれるイスラム原始主義をうたったテロ組織だった。

    IMUは、1998年に組織され、創設者は、原理主義者のタヒル・ユルダシェフとソ連の
    落下傘部隊出身のジュマ・ナマンガニ。 彼らは、ウズベキスタンのカリモフ政権
    打倒を掲げていたが、本音はウズベキスタン、タジキスタン、キルギスの3国に
    またがるフェルガナ盆地に、イスラム国家を樹立することだった。

    IMUがその名前を知られるようになったのは、1992年、隣国タジキスタン共和党系
    政府と、イスラム系野党勢力タジキスタン・イスラム復興党の間で起きた内戦で、
    野党の信任を得て参加したことだった。 そしてこの時、パキスタンのペシャワルで
    オサマ・ビンラディンと繋がったという。 その後IMUは、タジキスタンやタリバン
    支配下のアフガニスタンをベースに、武装闘争を宣言、1999年から2000年には、
    ウズベキスタン政府軍への攻撃を続けていた。

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    創設者の1人、ナマンガニは、2001年10月に『テロとの戦争』 を遂行する北部同盟
    および、アメリカ軍との戦闘で戦死。 ユルダシェフは、2009年にパキスタンの
    部族地域のひとつ、ワジリスタンでアメリカ空軍の攻撃を受け死亡した。

    アメリカのアフガニスタン侵攻後、ウズベキスタンやタジキスタンのイスラム武装
    組織の力は弱体化したと言われている。 しかし、IMUは、以前アフガニスタン
    との国境地帯で活動中であり、タジキスタンの反政府勢力も、首都ドゥシャンベ
    市内で2007年~2009年に7件の爆弾テロ事件を起こすなど、以前不安定な状況
    にある。

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    ロシア連邦、中国、キルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタンと国境を接し、
    カスピ海にも面したカザフスタンは、国土の大部分が砂漠やステップ地帯である。
    人が住める場所は限られていて、人口の大半は、首都のアスタナやアルマトイ
    といった一部の地域に住む。

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    ソビエト連邦が崩壊した後は、カザフスタン共和国として独立したが、ロシアを
    中心とする独立国家共同体(CIS)に加盟、ロシアとは良好な関係を結んでいる。
    国民の6割近くがカザフ人で、残り3割をロシア人が占め、その他にも、
    ウクライナ人やウズベク人も住んでいる。 宗教もイスラム教とロシア正教が
    中心となっている。

    ソビエト連邦を構成していた他の共和国とは異なり、大統領のヌルスタン・
    ナザルバエフはソ連時代から今日までずっと大統領職にあり、強力なリーダー
    シップを発揮している。 一見、安定した国家のように見えるが、アルマトイでは、
    反ナザルバエフ派の市長が殺されたり、2006年には、野党連合の共同議長が射殺
    死体となって発見されるなど、事件が続き、この時は、容疑者として、国家保安
    委員会のメンバー5人が逮捕されている。

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    日本の7倍もある国土は長大で、全ての国境を警備することは不可能に近い。
    特に、2001年の9.11テロ以降は、テロ組織アルカイダや外国の反政府組織の
    メンバーらが潜伏するのに好都合とばかりに、出入りしている事実もあり、
    中でもウズベキスタンとの国境は、厳重な警備が敷かれている。

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    共に中央アジアに位置するアゼルバイジャンとアルメニア。 黒海と
    カスピ海に挟まれたカフカス山脈の南に隣り合う両国は、アゼルバイジャン
    にあるナゴルノ・カラバフ自治州をめぐって泥沼の争いを続けて来た。
    根底には、民族と宗教が絡んでいる。

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    トルコと友好関係にあるアゼルバイジャンは、元々は、イスラム教の国で、
    国民の95%がイスラム教徒となっている。 一方、ロシアとは強固な関係を
    築いて来たアルメニアは、キリスト教の国。 ソビエト時代には、連邦内の
    民族自決を弱めるために、宗教や民族間の分断を狙ったスターリンの政策で、
    キリスト教徒であるアルメニア人が多数を占めるナゴルノ・カラバフは、
    アゼルバイジャンの自治州に組み込まれていた。

    1988年、同自治州の人口の8割を占めるアルメニア人はが、アルメニアへの
    帰属を求めたところ、アゼルバイジャンは要求を拒否しただけではなく、
    自治州まで廃止し、直轄統治という強引な措置に出たため、火種はくすぶり出した。

    1991年のソビエト崩壊に伴って、両国が独立を果たすと、アルメニア人の
    アルメニアへの帰属を求める民族意識は一気に燃え上がった。 紛争の勃発は
    1992年、ナゴルノ・カラバフが一方的に独立を宣言したことにある。
    アゼルバイジャンは経済封鎖などで対抗したが、アルメニアは、当然ながら
    戦闘状態に突入した。

    1994年、ロシアとフランスの仲介により、停戦が成立したが、停戦案の中身は、
    戦闘でアルメニアが占拠したアゼルバイジャンの領土は返還しなければならない、
    ナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャンに帰属し、自治共和国として昇格する
    などと定められたことから、アルメニア側は反発、今も解決の目処が立って
    いないが、実質上は、アルメニアの支配下にある。

    更に、2009年、アルメニアは、 宿敵トルコとの間で国交正常化が実現したが、
    ここでもナゴルノ・カラバフ紛争をめぐる文言にアルメニア側が反発、正常化は
    ほど遠い現状となっている。

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    ロシアやフランス、トルコを始め、欧米などの仲介が上手く行かない背景には、
    バクー油田など豊富な天然資源がアゼルバイジャンの経済を支えて来た現状があり、
    更に、ヨーロッパ向け原油パイプラインに対する欧米の直接投資や原油高に伴う
    収益が、国内経済成長を後押ししているという現状に、仲介側が配慮せざるを得な
    かったという事情がある。

    その影で、この紛争では、2万人の犠牲者と100万人以上の難民が発生した。

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    ブログネタ
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    旧ソ連邦から独立を果たしたキルギスは、親日な人達が多い国として
    知られている。 キルギスでは、『大昔、日本人とキルギス人は兄弟で、
    肉が好きな者はキルギス人となり、魚が好きな者は、東へと渡り、日本人と
    なった』とまことしやかに語られている。 このため、日本人が、キルギスへ
    行くと、どこでも大歓迎をされる。

     

    この熱狂的な親日感情は、恐らく、日本人と容姿が非常に似ている事と、
    隣国との複雑な関係からこうなったものと予想出来るが、元々、キルギス人は、
    人種的に欧米系のいわゆる、コーカソイドであり、その後、旧モンゴル領であり、
    現在ではロシア領となっているトゥバ共和国周辺から大量の移住者が押し寄せて、
    その後日本人と同じモンゴロイドへと容姿が変化した民族である。

    確かに、キルギス人は、日本人と並んで座っていても、全く違和感を感じない
    ぐらいに似ている。 中国人や韓国人は、見ただけで何となく日本人ではない
    と分かるが、中央アジアのキルギス人やカザフ人は、喋らなければ、見た目は
    日本人と全く同じ人達が多い。

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    キルギスでは、日本に対する関心が非常に高く、日本語教育も盛んに行われ
    ている。 よって、第一外国語として、日本語を選択する人も多い。 これだけ
    日本から離れた国で、日本語が熱心に学ばれている現状は、日本人としては
    ありがたいばかりであるが、逆に日本人が、このような親日国の事を全く
    知らない事が残念でならない。

    また、キルギスでは、韓国人男性とのトラブルが多発したため、韓国人との
    結婚を禁止している。 よって、非常に嫌韓国としても知られている。

    キルギスでは、仲間を連れた若い男が嫌がる女性を自宅に連れていき、一族
    総出で説得し、無理やり結婚させる、キルギス語で『アラ・カチュー』と
    呼ばれる『誘拐結婚』が行われている。 現在は、当然違法とされている
    行為だが、キルギスでは、これが伝統とされ、今でも誘拐結婚を行っている
    人達が後を絶たない。

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