多言語翻訳 Samurai Global ~多言語のススメ~

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    タグ:中国

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    北海道エリア(7路線)
    1位:JR北海道_【白石 →苗穂】128%(7:35~ 8:34 )
    2位:JR北海道_札沼【八軒 →桑園】125%(7:22~ 8:21 )
    3位:地下鉄_札幌市(東西)【菊水 →バスセンター前】124%(8:00~ 9:00 )
    4位:地下鉄_札幌市(東豊)【北 13条東 →さっぽろ】122%(8:00~ 9:00 )
    5位:JR北海道_函館【琴似 →桑園】112%(7:32~ 8:29 )
    6位:地下鉄_札幌市(南北)【中島公園 →すすきの】102%(8:00~ 9:00 )
    7位:JR北海道_函館【白石 →苗穂】100%(7:29~ 8:26 )

    東北エリア(6路線)
    1位:地下鉄_仙台市(南北)【北仙台 →北四番丁】148%(8:00~ 9:00 )
    2位:JR東日本_東北(1)【岩沼 →仙台】134%(7:00~ 8:00 )
    3位:JR東日本_仙石【陸前原ノ町 →仙台】116%(8:00~ 9:00 )
    4位:JR東日本_東北(1)【松島 →仙台】114%(8:00~ 9:00 )
    5位:JR東日本_仙山【作並 →仙台】113%(7:00~ 8:00 )
    6位:地下鉄_仙台市(東西)【連坊 →宮城野通】59%(8:00~ 9:00 )




    関東エリア(84路線)
    1位:JR東日本_総武(緩行)【錦糸町 →両国】199%(7:34~ 8:34 )
    2位:地下鉄_東京地下鉄(東西)【木場 →門前仲町】199%(7:50~ 8:50 )
    3位:JR東日本_横須賀【武蔵小杉 →西大井】193%(7:26~ 8:26 )
    4位:大手民鉄_小田急電鉄(小田原)【世田谷代田→下北沢】191%
    (7:46~ 8:48 )
    5位:JR東日本_南武【武蔵中原 →武蔵小杉】190%(7:30~ 8:30 )
    6位:JR東日本_中央(快速)【中野 →新宿】188%(7:55~ 8:55 )
    7位:大手民鉄_東京急行電鉄(田園都市)【池尻大橋 →渋谷】184%
    (7:50~ 8:50 )
    8位:JR東日本_埼京【板橋 →池袋】183%(7:50~ 8:50 )
    9位:新交通システム_東京都(日暮里・舎人ライナー)
    【赤土小学校前 →西日暮里】183%(7:30~ 8:30 )
    10位:JR東日本_東海道【川崎 →品川】182%(7:39~ 8:39 )
    11位:JR東日本_京浜東北【大井町 →品川】182%(7:37~ 8:37 )
    12位:JR東日本_総武(快速)【新小岩 →錦糸町】180%(7:34~ 8:34 )
    13位:地下鉄_東京地下鉄(千代田)【町屋 →西日暮里】178%(7:45~ 8:45 )
    14位:JR東日本_京浜東北【川口 →赤羽】177%(7:25~ 8:25 )
    15位:JR東日本_武蔵野【東浦和 →南浦和】175%(7:21~ 8:21 )
    16位:JR東日本_高崎【宮原 →大宮】172%(6:57~ 7:57 )
    17位:JR東日本_京葉【葛西臨海公園→新木場】171%(7:29~ 8:29 )
    18位:地下鉄_東京地下鉄(半蔵門)【渋谷 →表参道】171%(8:00~ 9:00 )
    19位:JR東日本_横浜【小机 →新横浜】170%(7:27~ 8:27 )
    20位:大手民鉄_東京急行電鉄(大井町)【九品仏 →自由が丘】168%
    (7:30~ 8:30 )
    21位:JR東日本_山手【新大久保 →新宿】167%(7:43~ 8:43 )
    22位:大手民鉄_東京急行電鉄(目黒)【不動前 →目黒】166%(7:50~ 8:50 )
    23位:大手民鉄_京王電鉄(京王)【下高井戸 →明大前】165%(7:40~ 8:40 )
    24位:JR東日本_山手【上野 →御徒町】163%(7:41~ 8:41 )
    25位:大手民鉄_東京急行電鉄(東横)【祐天寺 →中目黒】163%(7:50~ 8:50 )
    26位:JR東日本_常磐(中電)【松戸 →北千住】162%(7:18~ 8:18 )
    27位:JR東日本_根岸【新杉田 →磯子】162%(7:13~ 8:13 )
    28位:JR東日本_常磐(快速)【松戸 →北千住】161%(7:21~ 8:21 )
    29位:地下鉄_東京地下鉄(有楽町)【東池袋 →護国寺】161%(7:45~ 8:45 )
    30位:地下鉄_東京地下鉄(丸ノ内)【新大塚 →茗荷谷】160%(8:00~ 9:00 )
    31位:大手民鉄_西武鉄道(池袋)【椎名町 →池袋】159%(7:30~ 8:29 )
    32位:地下鉄_東京地下鉄(銀座)【赤坂見附 →溜池山王】158%(8:00~ 9:00 )
    33位:地下鉄_東京地下鉄(丸ノ内)【四ツ谷 →赤坂見附】157%(8:10~ 9:10 )
    34位:地下鉄_東京都(三田)【西巣鴨 →巣鴨】157%(7:40~ 8:40 )
    35位:大手民鉄_西武鉄道(新宿)【下落合 →高田馬場】156%(7:37~ 8:36 )
    36位:中小民鉄_首都圏新都市鉄道(つくばエクスプレス)
    【青井 →北千住】156%(7:30~ 8:30 )
    37位:JR東日本_常磐(緩行)【亀有 →綾瀬】155%(7:23~ 8:23 )
    38位:地下鉄_横浜市(4号)【日吉本町 →日吉】155%(7:15~ 8:15 )
    39位:モノレール_湘南モノレール(江の島)【富士見町 →大船】155%
    (7:11~ 8:04 )
    40位:地下鉄_東京地下鉄(日比谷)【三ノ輪 →入谷】153%(7:50~ 8:50 )
    41位:地下鉄_東京地下鉄(南北)【駒込 →本駒込】153%(8:00~ 9:00 )
    42位:地下鉄_東京都(大江戸)【中井 →東中野】153%(7:50~ 8:50 )
    43位:大手民鉄_京成電鉄(押上)【京成曳舟 →押上】152%(7:40~ 8:40 )
    44位:地下鉄_東京都(新宿)【西大島 →住吉】151%(7:40~ 8:40 )
    45位:JR東日本_宇都宮【土呂 →大宮】150%(6:56~ 7:56 )
    46位:大手民鉄_東武鉄道(伊勢崎)【小菅 →北千住】150%(7:30~ 8:30 )
    47位:地下鉄_東京地下鉄(副都心)【要町 →池袋】146%(7:45~ 8:45 )
    48位:大手民鉄_相模鉄道(本線)【西横浜 →平沼橋】146%(7:26~ 8:25 )
    49位:大手民鉄_京浜急行電鉄(本線)【戸部 →横浜】145%(7:30~ 8:30 )
    50位:大手民鉄_京王電鉄(井の頭)【池ノ上 →駒場東大前】144%
    (7:45~ 8:45 )
    51位:大手民鉄_東武鉄道(野田線)【新船橋 →船橋】143%(7:00~ 8:00 )
    52位:JR東日本_五日市【東秋留 →拝島】142%(7:05~ 8:05 )
    53位:大手民鉄_東武鉄道(東上)【北池袋 →池袋】138%(7:30~ 8:30 )
    54位:JR東日本_青梅【西立川 →立川】137%(7:02~ 8:02 )
    55位:大手民鉄_東京急行電鉄(池上)【大崎広小路→五反田】136%
    (7:50~ 8:50 )
    56位:大手民鉄_小田急電鉄(江ノ島)【南林間→中央林間】135%(7:24~ 8:20 )
    57位:中小民鉄_東京臨海高速鉄道(臨海副都心)
    【大井町 →品川シーサイド】135%(8:00~ 9:00 )
    58位:大手民鉄_京成電鉄(本線)【大神宮下 →京成船橋】132%(7:20~ 8:20 )
    59位:地下鉄_横浜市(1・ 3号)【三ツ沢下町→横浜】131%(7:30~ 8:30 )
    60位:大手民鉄_東武鉄道(野田線)【初石 →流山おおたかの森】130%
    (7:10~ 8:10 )
    61位:新交通システム_ゆりかもめ(東京臨海新交通臨海)
    【竹芝 →汐留】130%
    (18:00~ 19:00 )
    62位:大手民鉄_京王電鉄(相模原)【京王多摩川→調布】129%(7:20~ 8:20 )
    63位:大手民鉄_東京急行電鉄(多摩川)【矢口渡→蒲田】129%(7:40~ 8:40 )
    64位:大手民鉄_東武鉄道(野田線)【北大宮 →大宮】128%(7:30~ 8:30 )
    65位:モノレール_千葉都市モノレール(2号)【千葉公園 →千葉】127%
    (7:30~ 8:30 )
    66位:地下鉄_東京地下鉄(東西)【高田馬場 →早稲田】126%(8:00~ 9:00 )
    67位:中小民鉄_新京成電鉄(新京成)【上本郷 →松戸】125%(7:24~ 8:19 )
    68位:地下鉄_埼玉高速鉄道(埼玉高速鉄道)【川口元郷 →赤羽岩淵】121%
    (7:16~ 8:16 )
    69位:地下鉄_東京都(浅草)【本所吾妻橋→浅草】120%(7:40~ 8:40 )
    70位:中小民鉄_新京成電鉄(新京成)【前原 →新津田沼】116%(7:08~ 8:06 )
    71位:中小民鉄_東葉高速鉄道(東葉高速)【東海神 →西船橋】112%
    (7:08~ 8:07 )
    72位:新交通システム_埼玉新都市交通【鉄道博物館 →大宮】112%(7:02~ 8:01 )
    73位:新交通システム_横浜シーサイドライン【新杉田 →南部市場】
    109%(7:27~ 8:26 )
    74位:大手民鉄_西武鉄道(西武有楽町)【新桜台 →小竹向原】100%(7:32~ 8:31 )
    75位:モノレール_東京モノレール(東京モノレール羽田)【モノレール浜松町 →
    天王洲アイル】
    95%(8:00~ 9:00 )
    76位:JR東日本_中央(緩行)【代々木 →千駄ヶ谷】93%(8:01~ 9:01 )
    77位:中小民鉄_江ノ島電鉄(江ノ島電鉄)【石上 →藤沢】93%(7:10~ 7:58 )
    78位:モノレール_多摩都市モノレール(多摩都市モノレール)
    【泉体育館 →立飛】91%(7:24~ 8:24 )
    79位:中小民鉄_北総鉄道(北総)【新柴又 →京成高砂】87%(7:24~ 8:23 )
    80位:大手民鉄_小田急電鉄(多摩)【五月台 →新百合ヶ丘】85%(7:21~ 8:19 )
    81位:中小民鉄_流鉄(流山)【小金城趾 →幸谷】62%(7:00~ 8:00 )
    82位:中小民鉄_関東鉄道(常総)【西取手 →取手】61%(7:00~ 8:00 )
    83位:新交通システム_山万(ユーカリが丘)【地区センター →ユーカリが丘】
    34%(6:49~ 7:44 )
    84位:中小民鉄_関東鉄道(竜ヶ崎)【竜ヶ崎 →佐貫】24%(6:55~ 7:55 )




    信越・北陸エリア(3路線)
    1位:JR東日本_信越【新津 →新潟】116%(7:25~ 8:25 )
    2位:JR東日本_越後【吉田 →新潟】113%(7:50~ 8:50 )
    3位:JR東日本_白新【新発田 →新潟】111%(7:40~ 8:40 )

    東海エリア(31路線)
    1位:JR東海_中央【新守山 →大曽根】142%(7:49~ 8:48 )
    2位:地下鉄_名古屋市(東山)【名古屋 →伏見】140%(7:30~ 8:30 )
    3位:大手民鉄_名古屋鉄道(本線 (東 ))【神宮前 →金山】140%(7:40~ 8:40 )
    4位:大手民鉄_名古屋鉄道(本線 (西 ))【栄生 →名鉄名古屋】140%(7:30~ 8:30 )
    5位:大手民鉄_名古屋鉄道(常滑)【豊田本町 →神宮前】140%(7:40~ 8:40 )
    6位:大手民鉄_名古屋鉄道(犬山)【下小田井 →枇杷島分岐点】140%(7:30~ 8:30 )
    7位:大手民鉄_名古屋鉄道(瀬戸)【矢田 →大曽根】139%(7:30~ 8:30 )
    8位:大手民鉄_名古屋鉄道(津島)【甚目寺 →須ヶ口】137%(7:30~ 8:30 )
    9位:大手民鉄_近畿日本鉄道(名古屋)【米野 →名古屋】133%(7:35~ 8:35 )
    10位:地下鉄_名古屋市(名城・名港)【金山 →東別院】130%(7:30~ 8:30 )

    11位:JR東海_関西【八田 →名古屋】119%(7:31~ 8:30 )
    12位:地下鉄_名古屋市(桜通)【名古屋 →国際センター】119%(7:30~ 8:30 )
    13位:地下鉄_名古屋市(上飯田)【上飯田 →平安通】116%(7:30~ 8:30 )
    14位:大手民鉄_名古屋鉄道(小牧)【味鋺 →上飯田】116%(7:30~ 8:30 )
    15位:JR東海_東海道(2) 【枇杷島 →名古屋】115%(7:24~ 8:23 )
    16位:JR東海_東海道(2) 【熱田 →名古屋】114%(7:38~ 8:37 )
    17位:地下鉄_名古屋市(鶴舞)【塩釜口 →八事】113%(7:30~ 8:30 )
    18位:中小民鉄_養老鉄道(養老)【北大垣 →室】113%(6:39~ 7:39 )
    19位:新交通システム_愛知高速交通 (リニモ )(東部丘陵)
    【はなみずき通 →杁ヶ池公園】112%(8:00~ 9:00 )
    20位:JR東海_東海道(1)【安倍川 →静岡】110%(7:22~ 8:21 )
    21位:JR東海_東海道(1)【東静岡 →静岡】101%(7:36~ 8:35 )
    22位:中小民鉄_愛知環状鉄道(愛知環状鉄道)【末野原 →三河豊田】
    97%(7:30~ 8:30 )
    23位:準大手・中小民鉄_遠州鉄道(鉄道)【助信 →八幡】96%(7:10~ 8:10 )
    24位:準大手・中小民鉄_四日市あすなろう鉄道(内部)
    【赤堀 →あすなろう四日市】88%(7:00~ 8:00 )
    25位:新交通システム_名古屋ガイドウェイバス(志段味線)
    【守山 →砂田橋】86%(7:30~ 8:30 )
    26位:準大手・中小民鉄_名古屋臨海高速鉄道(西名古屋港)
    【ささしまライブ→名古屋】60%(7:30~ 8:30 )
    27位:中小民鉄_静岡鉄道(静岡清水)【長沼 →柚木】52%(8:00~ 9:00 )
    28位:中小民鉄_天竜浜名湖【西掛川 →掛川市役所前】51%(7:04~ 8:06 )
    29位:中小民鉄_樽見鉄道(樽見)【大垣 →東大垣】48%(6:53~ 7:53 )
    30位:中小民鉄_長良川鉄道(越美南)【前平公園 →美濃太田】38%
    (7:00~ 8:00 )
    31位:中小民鉄_東海交通事業(城北)【勝川 →枇杷島】33%(7:30~ 8:30 )

    4472053

    関西エリア(70路線)
    1位:地下鉄_大阪市(御堂筋)【梅田 →淀屋橋】150%(7:50~ 8:50 )
    2位:大手民鉄_阪急電鉄(神戸本線)【神崎川 →十三】146%(7:34~ 8:34 )
    3位:大手民鉄_阪急電鉄(宝塚本線)【三国 →十三】145%(7:32~ 8:32 )
    4位:地下鉄_大阪市(中央)【森ノ宮 →谷町四丁目】140%(7:50~ 8:50 )
    5位:大手民鉄_近畿日本鉄道(奈良)【河内永和 →布施】137%(7:42~ 8:42 )
    6位:地下鉄_大阪市(御堂筋)【難波 →心斎橋】135%(7:50~ 8:50 )
    7位:地下鉄_神戸市(西神・山手)【妙法寺 →板宿】133%(7:15~ 8:12 )
    8位:大手民鉄_近畿日本鉄道(大阪)【俊徳道 →布施】131%(7:36~ 8:36 )
    9位:大手民鉄_阪急電鉄(京都本線)【上新庄 →淡路】131%(7:35~ 8:35 )
    10位:大手民鉄_近畿日本鉄道(南大阪)【北田辺 →河堀口】128%(7:31~ 8:31 )
    11位:大手民鉄_阪急電鉄(千里)【下新庄 →淡路】128%(7:30~ 8:30 )
    12位:地下鉄_大阪市(長堀鶴見緑地)【蒲生四丁目→京橋】126%(7:40~ 8:40 )
    13位:大手民鉄_南海電気鉄道(南海本線)【湊  →堺 】126%(7:30~ 8:30 )
    14位:大手民鉄_近畿日本鉄道(京都)【向島 →桃山御陵前】124%(7:36~ 8:36 )
    15位:中小民鉄_泉北高速鉄道(泉北高速鉄道)【深井 →中百舌鳥】124%
    (6:44~ 7:43 )
    16位:大手民鉄_南海電気鉄道(高野)【百舌鳥八幡→三国ヶ丘】123%
    (7:20~ 8:20 )
    17位:新交通システム_神戸新交通(ポートアイランド)
    【貿易センター →ポートターミナル】123%(8:00~ 9:00 )
    18位:中小民鉄_三岐鉄道(北勢)【西別所 →馬道】122%(6:53~ 7:53 )
    19位:モノレール_大阪高速鉄道(大阪モノレール)【沢良宜 →摂津】
    122%(7:30~ 8:29 )
    20位:JR西日本_片町【鴫野 →京橋】120%(7:30~ 8:30 )
    21位:地下鉄_京都市(東西)【山科 →御陵】119%(7:30~ 8:30 )
    22位:JR西日本_大阪環状【京橋 →桜ノ宮】118%(7:30~ 8:30 )
    23位:大手民鉄_京阪電気鉄道(京阪本線)【野江 →京橋】118%(7:50~ 8:50 )
    24位:JR西日本_大阪環状【鶴橋 →玉造】117%(7:30~ 8:30 )
    25位:地下鉄_京都市(烏丸)【京都 →五条】114%(7:30~ 8:30 )
    26位:大手民鉄_阪神電気鉄道(本線)【出屋敷 →尼崎】113%(7:31~ 8:30 )
    27位:JR西日本_関西(緩行)【東部市場前→天王寺】112%(7:30~ 8:30 )
    28位:地下鉄_大阪市(谷町)【谷町九丁目 →谷町六丁目】110%(7:50~ 8:50 )
    29位:JR西日本_東海道(緩行)【塚本 →大阪】109%(7:30~ 8:30 )
    30位:JR西日本_福知山(快速)【伊丹 →尼崎】108%(7:30~ 8:30 )
    31位:中小民鉄_山陽電気鉄道(本線)【西新町 →明石】108%(7:15~ 8:15 )
    32位:地下鉄_大阪市(千日前)【鶴橋 →谷町九丁目】107%(7:50~ 8:50 )
    33位:地下鉄_大阪市(堺筋)【日本橋 →長堀橋】107%(7:50~ 8:50 )
    34位:JR西日本_東海道(緩行)【茨木 →新大阪】106%(7:30~ 8:30 )
    35位:JR西日本_阪和(快速)【堺市 →天王寺】105%(7:30~ 8:30 )
    36位:地下鉄_大阪市(四つ橋)【難波 →四ツ橋】102%(8:00~ 9:00 )
    37位:中小民鉄_北大阪急行電鉄(南北)【緑地公園 →江坂】100%(8:00~ 9:00 )
    38位:中小民鉄_神戸電鉄(有馬)【丸山 →長田】100%(7:30~ 8:30 )
    39位:地下鉄_大阪市(谷町)【東梅田 →南森町】99%(7:50~ 8:50 )
    40位:新交通システム_神戸新交通(六甲アイランド)【魚崎 →南魚崎】
    99%(8:00~ 9:00 )
    41位:JR西日本_東海道(快速)【尼崎 →大阪】97%(7:30~ 8:30 )
    42位:JR西日本_関西(快速)【久宝寺→天王寺】95%(7:30~ 8:30 )
    43位:JR西日本_東海道(快速)【茨木 →新大阪】94%(7:30~ 8:30 )
    44位:JR西日本_阪和(緩行)【美章園→天王寺】94%(7:30~ 8:30 )
    45位:地下鉄_大阪市(堺筋)【南森町 →北浜】93%(7:50~ 8:50 )
    46位:地下鉄_神戸市(海岸)【ハーバーランド →中央市場前】93%(7:32~ 8:26 )
    47位:大手民鉄_阪神電気鉄道(なんば)【千鳥橋 →西九条】93%(7:42~ 8:41 )
    48位:地下鉄_大阪市(四つ橋)【西梅田 →肥後橋】92%(7:50~ 8:50 )
    49位:JR西日本_東西【大阪天満宮→北新地】91%(7:30~ 8:30 )
    50位:新交通システム_大阪市(南港ポートタウン)
    【コスモスクエア →トレードセンター前】91%(8:00~ 9:00 )
    51位:地下鉄_大阪市(中央)【本町 →堺筋本町】90%(7:50~ 8:50 )
    52位:JR西日本_福知山(緩行)【塚口 →尼崎】84%(7:15~ 8:15 )
    53位:大手民鉄_近畿日本鉄道(けいはんな)【荒本 →長田】84%(7:24~ 8:24 )
    54位:JR西日本_大阪環状【玉造 →鶴橋】82%(7:30~ 8:30 )
    55位:中小民鉄_三岐鉄道(三岐)【三岐朝明信号場→近鉄富田】80%(7:00~ 8:00 )
    56位:新交通システム_大阪市(南港ポートタウン)【住之江公園 →平林】
    80%(7:40~ 8:40 )
    57位:地下鉄_大阪市(今里筋)【鴫野 →緑橋】79%(7:40~ 8:40 )
    58位:中小民鉄_能勢電鉄(妙見)【絹延橋 →川西能勢口】78%(7:10~ 8:10 )
    59位:地下鉄_大阪市(長堀鶴見緑地)【谷町六丁目→玉造】75%(7:40~ 8:40 )
    60位:地下鉄_大阪市(千日前)【鶴橋 →今里】70%(7:40~ 8:40 )
    61位:中小民鉄_北神急行電鉄(北神)【谷上 →新神戸】70%(7:30~ 8:30 )
    62位:中小民鉄_水間鉄道(水間)【近義の里 →貝塚市役所前】69%(7:00~ 8:00 )
    63位:地下鉄_大阪市(今里筋)【鴫野 →蒲生四丁目】67%(7:40~ 8:40 )
    64位:中小民鉄_京福電気鉄道(嵐山本線)【蚕ノ社 →嵐電天神川】65%
    (7:30~ 8:29 )
    65位:JR西日本_おおさか東【久宝寺 →放出】62%(7:30~ 8:30 )
    66位:中小民鉄_阪堺電気軌道(上町)【松虫 →阿倍野】60%(7:30~ 8:30 )
    67位:中小民鉄_京福電気鉄道(北野線)【帷子ノ辻 →常盤】49%(8:00~ 8:59 )
    68位:中小民鉄_阪堺電気軌道(阪堺)【今船 →今池】45%(7:30~ 8:30 )
    69位:中小民鉄_叡山電鉄(叡山本線)【元田中 →出町柳】42%(7:00~ 7:59 )
    70位:中小民鉄_能勢電鉄(日生)【日生中央 →山下】35%(6:55~ 7:55 )

    中国エリア(13路線)
    1位:JR西日本_吉備【備中高松 →岡山】127%(7:10~ 8:10 )
    2位:JR西日本_可部【可部 →広島】119%(7:30~ 8:29 )
    3位:地下鉄_広島高速交通(広島新交通 1号)【牛田 →白島】119%(7:45~ 8:45 )
    4位:中小民鉄_広島電鉄(宮島)【東高須 →広電西広島】118%(7:45~ 8:45 )
    5位:JR西日本_山陽(2)【倉敷 →岡山】111%(7:30~ 8:30 )
    6位:JR西日本_山陽(1)【西条 →広島】108%(7:30~ 8:29 )
    7位:JR西日本_山陽(2)【東岡山 →岡山】101%(7:10~ 8:10 )
    8位:JR西日本_芸備【志和口 →広島】98%(7:30~ 8:29 )
    9位:JR西日本_山陽(1)【岩国 →広島】97%(7:30~ 8:29 )
    10位:JR西日本_呉【広→広島】95%(7:30~ 8:29 )
    11位:JR西日本_宇野【茶屋町 →岡山】92%(7:25~ 8:25 )
    12位:JR西日本_津山【福渡 →岡山】86%(7:20~ 8:20 )
    13位:中小民鉄_岡山電気軌道(東山)【岡山駅前停留場→東山停留場】
    74%(7:15~ 8:15 )

    九州エリア(23路線)
    1位:大手民鉄_西日本鉄道(貝塚)【名島 →貝塚】142%(7:30~ 8:30 )
    2位:大手民鉄_西日本鉄道(天神大牟田)【平尾 →薬院】136%(8:00~ 9:00 )
    3位:地下鉄_福岡市(空港・箱崎)【大濠公園 →赤坂】134%(8:00~ 8:59 )
    4位:JR九州_鹿児島(1)(快速)【二日市→博多】114%(6:00~ 7:00 )
    5位:JR九州_鹿児島(1)(快速)【香椎→博多 】111%(6:30~ 7:30 )
    6位:地下鉄_熊本市(水前寺)【味噌天神前 →交通局前】108%(7:30~ 8:30 )
    7位:中小民鉄_筑豊電気鉄道(筑豊電鉄)【萩原 →熊西】107%(7:00~ 7:59 )
    8位:地下鉄_福岡市(七隈)【桜坂 →薬院大通】106%(8:00~ 8:59 )
    9位:JR九州_鹿児島(2)(快速)【折尾→小倉】105%(8:00~ 9:00 )
    10位:JR九州_鹿児島(1)(普通)【香椎→博多 】104%(7:25~ 8:25 )
    11位:JR九州_鹿児島(1)(普通)【二日市→博多】101%(7:05~ 8:05 )
    12位:JR九州_鹿児島(3)【大牟田 →熊本】99%(6:30~ 7:30 )
    13位:JR九州_日豊(普通)【行橋→小倉】98%(7:15~ 8:15 )
    14位:JR九州_篠栗(普通)【吉塚→博多】97%(6:00~ 7:00 )
    15位:JR九州_日田彦山(快速)【田川後藤寺→城野】93%(7:30~ 8:30 )
    16位:JR九州_篠栗(快速)【吉塚→博多】87%(8:00~ 9:00 )
    17位:JR九州_鹿児島(2)(普通)【折尾→小倉】84%(7:40~ 8:40 )
    18位:JR九州_日田彦山(普通)【田川後藤寺→城野】83%(7:30~ 8:30 )
    19位:JR九州_鹿児島(3)【八代 →熊本】83%(7:45~ 8:45 )
    20位:JR九州_豊肥【肥後大津 →熊本】80%(6:30~ 7:30 )
    21位:JR九州_日豊(快速)【行橋→小倉】78%(7:30~ 8:30 )
    22位:中小民鉄_熊本電気鉄道(菊池)【亀井 →北熊本】75%(7:30~ 8:30 )
    23位:モノレール_北九州高速鉄道(小倉線)【小倉 →企救丘】75%(7:30~ 8:30 )

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    16世紀になると、多くのヨーロッパ人達がアジアへ来るようになった。
    16世紀半ば、台湾の沿岸を航海していたポルトガル人は、『イラ・フォルモサ!』
    と叫んだと言う。 『麗しの島』という意味である。 そして、その後の
    数世紀の間、ヨーロッパ人達は台湾をフォルモサと呼んだ。

    17世紀になると、東インド会社を設立したオランダも、中国や日本との貿易の
    ために拠点づくりに乗り出した。 1624年に台湾南西部の安平(今の台南付近)に
    上陸。 その地に数年掛りでゼーランジャ城を完成させたのである。



    安平を拠点としたオランダは、台湾での貿易を独占しようと、まず日本の商人を
    締め出した。 これに対して、1626年、武装した日本の商人がゼーランジャ城に
    攻め入る等、激しく対立した。 しかし、やがて日本は鎖国し、海外貿易の多くを
    オランダに委ねて行く。

    一方、スペインも台湾北東部に拠点を置くことを目指し、1626年に上陸、ふたつの
    要塞を築いた。 だが、15年ほどすると、彼らはアジアに持っていた他の植民地の
    混乱平定に力を振り向けざるをえなくなった。 この機に乗じたオランダは、
    ライバル、スペインをこの島から追い出した。 1642年には、台湾に居る
    ヨーロッパ人は、オランダ人だけとなった。

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    【オランダ統治時代】

    オランダは、台湾が植民地としても有望だと考えていた。 サトウキビの栽培を
    奨励し、島に多いクスノキから、アルコール等の原料となる樟脳を採取する方法を
    先住民や移民達に伝えた。 そしてオランダは、ヨーロッパや日本等アジア地域の
    国々を相手にして中国製品を取引する一大貿易地として、台湾を成長させた
    のである。

    オランダ東インド会社は、北西部にある桃園に交易場を設け、現地で取れた鹿皮、
    砂糖、籐を中国や日本から来た商人に売った。 ヨーロッパ人はここで中国製
    陶磁器を仕入れ、中国はヨーロッパやその植民地からの胡椒、亜麻布、錫、
    習慣性のある麻薬、アヘンを買った。



    より多くの労働力を手に入れるために、オランダは中国大陸から台湾への移民を
    奨励した。 新しい農産物や家畜を用いて、農業のやり方を改善させた。
    オランダから来た宣教師は、先住民の一部をキリスト教に改宗させ、新しい
    信仰を先住民に教えるために学校を建てた。

    オランダは、先住民の伝統的な風習をヨーロッパ式に変えさせ、労働者に過酷な
    税を課して働かせた。 そして、先住民と漢人の移民を鎮圧するため、時に暴力や
    武力を用いた。 これには漢人らが強く抵抗し、その最大のものが1652年の
    反乱である。 約1万5,000人の台湾に住む漢人がオランダ人の住居等を襲撃
    したのだ。 しかし、棒切れ程度の武器しかない反乱者達は、2週間足らずで
    敗北する。 戦死とその後の虐殺で、反乱者の3分の1程度が死亡した。

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    いくつかの点で、台湾の歴史は中国の歴史と切り離すことが出来ない。
    台湾が経験して来た多くの変化は、中国で起こった出来事が原因である。
    とは言え、強い海流、予想のつかない天候変化、台風と言った航海上の危険を
    伴う台湾海峡によって、ふたつの地域の間では、何世紀もの間、大きな人口
    移動が妨げられて来た。

    石器や土器等の考古学的発見によれば、2万年前、台湾には旧石器時代の
    現代人に繋がる人類が住んでいた。 一部の学者は、こうしたヒトは、中国が
    起源だと言う。 また、別の学者は、東南アジアのマレー半島辺りから渡って
    来た最初の移民だと考えられている。 起源は、いずれにせよ、この頃の人々は
    低地一帯だけではなく、深い山林にも住んでいたのは確かである。

    06314889

    【初期の歴史】
    台湾に関する中国・唐時代の記録によれば、漢人とは、この島を流求と呼んだ
    と言う。 後に、琉球と字が変わった時には、沖縄の事を表し、台湾は、小琉球と
    呼ばれた。 また、6世紀はじめに隋の皇帝が兵を送っている。 その頃住民は、
    木を切り倒し、それを焼き払って農地を開墾し、イネ、アワ、マメ等の穀物を
    植えていた。 島には階級支配制度があり、1人の指導者と、何人かの副指導者が
    治めていた。 敵の頭を切り落とし、勇気の証拠として飾る首狩りの風習もあった。
    隋の兵は、彼等を数千人も捕虜にして連れ帰り、以後は関係が絶えたと言う。

    960年から1279年まで続いた宋の時代、近くの膨湖諸島へ渡る者もあった。
    宋代の貨幣や陶器のかけらが膨湖諸島で発見されたことから、島へ渡るように
    なったのは、11世紀頃から考えられる。 島の近海で獲れる豊富な魚にひかれて
    漁師が渡ったのかも知れない。 台湾まで探検する者も居たことであろう。

    13世紀、台湾と膨湖諸島への探検は更に盛んに行われるようになった。 この頃、
    中国北部の勇敢な民族であるモンゴル人が南下し、宋王朝を現在の浙江省にある
    杭州にまで追いつめていた。 南シナ海に面する江南に移った宋の政府は、造船
    技術の向上を支援し、南海貿易を奨励した。 また、船乗り達は、磁気針を水に
    浮かべて、方位を測定する方法を用いて、中国大陸と台湾の間の海域をより正確に
    航海出来るようになった。 水針は、後の明の時代に羅針盤に発展する。 こうした
    航海術の向上が海上交通を盛んにしたのである。

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    中国大陸東南沿岸部の沖に浮かぶ島である台湾は、今大きな経済力を持つまでに
    発展し、世界中の市場に加工品を輸出している。 20世紀中頃までは、台湾の主な
    産業は農業であった。 島とは言え、台湾には豊かな歴史と文化がある。 17世紀、
    ポルトガル人から『フォルモサ(美しの島)』と呼ばれたこの島は、一部が
    オランダ、次いで清朝の統治を受けた。 やがて、日本と清朝との間に戦争が
    起こり、1895年には 大日本帝国の領土となる。 そして、1945年には、
    中華民国政府が台湾を統治するようになった。

    708093800

    その後、中国大陸で起きた大事件が、台湾に大きな影響を与える。 中華民国の
    国民党軍と中国共産党軍との衝突が、中華民国政府の安全を脅かしたのである。
    1949年、蒋介石を首脳とする中華民国指導部は、中国全土を支配した共産党軍から
    逃れ、蒋介石は台湾に渡り、亡命政府を置いた。 そして、1949年には、
    共産党が、中国大陸に中華人民共和国を樹立する。

    国民党が来てから台湾住民は、新たな混成となった。 最大グループは、台湾人で、
    過去数世紀の間に島に移り住んだ漢族の子孫だけが、多くは先住民との混血が
    見られる。 1949年前後に大陸から来た人々も漢族だが、別のグループとなって
    いる。 そして、最も少数派は、台湾原住民と呼ばれる、この島の先住民の
    子孫である。



    台湾と中国大陸との両政権は共に、台湾は中国の一省であり、中国は統一すべきで
    あるという考えを掲げて来た。 だが、統一実現後の政治体制についての考えには
    大きな隔たりがある。 また、独自の道を歩むべきとの考えも台湾では根強く、
    両者は台湾海峡を挟んで対峙が続いている。

    国際連合は長年、中華民国を中国を代表する政府として支持していたが、1970年代
    には、国連加盟国の多くが、中華人民共和国を承認するようになった。 中華民国は
    国連から脱退し、外交関係を持つ国は30カ国足らずである。

    この挫折にも関わらず、台湾の経済成長は1950年代以来、高水準で続き、1970年代
    後半には、アジア最高水準の人々の生活を実現するのである。 更に、その経済力を
    背景に、台湾の政府は、国際関係で積極的な活動を続けた。 台湾は外交的に
    不遇とは言え、日本等多くの国と経済的、文化的な交流を維持している。

    asiamap

    1988年1月、父親蒋介石の後を継いだ蒋経国が死去し、副総統だった李登輝が
    台湾出身初の指導者になった。 李登輝は民主化を進め、1996年国民による
    初めての直接選挙で総統に選ばれた。 それに継ぐ2000年の総統選挙では、
    野党の民主進歩党から出馬した陳水扁が総統に選出され、国民党は野党になって、
    平和的な政権交代が実現した。

    陳水扁政権は、台湾本位の政策を進める政権としてスタートする。 しかし、
    中華人民共和国は、軍備の拡大や経済面での締め付け等で統一への圧力を
    高めている。

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    マカオ(澳門)は、東アジアで最も古いヨーロッパと中国明代の面影が残る
    小さな街。 2015年現在、人口64万人、面積30平方キロメートル、東京都
    府中市とほぼ同じ大きさで、板橋区よりも少し小さい。 最初に街が開かれた
    のは、マカオ半島、タイパ島、コロアネ島の3部分から成っていたが、両島を
    繋ぐ橋の両側に広大な埋立地コタイが造られ、面積が大きくなった。

    中国の歴史的商業都市、広州に連なる珠江の東シナ海の河口の西南部に位置して
    いるのがマカオとなっており、北東部に位置しているのが香港となっている。
    両地域の移動は、高速フェリーで1時間だが、建設中の港珠澳大橋が開通すれば、
    車で30分となる。 両地は近くなる上、似た歴史を持つが、マカオは決して
    リトル香港ではない。

    mc432

    15世紀以降、ヨーロッパで最も大規模な航海に出たポルトガルが、アフリカ西岸を
    南下し、喜望峰を超え、イスラム圏を東に進み、インドを超え、東南アジアを抜け、
    中国南部へと至る。 16世紀はじめに中国に到達し、1557年頃マカオに居留地を
    得て、19世紀に統治権を得た。

    第二次世界大戦後は、ポルトガル本国の力が弱く、1960年代の中国の文化大革命の
    影響を受けて、マカオで起こった中国人による暴動(12.3事件)をポルトガル側が
    単独で鎮圧出来なかったため、マカオでは、中国の影響が強まったと言われている。

    更にポルトガル本国では、1974年に民主革命があり、共産主義の影響を受けた
    軍人によって、独裁政権が倒され、海外領や、かつての海外の植民地が解放されて
    行く。 マカオについても、中国への返還に抵抗が見られず、香港の返還が決定
    した後で、すんなりとマカオの返還が決まり、1999年12月20日に中国の特別行政区
    となった。

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    マカオの返還前の住民社会構造は、4層から成っていた。 本国派遣のポルトガル人、
    最も多い中国(広東)人、その中間に位置するマカエンセ、中国や東南アジアからの
    出稼ぎ労働者である。 マカエンセは、中国とポルトガル、ないし、その他の地域の
    混血グループである。 世界に数万、マカオには、数千人居ると見られている。
    中ポ両言語を話し、独自の文化、コミュニティー、ネットワークを持つ。 伝統
    マカオ社会、行政や初期香港において、仲介以上の役割を果たして来た。

    出稼ぎ労働者は、主に工場、商店、家事労働なとに従事する期限付きの輸入労働力で
    ある。 返還の頃は1万人前後であったが、ここ数年間で急増し、2014年には、
    17万人近い規模となった。 そのうち、11万人が中国からで、中国の労働力輸出
    としても注目するところとなった。

    この社会構造は、エスニシティーによる役割分担である。 ローカル住民の中では、
    マカエンセは優位にあり、例えば、勤勉でなくとも、高位に就いた。 マカオの
    中国人にとっては、中国の政治力や経済力に期待を寄せる所以となった。 共産
    主義の中国の外に住む中国人の中で、最も中国への親近感が高いのが、マカオで
    あろう。

    ポルトガルの影響は、今後も文化や宗教の分野を中心に、色濃く残って行くだろう。
    文化を重んじる細やかな感性は、マカオの地に根付いており、マカオの中国人からも
    感じ取ることが出来る。

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    マカオをポルトガル大航海の終点と見る時、マカエンセ、マカオ料理、マカオの
    建築物や風景等は、旧ポルトガル領の他地域の特徴が融合し、その情緒がマカオ
    そのものと言えるのかも知れない。

    マカオ経済に関しては、特殊な産業構造、賭博産業と観光業が突出している。
    2014年の雇用者数を見ると、賭博関係が27.5%、ホテルやレストラン関係が16%を
    占めている。 マカオの公営賭博は、19世紀頃以来の歴史を持つ。 返還後、カジノ
    投資が自由化され、海外資本の大規模開発が行われ、中国からの客が押し寄せた
    結果、2006年には、カジノの売り上げが世界最高となった。 現在の売り上げ
    規模は、ラスベガスの7倍となっている。 それによって、マカオ全体の収入が
    急増した。

    2014年の一人当たりのGDPは、約8万9千米ドル(約1千70万円)で世界トップ
    クラス、返還当時の5倍以上にあたる。 だが、これらの数字は、中国に左右され、
    近年の中国幹部の汚職摘発の影響で、カジノの売り上げ、GDP共に、減少した。

    賭博が基幹産業となっている社会には、特殊性があり、ギャンブル依存の問題が必ず
    生じうる上、換金や性的サービスの分野も増長する。 そのため、子供や公務員の
    賭博場への出入りは禁止され、『カジノ社会学』という研究分野もある。 日本では、
    ギャンブル依存が放置されたまま、カジノ解禁が提案されている。 マカオの経験
    から日本が学ぶところは多いであろう。

    中国の対外的な窓口であったマカオは、香港の成立以降、その甘みを奪われた。
    地理的にも珠江が運ぶ砂が港としてのマカオを不利にしたという。 しかし、
    返還後は、中国の川砂ではなく、中国人の欲望をかき集め、繁栄に至った。 
    マカオは、今後も独自の戦略によって、大変貌するであろう。

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    香港は、『借りた場所で借りた時間を』過ごしていると言われる。 イギリスが
    1898年に新界を租借した際、その期間は99年間とされた。 すなわち、1997年
    以降、香港の地位がどうなるかについては、長い間議論がなされていなかった。

    1970年代になると、香港の将来問題が本格的に浮上して来た。 1971年着任の
    クロスフォード・マクルホース香港総督が、香港の社会福祉を急速に拡大した
    背景には、1967年の香港暴動に対する反省も言われるが、新界租借期限が迫る
    中で、中国よりもあらゆる面で優れている統治を行い、中国との交渉を有利に
    するためという、イギリスの外交政策の目的のためでもあったという。

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    イギリスは、1997年以降も香港の統治を続けることを希望していたが、中国は、
    香港の回収を目指した。 1971年11月、中華人民共和国は長年の努力の末、台湾の
    中華民国に変わって国連代表権を得た。 すると翌年1972年3月んみ、中国は
    香港について、イギリスに占領された中国の領土であるとの立場を明確化し、
    国連の植民地リストから香港とマカオを削除するよう求めた。 1979年3月、
    マルクホース香港総督は初めての香港総督の公式訪問という形で北京を訪問したが、
    その際、中国の最高指導者であった鄧小平は、イギリスの香港統治の継続を明確に
    受け入れることはせず、香港を回収する可能性をほのめかした。 しかし、
    マルクホースは、香港の動揺を恐れ、香港に戻ると『投資家は安心して良い』
    という鄧小平の伝言のみを発表した。

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    中国はこの頃、台湾問題の解決の手段として、社会主義中国の中で、一部地域に資本
    主義の政治、経済、社会等の体制を残すという『一国二制度』方式の原型を構想し
    初めていた。 1979年元日、中国はアメリカとの国交を正常化した。 これと
    同時に、中国は台湾に対して、『台湾同胞に告げる書』と題する公開書簡を発表し、
    台湾問題の平和解決、現状を重視した現実的な統一政策を提案していた。

    1982年に改正された新憲法では、特別行政区を設置出来るとの条項が追加された。
    台湾の統一問題が進展しない中、中国はまず香港で『一国二制度』を実践し、これを
    モデルケースとして示すことで、台湾を統一に導こうと考えたのである。

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    冷戦下での大陸の共産党政権と台湾の国民党政権の対立を前に、香港では、
    その政治的影響を食い止めるための様々な処置が採られた。 1949年5月には、
    社団条例が制定され、香港で活動する全ての社会団体に登録を義務付け、
    政治活動と香港以外の団体の香港支部の活動を禁止した。 これによって、
    香港では、共産党、国民党共に非合法ということになった。 社団条例に
    基づき、1949年11月には、38の共産党系の合唱団、劇団、学会等が解散を
    命じられた。

    maphkgterr2008

    また、戦前の自由往来から転じて、中英国境は封鎖された。 1949年1月の人民
    入境統制条例は、大陸からの反乱を扇動したり、公共の安寧を乱したりする疑いの
    ある者を入境させることを禁じた。 1950年5月1日以降、香港政庁は、大陸から
    香港に入る中国人に対し、香港政庁発給の『旅行証明書』の取得を義務付けた。
    このように、戦後大陸と香港の相互往来は厳しく制限され、両地の分断状態が
    出現した。

    大陸は社会主義大国の、香港は資本主義の植民地統治の下に置かれ、それぞれ
    全く異なる政治、経済、社会の構造を築き上げて行った。 台湾と同様に、
    香港でも、香港・マカオ以外の共産党政権下の中国全土を『中国大陸』や
    『大陸』と呼称して、自身とは区別するようになった。

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    それでも、分断の有無に関わらず、大陸から香港への人口流入は戦後ずっと
    続いた。 終戦時には、60万人であった人口は、良く1946年には100万人を
    回復し、1950年末には、200万人に迫り、その後も、およそ10万人のペースで
    増加が長く続いた。 香港政庁の難民政策は、比較的寛容で、1980年までは、
    市街地にたどり着いた不法入境者は、強制送還しない政策が採られた。 このため、
    合法的な移民のみならず、戦後すぐには共産党と国民党の内戦、中華人民共和国の
    建国後は、大躍進運動や文化大革命等に代表される大陸の政治的混乱から逃れて、
    多くの中国人が難民となって、密航等の海陸の困難なルートを通って香港にやって
    来た。

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    イギリス人は、香港を自由貿易港とし、一切関税を掛けなかったため、香港は
    アヘン貿易の中継地としての役割を果たすようになり、それまで広州、マカオで
    中国との交易に従事していた多くの商社が香港に拠点を構えた。 更に中国大陸
    からも、沿岸部を荒らしまわっていた海賊や、アヘン戦争の際にイギリス軍へ
    食料を提供したために、清朝側から敵視された人々等、多くの人達が香港へと
    移り住んだ。 このように、イギリスへの割譲初期の香港は、にわか作りの
    移民社会といった様相を呈していた。

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    1850年代に入ると、香港社会は、中国内外の新しい動向に大きな影響を受ける
    ようになる。 当時、中国国内では大勢の人達が、太平天国による戦乱を避ける
    ために住み慣れた土地から離れることを余儀なくされていた。 一方、アメリカ
    西海岸やオーストラリアでは、ゴールドラッシュにより、鉱山経営者が安価な
    労働力を大量に求めていた。 こうした事情が重なり、中国から香港を経由して
    アメリカやオーストラリアへ移住する人が急増した。

    移民の大半は、男性の肉体労働者であり、欧米の商社が運行する輸送船で渡航先
    まで運ばれて行った。 こうした移民の中には、斡旋業者によって騙された者も
    多く、輸送中の死亡率も高かったことから、香港政庁は1860年代に入ると、
    移民船への監視体制を強化したが、実情はなかなか改善しなかった。

    香港を通じた移民の流れは、1870年代後半以降、北米やオーストラリアにおける
    排華運動の高まりや、華人の移民に対する規制の強化に伴い、当時欧米列強の
    植民地開発が進行していた東南アジアへと向かうようになる。 そして、華人の
    活動範囲が広がるにつれて、香港は北米、および、東南アジア各地と中国との
    間の人、物、金の流れを結ぶ結節点としての役割を果たすようになった。

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    1930年代には、日中間の武力衝突が香港社会にも影響を与えるようになり、
    とりわけ、1937年に始まった日中戦争の拡大は、中国大陸から香港へ避難する
    人々の数を増加させた。 太平洋戦争が勃発すると、日本軍は香港にも侵攻し、
    同地を1941年12月25日に陥落させた。 以後3年8ヶ月に渡り、香港は、日本軍の
    統治下に置かれた。

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    1939年~1945年の第二次世界大戦終了後、カナダに移住していた何百万人
    もの外国人が、カナダ人となり、カナダの人口は急激に増えた。 その多くは、
    ヨーロッパからの移民だったが、中国、インド、パキスタン、アフリカ、
    南アメリカからも多くの人達が移住して来た。 紛争を逃れて来た難民も多く、
    1956年には、ハンガリーから1970年代には、ベトナムとカンボジアから沢山の
    人がやって来た。 21世紀になると、新たにカナダ国民となる人の殆どは、
    インド人とフィリピン人となった。

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    イヌイットの人達は、その多くが、ノースウェスト・テリトリーとヌナブットか、
    ラブラドル半島北部、オンタリオ、ケベックに住んでいる。 エスキモーとは、
    先住民の言葉で『生肉を食べる人』という意味であるため、イヌイットを
    エスキモーと呼んではいけない。

    殆どのファースト・ネーションズは、オンタリオのオジブワ族、ケベックの
    クリー族といったっように、部族の名前で呼ばれるのを好み、先祖から受け
    継いだ土地に住んでいるが、なかには都市へ移り住んだ人もいる。 伝統的な
    技術を受け継ぐ人々もいて、例えば、太平洋岸に住む人達は、驚いたような
    表情のカラフルな儀式用のお面を作ったり、トーテムポールを彫刻したりする。
    こうしたファースト・ネーションズの彫刻、絵画、舞踊等は、広く知られる
    ようになり、カナダ文化を象徴するシンボルとなった。

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    カナダの最重要課題である民族問題は、1600年代にフランスがケベックを
    中心とした植民地をつくった頃に始まった。 カナダで支配権を握っていた
    フランスにイギリスが挑み、両国間の対立と争いが長年続くことになった。
    イギリスが勝利したものの、1774年のケベック条約でケベック住民の法的権利と
    信仰上の権利が認められた。

    フランス系カナダとイギリス系カナダの争いは、ケベックがフランス語の国
    として独立することを求める運動に発展した。 1980年と1995年のケベック
    住民投票による2度の投票の結果、ケベックは、カナダ連邦に留まることと
    なった。 しかし、1995年の投票の結果は、わずかな差だった。 カナダは
    ひとつの国として21世紀を迎えたが、ケベックの独立の夢は今も消えていない。

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    国際連合が2015年度版の世界人口推計を公表した。 前回発表された2012年版
    では、主要国の中で
    人口減少に転じている国として、特に日本、ロシア、ドイツが
    指摘された。



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    2000年を100とした指数を以下の図で見ると、2012年に予想されていた2070年度の
    日本の人口は、
    77の23%減と見込まれていたが、2015年度版では、76の24%減と
    下方修正された。

    平均寿命の短いロシアは、2012年度版の予想では、2070年時点の
    人口が75と予想されていた
    ものの、2015年度版では、82と大幅に改善された。

    一方、ドイツは、2012年度版では、78と予想されており、日本とほぼ同様のペースで
    減少する見込みとなっている。

    一人っ子政策の影響により、中国の人口も2070年頃からは、減少に転じるとされている。
    今回の2015年度版で見ると、2070年時点で人口減少となる主要国は、日本、ロシア、
    ドイツ、
    中国の上記4カ国に加えて、韓国、イタリアの2カ国が加わっている。

    2100年の時点で、世界全体の人口は183となっており、全体では人口増加が続いて
    いるものの、
    スペイン、インド、インドネシア、メキシコ、ブラジルといった国々でも、既に
    人口減少が始まって
    いることが確認出来る。

    この先も順調に人口が増加し続ける国は、イギリス、フランス、アメリカ
    ぐらいである。
    日本をはじめとする、人口減少が進む国々の状況を見てみると、2012年度から見た
    2070年度の
    推計では、ロシアが75となっていたものの、2015年度の推計は82と大幅に
    改善されており、
    人口減少のペースが鈍化しているのが分かる。 また、ドイツも、
    2012年度の推計では78だった
    ものが、84となっており、ロシアと同様に鈍化が確認
    出来る。

    2100年の予想を見ると、ロシアは80となっており、2012年度に予想されていた落ち
    込みを回避し、
    また、ドイツも77と減少ペースが減少している。

    一方、日本の2070年度の予想を見ると、2012年度に予想された数値は77だったのに
    対し、2015年度においても76と改善は見られず、2100年には、66という大幅な下落が
    見込まれている。

    中国は2015年度の予想を見ると、2100年時点で79と急速に悪化するが、統計外
    人口の存在が確実視されており、統計の真正性にも疑念が残っている。 日本の2100年
    時点の人口は、8,300万人台と見込まれており、この66という指数は、2000年当時の
    人口と比較すると、約3分の2程度の人口しか維持出来ないという状況となっている。

    日本の65歳以上の高齢者が生産年齢人口に対する比率は、2000年には36%であった
    ものが、2100年には69.2%と大幅に上昇する見通しとなっている。

    日本以上に人口減少する見込みの国は、台湾、アルメニア、ジョージア、ブルガリア、
    ポーランド、
    モルドバ、ルーマニア、ウクライナ、エストニア、ラトビア、リトアニア、
    アルバニア、クロアチア、
    セルビア、ボスニアヘルツェゴビナ、プエルトリコ、米領
    バージン諸島、バミューダ、北マリアナ諸島
    だけとなっている。

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    敗戦から70年を迎え、同じ敗戦国でありながら、日本とドイツは、
    戦後の国のあり方が、大きく別れた。 ドイツは、ナチス時代の誤ちを
    全面的に認め、ポーランドをはじめとする周辺国への謝罪を今なお続けて
    おり、EU内での信頼度も抜群に高い。 一方、日本は、今なお韓国や
    中国との政治的な問題を抱えており、アジアの中での発言力は、今では
    中国には遠く及ばない。

    この2つの国の違いは、国民性にもハッキリと現れており、『ただ何となく』を
    心情に、何もかも有耶無耶にして来た日本人と、その『何となく』を許さずに、
    全て結果に結び付けてきた両国民の国民性の隔たりは大きい。 この国民性の
    違いは、ひとえに、教育の差であり、小学生の頃から活発に議論を交わして、
    話し合いによって結論を導き出して来たドイツ人と、議論を極力避けて、
    『鶴の一声』で何もかも決められて来た日本人とでは、思考回路がまるで
    異なる。

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    幼少期の頃から、自分の考えを持つように教育をされ、自分の考えを
    他人に分かりやすく伝える能力を日々培われて来たドイツ人と、自分の
    考えを持つ事すら許されず、ましてや、それを人様の前で発表する事は、
    ほぼ非国民に等しい扱いをされる日本人。 この差は、ひとえに、『結論』を
    重視しているのか、それとも『和』を重視しているかによるものだが、
    間違いを素直に認めて、ひたすら先へと進む国と、何もかも有耶無耶に
    して周辺国との対立を今なお続けている国との差はますます開くばかり。

    >>敗戦から70年 日本とドイツの異なる戦後

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    中国経済 に参加中!

    中国は、近年アフリカへの支援を活発に行なっており、中国による大規模なインフラ投資が
    進められているため、アフリカでは、中国語を学ぶ事が良い就職先を得るための切り札と
    なっている。 カメルーンの若者の間では、中国語が必須技能の1つとなりつつある。

    2007年以降、中国政府系の中国語教育機関『孔子学院』が、ヤウンデ、ドゥアラ、マルアに
    3校設立され、現地の人々に中国語を教えている。 孔子学院は、世界各地に480校以上、
    アフリカ大陸には40校以上が設立されている。

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    中国は近年、アフリカへの援助額を伸ばしているが、主な先進国と比較すると
    まだまだ少ない。 2007年のアフリカへのODAの金額は米国76億ドル、仏49億ドル、
    英28億ドル、日本27億ドル、独25億ドル。 これに対し、中国は14億ドルとなって
    いるが、本当に巨額なのは、貿易と投資の額。 中国からアフリカへの輸出高は
    2002年の50億ドルから2008年の500億ドルに10倍増となっており、多くが輸出信用で
    手当てされている。 



    中国は、対台湾戦略等、政治的・外交的な狙いから、資源のないモーリシャスや
    マリなどを含め、アフリカ各地で援助をしている。 そのため、アフリカでは、台湾
    当局を承認している国は、4カ国のみに留まり、その他は北京政府を国家承認している。

    中国のアフリカ援助は、外交目的を達成する上で機能してきており、中国企業による
    アフリカでの資源獲得は、公的機関による無償援助ではなく、経済的な得失を考えた
    投融資の性格が強くなっている。 例えば、中国は、アフリカの天然資源を担保に
    自国製機材を輸出し、その代金を資源で受ける。 これは1970年代に日本が中国に
    対して採ってきた手法と同じ。

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