1950年代から60年代の間、国民党と中華人民共和国は、武力と宣伝活動
による戦いを繰り広げた。 中華人民共和国は、金門と馬祖に砲撃を加え、
中華民国は、軍備を増強し、しばしば福建省を空襲した。

蒋介石は1954年、60年、66年、72年の4期に渡り総統に再選され、在任中の
75年に死亡した。 死後10年余り、1986年まで本格的な野党の存在は許可
されず、国民党以外にも補助的な小政党はあったが、実質的な一党独裁体制が
続いた。 そんな中でも台湾は、高度な経済成長を続け、1970年代までに
台湾の人々は、アジアでは日本や香港に次ぐ高い水準を手にするようになった。

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この時期、中華民国は、国連加盟国として国際的な地位を維持し、また、
中国の正当な政権であると主張していた。 アメリカなど多くの国々も
この主張を認めて支持した。

しかし、1970年、この図式に変化が起きた。 カナダが貿易改善のため、
20年間の交渉の末、中華人民共和国との外交関係を樹立した。 イタリアや
ベルギー、その他の国々も、中華人民共和国を正当政府として認める方向に
動き出した。 そして、1971年、中華人民共和国は国連に復帰し、中華民国は
脱退した。

1972年、日本は中華人民共和国を国交を結び、中華民国とは断交する。
その後、中華民国はいくつもの国と断交が続き、1979年1月、中華民国に
とって最強の同盟国アメリカもまた、中華人民共和国を中国の正当な政府
として承認した。 更にアメリカは、台湾問題の解決は、中国の国内問題で
あると主張した。

しかし、アメリカ議会は、台湾関係法を成立させ、非公式な関係を継続出来る
ようにした。

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