多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:ロンドン

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    ハイドパークは、ヘンリー8世が鹿狩りのためにウェストミンスター寺院から
    入手したものであり、その最古の一角は、イーバリー卿の荘園跡であった。
    この荘園は、広さが当時の土地の単位で1ハイドであったことから、これが公園の
    名の由来となったと言われている。

    ハイドパークは、ウェスト・キャリッジ・ドライブと呼ばれる道路1本を隔てて
    ケンジントンガーデンはと一続きになって、ロンドンの真ん中に広大な緑地を
    提供している。 ケンジントンガーデンは、元々、ハイドパークの一部であった
    ものを1689年にウィリアム3世と王妃メアリとがケンジントン宮殿に移り住んだ
    際に、ハイドパークから分離して造ったものである。

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    ハイドパークはまた、1851年には万国博覧会が開催された事でも良く知られて
    いるが、とりわけ有名なのは、公園の北東角のマーブルアーチとスピーカーズ
    コーナーである。 現在、マーブルアーチの建っている近くには、18世紀まで
    タイバーンの処刑場があり、見せしめのために残酷な処刑が行われたが、人々は
    あたかも見世物でも見物するかのようにそうし絞首刑を見に行った。

    19世紀半ば頃からハイドパークは、労働者たちの集会の場所となっていたが、
    そのような中デスピーカーズコーナーは自由な演説と集会の保証された場所と
    考えられるようになり、イギリスの言論の自由を体現した象徴的な場所であると
    考えられた。 かつては、マルクスやレーニンといった革命家やジョージ・
    オーウェルなどのジャーナリストなどもスピーカーズコーナーで演説をした事が
    あるが、現在では、日曜日に脚立や木箱を演台にして色々な人が好き勝手な
    話をしており、それを観光客がとりまいて面白がっている光景が見られる。

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    モスクワ経由のアエロフロート・ロシア国際航空で、ロンドンへ海外出張に行って
    来た。 成田空港から、モスクワまでは、約11時間の空の旅。 ソ連時代からある
    アエロフロートは、最新鋭のエアバスを使用しているため、モニター、USB
    コネクター、WiFi、美人キャビンアテンダント付きとなっております☆

    動物愛護の国であるため、アエロフロートの機内には、大型犬も機内持ち込み
    可能。 実際に、猫を機内に持ち込んだことがあるのだが、キャビン
    アテンダント達も非常に親切で、水を持って来て貰ったことがある。 猫を
    ひざの上に乗せていても周囲からも全く文句は言われない。

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    アエロフロートは、かつては、エコノミークラスの更に下のY2クラスに分類
    されていたのだが、今ではサービスにおいても、JALやANAを抜き去り、
    ヨーロッパへの最短ルートとなっている。

    途中、機内食は2回出るのだが、キャビンアテンダントに言えば、飲み物は
    何度でも無料で貰える。 WiFi使用料は30ドル。 英語とロシア語のみで
    その情報が記載されているため、何れかの言語を読めない限り、使えない。
    機内では、ロシア語と英語でもアナウンスしていたが、日本語でのWiFiの案内は
    なかった。 アエロフロートの機内食は、大体、肉か魚を選べる。



    ソ連の時代のアエロフロートは、キャビンアテンダントが国外に勝手に逃げては
    困るという理由により、熊のような体格の女性ばかりがキャビンアテンダントを
    務めていたが、時代は代わり、美人ばかりを取り揃えてサービスを行っている。
    尚、ソ連時代のアエロフロートは、機内はもちろんの事、シベリア上空を通過する
    際にも写真撮影禁止だった。 機内で撮影しているところを見つかると、フィルムを
    取り上げられた時代だった。 機内なのに、雨漏りがするとかも普通で、キャビン
    アテンダントが、ガムテープで応急処置をするという凄まじい時代でもあった。

    成田空港からものの2時間でロシア領内に入り、そこから9時間ロシア国内を飛ぶ
    こととなる。 中国領内を迂回して、ハバロフスク上空からロシア領に入るのだが、
    比較的北側を飛ぶため、上空から見える景色は、かなり寒々しいものとなっている。

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    約11時間の空の旅の後、モスクワ・シェレメーチェヴォ空港ターミナルDに到着。
    ソ連時代は、このターミナルDはシェメーチェボ第二空港という名前だった。
    但し、建物はその時代とまったく同じ。 トランジットと言えども、空港内から
    外に出る際には、ビザが必須であるため、今回は空港の外には出ずに、ロンドン
    行きの飛行機を待つことにした。

    ロシアでは、2回用の入国ビザを所持していたため、降りようと思えば降りられた
    のだが、シェレメーチェヴォ空港は、中心部にあるベラルーシ駅まで特急で40分
    掛かるため、帰りにモスクワで降りようと考えていたところ、肝心の帰りの
    飛行機が3時間以上も遅れたため、結局、この後、モスクワでは降りられない
    こととなった。 尚、モスクワ・シェレメーチェヴォ空港では、英語での表記は
    かろうじてあるものの、係員は誰も英語を喋れない。

    シェレメーチェヴォ空港では、トランジットとは言え、パスポートと荷物の
    チェックがあるため、黄色い看板に従って進み、全てのチェックをうけなければ
    ならない。 一応英語表記もあるのだが、昔はロシア語のみの表記であった。
    相当適当な成田空港のパスポートチェックとは異なり、ロシアのチェックは
    かなり厳しいため、変な物を持ち込むと、ここで全て没収されることとなる。



    一昔前までは、手荷物を預けると、出て来ないのが当たり前であったため、空港には
    サランラップのお化けのようなものがあったのだが、今では、普通に荷物が出て
    来るようになった。 そもそも、アエロフロートの職員自体が泥棒という、
    やった者勝ちの航空会社だった。 郵便局も同様で、荷物をEMSで送っても
    届かないのが当たり前だった。

    パスポートコントロールを抜けて、モスクワ・シェレメーチェヴォ空港の
    トランジットラウンジに到着。 お土産が色々と販売されているのだが、実は、
    この価格は、通常の市場の10倍ぐらいのぼったくり値段。 この3週間後に、
    ロシア連邦にあるウドムルト共和国とタタルスタン共和国に行ったのだが、
    シェレメーチェヴォ空港は、完全に0が一個多かった。

    ロシア人の間でも、シェレメーチェヴォ空港は、両替のレートがあり得ない
    ぐらい高いともっぱらの噂になっているので、空港での換金は、必要最低限に
    しおき、ベラルーシ駅に着いてから両替した方が賢い。

    ロシアでは、プーチン氏の人気が非常に高いということで、様々な大統領グッズが
    販売されていた。 ロシア土産の2大名物と言えば、マトリョーシカと
    シカトゥールカ。 マトリョーシカは、こけしのような木工細工で、
    シカトゥールカは、木で作った小箱に装飾を施したもの。 ロシア軍の
    ちょっとした軍服のようなものも人気。 また、ロシアでは、チェスも非常に
    人気がある。 日本ではチェスはゲームだが、ロシアではスポーツという
    括りになっているため、ロシア人の誰に訊ねても、チェスはスポーツだと
    答えるであろう。 

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    モスクワで乗り換え時間約3時間の後、再度、アエロフロートでロンドン・
    ヒースロー空港へと飛び立った。 ヒースロー空港の地下には地下鉄が通っており、
    ロンドンの中心地まで一本で行くことが出来るのだが、この地下鉄が建設から
    既に100年以上経過しているため、あちこちで工事中。 この日は、ロンドン
    時間の夜の10時過ぎに到着したが、ピカデリーラインの途中駅で全員が地下鉄から
    降ろされ、バスでセントラルラインの終点駅、イーリング・ブロードウェイ駅まで
    強制的に連れて行かれた。 尚、ロンドンの地下鉄は、1駅4.9ポンド、約800円
    もする。

    ノッティングヒルは、ジュリア・ロバーツ主演の映画『ノッティングヒルの恋人』の
    舞台だった場所で、今でも昼間は、かなりの観光客で込み合っている。 この日の
    目的地は、パディントンベアで有名なパディントン。 ホテルがパディントンに
    あるため、地下鉄で移動したのだが、後で調べたところ、パディントンへは、
    地下鉄よりも国鉄の方が遥かに便利であった。

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    イギリスの首都であるロンドンは、イングランドの首都でもあり、イングランド
    南東部にある。 ロンドン市と郊外を合わせてグレーター・ロンドン
    (大ロンドン)と呼び、人口は約820万人以上となっている。  ロンドンには
    2000年以上も前から人が住んでいた。 古代にはラテン語で、ロンディニウムと
    呼ばれるローマ人の町だった。 5~14世紀まで続いた中世には、活発な貿易都市
    として栄えた。



    ロンドンの現在の中心地は、シティ・オブ・ロンドンまたはシティ)と呼ばれ、
    紀元前1世紀、ローマ人が住み着いたのはここである。 今はイギリスの金融
    機関が軒を並べ、また、近代的なビルの間にセントポール大聖堂やイングランド
    銀行等、由緒ある建築物がある。

    国会議事堂等の政治の中心やショッピング街、歓楽街もロンドンの中心部にある。
    近年、開発によって、海軍造船所があったところ(かつてロンドンの大商業活動の
    中心地)は、印刷工場、商店、レストラン、事務所、高級住宅街等に姿を変えた。
    これkらの地域の他、大ロンドンには、活気ある地域や、歴史的に有名な地域が
    あり、多様性に富んでいる。

    首都ロンドンを取り囲んでいるのが『グリーンベルト』と呼ばれる緑地帯で、
    ロンドンが広がり過ぎないように作られた。 市の住宅課には、グリーンベルトの
    外にあるニュータウンに住宅を確保し、低所得者層をロンドン中心部を取り囲む
    スラム街から移転させた。 だが、ロンドンには多くの都市と同じように、過密、
    犯罪、貧困という問題に直面している。 外国人移住者達の間で暴力事件が起きて
    いる自治区も多い。

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    【イングランドのその他の都市】
    ロンドンはイングランド最大の都市だが、他にも人口の多い都市がある。 多くは
    19世紀の産業革命によって、産業が拡大し、就職口が増え、労働者を引き寄せ、
    人口が急増する形で発展して来た。 このうち6つの都市(バーミンガム、
    マンチェスター、リーズ、リバプール)は、1974年のイングランド地方制度改革
    により、周辺の都市群を含めて特別都市とされ、州と同格になった。

    バーミンガム(人口100万人)は、12世紀に既に産業が興り、19世紀には、天然
    資源のうち石炭と鉄鉱石の鉱床があったことで、重要な製造業の中心となり、
    人口が激増した。 第二次世界大戦(1939~1945年)では、大爆撃を受けたが
    再建され、更に発展した。 主な産業は、自動車、電子機器、機械である。

    マンチェスター(人口約49万人)は、19世紀に繊維産業の中心地になった。
    マンチェスターシップ運河によってマージー川と結ばれ、大型貨物船も運航出来る
    ようになった。 また、金融業も盛んで、国際空港もあり、他の都市への鉄道の
    接続も良い。 特に化学製品、衣料、コンピューター、食料、機械、電子機器が
    作られている。

    リーズ(人口約71万人)は、毛織産業の中心地で、イギリスの毛織産業や化学
    繊維の多くは、ここで生産される。 イングランド北部の中心地、エア川沿いに
    あり、エア川は運河でリバプールに繋がっている。 14世紀に毛織産業の要として
    建設されたが、今日では、工業、文化、教育分野のイングランド北部における
    中心地ともなっている。リーズ大学は、イギリス最大の高等教育機関のひとつ
    となっている。

    マンチェスターの西にあるのがリバプール(人口約44万人)で、アイリッシュ海に
    面するイングランドの主要港がある。 しかし、第二次世界大戦で埠頭が大被害を
    受けてからは、寂れている。 失業率は高く、港湾設備は不十分だが、それでも
    リバプールは港による収入に頼るしかない。 他にも、自動車組み立て工場、
    製粉所、精糖所等がある。 1960年には、ポピュラー音楽に革命をもたらした
    ビートルズの本拠地として有名になった。

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    6月24日の国際金融市場では、英国の国民投票で欧州連合(EU)からの離脱が
    確定したことを受けて、世界経済への悪影響に対する懸念が高まり、株式が
    投げ売りされる一方、安全資産とされる円や国債を買う動きが急速に進んだ。

    日経平均株価の終値は前日比1,286円33銭(7.9%)安の1万4,952円02銭と暴落し、
    約1年8カ月ぶりの安値水準になった。 アジアや欧州の株価も急落し、
    『英国ショック』をきっかけに世界同時株安の様相を呈してきた。

    東京株式市場では、英国のEU離脱を機に欧州の景気が停滞し、世界的に経済
    成長が鈍化するとの見方が広がった。 トヨタ自動車や三菱UFJフィナンシャル・
    グループなど主力株を中心に、東証1部銘柄の99%が下落。 日経平均の下げ幅は
    一時1,300円を超えた。

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    開票が進みEU離脱派優位が鮮明になるにつれて、『予想が外れた投資家が売りを
    急ぐ流れになった』(インターネット証券)。 午後には株価指数の先物取引を
    一時中断する『サーキットブレーカー』が発動されたが、投資家の動揺は収まら
    なかった。
     
    欧州株式市場では、ロンドン時間午前10時ごろの時点で、英FT100種平均株価
    指数が前日終値比5.20%安。 仏CAC40種指数は8.40%安、ドイツ株式主要30銘柄
    指数(DAX)が6.97%安となった。 米国の株式先物市場も大きく売り込まれて
    いる。
     
    東京外国為替市場では、円相場が急騰。 一時約2年7カ月ぶりに1ドル=99円台を
    付けた。 ロンドン時間午前9時現在は102円90銭~103円00銭と、前日午後4時比
    2円75銭の円高・ドル安。
     
    円は対ユーロで同時刻現在、1ユーロ=114円80~90銭と、5円15銭の円高・
    ユーロ安。 対ポンドで1ポンド=140円95銭~141円05銭(前日午後4時ごろは
    156円台)。

    東京債券市場では、長期金利の指標となる新発10年物国債の流通利回りが一時、
    前日比0.070%低下(債券価格は上昇)のマイナス0.215%と、過去最低になった。

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    1964年に日本の新幹線が時速210kmの世界最速で営業運転を開始した。 しかし、
    1981年フランス国鉄は、パリ~リヨン間(南東線)に、最高速度270kmの高速列車
    TGVを走らせ、トップの座を奪ったが、その後も、フランスは研究と実験を繰り
    返し、1990年には時速515kmの最高速度を達成した。 その結果を元に、最高
    速度300kmの営業運転を開始した。 それと前後して、新幹線網も広がり、パリと
    トゥールーズやル・マンを結ぶアトランティック線、パリとリールやカレーを結ぶ
    北ヨーロッパ線が新設された。

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    更に、南東線を延長して、地中海のプロバンスまで路線を伸ばし、2007年には、
    ストラスブール方面の東線も完成した。 東線は最高時速320kmを出しており、
    東北新幹線はやぶさと同じ営業速度となっている。 フランスの新幹線は、起動の
    幅を在来線と同じ1435mmにしたため、どの路線にも乗り入れることが出来る上、
    平らな土地が多いため、鉄道の建設費が安く上がる事などから、座席指定券は
    必要だが、特別料金は必要ない。

    フランスの新幹線網は、自国内だけに留まらず、1994年5月、イギリスとフランスを
    結ぶ全長約50kmの英仏海峡トンネル(ユーロトンネル)が開通した。 この
    事業には、青函トンネルを開通させた日本も、技術協力を行っている。 これを
    受けて、ロンドンとパリを結ぶ高速列車ユーロスターが開業し、両都市間は
    3時間で結ばれる事となった。

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    更に、1996年には、フランスとベルギー、オランダ、ドイツを結ぶ高速列車
    タリスが営業を開始した。 これらの高速列車には、いずれもTGVの技術が
    生かされており、フランスのTGV各線もスイスやベルギー、ドイツ等へ路線を
    伸ばしてている。

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    イギリスは、世界の主要国として、3つの領域で重要な役割を担っている。
    まず、1993年以来、ずっとヨーロッパ連合(EU)のメンバーである。 ふたつ目に、
    その殆どが、大英帝国時代の植民地であった53カ国からなるイギリス連邦を
    率いている。 そして、最も親密な同盟国のひとつであるアメリカと特別な
    関係を持っている。

    こうした役割は、この国の発展の歴史に根ざすものだ。 1500年代から1600年代、
    イギリスは、大西洋の海洋貿易で主導的な立場にあった。 1700年代後半には、
    工業の近代化によって、世界をリードする工業大国となり、1900年代末まで
    その勢いは続いた。 そして、大英帝国を築き、最盛期には、世界の3分の1を
    領土とした。

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    しかし、19世紀に農業が衰退し始めた。 それに続いて、20世紀には、工業も
    力を失い始めた。 現在は、サービス産業が経済の中心となり、イギリスは、
    主要経済大国としての地位を保っている。 福祉国家であるイギリスでは、
    全ての国民が無料の医療と教育、社会保障を受けられる。 しかし、かつてに
    比べて貧富の差が遥かに広がっている。

    イギリスは、政治的には、イングランド、ウェールズ、スコットランド、
    北アイルランドという4つの国からなる連合王国である。 スコットランド、
    ウェールズ、北アイルランドは、それぞれ独自の議会を設立して、自治権を
    拡大して来た。 イングランドでも各地域で議会が設立されているが、
    そのうち、大ロンドンの議会だけが選挙によって選ばれる。

    地理的に見ると、複雑な地質が変化に富んだ地形を生み出し、様々な動物や
    植物が生息している。 雨が多く、風の強いこの島々には、1万年に渡って
    人が住み、その中で現在のイギリスの景観が作られてきた。 森が切り開かれ、
    沼地や湿原は干拓され、畑や道が作られた。 村が出来、そして、廃れ、
    都市や郊外の住宅地が開発された。

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    イギリス人とは、この地にやって来た支配者と移民によって作られた国民である。
    初期に住み着いたのは、ケルト人、ローマ人、アングロサクソン人、バイキング、
    ノルマン人だった。 産業革命の時代には、アイルランド人がやって来た。
    1950年代から60年代に掛けては、かつての植民地であったカリブ海、アフリカ、
    アジアの国々から移民が、労働力の不足を補った。 その後、難民や亡命を
    求める人達、他のヨーロッパ諸国からの人々もやって来てイギリスの社会は、
    多種多様な文化を持つものとなった。

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    英国はどの欧米諸国より、ロシアの富が社会の上流に浸透している。
    ソビエト連邦の崩壊後に台頭したオリガルヒ(新興財閥)が
    『ロンドン・グラード』に注ぎ込んできた金額を考えると、デビッド・
    キャメロン首相率いる英政権は、ロシアの非道にどれほど怒りを
    覚えようとも、オリガルヒを弾圧できないだろうという批判がある。

    ロンドンの金融街シティは、ロシア人を締め出すべきではないというメモが
    流出したことも、そうした批判の正当性を裏付けているように見える。
    英国は、英国債に100万ポンド以上を投資している外国人に、3年間の
    『投資家』ビザを発給している。 2年後にその国債を保有し続けていれば、
    1000万ポンドで居住権を手に入れることもできる。

    2008年第3四半期から2013年第3四半期までの間に、ロシア人には、この種の
    ビザが433件発給されている。これはどの国より多く、近い数字は中国人の
    419件のみだ。 英国には、オリガルヒの子弟向けに枠を用意した学校は、
    ダリッジ・カレッジ以外にも何十校もある。

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    独立学校協会(ISC)によれば、2013年に私立学校に在籍する非英国人の
    生徒のうち、8.3%がロシア人だったという。 年間の学費にすると最大で
    6,000万ポンドをロシア人が支払っている。 ロシア人の生徒数は、2009年
    以降倍増した。

    オリガルヒは、ロンドンのマンションやペントハウスを買いあさっている。
    不動産会社のサビルズによると、チェルシーやウェストミンスターといった
    『一等地』の購入者の4%がロシア人で、平均630万ポンドを投じているという。

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    イギリスにとって、最大の遺産は、英語と観光であると言われている。
    英語は、世界の共通語になりつつあるし、 2010年にロンドンを訪れた
    観光客は1,460万人にも及び、1兆円以上の金をロンドンに落とした
    ことになる。 ロンドンを訪れる観光客の最大の目玉は、華やかな衛兵の
    交代式で知られるバッキンガム宮殿である。

    ロンドンを訪れた観光客は、まず始めにこの宮殿の歴史と衛兵の交代に
    見られる伝統の重さを噛みしめてから、繁華街へと繰り出すこととなる。
    その中心地であるピカカデリー・サーカスに立つと、リージェンス
    ストリートの景観が先ず人々の度肝を抜くこととなる。 この周辺の整然
    とした街並みは、古都ロンドンの威厳を示すと同時に、ロンドン子の誇りの
    象徴でもある。

    この通りを更に進むと、オックスフォード・サーカスを経て広大な
    リージェンツ・パークに至る。 反対側に目を向けると、トラファルガー
    海賊の英雄である、ネルソン提督の記念柱がそびえるトラファルガー広場が
    見える。

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    このロンドン観光の中心をなす部分は、その殆どがひとりの国王の手に
    よって造られた。 その国王とは、ハノーヴァー王朝第4代国王である
    ジョージ4世(在位1820~1830年)で、皇太子時代の名前がリージェント
    王子であるため、その功績を讃えてリージェンツ・パーク、リージェント・
    ストリート、ロワー・リージェント・ストリート等の名前が付けられた。

    国王になってからのジョージ4世はが始めたのは、バッキンガム宮殿の
    大改修であった。 バッキンガム宮殿は、英国王室の代名詞のようになって
    いるが、正式に宮殿になったのは、これより後のヴィクトリア女王が即位
    した1837年のことである。

    英国王のロンドン宮殿は、最初ウェストミンスター宮殿、次いでホワイトホール
    宮殿、セント・ジェイムス宮殿と変遷して来た。 バッキンガム宮殿は、元々
    バッキンガム公であるジョン・シェフィールドが1705年に建てた私邸を王で
    あるジョージ3世が1761年に王妃のために買い取ったもので、15人の子供のうち、
    14人がここで生まれ、クイーンズハウスとも呼ばれていた。

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    ジョージ4世は、建築家であるジョン・ナッシュに命じて、バッキンガム
    ハウスを荘厳な宮殿に建てかえることにした。 バッキンガム宮殿の構想が
    現実に向かって動き出すと、これをバネにして、ロンドン各地で色々な動きが
    始まった。 ジョージ4世は、建築だけではなく、芸術や文化にも理解があり、
    1822年に大英博物館が拡張された時も、その翌年にナショナルギャラリーが
    設立された時にも、そのスポンサーになった。 最後の7年間は、ウィンザー城
    に超一流の飾りや調度品を集め、ヨーロッパで最も素晴らしい宮殿のひとつに
    仕上げた。 トラファルガー広場には、ジョージ4世の騎馬像が建っており、
    ロンドン市民を見守っている。

    このような偉大な功績を残したのにも関わらず、ジョージ4世は国民からは
    かなり嫌われた。 父ジョージ3世の残した借金は桁外れで、1793年当事で
    40万ポンドに達しており、借金を棒引きにするために、従姉妹のキャロライン・
    オブ・ブルンスウィックと結婚した。 2人の間には長女シャーロットが
    誕生したが、その3ヵ月後には一方的に別居を宣言して、昔の愛人とよりを
    戻してしまった。

    その後、キャロラインとの仲はもつれにもつれて、国政を巻き込んでの
    大スキャンダルに発展した。 ジョージ4世が全力を傾けて取り組んだ
    バッキンガム宮殿の大改修だったが、ジョージ4世は、その完成を見る事なく
    1830年にこの世を去った。



    ジョージ4世の跡を継いで国王となったウィリアム4世は、長年海軍に所属
    しており、派手好きであった兄とは逆に、質素な性格で、バッキンガム宮殿
    には関心を持たなかった。 ウィリアム4世の死後、姪であるヴィクトリアが
    即位し、完成したバッキンガム宮殿に住み始めた。 しかし、最愛の夫である
    アルバート公が1861年に死去すると、ヴィクトリア女王は公の場を避け、
    ワイト島のオズボーンハウスや、ウィンザー城に住むようになったため、
    バッキンガム宮殿は、40年間に渡って、半ば閉鎖されたようになった。

    跡を継いだエドワード7世の時にようやく活気を取り戻し、増改築を繰り返して、
    ジョージ5世、ジョージ6世、エリザベス女王へと引き継がれて来た。 とりわけ、
    ジョージ6世が第二次世界大戦中にドイツ軍の空爆を何度か受けながら、この
    宮殿に踏みとどまって決意の程を見せた話は有名である。

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