ロシアの歴史の始まりは、かつて、現在のウクライナ付近に存在していた
『ルーシ』が元となっており、初期の時代は、ウクライナの歴史と同じなのだが、
モンゴル・タタールによる支配の後、北にあったモスクワ公国が台頭し、現在の
ロシアとなった。
ロシアの本来の意味は、『櫂の国』で、当時のロシア国内では、バイキングに
よる略奪が横行していたが、本来この『ルーシ』とは、バイキング船の『櫂』を
表していた。
モンゴル・タタールによる支配を跳ね返したモスクワ公国は、同じ東方正教の国、
ウクライナをポーランド支配から解放した際に、ウクライナを併合した。
モスクワは、この時点で、『ルーシ』の正当な後継国となったことから、その後は
『ルーシ国』という意味の『ロシア』を名乗ることとなった。
ロシアには、大きく分けて、王朝が2つ存在したが、そのうちのひとつである、
リューリック王朝は、スウェーデンから皇帝を招いたもの。 その後、その血が
途絶えたため、ロマノフ王朝が新たに誕生した。 ロマノフ王朝最後の皇帝、
ニコライ2世は、1917年の2月革命後で退位に追い込まれ、家族と共に、首都
サンクトペテルブルク近郊のアレクサンドロフスキー宮殿に軟禁されたが、
最後はエカテリンブルグで家族共々処刑された。
革命以降、レーニンが率いるボリシェビキと共産党による、世界初の社会主義国家
ソ連が誕生した。 その後、ソ連は、アメリカと並ぶ、世界を二分する超大国と
まで言われ、冷戦時代には、東ドイツまでの東欧をその支配下に置き、約70年もの
間存在したが、最終的には、当時のゴルバチョフ大統領が推し進めたペレストロイカ
(改革)と情報公開が原因で崩壊した。
ソ連崩壊後の新生ロシアは、ソ連時代の負の遺産を全て引き継いだため、
天文学的な財政赤字を抱えていたが、その地獄の底のような状況下で、
突如、彗星のごとく現れたプーチン大統領の一代だけで、この一生涯無理と
言われた財政赤字を一気に解消した。
この奇跡的な赤字の解消は、オイルマネーによるところが大きかったのだが、
ソ連崩壊後は、何でもありの混沌とした時代が続いたため、危ない橋を渡った
人たちは、一気に新興財閥にまで上り詰めることが出来た時代でもあった。
社会主義から自由市場主義へと社会が急転換したため、90年代後半は、経済危機を
招き、日本企業が全撤退するという自体にまで陥ったが、2000年以降は、比較的
安定しており、大きな経済発展を遂げた。
その後、ウクライナでの内戦が勃発し、クリミア半島をウクライナから奪還した
ため、アメリカを中心とする西側諸国から経済制裁を加えられ、ロシアの通貨
であるルーブルが急落し、現在は、生活にまで深刻な影響が出て来ている。
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