ノボシビルスク郊外には、世界最大規模の学術研究都市アカデムゴロドクが
ある。 ノボシビルスク市中心部からアカデムゴロドクへの行き方は、大きく
2通りあるのだが、どちらの行き方も、「行き先」なる便利なものは記載されて
いないため、運転手か周りの人達にロシア語で行き先を尋ねるしかない。
第1の方法は、ノボシビルスク中央駅から8番の路線バスに乗って、終点まで
行く方法。 第2の方法は、地下鉄のレチノイ・ヴォグザール駅から35番の
乗り合いタクシー『マルシルートカ』に乗って終点まで行く方法。 どちらも
終点の停留所は同じで、このバス停がノボシビルスク国立大学への最寄のバス停。
今回は、35番の乗り合いタクシーで行った(この方法が最も一般的)ため、
地下鉄レチノイ・ヴォグザール駅で乗り換えをした。 料金は、地下鉄が
どこまで乗っても20ルーブル(約40円)と乗り合いタクシーが途中の
セーヤチェリまでが40ルーブル(約80円)、終点のツヴェトノイ・リャート
までが45ルーブル(約90)であった。
行く方法。 第2の方法は、地下鉄のレチノイ・ヴォグザール駅から35番の
乗り合いタクシー『マルシルートカ』に乗って終点まで行く方法。 どちらも
終点の停留所は同じで、このバス停がノボシビルスク国立大学への最寄のバス停。
今回は、35番の乗り合いタクシーで行った(この方法が最も一般的)ため、
地下鉄レチノイ・ヴォグザール駅で乗り換えをした。 料金は、地下鉄が
どこまで乗っても20ルーブル(約40円)と乗り合いタクシーが途中の
セーヤチェリまでが40ルーブル(約80円)、終点のツヴェトノイ・リャート
までが45ルーブル(約90)であった。
ロシアの地下鉄は、ソ連時代までは、25コカペイカコインをそのまま自動改札口に
入れるタイプだったのだが、その後のハイパーインフレの時代を経て、トークン
(ロシア語ではジェトンと言う)を使用するようになった。 これは、中国も
同じで、モスクワの地下鉄では、カード式になったが、以前は、モスクワでも
このトークンを使用してハイパーインフレに対応していた。
レチノイ・ヴォグザール駅での乗り換えは意外と複雑で、反対方向の出口に出て
入れるタイプだったのだが、その後のハイパーインフレの時代を経て、トークン
(ロシア語ではジェトンと言う)を使用するようになった。 これは、中国も
同じで、モスクワの地下鉄では、カード式になったが、以前は、モスクワでも
このトークンを使用してハイパーインフレに対応していた。
レチノイ・ヴォグザール駅での乗り換えは意外と複雑で、反対方向の出口に出て
しまったため、バス乗り場まで3回ほど通りを歩いている人達にバス乗り場を尋ねた
のだが、皆嫌な顔ひとつせずに、親切に道を教えてくれた。 25年前は、
このルートを毎週通っていたものの、何せ25年ぶりなので、懐かしいを通し越して、
何も思い出せない状態であったw
のだが、皆嫌な顔ひとつせずに、親切に道を教えてくれた。 25年前は、
このルートを毎週通っていたものの、何せ25年ぶりなので、懐かしいを通し越して、
何も思い出せない状態であったw
地下鉄レチノイ・ヴォグザール駅から、乗り合いタクシーで約1時間ほどで、
アカデムゴロドクのツヴェトノイ・リャートに到着。 そこから、白樺林を
10分ほど歩くと、ロシア国立ノボシビルスク大学の校舎が見えて来ます。
アカデムゴロドクのツヴェトノイ・リャートに到着。 そこから、白樺林を
10分ほど歩くと、ロシア国立ノボシビルスク大学の校舎が見えて来ます。
私が学んでいた時代は、新校舎はまだなく、旧校舎のみでしたが、すぐ隣りに
大規模な新校舎が建設されており、度肝を抜かれました。 尚、ノボシビルスク
大学のレベルは、ロシア国内では、モスクワ大学に次いで第2位、サンクト・
ペテルブルグ大学よりもレベルが上とされているため、私の学歴は、あの
プーチン氏を上回っていることになりますw 尚、ノボシビルスク大学には
人文学部があり、ここに日本語専門コースもあるため、極々稀に日本語で話し
掛けられる事もあります。
大規模な新校舎が建設されており、度肝を抜かれました。 尚、ノボシビルスク
大学のレベルは、ロシア国内では、モスクワ大学に次いで第2位、サンクト・
ペテルブルグ大学よりもレベルが上とされているため、私の学歴は、あの
プーチン氏を上回っていることになりますw 尚、ノボシビルスク大学には
人文学部があり、ここに日本語専門コースもあるため、極々稀に日本語で話し
掛けられる事もあります。
ノボシビルスク大学は、理工系が強い理系の大学であるため、現在は、日本の
東北大学の姉妹校となっている。 世界で初めての学術研究都市となっており、
日本の筑波の見本となったアカデムゴロドクは、その名の通り、ロシアの頭脳と
呼ばれており、様々な研究機関が集まった、世界最高峰の研究都市となっている。
東北大学の姉妹校となっている。 世界で初めての学術研究都市となっており、
日本の筑波の見本となったアカデムゴロドクは、その名の通り、ロシアの頭脳と
呼ばれており、様々な研究機関が集まった、世界最高峰の研究都市となっている。
アカデムゴロドクで唯一のメインストリートにあるショッピングセンター
(ロシア語ではテー・ツェーと言う)。 25年前は、本当に何も物が売って
いなかったのだが、今では、商品であふれかえっていた。 ノボシビルスクは、
ロシアの中でも、最も外国から遠い場所にあるため、国内で物を生産せずに、
ほぼ全てを中国からの輸入に頼っているロシアでは、外国から遠い事は、
当然ながら、物不足を意味していた。
(ロシア語ではテー・ツェーと言う)。 25年前は、本当に何も物が売って
いなかったのだが、今では、商品であふれかえっていた。 ノボシビルスクは、
ロシアの中でも、最も外国から遠い場所にあるため、国内で物を生産せずに、
ほぼ全てを中国からの輸入に頼っているロシアでは、外国から遠い事は、
当然ながら、物不足を意味していた。
2000年過ぎ頃までは、ロシア・ルーブルは、完全に国外には持ち出し禁止の
時代で、ルーブルが国外に自由に持ち出せるようになったのは、2000年以降
となっている。 それ以前は、ロシア出国時に税関で財布を開けさせられて、
残ったルーブルは全て没収、その後、コインだけは見逃されるようになった。
ノボシビルスクでは、よくミルクカクテルなる飲み物を飲むのだが、道端に
あった美人のおねえさん(後姿だけで残念w)が働いているお店で、
ミルクカクテル(しかもカップが巨大)を作ってもらった。 その後、
そのおねえさんに食堂がある場所を教えてもらい、午前9時(日本時間午後12時)
にちょっと遅めの朝食を取る事にした。
あった美人のおねえさん(後姿だけで残念w)が働いているお店で、
ミルクカクテル(しかもカップが巨大)を作ってもらった。 その後、
そのおねえさんに食堂がある場所を教えてもらい、午前9時(日本時間午後12時)
にちょっと遅めの朝食を取る事にした。
ロシアで主に食べられているのは、じゃがいものピュレー、ソーセージ、
ブリヌィ等で、この日は、ボルシチが品切れだっため、キャベツスープを
頂いた。 アカデムゴロドクは、その昔、ノボシビルスクとは別都市とされて
いたのだが、今では、ノボシビルスク市内のソヴィエツキー地区に分類されて
いる模様。
ブリヌィ等で、この日は、ボルシチが品切れだっため、キャベツスープを
頂いた。 アカデムゴロドクは、その昔、ノボシビルスクとは別都市とされて
いたのだが、今では、ノボシビルスク市内のソヴィエツキー地区に分類されて
いる模様。
学術研究都市のアカデムゴロドクにあるのは、大学と研究機関のみであるため、
ここを訪れる外国人はまずいない。 ノボシビルスク大学は、学生以外は一切
中には入れないのだが、係員と交渉して、強引にトイレだけ借りて、校内へと
入ってやったw
ここを訪れる外国人はまずいない。 ノボシビルスク大学は、学生以外は一切
中には入れないのだが、係員と交渉して、強引にトイレだけ借りて、校内へと
入ってやったw