ピョートル大帝は、湿地の広がるネヴァ川の両岸に、新しいロシアの首都である、
サンクト・ペテルブルグを建設した。 ロシアには、海への出入口と『西欧への窓』が
必要と考えたからだった。 数千人の人命を犠牲にしながら、1712年頃には、新しい
首都の街並みは、おおよそ完成した。
宮殿群と尖塔の街並みは、ヨーロッパ古典様式を反映したもので、多数の外国人
建築家らによって建設された。 第二次世界大戦では、ドイツ軍が3年間に渡って
この街を封鎖したため、100万人以上が死んだ。
街の名称も、時代と共に変わり、1914年から1924年までは、ペトログラード、その後、
1991年までは、レニングラードと呼ばれたが、その後、再びサンクト・ペテルブルグに
戻された。
【都市の構造】
サンクト・ペテルブルグは、ネヴァ川につながる細い川や運河の周りに造られて
いる。 ネヴァ川の左岸には、中心部と向き合う形でヴァシリエフスキー島や
ペトロパブロフスク要塞がある。 ネフスキー大通りには、ネヴァ川から南へ放射状に
伸びる数本の大通りの中でも、最も主要な通りとなっている。
【ペトロパブロフスク要塞】
ペトロパブロフスク要塞は、1703年に建設され、 サンクト・ペテルブルグで最初の
建造物で、その中央には、ペトロパブロフスク大聖堂がそびえ立っている。 細く高く
伸びたその斜塔は、モスクワの聖ワシリー大聖堂と同じく、この街のシンボルに
なっている。
【ペトロドゥヴァレツ】
フィンランド湾に面したペトロドゥヴァレツは、ピョートル大帝がとでも気に入っていた
夏の宮殿だった。 フランスのベルサイユ宮殿や庭園をモデルにしたこの宮殿は、
1714年に造られ、その後、ラストレリによって、更に増築された。 噴水の大滝は、
その後、多数の彫刻で飾られた。 宮殿と庭園は第二次世界大戦中に荒廃したが、
その後、美しく修復された。
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