多言語翻訳 Samurai Global ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:ロシア語

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    首都 ビシケク
    ビシケク空港に到着後、そのままタクシーで約30キロ離れたホステル
    Mukarama-Apa へと向かった。 キルギスはカザフスタン程では
    ないものの、国民全員がロシア語を話せるため、旅行が非常に楽♪
    こちらのホステルでは、ロシア在住のキルギス人と2日合わせて合計で
    6時間も延々とお話をしておりました。 ビシケクは、意外と高地に
    位置しているため、外に出ると結構寒いため、ゲストハウスのオーナーから
    トレーナーと傘を借りてビシケクの中心部へと出掛けました。

    ゲストハウス Mukarama-Apa
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    ロシア語圏では、お茶を飲みながら、延々とお話をするのが普通なので、
    ロシア語を話せると非常に便利。 尚、こちらのホステルでは、度々日本人も
    泊まりに来るとのことで、そのお手紙を見せてもらいました。 かなり親日家の
    オーナーで、日本人にもっときて欲しいと申しておりました。

    料理を作って貰ったり、お世話をして貰ったのは、こちらの娘さんかと思いきや、
    翌日オーナーから聞いた話では、ロシアからやって来たお客さまで、体調が
    悪いので、手伝ってもらっただけと申しておりました。 旧ソ連邦内では、
    これまで生活が非常に厳しかったため、皆助け合いの精神だけは、絶対に
    忘れていないのである。

    【ビシケク】
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    ビシケクのゲストハウスから歩くこと30分。 市中心部の政府施設が集中している
    場所までやって来た。 キルギス人は人種的に元々はコーカソイドだったのだが、
    現在のロシア領のトゥヴァ付近から大量の移住者がやって来て、完全に
    モンゴロイド化した民族であるため、見た目的に非常に日本人に似ています。
    一説によれば、「肉が好きな者はこの地に残りキルギス人となり、魚が好きな者は
    東に移動して日本人になった」とまで言われている程、キルギス人は、日本に
    対しては親日意識を持っている。

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    ビシケクの中心地では、巨大なキルギスの国旗を守るため、衛兵がその麓で番を
    していた。 恐らく、定時になると、ロシアの衛兵交代と同じく、衛兵が交代する
    のだと思う。 この付近が政府機関が集中している地域で、キルギスの心臓部と
    言える。

    【ビシケク中心部】
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    トルキスタン (Turkestan / Turkistan) とは、チュルク系民族が居住する中央アジアの
    地域を指す歴史的な地域名称であり、現在のカザフスタン、ウズベキスタン、
    キルギス、タジキスタン、トゥルクメニスタンと中国にまたがっている地域を指す。
    人口順では、ウズベキスタン、中国、カザフスタン、タジキスタン、キルギス、
    トゥルクメニスタンの順にトルキスタン人の人口の割合が多くなっており、中国の
    新疆ウイグル自治区を「東トルキスタン」と呼ぶこともある。

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    ビシケクのソ連時代までの旧名は「フルンゼ」であるため、今でもところどころに、
    このフルンゼの文字が残っている。 ミハイル・フルンゼとは、ソビエト連邦の
    政治家で、ロシア革命前後におけるボリシェヴィキの指導者の一人。 ソ連陸海軍
    人民委員および共和国革命軍事会議議長を務めた人物。 旧ソ連では、革命家の
    名前を採った都市名が多かったのだが、ビシケクもその1つ。 ビシケクという
    都市名は、キルギスの国民酒である馬乳酒を作る時の撹拌器の名前に由来する。

    ビシケク中心部にある遊園地でお腹が空いたため、このハンバーガーを食べたが、
    店員が余りロシア語が上手ではなく、60ソムのことを「600ソムです」と言って
    来たため、「60でしょ?」と返したところ、「ああそうだ」と言って来ましたw
    挙句の果てに、おつりが間違っていたので、突っ込みを入れておきましたww

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    エアー・アスタナ
    カザフスタンのエアー・アスタナでアルマトイからタジキスタンの首都、
    ドゥシャンベへと飛びました。 アルマトイからドゥシャンベまでは、
    1時間半のフライト時間。 機内では、ピロシキとチョコレートの簡単な
    食事が1度だけ提供されましたが、賞味1時間半のフライト時間の場合、
    水平飛行の時間が30分程度しかないため、かなりあっという間の
    フライトでした。 エアー・アスタナは、今回初めて乗りましたが、
    最新の機材を使用しているため、なかなかの乗り心地でした。

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    エアー・アスタナの機内にはモニターがないため、機内のキャビンクルーに
    確認したところ、何と!WiFiとスマホを使って、映画を見れるのだとか。
    試しにWiFiに接続をして見たがネットに繋がらないw 機内には色々な
    映画があったのだが、WiFiに接続が出来なかったため、ドゥシャンベ到着
    まで、ぼ~っと過ごしました。 アルマトイを飛び立つ前に、タジキスタンの
    ビザについて質問されましたが、ネットに繋がらないため、ビザを見せ
    られないと空港係員には伝えたものの、その後、問題が発覚しました。

    【ドゥシャンベ】
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    ドゥシャンベ空港でのビザ申請手続き
    「ドゥシャンベ」とは、タジク語で、「月曜日」と言う意味で、毎週月曜日に
    市が立っていたため、この様な名前になりました。 中央アジアの中では、
    トゥルクメニスタンと並んで、ビザが必要な国であるため、事前にeビザを
    申請して置いたものの、何かの手違いで、空港到着後、ビザが許可されて
    いない事が判明しました。

    【ドゥシャンベ】
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    ドゥシャンベ空港では、ビザの発給手続きがあるため、延々と待たされることと
    なりましたが、そもそも、領事が窓口に居ない。 何をしているのかと窓の中を
    覗き込んで見ると、どうやら、お祈りをしているらしい。 そんなこんなで、
    30分以上も入国に時間が掛かってしまったものの、日本で事前に申請をして
    置いた筈のビザは、その後、ビザのカテゴリー選択間違いのため、発給され
    なかった事が判明。 但し、タジキスタンのビザは、実は空港でも取得出来る
    ため、その場で50米ドルを支払って新しいビザを発給して貰いました。

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    翌日、メールにて、タジキスタン大使館に、古い方のビザは、キャンセルで
    お願いしますとロシア語と念のため英語で再度メールしたものの、結局のところ、
    こちらのビザがキャンセルになったのかどうかは、未だに分からないまま。
    空港内は撮影禁止だそうで、係員から注意を受けました。

    ドゥシャンベの生活は、思っていたよりも酷くない様子で、スーツ姿で歩いて
    いるため、非常にラフな格好で街中を歩いていたのは、私だけでしたw
    タジク人は、イラン系の人種であるため、カザフ人とは異なり、見た目で既に
    外人だとバレているものの、タジク人は全員ロシア語が話せるため、
    コミュニケーション上で特に問題はありませんでした。

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    スラブ語は、それぞれの地理的な分布により、東、西、南スラブ語の3語群に
    区分される。

    【東スラブ語群】(地図の赤い部分)
    東スラブ語群に含まれるのは、ロシア語、ウクライナ語、ベラルーシ語であり、
    かつてのソ連邦内でも使用されていた言語となっており、現在もロシア、
    ウクライナ、ベラルーシにおけるそれぞれの公用語となっている。 東スラブ語は、
    類似性が比較的高く、ロシア帝国時代のウクライナ語とベラルーシ語は、ロシア語の
    方言とみなされていた。 ウクライナ語とベラルーシ語には、ポーランド語に類した
    特徴が多く、かつて、ポーランドの支配下にあったという歴史的な関係を示して
    いる。 また、ウクライナとスロバキアの国境付近には、ルシン語という少数
    言語がある。

    【西スラブ語群】(地図の青い部分)
    西スラブ語群に含まれるのは、ポーランド語、チェコ語、スロバキア語、ドイツ
    国内の少数言語であるソルブ語、またポーランド北部にあるカシュブ語である。
    このうち、ポーランド語、チェコ語、スロバキア語は、それぞれの国家の公用語、
    並びに、欧州連合の公用語にもなっている。 ソルブ語は、ソルブ人が住むドイツの
    歴史的、地理的な影響を強く受けたため、ザクセン州の上ソルブ語とブランデン
    ブルク州の下ソルブ語に分かれて形成された。 現在、ソルブ語は、この両州では、
    地域的な公用語として学校教育にも取り入れられている。

    カシュブ語は、長くポーランド語の方言とされて来たが、系統的に、また歴史的に
    見て、ポーランド語と非常に近い関係ではあるものの、21世紀に入ってようやく、
    ポーランド国内の地域言語の地位を獲得した。 西スラブ諸語は、文法体系の
    基本こそ共通しているものの、音韻や語形の面で差異が目立ち、共通スラブ語から
    分岐して行く早い課程で、それぞれの言語が独自の特徴を持って形成された
    ことが予想出来る。

    【南スラブ語群】(地図の赤と紫の部分)
    南スラブ語群は、東・西スラブ語群から見て地理的に、ルーマニア、ハンガリー、
    オーストリアという異言語を使っている国家により隔てられ、バルカン半島に
    広く分布している。 南スラブ語群には、ブルガリア語、マケドニア語、
    スロベニア語、そして、ユーゴスラビア時代には、セルビア・クロアチア語と
    呼ばれていたセルビア語、クロアチア語、ボスニア語、モンテネグロ語が含まれる。
    それぞれの言語を文法的な特徴から見ると、ブルガリア語とマケドニア語が、
    「バルカン言語圏」に含まれ、他のスラブ語とは異なる特徴を持っている。
    南スラブ語全体としては、このバルカン言語圏の特徴を持つブルガリア語と
    マケドニガ語の南東グループと、この特徴を持たないセルビア語・クロアチア語、
    並びに、スロベニア語の北西グループに2分される。

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    【文字で見るスラブ語】
    大きく3語群に大別されるスラブ語だが、使われている文字で見ると、2つの
    文化圏に大別することが出来る。 1つは、ラテン文字、いわゆる、ローマ字で、
    もう1つはキリル文字である。 ラテン文字は、地理的に見ると、西半分の
    西スラブ語群と、南スラブ語の北西グループで使用され、キリル文字は東半分の
    東スラブ語群と、南スラブ語群の南東グループで使用されている。 セルビア語と
    モンテネグロ語は、伝統的には、キリル文字を使用しており、セルビアの公用
    文字もキリル文字だが、最近では、日常的にラテン文字が使用されている。 また、
    クロアチアやボスニアでも、歴史的にはキリル文字も使用されており、重要な
    文章は、キリル文字でも残されている。

    スラブ語の文字文化は、キリスト教の受容と発展とは切り離すことが出来ない。
    スラブ語圏の西半分のラテン文字の使用は、西方カトリック教会の影響であり、
    また東半分のキリル文字の使用は、東方正教会を受け入れたため、独自に創られた
    ものである。 これらの文字は、聖書や宗教文書の翻訳を行う際に用いられため、
    ラテン文字は「西方教会」、キリル文字は「東方教会」の象徴となり、それぞれの
    スラブ人たちに受け入れられて行った。

    【キリル文字】
    キリル文字は現在、スラブ語圏以外でも使われており、旧ソ連の諸言語、例えば、
    シベリア東部のエヴュンキ語、や中央アジアのタジク語等でも使用され、モンゴル語
    でも使用されている。 キリル文字の使用範囲が広まったのは、ユーラシア大陸の
    広い範囲に政治的、文化的影響力を及ぼしたロシア、つまり、ロシア語で使用されて
    いる文字であったからである。 ロシア語のキリル文字は、33文字から成っており、
    Ь, Ъは、それぞれ「硬音記号」と「軟音記号」と呼ばれ、子音の硬軟を表すために
    使われるため、現代ロシア語では、これらの文字に音はない。

    【東スラブ語の文字の表記方法】
    ロシア語とベラルーシ語のアルファベットは、殆んど同じだが、ロシア語にはない
    I と ’ を使用している。 また、ウクライナ語とベラルーシ語では、子音を2つ繋げた
    二重音字を比較的多く用いている。 東スラブ語のキリル文字は、それぞれ少しずつ
    異なるが、特に注意すべきは点は、全く同じ文字の発音が異なることがあるところ。
    特に、ウクライナ語のアルファベットには、ロシア語とは異なる文字が4文字が
    あり、逆に、ロシア語のЭは存在しない。

    【南スラブ語の文字の表記方法】
    南スラブ語群のうち、南東地域はキリル文字圏に含まれる。 ブルガリア語は、
    ロシア語の33文字のアルファベットから3文字を除いたもので構成され、順序も
    ロシア語と同じである。 但し、「Ъ」は、文字は同じだが、機能がロシア語とは
    異なる。 ロシア語では音を持たない補助記号であるが、ブルガリア語では、母音を
    表すため、この文字が語頭に出てくる単語も存在する。

    【セルビア語のキリル文字】
    セルビア語のキリル文字は全30文字だが、東スラブ語圏とは若干文字が異なる。
    セルビア語は近年では、ラテン文字でも表記するが、キリル文字による
    アルファベットの基本的な順序はロシア語と概ね同じだが、Ђ, Ј, Љ, Њ. Ћ, Џの
    6文字は、東スラブ語にはない文字であり、逆に、ロシア語にはある、Ё, Й, Щ, Ъ,
    Ы, Ь, Э, Ю, Яの9文字がない。 これは、言語の特徴に合わせて現代的な
    アルファベットが後から作られたためである。

    言語的にはセルビア語と同じ、モンテネグロ語(ツルナゴーラ語)の場合は、
    最も新しく独立宣言を行ったスラブ語であり、2009年、セルビア語の
    アルファベットを元に、これまでのキリル文字にはない文字としてЗ́, Ćの2文字を
    加えたアルファベットが新たに制定された。 これらの文字は、ラテン文字では、
    Dž, Śとそれぞれと表記される。 これまで、長くセルビア語の一方言として
    扱われて来たモンテネグロ語は、セルビアとは多少発音的に異なる部分が
    あったため、こうした発音上の特徴を、国家独立と共に、異なる文字を用いて
    書き表そうとしたのである。 但し、これらの文字の現時点での導入は余り
    進んではいない。

    マケドニア語は、第二次世界大我の終結と共に、マケドニアという独立国家がした
    ことで正式に言語として認められ、正書法も定められている。 マケドニア語
    キリル文字は、セルビア語のキリル文字をモデルとして作られた。

    【キリル文字の発祥】
    スラブ世界で生まれたキリル文字は、スラブ民族と国家形成の歴史、周辺諸国との
    関係に深く結び付いている。 キリル文字は、ギリシャ文字を元にして作られたが、
    キリル文字の考案者は分かってはいない。 恐らく、10世紀末頃のブルガリアが
    発祥の地だろうと考えられており、ブルガリアは、7世紀頃にバルカン半島に
    移動して来た東方チュルク系ブルガール人と、既にこの地に住んでいたスラブ人が
    融合して形成された国である。 8~9世紀には、国家としての基盤が固められ、
    ビザンツ帝国の西側に台頭した。 864年には時の支配者ボリス(在位852~889年)
    がビザンツ教会からキリスト教を受容、後継者シメオン帝(在位893~927年)の
    時代に中世ブルガリア国は最盛期を迎えた。 当初、ブルガリアの文化は、
    ビザンツの文字と言語、つまり、ギリシャ文字とギリシャ語に依拠していたため、
    スラブ人の独自の文字文化は、ギリシャ文字が元として作られ、これによって、
    スラブ人の言葉が表記されるようになったが、これがキリル文字の始まりである。

    スラブ民族は、ヨーロッパ大陸の東、紀元後の数世紀の間に現れ、9世紀~10世紀に
    至る頃には、およそ、現在のスラブ諸国がある辺りに民族国家を形成した。
    この頃、スラブ人の西には、カール大帝のフランク王国の継承国である東フランク
    王国が、南東にはビザンツ帝国があり、また、キリスト教会は東西に分裂の途上に
    あった。 現在チェコ、スロバキアがある一帯には、スラブ人として初の国家で
    あるモラヴイア王国が建国され、9世紀には、そこに西方教会の一大勢力であった
    フランク教会の影響力が及んで来た。 しかし、モラヴイア王は、このフランク
    教会側からの介入を嫌い、860年代に入って間もない頃に、ビザンツ教会に対して、
    スラブ人のためにスラブ語で神の教えを説く「牧師」を派遣して欲しいと依頼した。

    これに応じて、ビザンツ皇帝ミカエル(在位842~867年)は、側近のギリシャ人
    キュリロスとメゲイオスを派遣したと伝えられている。 モラヴイアの地でこの
    兄弟は、ギリシャ語聖書のスラブ語翻訳に着手したが、その活動はフランク教会に
    妨害され、2人の死後、弟子たちは追放された。 追放が始まったのは885年頃で、
    彼らは、その後、ブルガリアに迎え入れられた。

    モラヴイアからやって来たスラブ人たちが使っていた文字は、キリル文字ではなく、
    それよりも古い文字で、キュリロスが考案した「グラゴル文字」と呼ばれる、異なる
    文字であった。 但し、グラゴル文字は、次第に廃れて行き、最終的には、ギリシャ
    文字がスラブ語を表記するための文字として使われるようになったが、グラゴル
    文字を取り入れた文字体系は、いつしか、かつてグラゴル文字を考案した
    キュリロスの名を冠して、「キリル文字」と呼ばれるようになり、東方正教会の
    キリスト教を受け入れた東スラブ世界へと広まって行ったのである。

    【ラテン文字のスラブ語の世界】
    日本では「ローマ字」とも呼ばれているラテン文字は、歴史をたどれば、
    キリル文字と同く、ギリシャ文字から派生した文字体系である。 ラテン文字は、
    その文字の発祥の地であるローマ帝国が領土を広げ、キリスト教がそれぞれの国で
    国教となったことにより、ヨーロッパ大陸全体へと拡大し、欧州言語を表記する
    ための文字としては、最もメジャーな表記文字となった。 しかし、言語が
    異なると、発音も大幅に異るため、1つの文字では表記出来ない発音上の問題が
    発生し、2つ以上の文字を組み合わせたり、補助的な記号を付けて音を区別したり
    するようになった。

    スラブ語を母音文字で分けた場合、ブルガリア語以外の南スラブ語は、基本的に、
    A, E, I, O. Uの5つの母音があるだけであるが、そもそも、スラブ譜は、印欧祖語
    から分かれて形成される過程において、母音体系を単純化し、古い時代には
    あった二重母音を全て単母音化した。 南スラブ語では、この単純化した母音
    体系のままの状態で残ったため、ほとんどの南スラブ語の標準語では、5つの母音
    文字だけで構成されている。

    但し、西スラブ語の状況は少し異なっており、チェコ語、スロバキア語では母音が
    長短の区別を持つようになったため、Áのように、長母音を表す文字があり、Uは
    長母音を表すÚ, Ůの合計3つが存在するが、Ůは、発音上の異なる起源を文字に
    よって表したものである。 ポーランド語では、古代スラブ語から引き継いだ
    鼻母音を表すためのĄ, Ęの文字が必要となった。

    これら特殊文字の発祥の地は15~16世紀頃のチェコであると言われており、
    現代では、南スラブ語でも導入されている。 これらの特殊文字が定着する前の
    スラブ語は、西欧諸語で用いられているCH, CZ等の2重文字を用いていたが、
    チェコで生まれたスラブ民族による活動が他のスラブ語圏に波及するに従って、
    特殊ラテン文字が西スラブ語の中で定着して行った。 スラブ語の中で最も子音
    文字が多いのはポーランド語であるが、チェコ語とは異なった特殊文字が使用
    されており、子音体系が複雑化したポーランド語では、CH, DZ, Dź, SZ, RZ, CZ,
    Dżの2重子音文字が使用されている。 スラブ語は、基本的な語彙の多くが共通
    しているが、ラテン文字とキリル文字に文字表記の体系が大きく分かれている
    ため、全く異なる言語のように見えるが、発音上は、非常に共通点が多い言語群で
    あると言うことが出来る。

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    【グラゴル文字の発明】
    キリル文字という名称は、スラブ人に布教を行った東方正教会の宣教師、キュリロス
    (キリル)とメトディオス(メフォディ)の兄弟の名前に由来している。 彼らは、
    モラヴィア王国のラスチスラフ王が862年に東ローマ帝国にキリスト教の伝道師
    派遣を要請した際に送られたが、その布教活動のため、スラブ語を表記する
    ための文字を発明した。 しかし、彼らが実際に考案した文字は、グラゴル文字と
    呼ばれるキリル文字とは異なる文字であった。 862年から863年頃に考案された
    グラゴル文字は、スラブ語を表記するための初めての文字であり、スラブ語圏に
    おいて広く使用されるようになったが、彼らの布教活動は、ローマ教会の圧力に
    よって失敗に終わり、885年のメトディオスの死後、弾圧された彼らの弟子たちは、
    全員ブルガリア帝国へと移り、ブルガリア皇帝のボリス1世によって庇護され、
    そこで布教活動を続けた。

    Russianalphabet

    【キリル文字の誕生】
    グラゴル文字はスラブ語の特徴を良く捉えたものであったが、いくつかの問題が
    存在した。 形が複雑過ぎて、使い辛かったことに加えて、当時ブルガリアでは、
    既にギリシャ語を使う層が一定数存在しており、ブルガリア語をギリシャ文字で
    表すことが頻繁に行われていた。 弟子たちは、ブルガリアに移った後に、グラゴル
    文字を改良し、900年前後には、よりギリシャ文字に近い形の新しい文字を開発した。
    キリル文字の開発にあたっては、基本的にはギリシア文字を採用し、ギリシア文字
    では表現出来ないものは、グラゴル文字からの借用や新文字によって表現した。
    しかし、彼らは、キュリロスを偲び、新しい文字をキュリロスの文字「キリル文字」
    と呼んだ。 この名称により、後世では、キリルが創作した文字がキリル文字と
    信じられるようになったが、上記のように弟子たちが弾圧を受けたこともあり、
    キリル文字成立期の資料がほとんど残ってはいないため、19世紀前半までは、
    グラゴル文字とキリル文字のどちらが古いかは謎となっていた。 その後、19世紀
    中頃に古い音韻を残したグラゴル文字による資料がいくつか発見され、グラゴル
    文字の方が早く成立したことが明らかとなった。

    キリル文字の使用が始まった時期は明確ではないが、シメオン1世の統治下(在位
    893年~927年)で使用が始まったと考えられている 。 文字の開発当初、キリル
    文字とグラゴル文字はブルガリア国内で併存しており、首都プレスラフを中心とする
    北東部ではキリル文字が、旧首都オフリドを中心とする西部においては、グラゴル
    文字が使用されていた。

    【文字の広まりと変遷】
    教会での典礼用に開発されたキリル文字は、グラゴル文字と同様、東方正教会内で
    普及して行き、徐々にグラゴル文字に取って変わった。 シメオン時代にブルガリア
    統治下にあったセルビアにもキリル文字が広まり、更に、988年にはキエフ大公の
    ウラジーミル1世が正教会を受け入れたため、ロシア全体にもキリル文字が広まる
    こととなった。

    各国に伝わったキリル文字は、その後各地の実情に応じて修正が加えられて行った。
    ロシアにおいては、18世紀初頭にピョートル大帝が文字改革を行い、いくつかの
    文字を廃止し、あるいは、字体がラテン文字に近付けられた。 更に、20世紀に
    入ると再び文字改革が行われることになり、1912年に改正改革案が発表され、
    1917年には、ロシア臨時政府によって旧文字体系から4つの文字が削除された
    現在のロシア文字体系が施行された。 セルビアにおいても19世紀半ばにヴーク・
    カラジッチによって言文一致を目指した改革が行われ、不要な文字の削除とラテン
    文字のJの導入等が行われ、セルビア語のキリル文字によるアルファベットが
    成立した。 1945年にはブルガリアにおいても文字改革が実施された。

    【キリル文字使用言語】
    古くからキリル文字が使われ、現在も使われている言語は、スラブ語群と正教会の
    重なる範囲にほぼ一致し、東スラブ語群のロシア語、ウクライナ語、ベラルーシ語、
    南スラブ語群では、ブルガリア語、マケドニア語、セルビア語、モンテネグロ語
    である。 スラブ語群でも、カトリック圏であるポーランド語、チェコ語、
    スロバキア語、スロベニア語、クロアチア語はラテン文字を使用しており、
    イスラム教に属するボスニア語もラテン文字を使う場合が多い。 また、スラブ語
    とは全く関係がないモンゴル語、ジョージア(グルジア)では、南オセチア自治州の
    オセット語(イラン語群)もキリル文字を使用している。

    また、東方正教会に属するスラブ語群以外の言語は、かつてはキリル文字が使用
    されていた言語が多いものの、現代においては使用されていない。 ルーマニアは
    正教会であるため、以前は、キリル文字を使用していたが、18世紀以降、民族主義の
    高まりにより、ラテン文字化運動が広がり、1859年~1860年に掛けて、正式に
    ラテン文字が採用されることとなった。

    その他、正教会に属する言語では、ギリシャ語はギリシャ文字、ジョージア語は
    ジョージア文字、アルメニア語はアルメニア文字となっている。

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    旧ソ連構成国であった中央アジアのカザフスタン共和国が国際化を目指して、
    カザフ語のロシア(キリル)文字による表記を止めて、ローマ字に変更する
    ことを決定した。 若者は既に携帯電話のメールをローマ字で送るなど、かなり
    以前からロシア文字離れが加速していた。 2006年に『ローマ字は今日、
    情報通信分野を席巻している』と述べていたヌルスルタン・ナザルバエフ大統領は
    2018年4月、国営紙に論文を発表し、この中で、文字表記変更の具体的な
    スケジュールを提示した上で、2025年にはローマ字に完全移行すると宣言した。

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    カザフスタンでは、カザフ語が国家語、ロシア語は公用語とされているが、多くの
    外国人観光客にとっては、キリル文字は読むことすら難しい。 カザフスタンは
    元々、イスラム教徒が多数派を占めており、旧ソ連からの独立直後は、アラビア
    文字へ変更する運動も行われたが、最終的には定着しなかった。

    カザフスタン国内には、100以上の民族が共存しており、カザフ語とロシア語の
    他にも、先住民族であるウズベク語、タジク語、ウイグル語が教育言語として
    認められている。 旧ソ連邦から独立した1990年代には、カザフ語を強化拡大する
    政策に重点が置かれた。 カザフスタンでは、1997年に『言語法』が定められ、
    高等教育まで一貫して受けられるのは、カザフ語とロシア語だけとなっているため、
    カザフ人とロシア人以外の少数民族は、カザフ語かロシア語でのバイリンガル教育に
    力を入れている。

    現在、カザフスタンでは、ロシア系住民が約2割を占めているが、この先、正式に
    ローマ字を使うことになるため、ロシア系住民の国外脱出の機運が更に高まると
    考えられている。 旧ソ連邦からの独立時、カザフスタンでは、約6割超がロシア系
    住民で占められており、カザフ人は、むしろ、少数派であった。 但し、独立後は、
    カザフ人中心の政策に切り替えられたため、多くのロシア人やウクライナ人たちは、
    カザフスタンから去って行った。

    【カザフ語とロシア語】
    現在、カザフスタンでは、カザフ語とロシア語の2つの言語が公用語となっている
    ものの、政府やビジネスの場面ではロシア語が使用される場面が多い。 しかし、
    カザフ語に対する敬意が高まる中で、近年ではカザフ語がロシア語より使用される
    ようになって来ている。 カザフスタン国内には、117もの異なる言語が共存して
    おり、その中でもロシア語がお互いの意思疎通を図るための共通言語として、最も
    主要な言語となっている。 2009年の調査では、人口の約85%がロシア語を完璧に
    使いこなせると答えたのに対し、カザフ語は人口の約62%に留まるという結果と
    なった。

    カザフ語は、カカザフスタンを中心に、中国新産ウイグル自治区、ロシア、モンゴル
    西部、中央アジア諸国などで使われるチュルク系の言語である。 チュルク諸語の
    中では、キプチヤク語群や北西語群などと分類され、クルグズ語やカラカルパク語、
    バシュコルト語などとよく似た特徴を持っている、 カザフ語は、他のチュルク
    諸語と同様に、人称や時制などを示す要素が名詞や動詞の後に付く膠着語である
    ことや、語順が主語+目的語+述語であること、母音調和や格助詞が存在するため、
    日本語との共通点が多く、日本語使用者にとつては、習得しやすい言語であると
    言える。

    カザフスタンには、1,000万人を超えるカザフ語話者がおり、カザフスタン国外では
    500万人以上のカザフ語話者が居る。 ソ連時代末期の1989年に、カザフ語が国家語
    となることが法的に定められ、独立後のカザフスタンにおける国家語として制定
    された。 カザフスタンでは、帝政ロシア時代やソ連時代を通じて、ロシア語が
    中心的言語として使われて来たが、独立後の現在でも、カザフスタンは、
    ウズベキスタンやトゥルクメニスタンなど、他の中央アジア諸国と比べて、
    ロシア語の使用頻度が非常に高い。 これは、カザフスタンにおけるロシア人の
    比率の高さにも寄るところがあるが、ロシア語は、ロシア人のみならず、この国に
    住むウクライナ人、タタール人、ドイツ人、朝鮮人他、非ロシア人らによっても
    日常的に使われる実質的な共通語となっている。

    カザフスタンでは、人口の約3分の1が非力ザフ人であるため、ロシア語が住民
    同士の重要なコミュニケーションの手段となっている。 都市部では、カザフ語
    よりもロシア語が流暢なカザフ人も少なくなく、カザフ人同士がロシア語で会話を
    する場面も珍しいことではない。 同じカザフ人であっても、カザフ語を母語と
    する者(あるいは、カザフ語を日常会話で使用する者)とロシア語を母語とする者
    との間には、メンタリティ上の違いがあると指摘されることもある。 また、
    自然科学を中心に、カザフスタンにおける科学・学術分野の発展にロシア語が
    大きく寄与し、諸外国の文化はロシア語を通じて紹介されることが多い。

    ロシア帝政期カザフの文学は、主にロシア語で書かれており、カザフ文学に
    おいても、ロシア語の存在は小さくない。 カザフ語は、1993年の最初の憲法で
    国家語と規定され、ロシア語は、1995年の憲法で、国家組織や行政機関において、
    『公式にカザフ語と同等に使用される言語』と定められている。 尚、カザフ
    スタン大統領の条件のひとつに国家語、すなわち、カザフ語に堪能である
    ことがある。 現在のカザフスタンでは、ロシア語の知識があれば、カザフ語を
    知らなくても、普通に日常生活をおくることが可能となっている。

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    【表記文字の歴史】
    1930年代、カザフスタンでは、チュルク系のルーン文字からラテン文字へ、
    ラテン文字からキリル文字へと、2度文字が変更された。 カザフ人は独自の文字を
    持たない遊牧民族であり、カザフ語はチュルク系言語に属しているが、イスラム
    文化の流入と共に、アラビア文字で表記されるようになった。 その後、1917年の
    ロシア革命後には、ソヴィエト政権により、ローマ字の使用が奨励された。
    しかし、1938年から1940年の間に、ソヴィエト政権によるロシア文化推進の一環
    として、カザフ語はキリル文字で全て表記することが決定された。 キリル文字に
    転換された結果、カザフスタン国内のカザフ人と国外のカザフ人とが文字の上で
    分断された。

    キリル文字は全部で42文字あり、この中には、カザフ語では発音しない文字も
    含まれているが、今後、新たに導入されるローマ字では、全26文字に加えて、
    カザフ語をより正確に表現するために、アポストロフィとローマ字の組み合わせ
    による9文字が追加される予定となっている。 この文字の変更は、デジタル
    時代に備えるためには必須とも言われており、現在のカザフ語の表記方法では、
    PCのキーボードの数字部分まで使用しなければ文字が足りないが、キリル文字
    からローマ字に移行すると、この問題が解決すると言われている。 また、2000年
    から始まった急速な経済成長に伴い、西洋諸国とのコミュニケーションの必要性が
    高まり、英語を学んでアルファベットを受け入れることが求められるようになった
    という経済的な背景がある。

    ソ連邦崩壊後、近隣国であるウズベキスタンとトルクメニスタンでは、直ちに
    キリル文字からローマ字へと表記方法が変更されたが、カザフスタンはこれらの
    国々とは異なり、1991年の独立以来、政治的な繋がりが強いロシアとの関係を
    最重視して来た。 しかし、その一方で、ナザルバエフ大統領は、ロシア、
    ヨーロッパ諸国や中国との関係を視野に入れつつ、長期に渡る国の近代化を推し
    進める『カザフ化』によって、カザフ語やカザフスタンの伝統文化を強化し、
    国民のアイデンティティを取り戻すための計画を複数実施している。 カザフ
    スタンは、ソ連邦が崩壊した後も、ロシアの強大な影響下にあるが、表記文字を
    変更することにより、石油の輸出のみに頼り切った国内経済から、ソ連邦時代の
    暗い過去を捨て去り、より強力な経済力を持つ国へと成長するための施策的な
    政策として、文字の変更を行う計画となっている。

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    【政治的な影響力】
    カザフスタンは、これまでも、ロシアの文化や政治的な影響力からは一定の距離を
    保って来たが、まず、教育現場や政府内で使用される言語が、ロシア語から
    カザフ語へと変更され、外国語教育の現場では、ロシア語と英語が同等の地位
    として扱われるようになった。 カザフ語の映画やテレビ番組が多く制作され、
    自国の文化がより多く取り上げられて来た。

    カザフスタンは、未だ中央アジアに多大な影響を及ぼしているロシアとは徐々では
    あるが、距離を置いているが、近隣諸国と比較して、これまでロシアに配慮した
    政策を採って来たカザフスタンが、何故、今になって表記方法を変更するのか、
    その理由の裏には、近年のロシアの動きを指摘する声もある。 ロシアは近年対外
    関係において、ウクライナやジョージア、シリアへの介入など、積極的に他国に
    干渉する動きを見せている。 このロシアの国際的な動向に対し、カザフスタンを
    含む旧ソ連下にあった中央アジア諸国は、ロシアの影響が再び強まるのではないか
    と懸念しており、今回の表記変更の裏にもこのような懸念が関係しているのでは
    ないかとも言われている。

    カザフ語の表記方法が変わること自体には、国内から概ね支持が得られている
    ようだが、この変更によって困る人たちも当然存在する。 カザフスタン国内には、
    ロシア系の人々が多数住んでおり、国内ではカザフ系の人々に次いで2番目に大きな
    割合を占めるが、ロシア系住民たちは、カザフ語の表記変更に対して、反対の声を
    上げている。 ウズベキスタンやトルクメニスタン等では、カザフスタンより先に
    自国の言語をローマ字表記に変更したが、国内には同様にロシア系住民を多く
    抱えている。 カザフスタンは、この2ヶ国とは比較にならないぐらいの多くの
    ロシア系住民が住んいるため、今後のカザフスタンの動向が注目される。

    カザフ政府筋は『カザフ語のローマ字化後もロシア語は残る』と反論しており、
    『中高年がローマ字に慣れるのは難しいかも知れない』としている。 文字の
    変更後は、自分の名前すらどう表記すれば良いのか分からなくなってしまう
    といった声や、これまで、ロシア語で書かれて来た過去の文書が廃れて行って
    しまうのではないかという懸念の声もある。

    これに対し、ナザルバエフ大統領は、ローマ字表記に変わるのはカザフ語であり、
    カザフスタンからキリル文字やロシア語が消える訳ではない。 色々な不安の
    声もあるが、自分たちはロシア語で世界の文化について学び、その記憶は消える
    ことはなく、また、近隣国とは常に協力して行くつもりであると述べ、不安の
    声を鎮めようとしているが、今後の先行きは、全く不透明となっている。

    Nazarbayev

    【ローマ字表記による弊害】
    ローマ字でカザフ語の発音表記を行う場合、様々な問題が考えられるが、この
    問題に対して、ナザルバエフ大統領は、ローマ字に組み合わせてアポストロフィを
    多用することで解決しようとしている。 しかし、これに対しては、言語学者等が、
    アポストロフィを多用すると、ややこしくて読み辛くなると指摘している。
    また、アポストロフィを多用すると、ウェブ上で検索出来なくなり、SNS上で
    ハッシュタグが使えなくなるといった問題が生じる。

    アポストロフィには、このような問題点があげられるため、アポストロフィを多用
    する代わりに、トルコ語を真似た表記方法にすれば良いのではないかという言語
    学者もおり、実際に2017年8月に言語学者たちから、トルコ語をモデルとした
    発音記号の作成が提案された。 しかし、ナザルバエフ大統領は、この提案を採用
    しなかった。 ソヴィエト政権からの独立以来、26年間以上も大統領であり続ける
    ナザルバエフが考える政策には、誰も異論を唱えられる状況になく、
    アポストロフィの多用が今後推し進められであろう。 但し、ナザルバエフ
    大統領自身も、自分の考えが固まっていないらしく、カザフ語を表記するために
    アポストロフィを多用するか否かは、まだ最終的な決定に至っていないと近しい
    人物に述べており 、今度、アポストロフィ以外のローマ字を補助する形での表記
    方法が検討されて行く可能性は十分あり得る。

    尚、これまでにロシア文字を捨てて、ローマ字へ移行した国には、ルーマニア、
    モルドバがあり、現在、セルビアがローマ字へ移行中となっているが、今後、
    カザフスタンがどの様な道を模索するのかは、全くの未知数となっている。

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    リトアニアの首都ヴィリニュスは、ヨーロッパ風の建物が多く、ロシアとは
    若干雰囲気が異なる。 ヴィリニュスでは基本的に、ロシア語は全世代を通して
    通じるのの、若者や地方に行くと、ロシア語は余り通じず、英語の方が通じるため、
    リトアニアでは、ロシア語と英語とちゃんぽんで会話をした。

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    リトアニアは、非常に治安が良いため、夜一人で出歩いても、全く問題なし。
    首都と言っても、人口56万程度のこじんまりとした街であるため、中心街は
    全て歩いて見て周ることが出来る。 宿泊した場所が、旧市街の中であったため、
    主な観光地は、ものの数十分程度で大体見て回ることが出来た。 尚、リトアニア
    では、午後8時以降のアルコールの販売は禁止されており、特に、日曜日は、
    午後3時以降はアルコールの販売が禁止されているため、要注意。

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    ヨーロッパ周遊型のWiFiを借りた筈が、どこの国も電波の入りが悪く、実際は、
    殆んど使えず。 電波がまともに入ったのは、このリトアニアだけであったが、
    それでも、電波が非常に弱いため、電波が頻繁に入ったり切れたりした。
    しかも、道に迷っている最中に電波が入らなくなったため、予想外に時間が
    掛かる朝の散歩となった。

    【お勧めの一冊】



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    モスクワから1時間半のフライトで、ベラルーシの首都ミンスクに到着。
    このミンスク第2空港は、中国の資本で建設されたとかで、あちこちに漢字
    表記があるため、日本人には非常に便利。 空港到着後は、ベラルーシの
    厳しい入国審査があるのかと思いきや、一切何もなく、そのまま外に出て
    しまったため、拍子抜けした。 夜中の11時半にミンスクに到着したため、
    タクシーが一切捕まらず、色々と交渉した結果、恐らく、ミンスク市が
    運営している予約制のタクシーを1時間後にようやく予約出来たため、
    夜中の1時過ぎに本日のお宿である健康センターへとたどり着いた。

    【ミンスク】
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    空港から宿までの道には、街灯がひとつもなく、正に漆黒の闇の中を林の
    中へとずんずん突き進んだ場所にこの健康センターがあるのだが、一夜明けて、
    朝になると、素敵な森の中にある施設である事が判明。 日本円にして1,200円
    程度でスウィートルームを予約したため、朝から気分は大金持ちのおぜう様w
    健康センターだけあって、マイナスイオンたっぷりの朝の散歩が気持ち良い。
    敷地内には、サウナやらレストランやら、色々な施設があった。

    ミンスク市内は、ロシア語とベラルーシ語のちゃんぽん表記が多く、周囲は
    皆ロシア語だけで話しているのに、地下鉄の放送は、ベラルーシ語と英語のみ。
    元々、ベラルーシ語は「死語」と呼ばれる程すたれた言語だったが、近年になって、
    徐々に復活をしている模様。 旧ソ連邦の国々では、ロシア語のみが公用語で
    あったため、ベラルーシ語やウクライナ語が激しく規制されていた時代もあった
    影響で、各民族語がすたれたのだが、ソ連から独立の後は、各民族語の復活に
    力を入れている国々もあるものの、ウクライナのように、余りにも強引な
    やり方をして、ロシア語話者の人権を無視している国もあるため、ベラルーシ語の
    復活にも、慎重な体制で臨んで欲しいところ。

    【ミンスク】
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    基本的に、ベラルーシ語はロシア語に非常に似ているため、特にロシア語の
    アナウンスをしなくとも理解出来るのだが、周囲で喋っている言語と、公共
    放送とのズレがあるのには違和感を感じた。 大阪で標準語の放送等、この逆
    パターンは、幾らでもあると思うのだが、道路表記は、話し言葉が追いついて
    来てから変更した方が良いと思った。

    ミンスク駅構内のキオスクでは、溢れるばかりの商品が並べられていた。
    一部の旅行雑誌には、「ベラルーシは、旧ソ連邦の中でも最もソ連時代の面影を
    残している国」との記載があったため、どれほど古めかしい国なのかと思いきや、
    こんな程度のレーニンやらモニュメント的な遺物は、ロシアこくないにもまだまだ
    残っているため、ロシアとベラルーシの決定的な違いは見出せなかった。
    ベラルーシでは、チェルノブイリ原発事故の影響で、国内を旅行するという
    習慣がないそうなのだが、その現実を後で何気ない場所で見る事となった。

    【ミンスク】
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    ミンスク駅前には、重々しい重厚な雰囲気の建造物があり、社会主義建設の
    象徴となっている。 この日は、このまま夜にこの駅からビリニュスへ向けて
    旅立つため、まずは、駅の下見から。 行き先とホームの番号が記載されている
    ものの、ビリニュス行きの電車は、1番線の最先端部分にある21番線からの出発と
    なっており、非常に分かり辛い。 ミンスク空港から入国し、5日間のビザなし
    訪問でベラルーシへやって来た人達の場合は、鉄道での国境越えは絶対に出来ず、
    今回は、わざわざベラルーシのビザを取得して来ているため、この超難ルート
    での国境越えに挑みます。 ミンスク空港からのビザなし訪問でベラルーシへ
    入国した場合は、絶対にミンスク空港から以外は出国出来ないため、ご注意
    くだされ(出発前にベラルーシ大使館に確認済み)
    。 

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    ノボシビルスク郊外には、世界最大規模の学術研究都市アカデムゴロドクが
    ある。 ノボシビルスク市中心部からアカデムゴロドクへの行き方は、大きく
    2通りあるのだが、どちらの行き方も、「行き先」なる便利なものは記載されて
    いないため、運転手か周りの人達にロシア語で行き先を尋ねるしかない。

    第1の方法は、ノボシビルスク中央駅から8番の路線バスに乗って、終点まで
    行く方法。 第2の方法は、地下鉄のレチノイ・ヴォグザール駅から35番の
    乗り合いタクシー『マルシルートカ』に乗って終点まで行く方法。 どちらも
    終点の停留所は同じで、このバス停がノボシビルスク国立大学への最寄のバス停。
    今回は、35番の乗り合いタクシーで行った(この方法が最も一般的)ため、
    地下鉄レチノイ・ヴォグザール駅で乗り換えをした。 料金は、地下鉄が
    どこまで乗っても20ルーブル(約40円)と乗り合いタクシーが途中の
    セーヤチェリまでが40ルーブル(約80円)、終点のツヴェトノイ・リャート
    までが45ルーブル(約90)であった。

    【アカデムゴロドクへの行き方
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    ロシアの地下鉄は、ソ連時代までは、25コカペイカコインをそのまま自動改札口に
    入れるタイプだったのだが、その後のハイパーインフレの時代を経て、トークン
    (ロシア語ではジェトンと言う)を使用するようになった。 これは、中国も
    同じで、モスクワの地下鉄では、カード式になったが、以前は、モスクワでも
    このトークンを使用してハイパーインフレに対応していた。

    レチノイ・ヴォグザール駅での乗り換えは意外と複雑で、反対方向の出口に出て
    しまったため、バス乗り場まで3回ほど通りを歩いている人達にバス乗り場を尋ねた
    のだが、皆嫌な顔ひとつせずに、親切に道を教えてくれた。 25年前は、
    このルートを毎週通っていたものの、何せ25年ぶりなので、懐かしいを通し越して、
    何も思い出せない状態であったw

    地下鉄レチノイ・ヴォグザール駅から、乗り合いタクシーで約1時間ほどで、
    アカデムゴロドクのツヴェトノイ・リャートに到着。 そこから、白樺林を
    10分ほど歩くと、ロシア国立ノボシビルスク大学の校舎が見えて来ます。
    私が学んでいた時代は、新校舎はまだなく、旧校舎のみでしたが、すぐ隣りに
    大規模な新校舎が建設されており、度肝を抜かれました。 尚、ノボシビルスク
    大学のレベルは、ロシア国内では、モスクワ大学に次いで第2位、サンクト・
    ペテルブルグ大学よりもレベルが上とされているため、私の学歴は、あの
    プーチン氏を上回っていることになりますw 尚、ノボシビルスク大学には
    人文学部があり、ここに日本語専門コースもあるため、極々稀に日本語で話し
    掛けられる事もあります。

    【国立ノボシビルスク大学
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    ノボシビルスク大学は、理工系が強い理系の大学であるため、現在は、日本の
    東北大学の姉妹校となっている。 世界で初めての学術研究都市となっており、
    日本の筑波の見本となったアカデムゴロドクは、その名の通り、ロシアの頭脳と
    呼ばれており、様々な研究機関が集まった、世界最高峰の研究都市となっている。

    アカデムゴロドクで唯一のメインストリートにあるショッピングセンター
    (ロシア語ではテー・ツェーと言う)。 25年前は、本当に何も物が売って
    いなかったのだが、今では、商品であふれかえっていた。 ノボシビルスクは、
    ロシアの中でも、最も外国から遠い場所にあるため、国内で物を生産せずに、
    ほぼ全てを中国からの輸入に頼っているロシアでは、外国から遠い事は、
    当然ながら、物不足を意味していた。

    2000年過ぎ頃までは、ロシア・ルーブルは、完全に国外には持ち出し禁止の
    時代で、ルーブルが国外に自由に持ち出せるようになったのは、2000年以降
    となっている。 それ以前は、ロシア出国時に税関で財布を開けさせられて、
    残ったルーブルは全て没収、その後、コインだけは見逃されるようになった。

    【アカデムゴロドク
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    ノボシビルスクでは、よくミルクカクテルなる飲み物を飲むのだが、道端に
    あった美人のおねえさん(後姿だけで残念w)が働いているお店で、
    ミルクカクテル(しかもカップが巨大)を作ってもらった。 その後、
    そのおねえさんに食堂がある場所を教えてもらい、午前9時(日本時間午後12時)
    にちょっと遅めの朝食を取る事にした。

    ロシアで主に食べられているのは、じゃがいものピュレー、ソーセージ、
    ブリヌィ等で、この日は、ボルシチが品切れだっため、キャベツスープを
    頂いた。 アカデムゴロドクは、その昔、ノボシビルスクとは別都市とされて
    いたのだが、今では、ノボシビルスク市内のソヴィエツキー地区に分類されて
    いる模様。

    学術研究都市のアカデムゴロドクにあるのは、大学と研究機関のみであるため、
    ここを訪れる外国人はまずいない。 ノボシビルスク大学は、学生以外は一切
    中には入れないのだが、係員と交渉して、強引にトイレだけ借りて、校内へと
    入ってやったw

    アカデムゴロドクの始発停留所であるツヴェトノイ・リャートから1時間掛けて、
    ノボシビルスクへと戻らなければならないのだが、「行き先」は書いておらず、
    「35」としか書いていないため、ロシア語を喋れないと、ほぼ確実にアカデムには
    行けない事となるw

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    世界一難しいとも言われている、超難解なロシア語の文法を簡単に解説します♪

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    その①【地名編】

    ロシア語には、男性名詞、女性名詞、中性名詞がありますが、英語やドイツ語の
    ゲルマン語では、地名は、基本的に、『中性名詞』となるため、その後に続く、
    指示代名詞は、中性名詞の『それ』を使えば、概ね間違っていません。

    但し、ロシア語の地名には、基本的に、中性名詞はないため、この時点で、
    地名には、男性名詞、あるいは、女性名詞しかないことが分かります。 よって、
    それ以後の指示代名詞は、『彼』か『彼女』しかありません。

    ロシア語の名詞の性は、子音で終わっていれば、男性名詞、a、または、yaで
    終わっていれば、女性名詞、o、または、eで終わっていれば、中性名詞になります。
    よって、a、または、yaで終わっている日本語の横浜、名古屋、大阪、福岡等は、
    全て『女性名詞』となります。

    更に、ロシア語の場合は、地名や固有名詞、数詞も全て情け容赦なく12通りに
    格変化するため、格変化した後だと、全く聞き取れなくなります。 特に、前置詞と
    名詞は、全て続けて発音をするため、例えば、『イゾーサキ』と聞こえたロシア語の
    地名は、どう通訳すべきなのかと言うと、『大阪から来ました』です。

    さて、o、または、eで終わっていれば、『中性名詞』と述べましたが、先に述べた
    通り、ロシア語の地名には、中性名詞はありませんので、この時点で、男性名詞
    決定となります。 よって、o、または、eで終わっている、東京、神戸、長野、
    トロント等は、全て男性名詞となるため、それ以降の指示代名詞は、全て『彼』と
    なり、名詞の前に付く、形容詞は、全て男性形となります。

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    プロのロシア語通訳者が伝授する、サバイバル・ロシア語会話。 ロシアで
    生活する上で、これだけは言いたいが、辞書にもなかなか載っていないし。。。
    こんな時にご活用下され (^-^)

    サバイバル・ロシア語会話 第一課

    【レンタルする】 взять / брать что на прокат

    例①: Я взял(a) автомобиль на прокат. 私はレンタカーを借りました。
    例②: Я взял(a) DVD на прокат. 私はDVDをレンタルしました。

    尚、ロシア語では、ローマ字を主にドイツ語読みするため、CDは
    『ツェーデー』と発音しますが、DVDは、ドイツ語読みせずに、英語読みで、
    『ヂー・ヴィ・ヂー』と発音します。 因みに、DVDは、ドイツ語では、
    『デー・ファオ・デー』と言います。

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    ロシア語の動詞は、常に、完了体と不完了体が対になっています。 взять /
    братьは、『取る』とか、『盗む』とか、『借りる』等の意味を持つ対格支配の
    動詞です。 よって、この動詞の後には、肯定文の場合は、100%対格が来ます。
    否定文の場合は、その状況に応じて、生格と対格となります。 взять / братьの
    後に、на прокатを付け足すと、『~をレンタルする』という意味になります。
    尚、綴りは、на прокатとнапрокатの2種類ありますが、どちらも間違いでは
    ありません。

    また、動詞のвзять / братьは、そのままだと、返却の義務があるのか全く分から
    ないため、返して欲しい場合には、必ず、動詞の後に、в долгを付けます。
    これを付けないと、盗んだのか、借りたのかが分かりません。 尚、動詞の
    完了体と不完了体の違いは、そのまま人称変化された場合は、以下のような
    意味の違いがあります。

    不完了体 現在→『借りている』 未来形→『借りるでしょう』 過去形→
    『借りていた』
    完了体  現在→なし 未来形→『借りる』 過去形→『借りた』

    不完了体は、『~していた』というように、主に、その時の『状態』を表し、
    完了体は、『借りた』等のように、ある地点から見た『事実』を表しています。

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    フランス語


    難易度★★☆☆☆

    【母語話者数 7,200万人 / 総話者数 2億2000万人】
    国連公用語でもあるフランス語は、ベルギー、カナダをはじめ、世界29カ国で
    公用語となっている言語。 イギリスとの長きに渡る対立の歴史により、
    フランス人は英語を余り話したがらないが、英語とは、単語的にも文法的にも
    類似点が非常に多いため、英語からはかなり入りやすい。 但し、発音が難しい
    ため、非常に取っ付きづらいイメージがあるが、綴りは、英語より規則が多い
    ため、最初は面食らうものの、基本的に書いてある通りに発音するため、
    慣れれば、むしろ英語よりも簡単。 男性名詞と女性名詞の区別がある。

    ドイツ語


    難易度★★★☆☆

    【母語話者数 1億3,000万人】
    英語と同じ西ゲルマン語に属している言語。 但し、英語やフランス語とは異なり、
    複雑な格変化や格支配を覚えなければならないため、日本で習える外国語の中では、
    比較的難しい部類に入る。 英語と似ているため、ドイツ語を学ぶと、英語学習の
    効率が飛躍的に向上します。 恐らく、世界で最も合理的な言語であるため、
    不規則変化はあっても、例外はひとつたりともないという、ドイツ国民をそのまま
    言語にしたような言葉。 よって、発音、文法全てにおいて、説明可能な分かり
    やすい言語となっている。 男性名詞、中性名詞、女性名詞の区別がある。
     
    ロシア語


    難易度★★★★★★
     
    【母語話者数 1億8000万人 / 総話者数 2億7,000万人】
    国連公用語のひとつとなっているロシア語は、世界でも難解な言語のひとつ。
    あり得ないぐらいの格変化、格支配、多数の例外変化、動詞の体、名詞の性、非常に
    難しい発音と、どれを取っても、簡単な要素がひとつたりともない。 音素的には、
    フランス語の二倍程度の音域を使用しているため、聞き取りも非常に難しい。

    旧ソ連邦諸国全てで通じる言語であるため、中央アジアに行く際には、必須の言語と
    なっているが、日本で習える場所がかなり少ないため、希少言語となっており、
    日本でロシア語をまともに喋れる人材自体が、非常に稀となっている。 男性名詞、
    中性名詞、女性名詞の区別がある。

    タイ語


    難易度★★★☆☆

    【母語話者数 4,600万人】
    欧州言語とは異なり、冠詞等が無く、文法が非常に単純であるため、非常に
    とっつきやすい一方で、声調、発音に苦労させられるため、独学では、ほぼ
    不可能と言われる言語。 中国語を知っていると、声調が似ているため、多少
    学びやすいかも知れない。 経済発展著しい東南アジアの新興国であるため、
    日系企業の工場が多く、その割には、タイ語を話せる人材が少ないため、今後も
    需要も見込まれている。 

    スウェーデン語


    難易度★★☆☆☆

    【母語話者数930万人】
    北ゲルマン語に属している北欧の言語(デンマーク語、ノルウェー語、アイスランド
    語)は、フィンランド語を除いて、全て非常に似ており、ドイツ語や英語との
    共通点も多い。 スウェーデンの他、フィンランドでも公用語となっている。
    ノルウェー語だけは、名詞の性が3つ残ってるため、若干難しいが、文法的には、
    北欧全言語ほぼ共通となっている。

    強弱高低アクセントであるため、スウェーデン語は、北欧語の中でも、かなり
    特徴的なイントネーションとなっている。  概ね、英語とドイツ語の中間言語と
    考えて間違いない。 両性名詞、中性名詞の区別がある。

    オランダ語


    難易度★★☆☆☆

    【母語話者数2100万人】
    オランダの他にも、アルバ、ベルギー、オランダ、オランダ領アンティル、
    スリナムで公用語となっている言語で、いわゆる、標準語がない。 日本で最も
    古くから使われている外国語のひとつだが、現在の人気は今一つで、東京都内でも、
    オランダ語を学べる場所は、極めて少ない。 日本が長らく鎖国をしていた時代に、
    唯一使われていた言語であるにも関わらず、これ程人気がない言語も珍しい。

    英語とドイツ語の完全中間言語となっており、必ず、どちらかに似ているため、
    英語とドイツ語を理解していると、概ね理解出来る言語。 英語、ドイツ語と
    同じく、西ゲルマン語に属しており、オランダ語を学ぶと、ドイツ語が、どの
    ような過程を踏んで英語へと変化したかが分かる。 通性名詞、中性名詞の
    区別がある。

    トルコ語 

     
    難易度★★☆☆☆
     
    【母語話者数 6000万人】
     
    VISTAの一角を担い、経済発展著しいトルコ語は、日本語にも文法上での共通点が
    多く、日本人には非常に学びやすい言語のひとつ。 母音調和の概念などが共通
    である中央アジアのカザフ語やウズベク語、ウイグル語などは、チュルク諸語と
    呼ばれ、トルコ語の方言とみなされることもある。 トルコ国内の人口増加は
    著しく、最近になって日系企業も多く進出しはじめたため、ビジネスでの需要が
    今後拡大して行くかも知れない。 

    タガログ語



    難易度★★☆☆☆

    【母語話者数2,500万人】
    フィリピンには、およそ、170の言語が存在すると言われており、経済の中心で
    ある首都マニラ付近で使われいるのが、タガログ語。 フィリピン語とも呼ばれて
    いる。 フィリピンでは、かなり英語が通じるが、訛りがキツく、理解しづらい。
    英語とタガログ語は、語順が非常に似ており、タガログ語話者には、英語は非常に
    とっつきやすいため、アジアの中でも英語が喋れる人の割合が、非常に高くなって
    いる。 インドネシア語やマレー語とは、文法的には異なるものの、共通語彙が
    多い。 日本では、司法通訳の需要が高い。 

    インドネシア語


    難易度★☆☆☆☆

    【母語話者数2,300万人】
    インドネシア語は、母音が少なく、時制までないため、日本人にとっては、非常に
    学習しやすい言語と言われている。 一説によると、世界で最も簡単な言事も
    言われている。 日本企業の進出が盛んな地域であるため、今後のビジネス需要が
    期待されている。 インドネシアでは、元々、ジャワ語が広く使われていたが、
    マレー語を基に、人工的に造られたのが、インドネシア語。 よって、マレー語
    とは、ほぼ同一言語。

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    その昔、ロシア語とドイツ語を学び始めた切っ掛けは、実はユーゴスラビアと
    ポーランドとハンガリーに興味があったからなのだが、その当時、サラエボ
    オリンピックと、その翌年には、ロサンゼルスオリンピックが控えていた。
    当時は、東西冷戦により、東西両陣営に分かれて、それぞれのオリンピックへの
    出場をボイコットをしたのだが、上記の東欧3ヶ国だけは、冷戦時代にだったの
    にも関わらず、どちらのオリンピックにも出場した。


     
    元々、旧ユーゴに非常に興味があったため、セルビア・クロアチア語を学びた
    かったのだが、残念ながら、当時の日本では、セルビア・クロアチア語を
    学べる場所はなかったため、一番似ているロシア語を選択したのだが、実は、
    ロシア語よりも、ドイツ語の方が旧ユーゴでは通じるという事に後で気付いたため、
    すぐにドイツ語にも手を出した。 この組み合わせは、両言語共に、文法構造が
    かなり複雑であるため、日本国内では、非常に珍しい組み合わせとなっており、
    その昔、大学院を受験した際に、この2言語で外国語を受験したが、ロシア語と
    ドイツ語で受験をした人は、我が校始まって以来と言われた。
     
    大学時代は、たまたま、学内に旧ユーゴの第一人者がいたため、そのゼミを迷わず
    選択し、卒業後は、東欧に最も近いという理由で、ドイツではなく、オーストリアに
    留学をした。 一番最初にモスクワに留学をした際に、クラス内にユーゴスラビア人
    (セルビア人)がいたのだが、ロシア人とは異なり、顔立ちがなかりヨーロッパ的に
    見えた。 当時の旧ユーゴは、東欧内では、唯一ビザが必要ない国であったため、
    非常に先進的な国に見えたものだが、他の東欧諸国と比較して、余りにも進み
    過ぎていたため、足並みが全く揃わず、結局は、民族浄化による各民族間の激しい
    対立にまで発展し、平和だった国が、一瞬で廃墟と化した。

    そんな時に、旧ユーゴで最も有名な歌手で、サラエボオリンピックでメインソングを
    歌った、ヤドランカ・ストヤコヴィッチが日本に住んでいるという情報を小耳に
    挟んだため、早速ライブに行って、声を掛けたところ、非常に仲良くして頂き
    ました。 そのヤドランカも、ボスニアでのライブの途中に、急に体調を崩して、
    そのまま、ボスニアに帰ってしまった。

    東欧好きが転じて、その昔、旧ユーゴスラビア大使館と、ウクライナ大使館へ強引に
    経歴書を送付して、面接に呼ばれた事があるのだが、旧ユーゴスラビア大使館は、
    今のセルビア大使館に当たる。 大学時代に、もっとお金があれば、本当は、
    コソボにも行きたかった。 ウィーンに留学をしていた際には、クラスの中に、
    セルビア人も、クロアチア人もコソボ人もいたが、当時は、それぞれの民族が
    激しく対立していたため、気軽には話し掛けられる雰囲気ではなかった。

    東欧には、セルビアやポーランドをはじめ、非常に親日的な国が多いが、その
    当事者である日本人が、その事実を全く知らないのは、恥ずかしい限り。

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    セルビア共和国
    Republic of Serbia

    1.面積
    77,474平方キロメートル(北海道とほぼ同じ)

    2.人口
    712万人(2011年国勢調査)

    3.首都
    ベオグラード(人口164万人)

    4.民族
    セルビア人(83%),ハンガリー人(4%)等(2011年国勢調査)

    5.言語
    セルビア語(公用語),ハンガリー語等

    6.宗教
    セルビア正教(セルビア人),カトリック(ハンガリー人)等

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    ブログネタ
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    ロシア語をはじめとする、スラブ語で『ドイツ人(男)』の事を『nemets
    (ニェーメツ)(nemetskijは男性名詞の単数形容詞長語尾形)』と言うのは、
    ポーランド人だったかチェコ人の祖先のスラブ人が、ドイツ人と初めて遭遇した
    際に、余りにも『寡黙』であったため、言葉が喋れない『おし』だと勘違いして、
    『nemoj(ニモーイ)』と呼んだのが始まり。

    よって、ロシア語では、この言葉は、差別用語になるため、公式には、『ドイツ』の
    形容詞を『germanskij(ゲルマンスキー)』と言わなければならないのだが、皆
    『nemetskij(ニメーツキー)』と言っています。 本当は、『germanets
    (ゲルマーニィエツ)』という単語もあるのだが、誰も使わない。 『ドイツ人
    (女)』の場合は、『nemka(ニェームカ)。

    但し、国名を言う場合は、上記の理由により、ロシア語の場合は、『Germaniya
    (ゲルマーニヤ)』と言います (^-^)b よって、ロシア語の場合は、国名と形容詞と
    人種名がドイツだけ、大幅にズレます。

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    ロシア語では、『ドイツ連邦共和国』の事を省略して『フェー・エル・ゲー』と
    言うのだが、最後の『ゲー』が『ゲルマーニヤ』の生格省略形。 ポーランドか
    チェコの場合は、国名も『ニェーミア』ですが、その意味は、『おしの国』w
     
    尚、日本の場合は、国名が『Yaponiya(イポーニヤ)』、人種名が『Yaponets
    (イポーニィェツ)(男)』と『Yaponka(イポーンカ)』ですが、この法則で
    中国人と韓国人もこうなるのかと思いきや、女性のところが、不規則変化になり、
    以下のようになります。

    【中国】
    『Kitaj(キターイ)』、『Kitaets(キターィェツ)(男)』『Kitayanka
    (キタヤーンカ)(女)』

    【韓国/朝鮮】
    『Koreya(カレーヤ)』、『Koreets(カレーィエツ)』、『Koreyanka
    (カレヤーンカ)(女)』。

    ロシア語って難しいですね (^-^)b

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