多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

世界80言語対応の『多言語翻訳GoWest』を運営しています。 お見積もりはお気軽に『お問い合わせ』からお願い致します (^-^)b 『我孫子ゲストハウス』の運営も行っております。



    ブログランキングに参加していますので、クリックをお願いします!
    I’m participating in blog ranking, please click the following buttons!
    Je participe au classement des blogs, veuillez cliquer sur les boutons suivants !
    Ich nehme am Blog-Ranking teil. Bitte klicken Sie die folgenden Schaltflächen!
    Я участвую в рейтинге блогов, пожалуйста, нажмите на следующие кнопки!
    にほんブログ村 外国語ブログへ
    にほんブログ村
    人気ブログランキング

    タグ:ロシア帝国

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    アレクセイの息子で、大胆にロシアの近代化を推し進めたのは、ピョートル1世
    である。 再婚した妻から生まれたので、父が亡くなった時は、4歳の幼児に
    過ぎなかった。 異母兄弟であるフョードルが跡を継いだが、その兄の治世は、
    6年しか続かなかった。 10歳のフョードルは、やはり異母兄弟のイワン5世と
    共に、共同統治者として帝位に就くが、政治の実権を握ったのは、摂政の地位に
    就いた1番上の姉であるソフィアだった。 ソフィアは、男勝りの野心家だった。

    evchar09

    ピョートルは、母と共にモスクワの東北の郊外にあるプレオブラジェンスコエ村
    に住み、外交上の葬式の時だけ、クレムリンに顔を出していた。 ピョートルが
    夢中になっていたのは、戦争ごっこである。 隣にセミョーノフスコエ村があり、
    ピョートルは、両村の少年達を誘って、『遊戯軍隊』を組織し、実戦さながらの
    訓練に明け暮れた。 プレオブラジェンスキー連隊とセミョーノフスキー連隊は、
    後に近衛隊として、ロシア帝国常備軍の中核となる。

    1689年にソフィアがクーデターを計画しているという急報を受けて、ピョートル
    親子は、モスクワから70キロ離れたトロツェ・セルギエフ修道院に避難した。
    その知らせは、誤報と判明すると、それを機会に、ソフィアは摂政の位を失い、
    ノボデビッチ女子修道院に幽閉された。

    プレオブラジェンスコエ村から市内に出る途中にドイツ村と呼ばれる外国人
    居留地があったが、ピョートルは、足繁くここを訪れ、ヨーロッパの進んだ
    技術に親しみ、側近の貴族達をドイツ村に住まわせた。 特に、スイス人
    レフォールトを重く用いて、旅行や遠征に伴い、1697年からの西欧諸国への
    大使節団の団長に任命した程である。

    300人の使節団の中には、ピョートル自身が加わっていた。 自分の目で先進国の
    文物に接すると共に、軍艦建造の技術等を習得したのである。 彼の外国滞在中に、
    モスクワでは、保守派のソフィアにそそのかれて、銃兵隊の反乱が発生した。
    ピョートルは、直ちに帰国し、1,000人を越す反乱参加者を処刑した。 赤の広場で
    首を切られたり絞首刑に処せられたした死骸が、5ヶ月も放置されたため、
    モスクワ中に悪臭が立ち込めた。 蜂起の首謀者は、特に、ノボデビッチ女子
    修道院の中のソフィアが閉じ込められた部屋の窓際に吊るされた。

    russia14

    それと同時に、ピョートルは、あらゆる面での改革に着手する。 ビザンチン
    様式だった暦をユリウス暦に改め、貴族には、ヒゲを切り落とさせ、西欧風の
    衣服を身に纏わさせた。 歴法を切り替えたばかりの1700年にスウェーデンと
    戦争を始めたのは、バルト海への出口を確保するためだった。 この戦争の過程で、
    ネバ川の河口にサンクト・ペテルブルグを建設した。 そこに遷都するのは、
    1712年~13年に掛けてである。

    もっとも、モスクワは、首都の資格を失った訳ではなく、ロシア帝国には、
    2つの首都があるとされた。 例えば、歴代の皇帝の戴冠式は、クレムリンの
    ウスペンスキー大聖堂で行われる習慣があった。 しかし、新都の出現によって、
    モスクワの性格が大きく変化した事は否めない。

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    ロシア帝国の歴史は、絶え間ない膨張の歴史であり、1600年から1900年までの
    間に、ロシアは、毎日130キロ平方メートルの速度で領土を広げた計算となる。
    東西に自然の障害物がないロシアは、いつの時代にも、繰り返しやって来る侵略に
    対して、全くの無防備の状態であった。 力を持つようになってから、ロシアが
    その国境を広げて行ったのは、ひとつには、攻撃を受けやすい自らの中核地帯を
    守るためであった。

    【ロシア拡大の歴史】
    Rus15001900

    イワン雷帝は、ボルガ河畔のカザンに侵攻して、タタール人を打ち破り、シベリア
    への道を開いた。 1581年には、コサックの指導者エルマークが毛皮の豊富な
    シベリア西部まで進んだ。 彼は、840人の兵士を推して先住部族を征服し、
    ロシアの領土を大きく押し広げた。

    ピョートル大帝は、海軍に関心を持ち、オランダとイギリスで造船の勉強をした後、
    ロシア艦隊を創設した。 スウェーデンとの北方戦争(1700~21年)で、彼は
    領土をバルト海にまで広げ、フィンランド南部のスウェーデン領や、現在
    リトアニアとラトビアになっている地域を獲得した。 これによって得た
    フィンランド南部の湿地帯に、大帝は新しい首都である、サンクト・ペテルブルグを
    建設した。 彼はまた、太平洋のカムチャッカ半島と千島列島も獲得した。

    18世紀終わりまでに、ロシアはシベリア、ウクライナ西部、リトアニア、
    ポーランド、タタール、クリミアを自国に組み込んで行った。 1809年には、
    フィンランドが加えられ、19世紀前半には、コーカサスの小国であった、グルジア、
    アゼルバイジャンや、中央アジアの広大な地域がロシア帝国の一部となった。

    1741年頃からは、ロシア人は、豊富な毛皮を求めて、海峡を超え、アラスカにまで
    進出するようになった。 1789年には、ロシアで軍務に就いていたイギリス人の
    ジョーゼフ・ビリングスが秘密の探検隊を率いて、アラスカ先住民とその沿岸部を
    調査した。

    【ナポレオンの時代のヨーロッパの国境線】
    img0

    1812年6月、ナポレオンは50万人の兵力を擁する軍隊を率いて、ロシアへと侵入し、
    9月にはモスクワに近いボロディノへと達した。 激しい戦闘の結果、ロシア軍隊の
    優秀な将軍、グルジア公ピョートル・バグラチオンをはじめ、多くの兵士が重症を
    負った。

    1812年9月にナポレオンは、一旦モスクワの占領に成功したが、自ら火を放つ作戦に
    より、モスクワを守る作戦に出たロシア軍により、冬の補給物資までもを猛火に
    よって焼き尽くされたため、10月には、冬将軍に押されて、撤退を余儀なくされた。
    ナポレオン軍は、寒さと飢えに苦しめられ、90%以上の兵士が逃亡の途中で倒れて
    行った。2年後、アレクサンドル1世率いるロシア軍は、誇らしげにパリに入城し、
    以降、ロシアは、ヨーロッパで大きな役割を果たすこととなる。

    クリミア戦争(1853~56年)では、ロシアは、イギリス、フランス、トルコと
    戦った。 指揮がまずく、補給も十分ではなかったロシア軍は、黒海沿岸の
    セバストーポリまでは1年にも渡る攻防の末に敗れたが、海軍はトルコ軍に勝利を
    収めた。 平和条約によって、クリミアは維持したが、黒海でのロシアの勢力は
    低下した。

    ロシア南部やウクライナでは、逃亡した農奴達がコサックになり、辺境地に入植地を
    作った。 最初のうちは、コサック達は、ロシアの権威に抵抗したが、19世紀には、
    彼らの入植地は、豊かな農村となり、コサック達は、皇帝に忠誠心を示した。

    コサックは、毛皮の長い帽子と羊の皮の外套という独特の制服を着て、刀と長い
    やりを持って戦った。 コサックの男達は皆、騎馬兵部隊で軍務に就くことが
    義務付けられ、忠誠心、勇敢さ、乗馬の巧みさで知られた。

    【お勧めの一冊】



    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

    このページのトップヘ