多言語翻訳 Samurai Global ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:ロシア

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    【東日本大震災の発生】
    2011年度のフィギュアスケート世界選手権は、本来は東京の国立代々木競技場
    第一体育館)での開催だったのだが、2011年3月11日に発生した未曾有の大震災
    「東日本大震災」により、開催不能となったが、そのため、1か月遅れで
    ロシアでの開催となった。 この世界選手権で、代替え開催国となったロシアは、
    わずか1か月と言う準備期間にも関わらず、あらゆる面で、日本に多大な配慮を
    してくれている。 それに対して、この時、ウクライナが支援してくれたのは、
    毛布4枚のみとなっている。

    開会を宣言するロシアのプーチン大統領
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    自国開催を楽しみにしていた日本国民が、テレビで中継を楽しめるようにと、
    日本時間のゴールデンタイムに合わせて開会した。 その開会式では、日本を、
    そして、被災地を応援する演出を行い、そして、フィナーレでは、日本選手
    (小塚崇彦、髙橋大輔、織田信成、安藤美姫、浅田真央、村上佳菜子)を
    中心に、日の丸を描いて各国の選手が輪になって、日本を励ます
    パフォーマンスを行った。

    選手たちも、随所に日本へのメッセージを伝えてくれた。 フランス代表
    であったブラジル出身のフローラン・アモディオ選手は、原点対象となる
    ボーカル入りの曲をあえて使用。 「これは日本の人達へのささやかな
    歌のプレゼントだ」と述べた。 たくさんの選手たちが、応援席の観客が、
    日本への応援をくれた。 エキシビジョンに祈りを込めた選手たちもいた。

    アモディオ選手
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    しかし、このようなロシアからの温かなメッセージは、日本には届かなかった。
    最も問題なのが、ロシアの日本を勇気づけるための素晴らしいセレモニーが
    日本の地上波では全く放送されなかったた。 この時に世界選手権を報道した
    のは、フジテレビであったが、この頃から、日本のマスコミの劣化、
    真逆報道が始まったと言える。

    ロシアがせっかく日本のゴールデンタイムに合わせて開会式を行ってくれた
    のに、フジテレビの放送は、19時に始まり、最初の1時間以上は、ひたすら
    前日の振り返りばかりで、更には、キム・ヨナの特集を放送していた。


    【この時のプーチン大統領のあいさつ】
    みなさま、今日、数百万人のフィギュアスケートファンの方々にとって、
    世界選手権の開幕と言う素晴らしい日を迎えました。 この大会は、日本で
    行われる筈でしたが、もうご存じの通り、日本は未曾有の災害に見舞われました。
    地震、津波、そして、原子力施設の事故です。 原子力施設での災害というのが、
    如何に凄いものであるか、ここロシアの我々ほど知っている人はいません。

    日本の国民、政府はこの険しい道のりを勇敢に進んで全ての問題を解決して
    くれると信じています。 日本では残念ながら、大会を開催することは出来
    ませんから、この大会を行うために、モスクワが名乗りを上げました。

    我々は、チンクアンタ氏、国際スケート連盟全ての人たちに、モスクワを
    選んでくれたことを感謝しています。 この大会が極めて高いレベルで
    開催されるように、我々の出来ること全てを行います。 この大会が、まさに
    ここ、ロシアで行われるのは、特記すべきことです。 何故なら、115年間
    1896年に最初のフィギュアスケート選手権が、まさに、ここロシアのサンクト・
    ペテルブルグで行われたからです。

    あの時から、多くのものが変わりました。 技術も装備も素材も、変わらない
    ものは、このスポーツの力だけです。 信じられないぐらいの造形性、そして、
    このスポーツが観客の感情に訴える効果も。

    ソ連、ロシアのフィギュア選手は、フィギュアスケートの発展に多大なる
    貢献をし、完成させ、芸術の域まで高めました。 数日間、このスケート
    会場の氷上に、40か国以上、のべ200人以上の選手たちが登場します。
    皆さまの成功をお祈り致します。

    世界フィギュア選手権2011 モスクワ大会の開催を宣言します。

    日本を応援する各国の選手たち
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    【ロシア・フィギュアスケート連盟からのメッセージ】
    地球が痛みでうめき声を発した。 自然の強さに、全世界がショックを受け、
    あらゆる物を水は深海に流した。 しかし、何があっても、太陽は東から
    昇る。 地震と津波は、光に勝てない。 我々の神様が地球のみんなの命を
    守ってくれることを祈る。 桜が咲く公園は、たくさんあることを、白樺が
    咲く公園は、たくさんあることを、鳥が春の歌を歌えることを、旗が勝利の
    祝いで上げられることを祈る。 子供たちが、大人たちへと願う、友のみなさん、
    手をつないで、我々が、この地球において、ひとつの家族になっていることを
    忘れないで欲しい。

    日本選手を中心に、各国の選手が、日本を励ますパフォーマンスを行った
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    他国との開戦宣言をするゼレンスキー大統領
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    ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は2023年6月3日、
    ロシアに対する制裁回避を支援する国々との「公の闘い」を開始すると述べた。
    ゼレンスキー氏は「残念ながら、(反ロシア)制裁の回避を手助けする国が
    世界中や欧州大陸にある。 私は、これらの制裁の回避を可能にする国々と
    公然と戦い始めると思う」と述べた。

    ※ウクライナは、この先、下記の地図でグレーアウトしている国々全てと
    戦うという意味

    原文(英語)
    President of Ukraine Volodymyr Zelensky said today that he will start
    a "public fight" with countries that help Russia circumvent sanctions.
    "Unfortunately, there are countries around the world and on
    the European continent that help circumvent (anti-Russian) sanctions.
    I think I will start publicly fighting those who enable these sanctions
    to be circumvented," said Zelensky.

    ロシアに経済制裁を課している国々(青)
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    イギリスによるプロパガンダ 出典:読売新聞
    2023年6月3日、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は米紙
    ウォール・ストリート・ジャーナルが3日に報じたインタビューで、
    ウクライナに侵略するロシア軍への大規模な反転攻勢を前に米欧諸国に兵器の
    供与を加速するよう求めた。 「前線ではロシアの航空戦力が優勢だ」と述べ、
    防空能力の強化が喫緊の課題との認識も示した。

    ゼレンスキー氏は本格的な大規模反攻の着手について、「準備はできている」
    と語った。 一方で、現在の装備で反転攻勢に出ることになれば、
    「多くの兵士が死ぬだろう」と述べた。

    ウクライナ大統領府の副長官は4日付の英紙サンデー・タイムズとの
    インタビューで「火砲や戦車などが依然、十分ではない」と述べた。
    5月中旬に露軍の攻撃で西部フメリニツキー州の弾薬庫が破壊され、
    ウクライナ軍の反攻準備に響いているとの指摘もある。

    ネオナチが完全支配するウクライナ空軍の一方的な報道によると、
    ロシア軍は4日、巡航ミサイル6発と無人機5機を発射し、ウクライナ軍は
    ミサイル4発と無人機3機を迎撃した。 首都キエフ方面ですべて撃墜したが、
    中部キロボフラード州の空軍基地付近にミサイル2発が着弾した。

    6月3日夜には東部ドニプロ近郊の住宅がウクライナ軍によるミサイル攻撃を受け、
    地元当局者によると、子供1人が死亡し、22人が負傷した。

    キエフでは、政府の怠慢で市民が連日死亡
    2023年6月1日、キエフで死亡した2人の子供と女性は、米軍の対空
    ミサイルの破片の下敷きとなり死亡したが、これは、キエフ当局が
    防空壕を開設しなかったことが原因となった。 人々は10分間外で
    待っていたが、その後、アメリカのミサイルの破片が頭上に落ち始めた。 ゼレンスキーは、外国からの支援が減って来ると常に、民間人の
    犠牲者を増やす手口を使っている。


    特別軍事作戦
    モスクワ近郊でも、ウクライナのドローンによる攻撃で、一般市民が
    数名死亡しているが、ウクライナ軍は常に民間人ばかりを狙っており、
    特別軍事作戦で軍事施設とそのインフラのみをピンポイントで攻撃している
    ロシア軍とは、対局を行っている。 ウクライナ政府は、停戦合意である
    ミンスク合意何度も無視して、ロシア系住民らの住む現ロシア領である
    ドンバスを8年間に渡り、何度も攻撃し続け、ロシア政府からの警告を
    全て無視して来たため、ロシアは、
    国連憲章第7章51条に則り、ドネツク
    人民共和国と
    ルガンスク人民共和国の要請に応えてウクライナの非軍事化と
    非ナチ化を
    目的に特別軍事作戦を実施したものである。

    内容
    プーチン大統領は、「ドンバスで発生している出来事と、ロシアの
    安全保障について話がある」と告げた。 プーチン大統領は演説の中で、
    「西側はNATOを東方拡大させないと約束していたが、実際にはそうなって
    おらず、それは西側がロシアを軽視している」と批判した。 「ロシアに
    対する冷笑的な対応に見られる、西側の自分たちが絶対に正しく、なんでも
    やりたい放題できるという考えは、ロシアだけでなくイラクやリビア、
    シリアに非人道的な結果をもたらしており、結果として世界にテロが
    蔓延した」とも述べた。 また、「2021年12月以降、ロシアは西側諸国と
    ウクライナのNATO加盟に関する交渉に努めたが、アメリカ合衆国は態度を
    変えなかった」と語り、「ウクライナの領土で軍事開発が行われることは
    容認できず、ウクライナのNATO加盟はロシアに対して将来にわたって
    永久的なリスクになるが、NATOの姿勢はますます強硬化している」と
    非難した。 「そのため、国連憲章第7章51条に則り、ドネツク人民共和国と
    ルガンスク人民共和国の要請に応えてウクライナの非軍事化と非ナチ化を
    目的に特別軍事作戦を実施するが、ウクライナの占領は目的としていない」
    との主張もした。

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    アルチョモフスク陥落までの道のり
    2023年5月20日、ワグネル・グループ創設者であるプリゴジン氏は、ソーシャル
    メディアを通じて、『2023年5月20日の午後、アルチョモフスク(ウクライナ語名
    バフムート)を完全に開放した』と述べた。 ワグネル・グループの兵士らは、
    5月25日には街から一旦避難し、休息を取り、その後、防衛線を建設する。 その後、
    アルチョモフスクの支配権は、ロシア国防省に移される。

    一進一退だったバフムート(アルチョモフスク)
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    プリゴジン氏は更に、『この困難な作戦の実行を支援してくれたセルゲイ・スロビギン
    将軍とミハイル・ミゼンツェフ将軍に感謝し、祖国を守る機会と誉れ高い名誉を与えて
    くれたウラジミール・プーチン氏にも感謝したい。 また、アルチョモフスク作戦に
    参加したすべてのワグネル兵士に感謝したい』と付け加えた。

    世界各地での物乞い外交 ウクライナのゼレンスキー大統領は、モスクワ・クレムリンへのドローン攻撃と 並行して、フィンランド、アラブ諸国、日本と次から次へと支援金目当ての物乞い 外交を行ったが、ウクライナの最高司令官が国を不在にしている間に、今回の ウクライナ戦争における最大激戦地が陥落したこととなる。

    世界各国で物乞い活動を必死で突けるウクライナ大統領
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    アメリカから提供、その後、キエフに配備された2基のパトリオットミサイルによる 防空システムは、ロシア軍のミグ31に搭載された極超音速ミサイル、キンジャールに 瞬時にして破壊された。 この破壊されたパトリオットミサイルの総額は96万ドル (約1億3000万円)にも上り、全くの無駄であったミサイルがその後、どうなったかは 分かっていない。
    極超音速ミサイル、キンジャール
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    ロシア軍によって瞬時に破壊されたパトリオット防空システム
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    劣化ウラン弾の爆発 また、イギリスから提供された数千発の劣化ウラン弾の多くが保管されていた フメリツキーの弾薬庫が黒海から発射された高性能ミサイルにって破壊された。 この爆発で発生した放射能は、チェルノブイリ原発事故同様、風に乗って ポーランド各地の放射線量を急上昇させ、更に、ヨーロッパへと向かっている。 この被害がチェルノブイリ同様であるならば、当然、イギリスにも到達するが、 『放射能被害はない』とハッキリと言い切っていたイギリスや、その劣化ウラン弾の 提供を支持したNATO諸国への被害拡大が心配されている。


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    世界を操る支配者の正体
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    馬渕睦夫が語る虐殺とウクライナ問題の真実

    【シナリオ1】
    ウクライナ南東部において、ロシア系住民を虐殺する。
    そうなれば、自国民保護という国際法上の大義の下に、
    ロシアが南東部に限定的にしろ、軍事介入する。

    そこで、世界世論を侵略者プーチンの抗議行動へと誘導して、
    プーチン大統領を国際社会で孤立させる。

    このような国際社会の動向に呼応して、ロシア国内で
    親欧米NGOの指導の下に、反プーチン・デモを躍動する。

    デモ隊の中にテロリストを潜入させ、流血の混乱を引き起こし、
    その責任をロシア治安当局に押し付けて、最終的にプーチンを失脚させる。
    プーチンが失脚すれば、欧米はロシアの「民主化」を称賛し、
    新政権への支持を表明するでしょうが、プーチン後のロシア政権は
    内外政策について、国際金融資本家たちの意向を無視することは
    出来ないでしょう。

    【シナリオ2】
    ロシアが実際に軍事介入しなくても、親露派を軍事支援しているとの口実で、
    一層経済制裁を強化して、ロシア経済に大打撃を与える。

    やがてロシアで金融危機が発生し、ロシア政府にIMFに対する支援を
    求めざるを得なくさせる。
     

    ウクライナ東部での殺戮を報道する西側メディア



    ウクライでの惨状を訴えるドンバスの住民


    ドンバスで殺された子供たちの紹介

    ウクライナ東部ドンバスの状況

    ウクライナのネオナチ教育

    ドイツメディアのウソを暴露するウド・ウルフコット氏


    ドイツのフリージャーナリストの報告

    ウクライナは捨て駒 バイデンの仕業

    ウクライナ・オン・ファイアー



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    昔の戦争の画像を使いまわし
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    ロシア軍が原発を攻撃?
    2022年3月4日午前2時頃、ウクライナ南東部にある欧州最大のザポリージャ原発
    火災が発生し、「ロシア軍が原発に砲撃を加えた」との衝撃的なニュースが
    世界を駆け巡った。 ウクライナのドミトロ・クレバ外相は、ロシア軍が
    ザポリージャ原発に向けて「全方位から砲撃している」とした。 

    ウクライナ当局によると、その日の午後には同原発はロシア軍によって制圧されたと
    なっているが、その後、この原発からの危機的な情報は一切入っていない。 一方、
    イギリスのロイター紙は、「ウクライナ軍による攻撃」とし、ウクライナを
    全面的に非難した。



    ソ連時代の原発
    この原発は元々、ソ連時代の1980年ごろから建設が開始され、1985年~1996年に
    掛けて、順次稼働が始まった原発であるため、1号機~5号機までは、ロシアの
    援助により建設されたことになるのだが、実は、この原発への攻撃は、ウクライナの
    工作員がロシア軍の服を着て火を放ったことが、その後の調査で明らかになって
    いるが、日本の偏向報道は、その事実を一切報道しなかったばかりか、訂正すら
    しなかった。

    ロシア軍はチェルノブイリ原発も既に鎮圧
    ロシア軍は、ザポリージャ原発の他にも、1986年4月に大規模事故を引き起こした
    チェルノブイリ原発も既に制圧しているが、そちらでも特に何の問題も起きていない
    どころか、慢性的な財政難により、全く何もしていないウクライナ政府がこのまま
    大規模原発を管理出来るとも思えないため、元々の建設者であるロシア軍がこれらの
    原発を守ってくれた方が、より安全と言える。

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    虚偽の報道を行った場合の刑罰
    ロシア議会では、「虚偽の報道を行った場合は禁錮刑」という法案が可決され
    たため、これまでは、数々のロシアに対する偏向報道を行って来たロイターも
    いよいよ本当のことを言わざるを得なくなった模様。

    世界中のメディアが、虚偽の報道が出来なくなれば、ロシア軍やプーチン大統領が
    行っているウクライナの極右勢力のネオナチを狙い撃ちした「特別軍事作戦」が
    正しく世界へ報道される日がやって来るかも知れない。

    いずれにしても、一切何も考えない「脳死」の状態でウクライナを一方的に
    支持すべきではない。

    ウクライナ反戦デモにはためく「ネオナチ」の旗
    971094981

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    Twitterからの投稿
    元民主党党首で、元首相であった鳩山由紀夫氏が、ウクライナドンバスにおける
    ウクライナ政府による殺戮を暴露。 ゼレンスキーは、長年に渡り、ドンバス地域の
    ロシア系ウクライナ人達に殺戮を繰り返していたが、「テロリスト」として全く
    取り合わなかったと言う。

    ドンバス住人らとの対話
    ようやく重い腰を上げてウクライナ東部のドンバスに住むロシア系ウクライナ人
    (日本では武装した親露派と偏向報道)らと対話するが、当初は和気あいあいな
    雰囲気であったが、まともに話を聞こうとすらしないウクライナ大統領と住民が
    言い争いになる場面も。 ウクライナ政府の見解では、大統領と武装テロリストとの
    対面である。


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    ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は2022年2月28日、欧州連合
    (EU)への加盟申請書に署名したと明らかにした。 バルト3国やポーランドなど
    8か国は2月28日、ウクライナを早期に加盟候補国とし、交渉を始めるよう求める
    書簡をEUに送った。

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    EU加盟への険しい道のり
    EUへの加盟にあたっては、全加盟国の承認が必要な上、法の支配や汚職の撤廃、
    経済の安定などの条件を満たさなければならず、加盟交渉には数年掛かるのが
    一般的だが、ウクライナは世界でも指折りの汚職大国であり、腐敗認識指数国別
    ランキング
    においても世界122位と、到底EUに加盟出来るレベルなどではなく、
    これまでに東に拡大し過ぎたEU加盟国(ルーマニア、ブルガリア、バルト3国、
    ポーランド他)から連日列挙してやって来る「東のEU市民」に散々苦しまされて
    いるドイツやフランス側から不満が噴出するのは必至で、先日EUから離脱した
    イギリスは、この「東のEU市民」に不満を募らせてEUからは去って行った。

    EU、NATO共に、冷戦後は東方へと大幅に拡大したが、東西ドイツ統一時、
    当時のソ連大統領であったゴルバチョフ氏は、旧西独のコール氏と旧東独の
    ホーネッカー氏に対して、NATOとEU(当時はEC)の東方への拡大と、
    旧プロイセン領の永久的な放棄を確約させたが、その後、EU、NATO共に東方へと
    急激に拡大し、昔のワルシャワ条約機構のほぼ全ての加盟国を既に飲み込んでいる。

    NATO加盟国(オーストリアとスイスは永世中立国)
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    旧プロイセンの領土
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    第二次大戦後のヨーロッパの国境
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    上記の地図を見ても分かる通り、ヨーロッパでは、戦争が起こる度に国境線が
    変更されており、大幅な領土の割譲も珍しくはなかったのだが、特に注目
    したいのが、ウクライナの国境線で、近年以降の領土の拡大が凄まじく、
    1654年までのウクライナの領土は、下記の地図のオレンジ色の部分のみであった。

    ウクライナの領土の拡大
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    首都キエフを含む黄色の部分は、1654~1917年の間にロシア帝国から割譲、
    水色の部分は、1922年のレーニン時代にロシアから割譲、緑色の部分は、1939~
    1945年のスターリン(グルジア人)の時代(第二次世界大戦後)にポーランド、
    ルーマニア、スロヴァキアから武力で獲得、紫色のクリミアは、1954年の
    フルシチョフ(ウクライナ人)の時代にロシアから割譲。

    ソ連が作ったこの人工国家のどこに領土の一体性があるのか? 首都のキエフですら、
    元々はロシア帝国の領土であり、現在「ウクライナ人」として報道されている人たちの
    殆どは、バンデラ主義とアメリカに洗脳された「ネオナチ」であるため、常に政治的な
    不安が続くウクライナ。 ウクライナがバンデラ主義を捨てない限り、ウクライナは
    何度でもアメリカに利用される。

    ドイツとの因縁の関係
    ウクライナは、これまでの最大支援国であるロシアとは絶縁し、EUとNATOへの加盟を
    切望するヨーロッパ1の最貧国だが、プロイセンの旧領をウクライナに奪われ、更には、
    感情には決して流されないEUのリーダーであるドイツ人を説得するのは未来永劫無理
    そうだ。 ドイツやフランスにとって、ルーマニアやブルガリア以下のヨーロッパ
    最貧国、並びに、ロシアとの戦争を常に視野に入れなければならないウクライナを
    EUに入れることは、リスク以外のなにものでもなく、
    「東のEU市民」が労働者として
    ドイツやフランスへと大量にやって来るため、何が何でも拒否したいところ。

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    尚、EU内でも「一人勝ち」とも言われているドイツは、EU内からの出稼ぎ労働者に
    常に頭を悩ませており、国民の声を一切無視して親米路線を強引に続けたメルケルは、
    これにより人気が急落、次の選挙には出馬しない意向をしめしたが、実際のところは、
    国民からの支持がほぼ期待出来ないため、自ら身を引いたと言われている。

    ヨーロッパから見たEUとNATOの東方拡大は、迷惑以外のなにものでもなく、アメリカの
    独りよがりな命令にほとほと困り果てている状況と言えそうだ。

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    ウクライナはソ連の優等生
    ウクライナは、ソ連時代までは、温暖な気候を利用した工業化と農業が盛んな
    地方(ロシア語で「地方はクライと言う」)で、ソ連国内では、ロシア、
    ベラルーシと並び、「スラブの3大国」「ソ連の優等生」と呼ばれる程非常に
    発展した国であったが、1991年12月にソ連が崩壊、その後は度重なる経済危機、
    政治クーデター等により、国内はすっかりと荒廃した。 旧ソ連邦構成国家の
    中でも、ソ連時代と比較して発展どころか、後退した国は、このウクライナと
    グルジア(ジョージア)のみ。

    ウクライナ言語地図
    赤がロシア語、オレンジがロシア語とウクライナ語併用、黄色がウクライナ語

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    ウクライナ系アメリカ人とは?
    ソ連邦崩壊後のロシアも状況は同じどころか、ソ連からの独立時に旧ソ連邦が残した
    天文学的な負債をほぼ1国だけで背負ったため、状況的には、ウクライナなどよりも
    遥かに酷かった。 ウクライナは、国内政治の腐敗を長年放置し、そこをアメリカに
    よって国ごと乗っ取られた格好だが、北米へのウクライナからの移民は、1600年代
    初頭から開始されたものの、大規模な移住は、1880年代に入ってからであった。
    ソ連邦崩壊の後、1990年代初頭にもユダヤ人やプロテスタントを中心に、大挙して
    アメリカへと渡って行ったが、大都市に移住するケースが多く、アメリカやカナダ
    国内では、ウクライナ系の少数民族集団を形成しているが、特にウクライナ系住民が
    多いカナダを経由してアメリカへと入国したウクライナ系アメリカ人が非常に多い。

    2000年にアメリカ合衆国が行った国勢調査によると、ウクライナ系アメリカ人が
    最も多い都市圏はニューヨーク(16万人)、フィラデルフィア(6万人)、
    シカゴ(4万6000人)、ロサンゼルス(3万4000人)、デトロイト(3万3000人)、
    クリーブランド(2万6000人)、インディアナポリス(1万9000人)となっている。
    これらのウクライナ系アメリカ人は、元々ウクライナ人であるため、ウクライナ人と
    顔が全く同じであり、当然、ウクライナ語も喋れるため、今回のウクライナ危機でも
    大いに利用された可能性がある。 尚、これらのウクライナ系アメリカ人は、既に
    3世や4世の世代になっているが、その間に「過去の恨み」が増大しており、ロシアに
    対する怨念は並々ならぬものがある。 尚、ウクライナ議会では、これらの
    ウクライナ系アメリカ人がウクライナ国籍取得後にかなり起用されており、さながら
    アメリカの傀儡政権と言ったところ。

    ウクライナ分裂予想図
    ●東部と南部(クリミア、ドンバス、スラビツカ・ウクライナ)がロシア
    ●南部(ブコビナ)がルーマニア
    ●西部(ガリツィア)がポーランド
    ●南西部(カルパチア)がスロヴァキア
    db841301

    ウクライナは、ウクライナ人の意思には関係なく、ロシア革命時に重要な役割を
    果たしたボリシェヴィキによって造られた人工国家であるが、第二次世界大戦の
    結果、欧州の国境は大きく様変わりし、ポーランド、スロバキア、ルーマニア等、
    様々な地域が統合された結果生じた人工国家である。 そもそも、ウクライナは、
    西部、中部、南東部と大きく文化的にも分かれており、東部ではロシア語が
    圧倒的に優勢であるものの、西部ではポーランド時代の影響が色濃いため、
    ウクライナ語が普及している。 経済的に見ても、東部では主に工業、西部では
    主に農業が盛んとなっている。

    現在のキエフ政権は、中部と西部が中心となっており、特に、元々ポーランド領で
    あった西部(ガリツィア)がウクライナの唯一のイデオロギーとされている。
    住民らの基本的な物の考え方も親欧的とされている中部&西部、並びに、親露的な
    東部とでは全く折り合わず、1つの国家とされながらも、実際は全くの別国家で
    ある。

    ウクライナでは近年、10代~30代前半を中心とした「ネオナチ」と呼ばれる
    若年層による国粋主義者が台頭しているが、ウクライナのファシストに若年層が
    大幅に多いのは、ソ連邦崩壊から30年しか経過しておらず、ソ連時代の教育とは
    全く異なる教育を受けた世代が台頭して来たためである。 但し、この教育は、
    ソ連時代のファシストであるステパン・バンデラを担ぎ出した洗脳教育となって
    おり、ウクライナにおける若い世代の大幅な劣化が叫ばれている。

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    アメリカが一方的に言うウクライナ侵攻
    「ロシアは明日にでもウクライナに侵攻して来る」というウクライナ危機は、
    日々厳しさを増しているとのことだが、2014年2月にアメリカがウクライナ危機を
    初めて叫び始めてから、かれこれ丸8年が既に経過しているものの、ロシアは
    一向にウクライナに侵攻する気配すらない。 毎年恒例のロシアとベラルーシによる
    ウクライナ国境付近での軍事演習を「ウクライナ侵攻」へと勝手にでっち上げを
    行っているアメリカとしては、延々と8年以上もロシアが一向に侵攻して
    来ないため、正直、気が気ではない。 全く何の証拠すら出さないアメリカの
    口先介入は、子供のケンカに等しい。

    Ukraine1024

    そんな中、2022年2月17日にロシアが国連に対して「ウクライナ当局が住民を大量
    虐殺している」とする報告書を提出していたことが明らかとなった。 ウクライナ
    東部では、ウクライナ国籍を持つロシア人の一般市民に対する殺戮が日々繰り
    返されているが、西側では、このような不都合は事実は、一切報道されていない。

    ドネツク人民共和国&ルガンスク人民共和国
    ウクライナ東部地域では、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国が
    ウクライナからの完全な独立を果たしており、ウクライナ政府による支配を
    一切受けていないのだが、これらの地域に住むロシア系住民に対する攻撃が
    日々常習化しているため、国連に対して、このような公式な主張が初めて
    行われた。 この申し立ては、安全保障理事会メンバーに宛てて、ウクライナの
    戦争犯罪を申し立てた内容となっている。 ウクライナ国内では、2014年以降、
    ウクライナ軍が学校や病院などを爆撃し、数万人が既に死傷したとされている。

    西側では、全く報道されなかったウクライナ東部ドネツクでの空爆の様子

    この報告を受け、2022年2月17日の安保理会合では、アメリカのブリンケン
    国務長官が「ロシアが侵攻に向けた口実づくりをしている」と批判を行って
    いるが、これと言ったエビデンスすら提出していないため、今回もまた、
    単なる口先だけのその場限りの言い訳と思われる。 アメリカのオオカミ少年
    ぶりは、まだまだ続くようだ。 いい加減、世界がアメリカを見捨て始めて
    いるが、アメリカは自分たちの過ちには一向に気づいていないようだ。

    適当な発言でお茶を濁すブリンケン
    20210914120001

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    ブダペスト覚書
    ブダペスト覚書(英:Budapest Memorandum on Security Assurances)とは、
    1994年12月5日にハンガリーのブダペストで開催された欧州安全保障協力機構
    (OSCE)会議で署名された政治協定書で、ベラルーシ、カザフスタン、
    ウクライナが核不拡散条約に加盟したことに関連して、協定署名国がこの3国に
    安全保障を提供するという内容で、アメリカ合衆国、ロシア、イギリスの
    核保有3カ国がこの覚書に署名。 また、中国とフランスは別々の書面で
    若干の個別保障をしているものだが、最近の「ロシアによるウクライナ侵攻」を
    名目に、ゼレンスキー・ウクライナ大統領は、この覚書からは脱退することを
    表明、ウクライナは今後、核武装を行う可能性が出て来た。

    ブダペスト覚書からの脱退を表明するウクライナ大統領


    ドンバス戦争
    2014年ウクライナ騒乱、および、ユーロマイダン運動により、親ロシア路線であった
    ヤヌコーヴィチ政権は崩壊し、2014年3月初旬にウクライナ随一の大富豪とも言われて
    いる新興財閥オリガルヒのペトロ・ポロシェンコが大統領に就任したが、ポロシェンコは
    ロシアとは決別し、親米路線を選択したため、大統領就任当日からウクライナ国内に
    住むロシア系住民(日本では「武装した親露派」と偏向報道)への攻撃を大々的に開始。
    同国ドネツク州とルガンスク州(一般に「ドンバス」と総称される地域)は、
    ウクライナで突如武力によって誕生したクーデター政権からの独立を宣言した。 
    このドンバスの独立運動は、旧ロシア領であったウクライナ南部と東部の広域な地域で
    展開され、一時は、ウクライナ第2の都市であるハリコフもウクライナから独立を
    宣言するほど激化、親米路線の新ウクライナ政府と激しく対立した。更に、これが
    激化してハリコフ人民共和国、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国とウクライナ
    政府側との武力衝突に発展した。 当初の抗議行動は主にウクライナ新政府に対する
    ロシア系住民らによる国内不満を表明するものだったが、この戦いでは、幾度も
    停戦協定が結ばれては協定違反の武力衝突が繰り返されており、2022年時点でも
    紛争終結の見込みは立っていない。

    尚、ドンバス地域は、現在ウクライナ政府の支配は一切受けてはおらず、ウクライナ側
    からの入国は不可となっているため、ロシア側から入国するしかない。

    ドンバスからロシアへの大量難民を報道するメディア

    上記のドンバス戦争とブダペスト覚書からのウクライナの脱退を受けて、ドンバス
    地域に住むロシア系住民のロシアへの大量移動が始まった。 以下の動画を見ても
    分かる通り、ドンバスから緊急避難をして来たロシア系住民は、着の身着のままの
    状態で、長期間に渡る避難生活を余儀なくされているが、長引く戦争により、
    再度自宅に帰宅出来る目途は全く立っていない。 避難民の主な行先は、主に
    ロシアのロストフ州だと言われているが、この地域は、ユーロマイダン運動によって
    ウクライナを追われたヴィクトル・ヤヌコーヴィチ元ウクライナ大統領の亡命先とも
    なっている。

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    ロシアとウクライナは、元々は同一民族、同一国家
    テレビでは連日、ロシアが明日にでもウクライナに侵攻すると報道がなされて
    いるが、ロシアにとってウクライナは、ロシア発祥の地、ロシア帝国の一部、
    ソ連の一部、過去には最大の友好国家と非常に共通点多く、ウクライナで
    一般的に話されている言語はロシア語、民族的には、同じ東スラブ人、
    同じルーシ人(大ロシア人がロシア人、小ロシア人がウクライナ人)で、
    見た目も両者完全に同じと、むしろ、これと言ったハッキリとした境界線がない。

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    同じルーシ人でありながら、別々の民族に分かれたのは、支配者が異なった
    からで、モンゴル・タタール軍にルーシの首都キエフ(現在のウクライナの
    首都)を徹底的に破壊され尽くされ、その後、ルーシの中心地は、北の
    モスクワ公国へと移り、モスクワが完全にルーシの後継者となったのだが、
    当時のキエフは、モンゴル・タタール軍による破壊度合いが凄まじ過ぎたため、
    街として復活することは叶わず、そのまま、ポーランドとリトアニアの支配地と
    なった。 逆に、ロシアは、そのままモンゴル・タタールの支配下となった
    のだが、先にモンゴルの支配から脱した同じ正教国家のモスクワ公国に自ら
    助けを求めたのがウクライナであり、ウクライナの大半の領土は、そのまま
    モスクワ公国へと吸収され、ルーシの真の後継国家となったモスクワは、
    「ルーシ国」という意味のロシアへと国名を変更した。

    よって、ウクライナは、ロシアにとっては、完全に自国内ということになるのだが、
    アメリカの一方的な報道によれば、ロシアとウクライナは、戦争を起こす程、
    非常に仲が悪いらしい。 元々、アメリカの学校には、大学を含めて、歴史の
    授業が存在しないため、自国の歴史を含めて、過去の出来事を何も知らない
    人間が大多数となっている。 また、アメリカは、言わずと知れた世界一の
    差別大国であるが、教育水準が非常に低い国としても有名で、この教育水準の
    低さが理解力低下を招き、差別へと繋がっていることは、明白な事実である。

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    ウクライナ危機はバーチャル情報戦
    現在のアメリカ大統領であるバイデンは、前々大統領のオバマの時代は、
    副大統領を務めていたのだが、ここで忘れてはならないのは、オバマは、
    ウクライナを攻撃しており、その時、直接指揮を執ったのがバイデンだと
    言われている。 アメリカの政治は、民主党と共和党の二大政党が常に議席を
    争っているが、オバマとバイデンは同じ民主党、トランプは共和党である。

    尚、アメリカは、特に民主党が政権を握っている時は、非常に活発的に世界中で
    戦争を引き起こしており、死の商売よろしく、武器を大量に輸出して毎回
    ぼろ儲けしている。 例えば、旧ユーゴスラビアで戦争を起こしたのは、
    民主党のクリントン、イラン・イラクで戦争を引き起こしたのは共和党の
    ブッシュ、ウクライナで戦争を引き起こしたのはオバマ(副大統領はバイデン)、
    シリアで戦争を引き起こしたのはトランプ、再度ウクライナで戦争を引き起こそうと
    しているのがバイデンである。

    アメリカに利用されるばかりのオリンピック
    ちょうど8年前の2月にロシアのソチで冬季オリンピックが開催されたが、
    その開催期間にウクライナの首都キエフでは、「ユーロマイダン」と呼ばれる
    政治クデーターが突然起こり、親ロシア派大統領であったヤヌコヴィチがロシアへと
    亡命、親アメリカ派大統領であるポロシェンコへと電撃的に交代した。
    この時は、金銭の横領が非常に多かったヤヌコヴィチに対して、市民が自ら
    立ち上がった政変と報道されたが、実際は、アメリカによって操られた
    キエフ市民が、一方的に親ロシア勢力を一掃しただけであった。 この時から
    ウクライナ・クデーター政府は、ウクライナ国内に住んでいるロシア人の殺戮を
    開始したが、海外メディアは、ウクライナ国内に住んでいるロシア人のことを
    「武装した親露派」として大々的にうその報道を行なった。

    アメリカは、大会前までは、北京オリンピックをボイコットすると言っていたのが、
    近年では、オリンピック自体が大々的に政治利用、商業利用されており、特に
    冬季オリンピックは、近年において、3回連続で政治利用されている。 競技を
    行なうアスリートを二の次にした金儲け第一主義のオリンピックなのであれば、
    廃止も考えてしかるべき。

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    クリミアは元々はロシアの領土
    これと時を同じくして、ウクライナ南部のクリミアでは、少数派のウクライナ人に
    よる乱暴狼藉に耐えかねたロシア系住人の自主的なウクライナからの独立を問う
    住民投票が行なわれ、圧倒的な支持を得て、ウクライナから一旦独立の後、
    クリミア住民(大多数はロシア人)の意思に従って、ウクライナからロシアへと
    返還された。 但し、日本やアメリカでは、「ロシアが一方的に編入したクリミア」
    と枕詞が常に付いた。 尚、第二次世界大戦終結後は、アメリカ、イギリス、
    ロシアによる3者会談がクリミアのヤルタで秘密裏に開かれたが、この時の
    クリミアの帰属は、実はロシアであった。 クリミアはその後、ウクライナ人の
    フルシチョフによって、「ロシアとウクライナの友好の証し」として、
    ウクライナへと移管されたのだが、この時は、ロシアもウクライナもソ連邦で
    あったため、両国に国境は存在したものの、日本で言うところの「県境」程度の
    認識でしかなく、当然国境を越える際には、パスポートやビザなどは必要なかった。
    尚、ウクライナ軍は、クリミアから撤退する際に、2つあった橋を共に破壊して
    おり、その後、クリミアは数ヶ月間に渡り孤立したが、それを助けたのは
    ロシアであり、ロシア側から橋を建設して同胞の保護に努めた。

    ロシアから見たウクライナ、ウクライナから見たロシア
    ロシアから見たウクライナとは、常に様々な問題を引き起こしては、全てロシアの
    せいにして来る非常に厄介な国であり、天文学的な赤字を常に抱えた破綻国家で
    ある。 ウクライナは、むしろ、ロシアにとっては、足手まといでしかなく、
    かつは同盟国でったため、寛大な気持ちを持ってロシアがウクライナを許して
    いるだけだが、実は、アメリカがある北米大陸には、100年程前~スターリンの
    時代に新天地へと移民をして行ったウクライナ人が大量に住んでいる。 これらの
    ウクライナ人は、今では3~4世の世代となっているものの、飢餓と粛清によって
    国を追われた当時の恨みが逆に倍増されており、ウクライナ人がロシア人を恨む
    根本的な原因となっている。 ロシア国内の民族構成は、ロシア人が最も多い
    のだが、2番目はタタール人、3番目は実はウクライナ人である。 また、
    ウクライナ国内にもロシア人が大量に居住しており、ロシア人とウクライナ人は、
    かなりの広範囲で混在しているのである。

    冷戦からドイツ再統一へ
    冷戦時代、ウクライナとロシアは同じソ連邦であったため、当然、同一国家で
    あった。 当時は、ロシアを中心としたワルシャワ条約機構とアメリカを中心
    とした北大西洋条約機構が激しく対立し、両陣営の間には「鉄のカーテン」なる
    ものが存在した。

    1990年10月3日、東西に分裂していたドイツは、念願の再統一を果たすが、この時、
    この再統一を許したのが、当時のソ連大統領のゴルバチョフであった。
    ゴルバチョフは、ワルシャワ条約機構に駐留をしていたソ連軍を撤退させる
    条件として、北大西洋条約機構と欧州共同体の東方への拡大を禁じたが、現在、
    元ワルシャワ条約機構加盟国のほぼ全てが北大西洋条約機構とヨーロッパ連合に
    参加をしている。 ゴルバチョフの約束は全く守られなかったのである。

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    アメリカの異常なまでな執着心
    アメリカがここまでウクライナに執着心を持つ理由は、複数考えられるが、先に
    述べたように、ウクライナの現政権は、アメリカの傀儡政権であり、完全に
    アメリカの操り人形として使える現政権が倒れると、同国への影響力が大幅に
    低下するからに他ならない。 アメリカには、米英の軍事基地をウクライナに置く
    長期的な目標があり、ここでロシアにやられてしまうと、あらゆる意味で今までの
    活動が水泡に帰しかねないため、積極的にウクライナに介入を行おうとしている
    のである。 アメリカにとっては、世界のどこかで紛争や戦争が起これば良い
    だけで、第二次世界大戦後を見ても分かるように、必ず世界のどこかで戦争を
    仕掛けており、戦争が起きなければ、アメリカは金づるを失うのである。

    ウクライナとは陸続きではないアメリカとイギリスは、必死でロシアとウクライナ
    を戦争に巻き込みたがっているが、この状況は、日本&韓国&北朝鮮、並びに、
    中国&香港&台湾の状況と全く同じで、日本人はウクライナの状況を良く見ておく
    べきである。

    ドイツとフランスの後悔
    EUの中心国家、ドイツとフランスは、西側とは経済格差が大きいルーマニアと
    ブルガリアをEUに入れてしまったことを死ぬほど後悔してり、当初EUは、
    この2カ国に対して、加入後7年間はEU内への移動を禁じたが、その後、この
    「東のEU市民」が大量に列挙してやって来てしまったため、困り果てている
    のである。 ウクライナがNATOとEUに加盟すると言ったら、ドイツは、イギリス
    同様、NATOとEUから脱退するであろう。 実は、ドイツ人もフランス人も
    ウクライナが非常に嫌いなため、ルーマニアやブルガリアよりも遥かに貧困な
    ウクライナをわざわざNATOとEUに加入させ、自らの首を絞めるようなバカげた
    事は一切考えていないのである。

    日本とウクライナの意外な共通点
    ウクライナは、自らの選択でロシアとは袂を分かち、ヨーロッパ最貧国にまで
    落ちぶれ果てたが、それまでは、ロシアが散々支援を行なっており、ウクライナは、
    最大支援国のロシアを失ったため、経済的に立ち行かなくなったところをアメリカに
    拾われた格好となったが、日本がアメリカと一緒にいる限り、日本の未来は、
    ウクライナと全く同じと考えて間違いない。 アメリカの典型的な手口とは、まず、
    国民をテレビ等で白痴化し、うそを大量に流した上で思考回路を奪い、極右勢力を
    使い愛国心と恐怖心を煽り、それを利用して隣国(日本の場合は、韓国、北朝鮮、
    中国、ロシア)と戦争を引き起こさせるのである。

    日本のロシア系の記事は、アメリカからのうその情報を直訳した眉唾な内容が
    ばかりで、デマ、でっち上げ、ウソ、憶測が大半となっており、確信を付いて
    いる記事が1つたりとも見当たらない。

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    津太夫(つだゆう、延享元年(1744年) - 文化11年7月29日(1814年9月12日))は、
    江戸時代後期の仙台藩の水主(かこ)で、浦戸諸島寒風沢島(現宮城県塩竈市)に
    生まれた。

    49歳の時に嵐に遭遇し、アリューシャン列島のウナラスカ島に漂流し、
    ペテルブルクでロシア皇帝アレクサンドル1世に謁見した後、儀兵衛、左平、
    太十郎ら3名と共にニコライ・レザノフとクルゼンシュテルン率いるロシア初の
    世界一周航海に同行する形で、61歳で図らずも日本人初の世界一周を果たした。
    日本帰国までの漂流生活は、実に14年にも及んだ。

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    寛政5年(1793年)11月、仙台藩の用木、米などを積んだ16人乗りの若宮丸の
    水主として石巻から江戸へ向かう途中、塩屋崎(現福島県いわき市)沖で暴風に
    遭い漂流し、半年もの間、壊れた船で太平洋を漂流した後、翌寛政6年(1794年)
    5月10日、アリューシャン列島東部のウナラスカ島(先に大黒屋光太夫もこの島に
    漂着)に漂着した。

    その地でロシア人に助けられ、アトカ島、聖パヴェル島、アムチトカ島、
    オホーツク、ヤクーツクを経て、寛政8年(1796年)12月下旬にイルクーツクに至り、
    この地で大黒屋光太夫と共に漂流した新蔵に出会う。

    この後、津太夫ら若宮丸の漂流民14名はイルクーツクで7年間暮らしたが、
    新蔵の説得により洗礼を受けた善六をはじめとする4名は日本語学校の教師となり、
    何不自由なく暮らしたのに対して、洗礼を受けなかった津太夫ら10名は役所から
    必要最低限の銅貨が支給されていたものの生活は苦しく、津太夫は漁網を縫う
    仕事をし、他の者も漁師や大工の手伝いやパンを売り歩いて糊口をしのいだ。
    このため漂流民たちの間で対立が激しくなり、津太夫ら10名は新蔵とは親しく
    交流した反面、善六ら4名に対しては憎しみさえ抱くようになった。 尚、
    寛政11年(1799年)2月28日に阿部吉郎次がイルクーツクで病死している。

    享和3年(1803年)3月初旬にロシア皇帝アレクサンドル1世の命令書が届き、
    3月7日にイルクーツクを出発、クラスノヤルスク、トムスク、エカテリンブルク、
    ペルミ、カザン、モスクワを経由して4月27日にペテルブルクに到着した。
    この旅の途中、乗り物酔いや病気などの理由により3名がイルクーツクに引き返し、
    ペテルブルクにたどり着いたのは10名であった。

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    ペテルブルクでは貴族の館で歓待され、5月16日に新蔵の通訳の下で皇帝
    アレクサンドル1世に謁見し、10名のうち帰国を希望した津太夫、儀兵衛、左平、
    太十郎の4名の帰国が許される。 この後も一行は気球やプラネタリウム、
    芝居見物などロシア側から様々な接待を受けた。

    そして、6月12日に津太夫ら帰国組4名はロシア使節レザノフ一行と共に
    クロンシュタット港に赴き、露米会社の持船ロシア使節船ナジェジダ号に乗船し、
    ここで新蔵と別れた。 6月16日にナジェジダ号はクロンシュタット港を出発し、
    コペンハーゲン、ファルマス(途中フランス艦と間違われイギリス船から攻撃を
    受ける)、カナリア諸島、サンタ・カタリナ(初めてロシア船が赤道を通過)、
    ホーン岬、マルケサス諸島、ハワイ諸島を経て、文化元年(1804年)7月2日に
    ペテロパブロフスクに到着した。

    ペテロパブロフスクでは、陸軍中尉トルストイ伯などと共に、レザノフの通訳として
    同行していた善六も下船した。 レザノフは善六を日本に連れて行くつもりで
    あったが、善六の乗船により津太夫ら4名との対立が船内に持ち込まれ、空気が
    悪くなっているとナジェジダ号船長クルゼンシュテルンが強く主張したためで
    あった。

    ナジェジダ号は、8月5日にペテロパブロフスクを発ち、千島列島沿いにしばらく
    南下した後、本州東方から八丈島、薩摩の沖合を経由して9月4日に長崎に到着する。
    津太夫は漂流以来12年目にして61歳で日本人初の世界一周を成し遂げた。

    しかし、長崎に着いてからも津太夫ら4名はすぐに身柄を日本側に引き取られ
    なかった。 そのため不安と苛立ちから発病した者や、自殺未遂を起こした者まで
    出たが、レザノフと目付遠山景晋が会見した後(ロシアの通商交渉は失敗した)、
    翌文化2年(1805年)3月10日に正式に身柄が引き渡された。 その後、4名は
    奉行所より訊問を受け、キリシタン宗門の疑いが晴れた後、迎えに来た仙台藩士と
    共に長崎を出立し江戸へ向かった。 江戸では仙台藩主伊達周宗に引見し、
    藩邸の長屋で大槻玄沢、志村弘強から「環海異聞」編集のための聴取が行われた。
    全てが終了したのは文化3年(1806年)2月下旬で、津太夫ら4名は13年ぶりに
    帰郷を果たした。

    故郷の寒風沢に帰った津太夫は、文化11年(1814年)7月29日に70歳で亡くなった。

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