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    タグ:ロシア

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    世界を操る支配者の正体
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    馬渕睦夫が語る虐殺とウクライナ問題の真実

    【シナリオ1】
    ウクライナ南東部において、ロシア系住民を虐殺する。
    そうなれば、自国民保護という国際法上の大義の下に、
    ロシアが南東部に限定的にしろ、軍事介入する。

    そこで、世界世論を侵略者プーチンの抗議行動へと誘導して、
    プーチン大統領を国際社会で孤立させる。

    このような国際社会の動向に呼応して、ロシア国内で
    親欧米NGOの指導の下に、反プーチン・デモを躍動する。

    デモ隊の中にテロリストを潜入させ、流血の混乱を引き起こし、
    その責任をロシア治安当局に押し付けて、最終的にプーチンを失脚させる。
    プーチンが失脚すれば、欧米はロシアの「民主化」を称賛し、
    新政権への支持を表明するでしょうが、プーチン後のロシア政権は
    内外政策について、国際金融資本家たちの意向を無視することは
    出来ないでしょう。

    【シナリオ2】
    ロシアが実際に軍事介入しなくても、親露派を軍事支援しているとの口実で、
    一層経済制裁を強化して、ロシア経済に大打撃を与える。

    やがてロシアで金融危機が発生し、ロシア政府にIMFに対する支援を
    求めざるを得なくさせる。
     

    ウクライナ東部での殺戮を報道する西側メディア



    ウクライでの惨状を訴えるドンバスの住民


    ドンバスで殺された子供たちの紹介

    ウクライナ東部ドンバスの状況

    ウクライナのネオナチ教育

    ドイツメディアのウソを暴露するウド・ウルフコット氏


    ドイツのフリージャーナリストの報告

    ウクライナは捨て駒 バイデンの仕業

    ウクライナ・オン・ファイアー



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    昔の戦争の画像を使いまわし
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    ロシア軍が原発を攻撃?
    2022年3月4日午前2時頃、ウクライナ南東部にある欧州最大のザポリージャ原発
    火災が発生し、「ロシア軍が原発に砲撃を加えた」との衝撃的なニュースが
    世界を駆け巡った。 ウクライナのドミトロ・クレバ外相は、ロシア軍が
    ザポリージャ原発に向けて「全方位から砲撃している」とした。 

    ウクライナ当局によると、その日の午後には同原発はロシア軍によって制圧されたと
    なっているが、その後、この原発からの危機的な情報は一切入っていない。 一方、
    イギリスのロイター紙は、「ウクライナ軍による攻撃」とし、ウクライナを
    全面的に非難した。



    ソ連時代の原発
    この原発は元々、ソ連時代の1980年ごろから建設が開始され、1985年~1996年に
    掛けて、順次稼働が始まった原発であるため、1号機~5号機までは、ロシアの
    援助により建設されたことになるのだが、実は、この原発への攻撃は、ウクライナの
    工作員がロシア軍の服を着て火を放ったことが、その後の調査で明らかになって
    いるが、日本の偏向報道は、その事実を一切報道しなかったばかりか、訂正すら
    しなかった。

    ロシア軍はチェルノブイリ原発も既に鎮圧
    ロシア軍は、ザポリージャ原発の他にも、1986年4月に大規模事故を引き起こした
    チェルノブイリ原発も既に制圧しているが、そちらでも特に何の問題も起きていない
    どころか、慢性的な財政難により、全く何もしていないウクライナ政府がこのまま
    大規模原発を管理出来るとも思えないため、元々の建設者であるロシア軍がこれらの
    原発を守ってくれた方が、より安全と言える。

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    虚偽の報道を行った場合の刑罰
    ロシア議会では、「虚偽の報道を行った場合は禁錮刑」という法案が可決され
    たため、これまでは、数々のロシアに対する偏向報道を行って来たロイターも
    いよいよ本当のことを言わざるを得なくなった模様。

    世界中のメディアが、虚偽の報道が出来なくなれば、ロシア軍やプーチン大統領が
    行っているウクライナの極右勢力のネオナチを狙い撃ちした「特別軍事作戦」が
    正しく世界へ報道される日がやって来るかも知れない。

    いずれにしても、一切何も考えない「脳死」の状態でウクライナを一方的に
    支持すべきではない。

    ウクライナ反戦デモにはためく「ネオナチ」の旗
    971094981

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    Twitterからの投稿
    元民主党党首で、元首相であった鳩山由紀夫氏が、ウクライナドンバスにおける
    ウクライナ政府による殺戮を暴露。 ゼレンスキーは、長年に渡り、ドンバス地域の
    ロシア系ウクライナ人達に殺戮を繰り返していたが、「テロリスト」として全く
    取り合わなかったと言う。

    ドンバス住人らとの対話
    ようやく重い腰を上げてウクライナ東部のドンバスに住むロシア系ウクライナ人
    (日本では武装した親露派と偏向報道)らと対話するが、当初は和気あいあいな
    雰囲気であったが、まともに話を聞こうとすらしないウクライナ大統領と住民が
    言い争いになる場面も。 ウクライナ政府の見解では、大統領と武装テロリストとの
    対面である。


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    ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は2022年2月28日、欧州連合
    (EU)への加盟申請書に署名したと明らかにした。 バルト3国やポーランドなど
    8か国は2月28日、ウクライナを早期に加盟候補国とし、交渉を始めるよう求める
    書簡をEUに送った。

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    EU加盟への険しい道のり
    EUへの加盟にあたっては、全加盟国の承認が必要な上、法の支配や汚職の撤廃、
    経済の安定などの条件を満たさなければならず、加盟交渉には数年掛かるのが
    一般的だが、ウクライナは世界でも指折りの汚職大国であり、腐敗認識指数国別
    ランキング
    においても世界122位と、到底EUに加盟出来るレベルなどではなく、
    これまでに東に拡大し過ぎたEU加盟国(ルーマニア、ブルガリア、バルト3国、
    ポーランド他)から連日列挙してやって来る「東のEU市民」に散々苦しまされて
    いるドイツやフランス側から不満が噴出するのは必至で、先日EUから離脱した
    イギリスは、この「東のEU市民」に不満を募らせてEUからは去って行った。

    EU、NATO共に、冷戦後は東方へと大幅に拡大したが、東西ドイツ統一時、
    当時のソ連大統領であったゴルバチョフ氏は、旧西独のコール氏と旧東独の
    ホーネッカー氏に対して、NATOとEU(当時はEC)の東方への拡大と、
    旧プロイセン領の永久的な放棄を確約させたが、その後、EU、NATO共に東方へと
    急激に拡大し、昔のワルシャワ条約機構のほぼ全ての加盟国を既に飲み込んでいる。

    NATO加盟国(オーストリアとスイスは永世中立国)
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    旧プロイセンの領土
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    第二次大戦後のヨーロッパの国境
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    上記の地図を見ても分かる通り、ヨーロッパでは、戦争が起こる度に国境線が
    変更されており、大幅な領土の割譲も珍しくはなかったのだが、特に注目
    したいのが、ウクライナの国境線で、近年以降の領土の拡大が凄まじく、
    1654年までのウクライナの領土は、下記の地図のオレンジ色の部分のみであった。

    ウクライナの領土の拡大
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    首都キエフを含む黄色の部分は、1654~1917年の間にロシア帝国から割譲、
    水色の部分は、1922年のレーニン時代にロシアから割譲、緑色の部分は、1939~
    1945年のスターリン(グルジア人)の時代(第二次世界大戦後)にポーランド、
    ルーマニア、スロヴァキアから武力で獲得、紫色のクリミアは、1954年の
    フルシチョフ(ウクライナ人)の時代にロシアから割譲。

    ソ連が作ったこの人工国家のどこに領土の一体性があるのか? 首都のキエフですら、
    元々はロシア帝国の領土であり、現在「ウクライナ人」として報道されている人たちの
    殆どは、バンデラ主義とアメリカに洗脳された「ネオナチ」であるため、常に政治的な
    不安が続くウクライナ。 ウクライナがバンデラ主義を捨てない限り、ウクライナは
    何度でもアメリカに利用される。

    ドイツとの因縁の関係
    ウクライナは、これまでの最大支援国であるロシアとは絶縁し、EUとNATOへの加盟を
    切望するヨーロッパ1の最貧国だが、プロイセンの旧領をウクライナに奪われ、更には、
    感情には決して流されないEUのリーダーであるドイツ人を説得するのは未来永劫無理
    そうだ。 ドイツやフランスにとって、ルーマニアやブルガリア以下のヨーロッパ
    最貧国、並びに、ロシアとの戦争を常に視野に入れなければならないウクライナを
    EUに入れることは、リスク以外のなにものでもなく、
    「東のEU市民」が労働者として
    ドイツやフランスへと大量にやって来るため、何が何でも拒否したいところ。

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    尚、EU内でも「一人勝ち」とも言われているドイツは、EU内からの出稼ぎ労働者に
    常に頭を悩ませており、国民の声を一切無視して親米路線を強引に続けたメルケルは、
    これにより人気が急落、次の選挙には出馬しない意向をしめしたが、実際のところは、
    国民からの支持がほぼ期待出来ないため、自ら身を引いたと言われている。

    ヨーロッパから見たEUとNATOの東方拡大は、迷惑以外のなにものでもなく、アメリカの
    独りよがりな命令にほとほと困り果てている状況と言えそうだ。

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    ウクライナはソ連の優等生
    ウクライナは、ソ連時代までは、温暖な気候を利用した工業化と農業が盛んな
    地方(ロシア語で「地方はクライと言う」)で、ソ連国内では、ロシア、
    ベラルーシと並び、「スラブの3大国」「ソ連の優等生」と呼ばれる程非常に
    発展した国であったが、1991年12月にソ連が崩壊、その後は度重なる経済危機、
    政治クーデター等により、国内はすっかりと荒廃した。 旧ソ連邦構成国家の
    中でも、ソ連時代と比較して発展どころか、後退した国は、このウクライナと
    グルジア(ジョージア)のみ。

    ウクライナ言語地図
    赤がロシア語、オレンジがロシア語とウクライナ語併用、黄色がウクライナ語

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    ウクライナ系アメリカ人とは?
    ソ連邦崩壊後のロシアも状況は同じどころか、ソ連からの独立時に旧ソ連邦が残した
    天文学的な負債をほぼ1国だけで背負ったため、状況的には、ウクライナなどよりも
    遥かに酷かった。 ウクライナは、国内政治の腐敗を長年放置し、そこをアメリカに
    よって国ごと乗っ取られた格好だが、北米へのウクライナからの移民は、1600年代
    初頭から開始されたものの、大規模な移住は、1880年代に入ってからであった。
    ソ連邦崩壊の後、1990年代初頭にもユダヤ人やプロテスタントを中心に、大挙して
    アメリカへと渡って行ったが、大都市に移住するケースが多く、アメリカやカナダ
    国内では、ウクライナ系の少数民族集団を形成しているが、特にウクライナ系住民が
    多いカナダを経由してアメリカへと入国したウクライナ系アメリカ人が非常に多い。

    2000年にアメリカ合衆国が行った国勢調査によると、ウクライナ系アメリカ人が
    最も多い都市圏はニューヨーク(16万人)、フィラデルフィア(6万人)、
    シカゴ(4万6000人)、ロサンゼルス(3万4000人)、デトロイト(3万3000人)、
    クリーブランド(2万6000人)、インディアナポリス(1万9000人)となっている。
    これらのウクライナ系アメリカ人は、元々ウクライナ人であるため、ウクライナ人と
    顔が全く同じであり、当然、ウクライナ語も喋れるため、今回のウクライナ危機でも
    大いに利用された可能性がある。 尚、これらのウクライナ系アメリカ人は、既に
    3世や4世の世代になっているが、その間に「過去の恨み」が増大しており、ロシアに
    対する怨念は並々ならぬものがある。 尚、ウクライナ議会では、これらの
    ウクライナ系アメリカ人がウクライナ国籍取得後にかなり起用されており、さながら
    アメリカの傀儡政権と言ったところ。

    ウクライナ分裂予想図
    ●東部と南部(クリミア、ドンバス、スラビツカ・ウクライナ)がロシア
    ●南部(ブコビナ)がルーマニア
    ●西部(ガリツィア)がポーランド
    ●南西部(カルパチア)がスロヴァキア
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    ウクライナは、ウクライナ人の意思には関係なく、ロシア革命時に重要な役割を
    果たしたボリシェヴィキによって造られた人工国家であるが、第二次世界大戦の
    結果、欧州の国境は大きく様変わりし、ポーランド、スロバキア、ルーマニア等、
    様々な地域が統合された結果生じた人工国家である。 そもそも、ウクライナは、
    西部、中部、南東部と大きく文化的にも分かれており、東部ではロシア語が
    圧倒的に優勢であるものの、西部ではポーランド時代の影響が色濃いため、
    ウクライナ語が普及している。 経済的に見ても、東部では主に工業、西部では
    主に農業が盛んとなっている。

    現在のキエフ政権は、中部と西部が中心となっており、特に、元々ポーランド領で
    あった西部(ガリツィア)がウクライナの唯一のイデオロギーとされている。
    住民らの基本的な物の考え方も親欧的とされている中部&西部、並びに、親露的な
    東部とでは全く折り合わず、1つの国家とされながらも、実際は全くの別国家で
    ある。

    ウクライナでは近年、10代~30代前半を中心とした「ネオナチ」と呼ばれる
    若年層による国粋主義者が台頭しているが、ウクライナのファシストに若年層が
    大幅に多いのは、ソ連邦崩壊から30年しか経過しておらず、ソ連時代の教育とは
    全く異なる教育を受けた世代が台頭して来たためである。 但し、この教育は、
    ソ連時代のファシストであるステパン・バンデラを担ぎ出した洗脳教育となって
    おり、ウクライナにおける若い世代の大幅な劣化が叫ばれている。

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    アメリカが一方的に言うウクライナ侵攻
    「ロシアは明日にでもウクライナに侵攻して来る」というウクライナ危機は、
    日々厳しさを増しているとのことだが、2014年2月にアメリカがウクライナ危機を
    初めて叫び始めてから、かれこれ丸8年が既に経過しているものの、ロシアは
    一向にウクライナに侵攻する気配すらない。 毎年恒例のロシアとベラルーシによる
    ウクライナ国境付近での軍事演習を「ウクライナ侵攻」へと勝手にでっち上げを
    行っているアメリカとしては、延々と8年以上もロシアが一向に侵攻して
    来ないため、正直、気が気ではない。 全く何の証拠すら出さないアメリカの
    口先介入は、子供のケンカに等しい。

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    そんな中、2022年2月17日にロシアが国連に対して「ウクライナ当局が住民を大量
    虐殺している」とする報告書を提出していたことが明らかとなった。 ウクライナ
    東部では、ウクライナ国籍を持つロシア人の一般市民に対する殺戮が日々繰り
    返されているが、西側では、このような不都合は事実は、一切報道されていない。

    ドネツク人民共和国&ルガンスク人民共和国
    ウクライナ東部地域では、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国が
    ウクライナからの完全な独立を果たしており、ウクライナ政府による支配を
    一切受けていないのだが、これらの地域に住むロシア系住民に対する攻撃が
    日々常習化しているため、国連に対して、このような公式な主張が初めて
    行われた。 この申し立ては、安全保障理事会メンバーに宛てて、ウクライナの
    戦争犯罪を申し立てた内容となっている。 ウクライナ国内では、2014年以降、
    ウクライナ軍が学校や病院などを爆撃し、数万人が既に死傷したとされている。

    西側では、全く報道されなかったウクライナ東部ドネツクでの空爆の様子

    この報告を受け、2022年2月17日の安保理会合では、アメリカのブリンケン
    国務長官が「ロシアが侵攻に向けた口実づくりをしている」と批判を行って
    いるが、これと言ったエビデンスすら提出していないため、今回もまた、
    単なる口先だけのその場限りの言い訳と思われる。 アメリカのオオカミ少年
    ぶりは、まだまだ続くようだ。 いい加減、世界がアメリカを見捨て始めて
    いるが、アメリカは自分たちの過ちには一向に気づいていないようだ。

    適当な発言でお茶を濁すブリンケン
    20210914120001

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    ブダペスト覚書
    ブダペスト覚書(英:Budapest Memorandum on Security Assurances)とは、
    1994年12月5日にハンガリーのブダペストで開催された欧州安全保障協力機構
    (OSCE)会議で署名された政治協定書で、ベラルーシ、カザフスタン、
    ウクライナが核不拡散条約に加盟したことに関連して、協定署名国がこの3国に
    安全保障を提供するという内容で、アメリカ合衆国、ロシア、イギリスの
    核保有3カ国がこの覚書に署名。 また、中国とフランスは別々の書面で
    若干の個別保障をしているものだが、最近の「ロシアによるウクライナ侵攻」を
    名目に、ゼレンスキー・ウクライナ大統領は、この覚書からは脱退することを
    表明、ウクライナは今後、核武装を行う可能性が出て来た。

    ブダペスト覚書からの脱退を表明するウクライナ大統領


    ドンバス戦争
    2014年ウクライナ騒乱、および、ユーロマイダン運動により、親ロシア路線であった
    ヤヌコーヴィチ政権は崩壊し、2014年3月初旬にウクライナ随一の大富豪とも言われて
    いる新興財閥オリガルヒのペトロ・ポロシェンコが大統領に就任したが、ポロシェンコは
    ロシアとは決別し、親米路線を選択したため、大統領就任当日からウクライナ国内に
    住むロシア系住民(日本では「武装した親露派」と偏向報道)への攻撃を大々的に開始。
    同国ドネツク州とルガンスク州(一般に「ドンバス」と総称される地域)は、
    ウクライナで突如武力によって誕生したクーデター政権からの独立を宣言した。 
    このドンバスの独立運動は、旧ロシア領であったウクライナ南部と東部の広域な地域で
    展開され、一時は、ウクライナ第2の都市であるハリコフもウクライナから独立を
    宣言するほど激化、親米路線の新ウクライナ政府と激しく対立した。更に、これが
    激化してハリコフ人民共和国、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国とウクライナ
    政府側との武力衝突に発展した。 当初の抗議行動は主にウクライナ新政府に対する
    ロシア系住民らによる国内不満を表明するものだったが、この戦いでは、幾度も
    停戦協定が結ばれては協定違反の武力衝突が繰り返されており、2022年時点でも
    紛争終結の見込みは立っていない。

    尚、ドンバス地域は、現在ウクライナ政府の支配は一切受けてはおらず、ウクライナ側
    からの入国は不可となっているため、ロシア側から入国するしかない。

    ドンバスからロシアへの大量難民を報道するメディア

    上記のドンバス戦争とブダペスト覚書からのウクライナの脱退を受けて、ドンバス
    地域に住むロシア系住民のロシアへの大量移動が始まった。 以下の動画を見ても
    分かる通り、ドンバスから緊急避難をして来たロシア系住民は、着の身着のままの
    状態で、長期間に渡る避難生活を余儀なくされているが、長引く戦争により、
    再度自宅に帰宅出来る目途は全く立っていない。 避難民の主な行先は、主に
    ロシアのロストフ州だと言われているが、この地域は、ユーロマイダン運動によって
    ウクライナを追われたヴィクトル・ヤヌコーヴィチ元ウクライナ大統領の亡命先とも
    なっている。

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    ロシアとウクライナは、元々は同一民族、同一国家
    テレビでは連日、ロシアが明日にでもウクライナに侵攻すると報道がなされて
    いるが、ロシアにとってウクライナは、ロシア発祥の地、ロシア帝国の一部、
    ソ連の一部、過去には最大の友好国家と非常に共通点多く、ウクライナで
    一般的に話されている言語はロシア語、民族的には、同じ東スラブ人、
    同じルーシ人(大ロシア人がロシア人、小ロシア人がウクライナ人)で、
    見た目も両者完全に同じと、むしろ、これと言ったハッキリとした境界線がない。

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    同じルーシ人でありながら、別々の民族に分かれたのは、支配者が異なった
    からで、モンゴル・タタール軍にルーシの首都キエフ(現在のウクライナの
    首都)を徹底的に破壊され尽くされ、その後、ルーシの中心地は、北の
    モスクワ公国へと移り、モスクワが完全にルーシの後継者となったのだが、
    当時のキエフは、モンゴル・タタール軍による破壊度合いが凄まじ過ぎたため、
    街として復活することは叶わず、そのまま、ポーランドとリトアニアの支配地と
    なった。 逆に、ロシアは、そのままモンゴル・タタールの支配下となった
    のだが、先にモンゴルの支配から脱した同じ正教国家のモスクワ公国に自ら
    助けを求めたのがウクライナであり、ウクライナの大半の領土は、そのまま
    モスクワ公国へと吸収され、ルーシの真の後継国家となったモスクワは、
    「ルーシ国」という意味のロシアへと国名を変更した。

    よって、ウクライナは、ロシアにとっては、完全に自国内ということになるのだが、
    アメリカの一方的な報道によれば、ロシアとウクライナは、戦争を起こす程、
    非常に仲が悪いらしい。 元々、アメリカの学校には、大学を含めて、歴史の
    授業が存在しないため、自国の歴史を含めて、過去の出来事を何も知らない
    人間が大多数となっている。 また、アメリカは、言わずと知れた世界一の
    差別大国であるが、教育水準が非常に低い国としても有名で、この教育水準の
    低さが理解力低下を招き、差別へと繋がっていることは、明白な事実である。

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    ウクライナ危機はバーチャル情報戦
    現在のアメリカ大統領であるバイデンは、前々大統領のオバマの時代は、
    副大統領を務めていたのだが、ここで忘れてはならないのは、オバマは、
    ウクライナを攻撃しており、その時、直接指揮を執ったのがバイデンだと
    言われている。 アメリカの政治は、民主党と共和党の二大政党が常に議席を
    争っているが、オバマとバイデンは同じ民主党、トランプは共和党である。

    尚、アメリカは、特に民主党が政権を握っている時は、非常に活発的に世界中で
    戦争を引き起こしており、死の商売よろしく、武器を大量に輸出して毎回
    ぼろ儲けしている。 例えば、旧ユーゴスラビアで戦争を起こしたのは、
    民主党のクリントン、イラン・イラクで戦争を引き起こしたのは共和党の
    ブッシュ、ウクライナで戦争を引き起こしたのはオバマ(副大統領はバイデン)、
    シリアで戦争を引き起こしたのはトランプ、再度ウクライナで戦争を引き起こそうと
    しているのがバイデンである。

    アメリカに利用されるばかりのオリンピック
    ちょうど8年前の2月にロシアのソチで冬季オリンピックが開催されたが、
    その開催期間にウクライナの首都キエフでは、「ユーロマイダン」と呼ばれる
    政治クデーターが突然起こり、親ロシア派大統領であったヤヌコヴィチがロシアへと
    亡命、親アメリカ派大統領であるポロシェンコへと電撃的に交代した。
    この時は、金銭の横領が非常に多かったヤヌコヴィチに対して、市民が自ら
    立ち上がった政変と報道されたが、実際は、アメリカによって操られた
    キエフ市民が、一方的に親ロシア勢力を一掃しただけであった。 この時から
    ウクライナ・クデーター政府は、ウクライナ国内に住んでいるロシア人の殺戮を
    開始したが、海外メディアは、ウクライナ国内に住んでいるロシア人のことを
    「武装した親露派」として大々的にうその報道を行なった。

    アメリカは、大会前までは、北京オリンピックをボイコットすると言っていたのが、
    近年では、オリンピック自体が大々的に政治利用、商業利用されており、特に
    冬季オリンピックは、近年において、3回連続で政治利用されている。 競技を
    行なうアスリートを二の次にした金儲け第一主義のオリンピックなのであれば、
    廃止も考えてしかるべき。

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    クリミアは元々はロシアの領土
    これと時を同じくして、ウクライナ南部のクリミアでは、少数派のウクライナ人に
    よる乱暴狼藉に耐えかねたロシア系住人の自主的なウクライナからの独立を問う
    住民投票が行なわれ、圧倒的な支持を得て、ウクライナから一旦独立の後、
    クリミア住民(大多数はロシア人)の意思に従って、ウクライナからロシアへと
    返還された。 但し、日本やアメリカでは、「ロシアが一方的に編入したクリミア」
    と枕詞が常に付いた。 尚、第二次世界大戦終結後は、アメリカ、イギリス、
    ロシアによる3者会談がクリミアのヤルタで秘密裏に開かれたが、この時の
    クリミアの帰属は、実はロシアであった。 クリミアはその後、ウクライナ人の
    フルシチョフによって、「ロシアとウクライナの友好の証し」として、
    ウクライナへと移管されたのだが、この時は、ロシアもウクライナもソ連邦で
    あったため、両国に国境は存在したものの、日本で言うところの「県境」程度の
    認識でしかなく、当然国境を越える際には、パスポートやビザなどは必要なかった。
    尚、ウクライナ軍は、クリミアから撤退する際に、2つあった橋を共に破壊して
    おり、その後、クリミアは数ヶ月間に渡り孤立したが、それを助けたのは
    ロシアであり、ロシア側から橋を建設して同胞の保護に努めた。

    ロシアから見たウクライナ、ウクライナから見たロシア
    ロシアから見たウクライナとは、常に様々な問題を引き起こしては、全てロシアの
    せいにして来る非常に厄介な国であり、天文学的な赤字を常に抱えた破綻国家で
    ある。 ウクライナは、むしろ、ロシアにとっては、足手まといでしかなく、
    かつは同盟国でったため、寛大な気持ちを持ってロシアがウクライナを許して
    いるだけだが、実は、アメリカがある北米大陸には、100年程前~スターリンの
    時代に新天地へと移民をして行ったウクライナ人が大量に住んでいる。 これらの
    ウクライナ人は、今では3~4世の世代となっているものの、飢餓と粛清によって
    国を追われた当時の恨みが逆に倍増されており、ウクライナ人がロシア人を恨む
    根本的な原因となっている。 ロシア国内の民族構成は、ロシア人が最も多い
    のだが、2番目はタタール人、3番目は実はウクライナ人である。 また、
    ウクライナ国内にもロシア人が大量に居住しており、ロシア人とウクライナ人は、
    かなりの広範囲で混在しているのである。

    冷戦からドイツ再統一へ
    冷戦時代、ウクライナとロシアは同じソ連邦であったため、当然、同一国家で
    あった。 当時は、ロシアを中心としたワルシャワ条約機構とアメリカを中心
    とした北大西洋条約機構が激しく対立し、両陣営の間には「鉄のカーテン」なる
    ものが存在した。

    1990年10月3日、東西に分裂していたドイツは、念願の再統一を果たすが、この時、
    この再統一を許したのが、当時のソ連大統領のゴルバチョフであった。
    ゴルバチョフは、ワルシャワ条約機構に駐留をしていたソ連軍を撤退させる
    条件として、北大西洋条約機構と欧州共同体の東方への拡大を禁じたが、現在、
    元ワルシャワ条約機構加盟国のほぼ全てが北大西洋条約機構とヨーロッパ連合に
    参加をしている。 ゴルバチョフの約束は全く守られなかったのである。

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    アメリカの異常なまでな執着心
    アメリカがここまでウクライナに執着心を持つ理由は、複数考えられるが、先に
    述べたように、ウクライナの現政権は、アメリカの傀儡政権であり、完全に
    アメリカの操り人形として使える現政権が倒れると、同国への影響力が大幅に
    低下するからに他ならない。 アメリカには、米英の軍事基地をウクライナに置く
    長期的な目標があり、ここでロシアにやられてしまうと、あらゆる意味で今までの
    活動が水泡に帰しかねないため、積極的にウクライナに介入を行おうとしている
    のである。 アメリカにとっては、世界のどこかで紛争や戦争が起これば良い
    だけで、第二次世界大戦後を見ても分かるように、必ず世界のどこかで戦争を
    仕掛けており、戦争が起きなければ、アメリカは金づるを失うのである。

    ウクライナとは陸続きではないアメリカとイギリスは、必死でロシアとウクライナ
    を戦争に巻き込みたがっているが、この状況は、日本&韓国&北朝鮮、並びに、
    中国&香港&台湾の状況と全く同じで、日本人はウクライナの状況を良く見ておく
    べきである。

    ドイツとフランスの後悔
    EUの中心国家、ドイツとフランスは、西側とは経済格差が大きいルーマニアと
    ブルガリアをEUに入れてしまったことを死ぬほど後悔してり、当初EUは、
    この2カ国に対して、加入後7年間はEU内への移動を禁じたが、その後、この
    「東のEU市民」が大量に列挙してやって来てしまったため、困り果てている
    のである。 ウクライナがNATOとEUに加盟すると言ったら、ドイツは、イギリス
    同様、NATOとEUから脱退するであろう。 実は、ドイツ人もフランス人も
    ウクライナが非常に嫌いなため、ルーマニアやブルガリアよりも遥かに貧困な
    ウクライナをわざわざNATOとEUに加入させ、自らの首を絞めるようなバカげた
    事は一切考えていないのである。

    日本とウクライナの意外な共通点
    ウクライナは、自らの選択でロシアとは袂を分かち、ヨーロッパ最貧国にまで
    落ちぶれ果てたが、それまでは、ロシアが散々支援を行なっており、ウクライナは、
    最大支援国のロシアを失ったため、経済的に立ち行かなくなったところをアメリカに
    拾われた格好となったが、日本がアメリカと一緒にいる限り、日本の未来は、
    ウクライナと全く同じと考えて間違いない。 アメリカの典型的な手口とは、まず、
    国民をテレビ等で白痴化し、うそを大量に流した上で思考回路を奪い、極右勢力を
    使い愛国心と恐怖心を煽り、それを利用して隣国(日本の場合は、韓国、北朝鮮、
    中国、ロシア)と戦争を引き起こさせるのである。

    日本のロシア系の記事は、アメリカからのうその情報を直訳した眉唾な内容が
    ばかりで、デマ、でっち上げ、ウソ、憶測が大半となっており、確信を付いて
    いる記事が1つたりとも見当たらない。

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    津太夫(つだゆう、延享元年(1744年) - 文化11年7月29日(1814年9月12日))は、
    江戸時代後期の仙台藩の水主(かこ)で、浦戸諸島寒風沢島(現宮城県塩竈市)に
    生まれた。

    49歳の時に嵐に遭遇し、アリューシャン列島のウナラスカ島に漂流し、
    ペテルブルクでロシア皇帝アレクサンドル1世に謁見した後、儀兵衛、左平、
    太十郎ら3名と共にニコライ・レザノフとクルゼンシュテルン率いるロシア初の
    世界一周航海に同行する形で、61歳で図らずも日本人初の世界一周を果たした。
    日本帰国までの漂流生活は、実に14年にも及んだ。

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    寛政5年(1793年)11月、仙台藩の用木、米などを積んだ16人乗りの若宮丸の
    水主として石巻から江戸へ向かう途中、塩屋崎(現福島県いわき市)沖で暴風に
    遭い漂流し、半年もの間、壊れた船で太平洋を漂流した後、翌寛政6年(1794年)
    5月10日、アリューシャン列島東部のウナラスカ島(先に大黒屋光太夫もこの島に
    漂着)に漂着した。

    その地でロシア人に助けられ、アトカ島、聖パヴェル島、アムチトカ島、
    オホーツク、ヤクーツクを経て、寛政8年(1796年)12月下旬にイルクーツクに至り、
    この地で大黒屋光太夫と共に漂流した新蔵に出会う。

    この後、津太夫ら若宮丸の漂流民14名はイルクーツクで7年間暮らしたが、
    新蔵の説得により洗礼を受けた善六をはじめとする4名は日本語学校の教師となり、
    何不自由なく暮らしたのに対して、洗礼を受けなかった津太夫ら10名は役所から
    必要最低限の銅貨が支給されていたものの生活は苦しく、津太夫は漁網を縫う
    仕事をし、他の者も漁師や大工の手伝いやパンを売り歩いて糊口をしのいだ。
    このため漂流民たちの間で対立が激しくなり、津太夫ら10名は新蔵とは親しく
    交流した反面、善六ら4名に対しては憎しみさえ抱くようになった。 尚、
    寛政11年(1799年)2月28日に阿部吉郎次がイルクーツクで病死している。

    享和3年(1803年)3月初旬にロシア皇帝アレクサンドル1世の命令書が届き、
    3月7日にイルクーツクを出発、クラスノヤルスク、トムスク、エカテリンブルク、
    ペルミ、カザン、モスクワを経由して4月27日にペテルブルクに到着した。
    この旅の途中、乗り物酔いや病気などの理由により3名がイルクーツクに引き返し、
    ペテルブルクにたどり着いたのは10名であった。

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    ペテルブルクでは貴族の館で歓待され、5月16日に新蔵の通訳の下で皇帝
    アレクサンドル1世に謁見し、10名のうち帰国を希望した津太夫、儀兵衛、左平、
    太十郎の4名の帰国が許される。 この後も一行は気球やプラネタリウム、
    芝居見物などロシア側から様々な接待を受けた。

    そして、6月12日に津太夫ら帰国組4名はロシア使節レザノフ一行と共に
    クロンシュタット港に赴き、露米会社の持船ロシア使節船ナジェジダ号に乗船し、
    ここで新蔵と別れた。 6月16日にナジェジダ号はクロンシュタット港を出発し、
    コペンハーゲン、ファルマス(途中フランス艦と間違われイギリス船から攻撃を
    受ける)、カナリア諸島、サンタ・カタリナ(初めてロシア船が赤道を通過)、
    ホーン岬、マルケサス諸島、ハワイ諸島を経て、文化元年(1804年)7月2日に
    ペテロパブロフスクに到着した。

    ペテロパブロフスクでは、陸軍中尉トルストイ伯などと共に、レザノフの通訳として
    同行していた善六も下船した。 レザノフは善六を日本に連れて行くつもりで
    あったが、善六の乗船により津太夫ら4名との対立が船内に持ち込まれ、空気が
    悪くなっているとナジェジダ号船長クルゼンシュテルンが強く主張したためで
    あった。

    ナジェジダ号は、8月5日にペテロパブロフスクを発ち、千島列島沿いにしばらく
    南下した後、本州東方から八丈島、薩摩の沖合を経由して9月4日に長崎に到着する。
    津太夫は漂流以来12年目にして61歳で日本人初の世界一周を成し遂げた。

    しかし、長崎に着いてからも津太夫ら4名はすぐに身柄を日本側に引き取られ
    なかった。 そのため不安と苛立ちから発病した者や、自殺未遂を起こした者まで
    出たが、レザノフと目付遠山景晋が会見した後(ロシアの通商交渉は失敗した)、
    翌文化2年(1805年)3月10日に正式に身柄が引き渡された。 その後、4名は
    奉行所より訊問を受け、キリシタン宗門の疑いが晴れた後、迎えに来た仙台藩士と
    共に長崎を出立し江戸へ向かった。 江戸では仙台藩主伊達周宗に引見し、
    藩邸の長屋で大槻玄沢、志村弘強から「環海異聞」編集のための聴取が行われた。
    全てが終了したのは文化3年(1806年)2月下旬で、津太夫ら4名は13年ぶりに
    帰郷を果たした。

    故郷の寒風沢に帰った津太夫は、文化11年(1814年)7月29日に70歳で亡くなった。

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    鎖国時代の日本、ペリー来航の100年以上も前にロシアの船が日本に来ていた
    ことは意外に知られていない。

    宮城県石巻市網地島にあるベーリングの像

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    元文の黒船(げんぶん の くろふね)
    元文の黒船とは、日本の江戸時代中頃の元文4年(1739年)夏、牡鹿半島、房総半島、
    および、伊豆下田などに、ロシア帝国の探検船が来航した事件である。 アメリカ
    合衆国の黒船(米国東インド艦隊ペリー提督)による、嘉永期の黒船来航に114年
    先立つ、いわゆる「鎖国」期における、江戸幕府とロシア帝国との歴史上初めての
    接触であった。

    元文4年6月18日、仙台藩領の本吉郡気仙沼で異国船の目撃情報があった。 更に
    4日後の23日に牡鹿半島沖の仙台湾に浮かぶ網地島にも2隻の異国船が出現した。
    これらの船は、マルティン・シュパンベルクが率いるロシア帝国の第2次北太平洋
    大探検隊であり、ベーリング海峡の語源となったヴィトゥス・ベーリング
    アリューシャン列島を探検している間、4隻の船を日本へと遣わし、ヨーロッパ
    大陸からベーリング海峡、千島列島を経て日本との通商ルートを開拓するために
    来航したものであった。
     
    まず初めに、2隻の異国船が現れたのは、牡鹿半島の南に浮かぶ網地(あじ)島の
    南東部、長渡(ふたわたし)浜で、仙台藩の公式文書には、「牡鹿郡長渡のうち、
    根組浜という所の沖に唐船(異国船)が2隻現れた」と記されている。 長渡を
    去ったロシア船は、今度は亘理荒浜沖に姿を見せたが、この時は3隻であった。
    網地島の白浜海水浴場には、これを記念してベーリングの銅像が建立されているが、
    残念ながら、ベーリング本人は網地島には来ていない。

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    翌々日の25日には、仙台藩領から遠く離れた幕府直轄領の安房国長狭郡天津村
    (現千葉県鴨川市)にも異国船が現れたが、これは上記の3隻とは別行動をとって
    いた船であった。 ロシア船員はそれぞれ上陸し、住民との間で銀貨と野菜や魚、
    タバコなどを交換した。 同月28日には伊豆国賀茂郡下田でも異国船が目撃された。
    これら上陸地の中で、ロシア人による日本初上陸の地となったのは、鴨川であった。

    当時、ロシアと日本の間には国境という概念がなく、霧を挟んで互いに姿が
    見えないという漠然とした区切りしかなかった。 その霧の向こうから
    突如ロシアが来訪し、こうして日ロの歴史が始まった。

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    鎖国時代の日ロ交流
    元文の黒船騒動で初めての接触を果たした日ロ両国であったが、千島列島では
    アイヌ人居住地にロシアの商人・海軍がじわじわとその勢力を拡大しつつあった。
    1753年、日本語学校の日本人教授を大幅に増員し、イルクーツクへと移転したが、
    これらの動きは蝦夷地(北海道)でアイヌと関係を持っていた松前藩の警戒を招いた。

    しかし、蝦夷地収益の独占を図る松前藩は、道外や和人地からの蝦夷地への訪問を
    制限しており、日本人にとって蝦夷・ロシアに関する知識は極めて限られたものと
    なった。 このような中、仙台藩の藩医工藤平助がロシア研究書である
    赤蝦夷風説考」を著述(赤蝦夷はロシア人のこと)したが、時の政治改革を主導して
    いた田沼意次もこれに関心を抱き、蝦夷地調査や新道開削などを開始したが、
    間もなく田沼が失脚したため、尻すぼみとなった。

    1793年のエカテリーナ2世の時代には、日本人漂流者でロシアで保護されていた
    大黒屋光太夫ら3名の送還と通商開始交渉のため、アダム・ラクスマンの使節が
    根室に来航したが、田沼の後政権を握った松平定信らは、漂流民の受け取りのみで
    通商は頑なに拒否して長崎回航を指示したため、ラクスマンはそのままオホーツクへ
    帰港した。

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    その後も1804年にニコライ・レザノフが同様に漂流者津太夫ら4名の送還のため
    長崎へ来航したのち、通称を拒否された報復で樺太と択捉島を襲撃する事件
    (文化露寇)、1811年にはゴローニン事件が起きるなど、正式な国交がないまま両国は
    緊張を続けた。

    1853年の米国による嘉永の黒船来航と同時期にエフィム・プチャーチン率いる
    ロシア使節が日本へ来航し、同年、樺太へのロシアの侵入が始まるが、交渉の末、
    1855年日露和親条約が締結され、ようやく日ロ間の国交が成立する。 1858年の
    日露修好通商条約、1875年の樺太・千島交換条約により、両国関係はようやく安定
    することとなった。

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    ネオナチ
    例年1月1日に首都キエフで行われている「たいまつ後進」は、ウクライナ民族主義
    運動のリーダーであり、その生涯をウクライナの独立に捧げたステパン・バンデラ
    (1909年1月1日~1959年10月15日)の生誕を記念して行われている夜間行事で
    あるが、この集会自体がナチスを彷彿とさせるとして、ロシアやチェコ等の周辺
    諸国からも度々指摘がなされいる。

    ウクライナ西部のガリツィア地方に基盤を持つ政党「スヴァボダ」は、バンデラの
    思想と運動形態を継承しており、「バンデラ主義者」と呼ばれる人々が主張する
    ウクライナ民族至上主義、反ユダヤ主義は、国際基準でネオナチに分類されている。
    バンデラ主義者が、ナチスが頻繁に行った「たいまつ行進」を好んで行うのも、
    自らが「ネオナチ」であることを誇示するためと言われている。

    ウクライナ民族至上主義を掲げるバンデラ主義者


    ステパン・バンデラ
    1991年のソビエト連邦崩壊以前、バンデラは、ソビエト政権からは「ファシスト」
    「ソ連最悪の敵」として扱われ、ソビエト時代のウクライナの歴史教育でも
    このように教えられていた。 1991年12月にソ連が崩壊し、ウクライナは独立を
    果たしたが、現代のウクライナにおけるバンデラの評価、ウクライナ民族主義者
    (ネオナチ)の評価、ウクライナ蜂起軍の評価は、否定的なものと肯定的なものが
    入り混じった混沌とした状況となっている。

    バンデラは一時期、ナチス・ドイツと提携し、ウクライナの独立を図ったことが
    あるが、バンデラが指揮する軍団が、ドイツ軍の指揮下に入ってソ連軍と戦い、
    戦争初期にはウクライナを支配下に置いた。 もっとも、ナチスは、「約束を守る
    とは約束していない」と合意を反故にした。 このため、ウクライナ独立の
    約束をナチスは守らず、その後、ウクライナ人はドイツの鉱山や工場で働かされ、
    「東方の労働者」と呼ばれた。 バンデラはナチスによって逮捕され、強制収容所に
    送られたが、戦争末期にアメリカによって釈放された。 第二次世界大戦後、
    バンデラとその支持者は西ドイツに拠点を置き、ウクライナにおける反ソ武装闘争を
    指導したが、バンデラは1959年10月15日、ミュンヘンの自宅周辺でKGB(ソ連国家
    保安委員会=秘密警察)の刺客によって暗殺された。

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    ウクライナはボリシェビキが造った人工国家
    ウクライナは、ウクライナ人の意思には関係なく、ロシア革命時に重要な役割を
    果たしたボリシェヴィキによって造られた人工国家であるが、第二次世界大戦の
    結果、欧州の国境は大きく様変わりし、ポーランド、スロバキア、ルーマニア等、
    様々な地域が統合された結果生じた国家である。 そもそも、ウクライナは、西部、
    中部、南東部と大きく文化的にも分かれており、東部ではロシア語が圧倒的に
    優勢であるものの、西部ではウクライナ語が普及している。 経済的に見ても、
    東部では主に工業、西部では主に農業が盛んとなっている。

    現在のキエフ政権は、中部と西部が中心となっており、特に、元々ポーランド領で
    あった西部(ガリツィア)がウクライナの唯一のイデオロギーとされている。
    住民らの基本的な物の考え方も親欧的とされている中部&西部、並びに、親露的な
    東部とでは全く折り合わず、1つの国家とされながらも、実際は全くの別国家で
    ある。

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    ソ連崩壊後
    ソ連崩壊時、バルト3国では、およそ200万人が参加して手をつなぎ、3共和国を
    結んで約600km以上の人間の鎖を形成し、国際社会にバルト3国の独立を大いに
    アピールしたが、逆に、ウクライナでは、特に目立った独立運動は起こらず、
    当時、ロシア大統領であったエリツィン氏が、「ロシアは、スラブ3国である
    ウクライナ、ベラルーシと共に、ソ連から独立する」と宣言するに至り、最終的に
    ソ連は崩壊した。 正に、ウクライナの独立は、ロシアの「みち連れ」的な
    漁夫の利での独立であった。 よって、その後のウクライナの教育は、ロシアとの
    「違い」を見出すことに主眼が置かれ、常にウクライナ人としての
    アイデンティティーを見出すことが重要視されたが、元々、ソ連時代のロシアと
    ウクライナの境界線は、同じロシア語で喋っている国家同士ということもあり、
    日本で言うところの「県境」程度の境界線であったため、線引きが非常に曖昧で
    あった。

    その後、2004年11月の総選挙により「オレンジ革命」が起こり、ヴィクトル・
    ユーシェンコ大統領、ユリア・ティモシェンコ首相らを中心とする反露路線への
    改革が行われたものの、2010年には再度親露派のヤヌコヴィッチ大統領が当選し、
    ロシア寄りへと方向転換した。 その後、2014年にはウクライナ騒乱が起こり、
    親露派のヴィクトル・ヤヌコヴィチ大統領が失脚し、代わって反露派のペトロ・
    ポロシェンコ大統領が就任したが、ポロシェンコ政権は、ソ連・ロシアの「遺物」を
    除去する政策を数多く打ち出した。

    これに伴い、バンデラやウクライナ民族主義者組織、ウクライナ蜂起軍についても
    「ウクライナ独立のために戦っていた英雄たち」として讃えられるようになり、
    ウクライナの法律でも同様に定められた。 2016年、ウクライナの首都である
    キエフの「モスクワ通り」は、キエフ市議会の決議により、バンデラを顕彰して
    「ステパン・バンデラ通り」へと改名された。

    ナチスの旗を掲げる過激な民族主義者ら
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    民族主義的な教育とロシア語の禁止
    現在、ウクライナの学校では、バンデラを民族の英雄として崇拝するよう教育を
    受けており、ロシア語の使用も度々禁止されているため、公式の場では、基本的に
    ウクライナ語で喋らなければならない。 ソ連崩壊後のウクライナ南東部は、
    西部とは異なり、独自のアイデンティティやイデオロギーを持ち合わせてなかった
    ため、キエフ政府に南東部の代表が居た時代ですら、政治に関する文献全てが、
    ウクライナ民族主義者に任されていた。 このため、教育自体が、全土で統一された
    民族主義的な内容へと書き換えられ、ウクライナの学校では、極右的な視点で
    書かれたウクライナ史が教えられている。

    ウクライナのメディアは、「オリガルヒ」と呼ばれる新興財閥によって、完全に
    掌握されているため、テレビでも連日、過激な民族主義的なプロパガンダが繰り返し
    流されている。 元々は親露的であった南東部でさえも、人工的にウクライナ化
    された若者が多くなって来ており、かつての寛容的なウクライナは失われつつある。

    現在のウクライナは、ソ連時代のウクライナとは全くの別国家であると言える。

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    2020年12月5日、世界初となる新型コロナウイルスワクチンの大規模接種が
    ロシアで開始された。 このワクチンは、今年8月にロシア国内で開発された物で、
    およそ200万回分生産され、「スプートニクV」と名付けられた。

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    ワクチン開発に関わる政府系の「ロシア直接投資基金」によると、有効性は
    約95%、価格は約1,000円程度、欧米製と比較すると、非常に安価なワクチンと
    言える。

    今回の接種の対象者は、医療関係者や教員らの感染リスクが高い職業の人のみが
    対象だが、まだ最終段階の臨床試験が完了しておらず、安全性や有効性を
    懸念する声が未だ根強いままでの接種開始となった。

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