1980年、食料と消費物資と電力の不足が深刻になった。 この年の夏、
グダニスクのレーニン造船所の労働者たちは、講義のストライキを起こした。
他の都市の労働者たちもそれに習い、3週間続いたストライキで国家機能は
麻痺した。 政府は賃金の値上げや、労働組合を結成する権利などの要求に
同意した。 その結果、全国的な労働組合である『連帯』が創設され、造船所の
電気技師で、ストライキの組織者でもあったレフ・ワレサが議長となった。

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労働者たちの獲得した各種の権利は、政府への圧力となり、政府は他の面でも
改革を迫られた。 ギエレクは政治犯を釈放し、新聞や放送に対する統制を
緩和した。 しかし、ソビエトとポーランドの共産主義指導者たちは、これらの
変化に抵抗し、国民は、ソ連の軍事と政治、両面に渡る介入を懸念しはじめた。
1981年、ギエレクは辞任し、厳格な共産主義者ヴォイチェフ・ヤルゼルスキが
第一書記長に就任した。

ヤルゼルスキは『連帯』を非合法化し、ワレサを逮捕した。 しかし、反政府
デモは、尚も続き、ワレサは、1983年に釈放されて、再び『連帯』の指導者に
返り咲いた。 ポーランドの労働運動は、カトリック教会に支持されていた。
教会のトップに立つ教皇ヨハネ・パウロ2世は、ポーランド人で、ポーランド
政府にさまざまな改革を実行するように呼び掛けていた。

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