東京通詞 ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

世界80言語対応の多言語翻訳『東京通詞』を運営しています。 お見積もりはお気軽に『お問い合わせ』からお願い致します (^-^)b



    ブログランキングに参加していますので、クリックをお願いします!
    にほんブログ村 外国語ブログへ
    にほんブログ村
    人気ブログランキング

    タグ:ルーブル

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

    2018年9月8日~9月17日まで、旧ユーゴスラヴィア縦断の旅に行きました♪

    旅の始まりは、両替からw ものの18年ほど前までは、ロシアの通貨である
    ルーブルは、ロシア国外には一切持ち出し禁止だったのだが、最近では、
    日本国内でも普通にルーブルの両替が出来るようになたったため、1997年の
    経済危機の時から考えると、隔世の感が否めない。

    アエロフロートに限らず、ロシアの飛行機は、基本的に奇跡が起きない限り、
    時間通りには絶対に飛ばないのだが、この日も1時間半遅れで成田空港第一
    ターミナルを出発。 モスクワ・チェレメーチェヴォ空港までのフライト時間は、
    約10時間あるため、この間、ロシア映画を4本見た♪

    【成田空港】
    IMG_1534
    IMG_1532
    IMG_1535
    IMG_1538
    IMG_1539
    IMG_1540
    IMG_1541
    IMG_1542
    IMG_1543

    成田空港を飛び立ち、ようやくモスクワ・シェレメーチェヴォ空港に到着したが、
    その間、機内食と飲み物は、それぞれ2回づつ出たのだが、この日の機内食は、
    鶏肉以外はもうないと言われた。

    ロシア国内には、基本的にローマ字による表記はないが、空港内だけは、
    英語と中国語による併記があるため、ロシア語が読めない人でも比較的楽に
    移動出来る。

    【モスクワ・シェレメーチェヴォ空港】
    IMG_1544
    IMG_1545
    IMG_1547
    IMG_1548
    IMG_1550
    IMG_1553
    IMG_1554
    IMG_1555
    IMG_1556

    まずは、矢印の通りに進み、入国審査を経て、モスクワの街へ出ます。 今年は、
    ロシアでFIFAワールドカップサッカーを開催したため、ファンID所持者は、
    今年度中はロシアのビザが免除されています。 念のため、ロシア大使館にも
    問い合わせ、入国審査時には、更に念のため、口頭で入国審査官に対して、
    「ファンID所持者は、ビザが免除されていますよね?」と確かめたところ、
    「はい」との回答が返って来た。

    ロシアの入国審査は、結構面倒で、昔は色々と質問やら、スーツケースを開けろは
    当たり前で、財布の中身を見せろも当たり前でした。

    >>トップページに戻る



    【お勧めの一冊】


    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

    ソ連崩壊直後の93年4月から、ロシア第3の都市、ノボシビルスクに留学する
    ことになった。 これは、90年から始まった、札幌とノボシビルスクの姉妹都市
    締結を記念して開催された、コム博が切っ掛けではあったが、実際は、全て
    自分から持ち掛けた話であるため、大学にも札幌市にも一切関係がない話であった。
     
    93年当時のノボシビルスクには、全部で7人程度の日本人しか住んではいなかった。
    しかも、そのほぼ全てが札幌からの関係者ばかりであった。 当時、ノボシビルスク
    大学には、過去においても、日本人が入学したことがなかったことから、私が
    ノボシビスルク大学に正式に入学した日本人第一号となった。
     
    93年当時のロシアは、91年の12月末にソ連が崩壊したばかりで、まだ崩壊から
    1年程度という状況もあり、混迷を極めていた。 ソ連の崩壊と言うとあまりピンと
    来ない人が多いのだが、実際には、国がなくなった訳で、国を司っていた法律も
    全てなくなった。 よって、ソ連末期の頃から既に治安が悪化していたのだが、更に
    状況が悪化し、世界一治安が悪い国とまで呼ばれるに至った。

    545d37325f73ca3f942123f8557

    その状況たるや、目を覆うばかりで、車が信号で止まると、ジプシーが列挙して
    車に襲い掛かり、部品を丸ごと持って行くだとか、これを同じく、信号待ち
    していた人がジプシーに身包みはがれただとか、男でもトイレの中で犯された
    だとかはまだましな方で、至るところで犯罪、殺人、自殺等の社会不和が一気に
    表面化し始めた。 昼間でもひとりで道を歩くには危険と言われたが、日が暮れて
    から外出するのは、正に命懸けであったため、常に何らかの武器を携帯しなければ
    犬死も同じ時代であった。
     
    それと同時に、ハイパーインフレが始まり、ロシア・ルーブルは、連日米ドルに
    対して、20ドルづつ暴落していたため、商店に並んでいた商品の価格は、朝と
    夕方とでは大幅に異なっていた。 尚、ノボシビルスク大学にあるのは、学術
    研究都市である、アカデム・ゴロドクにあるため、当時のロシアの中では、比較的
    治安が良い場所ではあったものの、いかんせん、研究都市であったため、市場や
    スーパーというものがなく、週に1度、約1時間ほど掛けて、路線タクシーと
    地下鉄を乗り継いで、ノボシビルスク中心部にある市場へと食料の買出しに行か
    なければならなかった。 その当時、猫を飼っていたのだが、当時の
    ノボシビルスクには、キャットフードなどという贅沢品は一切置いてはおらず、
    週に1度、魚を買いにはるばる市場へと通った。
     
    尚、93年には、モスクワで反エリツィン派による政治クーデータが起こり、国の
    機能が一時麻痺した。 テレビ局も全て機能がストップし、全てのテレビ局が
    同じ放送内容ばかりを流した。 恐らく、ロシアの歴史の中でも、この93年
    前後が最も厳しい時期で、食料や燃料が不足し、正に地獄の底であった。 この
    当時、アエロフロートの国内便は、燃料不足により、数ヶ月間全便結構していた
    ため、ノボシビルスクへの移動は、ハバロフスクから丸4日掛けて、シベリア
    鉄道で移動した。 当時は、ロシアの学生証を所持していたため、丸4日間電車に
    乗っても料金は日本円に換算して、400円であった。

    当時飛んでいなかったハバロフスク→ノボシビルスクの飛行機のチケットは、
    180ドルであった。

    ソ連崩壊とは何だったのか? その①
    ソ連崩壊とは何だったのか? その②
    ソ連崩壊とは何だったのか? その④
    ソ連崩壊とは何だったのか? その⑤
    ソ連崩壊とは何だったのか? その⑥
    ソ連崩壊とは何だったのか? その⑦

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

    ソ連崩壊直前の1989年当時、ロシアの通貨であるルーブルは、360円だった。
    但し、その年にロシアルーブルは一気に下落して、10分の1の価値である、36円
    まで暴落した。 ここからロシアの経済危機とハイパーインフレが始まった。
    90年1月には、モスクワのプーシキン広場に初めてアメリカ資本のマクドナルドが
    進出し、ソ連の歴史が始まって以来、身分の高い店員様が客に対して、
    『ありがとうございました』と言ったことが非常に話題となった。 それまでの
    ソ連の店では、客が店を後にする際に『ありがとう』と言い、店員の言葉と言えば、
    『どういたしまして』が普通だった。
     
    当時、和食レストランは、モスクワでは『サクラ』という一店しか存在していな
    かったのだが、今では、モスクワ市内だけでも、700店を超えるのだとか。 今や、
    ユニクロや丸亀製麺までもが進出を果たしており、この25年間のロシアの変貌振り
    には驚きを隠せない。 恐らく、この25年間でここまで変貌を遂げた国は、ロシア
    以外にはないであろう。 中国も大変貌を遂げてはいるものの、社会主義から資本
    主義への転換はしていない。 ロシアが最も変わったところは、やはり、社会主義
    から資本主義へと転換し、地獄の底を這いながらも、ここまで経済発展したところに
    尽きる。 現在のモスクワ・シティーは、新宿と何ら遜色がないばかりか、むしろ、
    発展している。 これが、経済危機で何年も完成が遅れた建物群かと見まごうばかり
    である。

    15356683_1529884713695611_5424959815758522771_n

    ソ連当時、バスのチケットは、運転手から買うものだった。 よって、車内で隣の
    人にお金を渡せば、めぐりめぐって、自分のところへチケットとおつりが返って
    来るという、非常にのどかなものだった。 その後、ソ連が崩壊してしまったため、
    このような風習はすっかりと消え去った。 ソ連時代の最大の特徴は、民族友好で、
    ソ連国内に約180も居る多民族は、皆平等なソ連人だった。 基本的に国民全員が
    公用語であるロシア語を操り、社会主義の時代は、国をあげて教育にも熱心に力を
    入れたため、あれだけ広大な国であるのにも関わらず、ロシア語には方言という
    ものがほぼない。

    社会主義とは、アメリカ的なイデオロギーから見ると、悪らしいが、国家が計画的に
    経済を建設する社会であったため、国民全てに、マンションと別荘も与えられる
    という、強欲資本主義では到底あり得ない特典もあった。 よって、贅沢さえしな
    ければ、皆が幸福で居られる社会でもあった。 それゆえに、逆に発展性がなく
    なり、働いても働かなくとも、給与は同じという生温い社会が70年間も続いたため、
    ソ連は崩壊したとも言える。


    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

    最近は、かなり簡素化されたロシアへの渡航手続き。 昔は、ビザ申請時に、希望する
    滞在地を全て記載しなければならず、基本的に、ビザに記載された都市以外には行く事が
    出来なかった。

    ビザに貼り付ける写真も現在では1枚になっているが、かつては、切り離して入国の際に
    提出するものと、手元に残すものの2枚が必要であった。  ロシア入国時には、必ず、
    トランクを開けて中身をチェックされ、もしも、グラビア系や、ポルノ系の雑誌が入って
    いたら、全て没収の対象。

    出国時には、財布のチェックが行われ、当時は国外への持ち出しが一切禁止されていた、
    ロシアの通貨、ルーブルが見つかった場合も、全額没収の対象であった。 その後、
    硬貨だけは、国外に持ち出せたが、札だけは、2000年近くまで、持ち出し禁止のままで
    あった。

    イミグレーションカード

    ロシア入国後には、72時間以内に、必ず、滞在地の申告、並びに、登録をしなければ
    ならず、この際に発行される証明書は、パスポートと共に、常に携帯をし、警官に提示を
    求められた場合には、必ず提示をしなければ、国外退去の対象となったが、今では、
    その申請も、7営業日以内までに登録をすれば良いため、かなり簡素化されています。

    その昔、知り合いが、この手続きを怠ったため、国外退去となったが、日本のいい加減な
    職員たちとは異なり、ロシアの入国管理官が、ハバロフスクの空港で飛行機に乗り込ま
    せる最後の登場ゲートまで、付きっ切りで付いて来たそうです。 何を隠そう、この私も、
    この72時間以内の手続きに間に合わなかった事があり、当時は、燃料不足で飛行機が
    全便欠航していたにも関わらず、そのような屁理屈は一切通らないのがロシア。 当然、
    罰金を科せられました。

    ロシアのビザ発給の条件は、毎年何らかの変更があるため、常に最新の情報を調べて
    から、ロシア大使館領事部へ行く事をお勧め致します。

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote
    ブログネタ
    止まらない円高、あなたに影響はありますか? に参加中!

    ロシアの経済危機は、今回が初めてではなく、ソ連崩壊直後は、通貨の急落どころか、
    完全に紙屑と化したため、外貨での『タンス預金』はお手の物。 日本では、『タンスに』と
    言えば、『ゴン』なのですが、ロシアの場合は、『外貨』w ソ連の時代は、外貨を所持
    する事すら『不法投棄』とみなされ、処罰されたのは遠い遠い過去のお話。
    ruble_468
    世界一の天然資源保有国家である、ロシアの場合は、天然資源を海外から輸入している訳
    ではないので、自国のエネルギーは、自国で賄えます。 過去に、今回以上の通貨下落を
    2度以上経験しているため、ロシア人自体は、ルーブル安には、耐えられると思います。

    ハイパーインフレも経験しているので、連日20ドル超の通貨下落や、2か月ごとの物価の倍増も、
    全て経験済み。 その時代も、皆米ドルに換金の後、タンス預金をしていました。 しかも、
    その後に、必ずそれ以上のレベルまで経済力が戻っているので、ルーブル買いをするので
    あれば、今が狙い目かも知れない。

    一部の意見では、ウォールストリートのユダヤの大富豪が、大金をはたいて、ロシアルーブルを
    下落させるために、天然資源の価格をわざと落としているとも言われております。

    むしろ、天然資源も全くないくせに、20年以上もデフレ不況を続け、人材の使い捨てを繰り
    返している、日本の方が問題です。

    >>露国にダメージなし、ルーブル安で利用される西側

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

    原油価格が急落している。 原油価格の国際的指標であるWTIは2014年6月に1バレル
    =105ドルの高値を付けた後、下落トレンドに入り、12月には、55ドル前後まで急落している。
    半年で約半分の価値となってしまった。 これにより、サウジアラビアと並ぶ、原油生産国の
    ロシアは、経済的な打撃を受けた。 この経済的打撃により、国際社会はロシア経済に
    不安を覚え、ルーブルが急落した。 ロシアは、輸出の約7割が、燃料・エネルギーとなって
    おり、その中でも、原油は約3割を占めるている。
    4e7bc77c
    ロシアは、原油価格の下落だけではなく、ウクライナ情勢をめぐり、米国や欧州連合(EU)から
    経済制裁を受けている。 主な経済制裁は、ロシア政府系金融機関による資金調達の禁止、
    北極海などでの石油開発技術等の提供禁止等がある。 これに対する報復措置として、
    ロシアも制裁発動国からの農産物の輸入禁止を発表する等、経済制裁の応酬となっている。
    img_bedadc7c95c269bd5d81b064fdf24459189096
    このようなウクライナ情勢の悪化を嫌い、欧州で資金調達をしてきたロシア企業等、内外の
    資本はロシアから急速に流出しつつある。 このような状況の中、ロシア中央銀行は7月から
    順次、政策金利の引き上げを断続的に実施。 12月には10.5%から一気に17%に利上げを
    行った。 これにより、景気がさらに悪化する方向に作用し、ルーブル下落の要因のひとつと
    なっている。
    20141222k0000e020125000p_size6
    ロシアは、超多民族国家であるため、崩れ出すと、歯止めが掛らない。 ハイパーインフレの
    時代は、朝と夕方で、価格が全く異なっていた。 ロシアは、経済が停滞すると、治安が
    極端に悪化する国であるため、この先の動向からは、目が離せない。

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

    ロシア連邦の通貨である、ルーブルの語源は、『ぶった切る』という意味の『ルビーチ』が
    語源となっている。 『愛する』という意味の『リュビーチ』に非常に似ているが、実は、
    人称変化もほぼ同じ。 どうして、この『ぶった切る』という動詞が、通貨の名前の語源に
    なったかと言うと、その昔、通貨の変わりに、銀をぶった切って、通貨として使用したため。

    ソ連の時代は、ソ連邦全土で、このルーブルが使用されていたが、現在、ロシア以外の
    国でルーブルを使用しているのは、ベラルーシ、モルドバから実質独立状態にある、
    沿ドニエストル共和国、グルジアから実質独立状態にある、アブハジア共和国、並びに、
    南オセチア共和国のみ。 現在紙幣として流通しているものとしては、10ルーブル、
    50ルーブル、100ルーブル、500ルーブル、1,000ルーブル、5,000ルーブルがある。

    1989年当時、このルーブルは、日本円に対して、360円という相場だったが、90年に
    10分の1の価値である、36円まで一気に暴落した。 その後、ソ連崩壊に伴い、ハイパー
    インフレの時代に突入したが、98年には、ゼロを3つ切捨てるデノミを実施。 その後、
    紆余曲折を経て、2014年11月12日現在の為替レートは、約2.47円。 経済制裁の影響を
    受けて、急落しているが、それ以前は、世界一の天然資源国であるため、石油や、
    ガス等による、天然資源の影響の方が大きかった。

    ソ連の時代は、もちろんの事、2000年代の初頭までは、このルーブルは、ロシア国外への
    持ち出しが禁止されており、当時は、シェメチェヴォ空港等で、出国する際には、財布の
    中身や、スーツケースも調べられ、もし、ルーブルが見つかってしまうと、全て没収、その後、
    硬貨だけは見逃されたが、紙幣は、やはり持ち出し禁止だった。
    IMG_20141113_0001
    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ


      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

    ロシア連邦の通貨である、ルーブルの語源は、『ぶった切る』という意味の『ルビーチ』が
    語源となっている。 『愛する』という意味の『リュビーチ』に非常に似ているが、実は、
    人称変化もほぼ同じ。 どうして、この『ぶった切る』という動詞が、通貨の名前の語源に
    なったかと言うと、その昔、通貨の変わりに、銀をぶった切って、通貨として使用したため。

    ソ連の時代は、ソ連邦全土で、このルーブルが使用されていたが、現在、ロシア以外の
    国でルーブルを使用しているのは、ベラルーシ、モルドバから実質独立状態にある、
    沿ドニエストル共和国、グルジアから実質独立状態にある、アブハジア共和国、並びに、
    南オセチア共和国のみ。 現在紙幣として流通しているものとしては、10ルーブル、
    50ルーブル、100ルーブル、500ルーブル、1,000ルーブル、5,000ルーブルがある。

    1989年当時、このルーブルは、日本円に対して、360円という相場だったが、90年に
    10分の1の価値である、36円まで一気に暴落した。 その後、ソ連崩壊に伴い、ハイパー
    インフレの時代に突入したが、98年には、ゼロを3つ切捨てるデノミを実施。 その後、
    紆余曲折を経て、2014年11月12日現在の為替レートは、約2.47円。 経済制裁の影響を
    受けて、急落しているが、それ以前は、世界一の天然資源国であるため、石油や、
    ガス等による、天然資源の影響の方が大きかった。

    ソ連の時代は、もちろんの事、2000年代の初頭までは、このルーブルは、ロシア国外への
    持ち出しが禁止されており、当時は、シェメチェヴォ空港等で、出国する際には、財布の
    中身や、スーツケースも調べられ、もし、ルーブルが見つかってしまうと、全て没収、その後、
    硬貨だけは見逃されたが、紙幣は、やはり持ち出し禁止だった。
    IMG_20141113_0001
    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ

    このページのトップヘ