20世紀初頭までに、ベルギーは、社会的に安定して来たが、政治的、宗教的、
言語的な面では、分裂した社会でもあった。 人々は何らかの宗教グループか
政治的党派に属していた。 宗教的グループであるカトリックと、政治的党派で
ある自由党は、『柱』と呼ばれる制度を採用して、それぞれ別個のグループを組み、
平等の立場で社会生活を営むようになった。

『柱』は、あくまでも自立したもので、教育制度、文化施設、労働組合、言語、
医療サービス、社会サービス等の機関を別個に持っていた。 それぞれの『柱』の
中では、別個の政党が組織されて、政府に影響力を行使し、『柱』同士の紛争を
解決した。 これによって、『柱』のメンバー達の要求は処理され、政府に対する
民衆の不満は大幅に回避する事が出来た。

大部分のベルギー人は、経済的な安定を望み、そのためには、ヨーロッパでの
平和が不可欠だと考えていた。 さまざまな国家間条約が結ばれて、列強の
間での勢力の均衡が図られた。 戦争の危機を避けるため、ベルギーは、
ヨーロッパの他の幾つかの小国と同じように、中立国を宣言していた。 これは、
どんな戦争にも加担しない事を意味した。 しかし、このやり方は失敗し、
1914年に戦争が始まった。

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【第一次世界大戦】
第一次世界大戦では、イギリス、フランス、イタリア、ロシア等の連合軍が、
ドイツ、オーストリア等の同盟国と戦った。 1914年8月、ドイツ軍は、
フランスに攻め込む過程で、ベルギーを侵略した。 戦争の全期間を通じて、
ベルギー側の手に残っていたのは、西部の細長い地域だけだった。 占領された
地域は、戦争により、徹底的に破壊された。 イーペルだけでも、3回もの
激戦場となった。 ベルギー南部とフランス北部の長期の戦闘で、何十万人
もの兵士が命を失った。 それでも、数千人ものベルギー兵が、1918年の
ドイツの敗北まで連合軍と共に戦い続けた。

戦後、ベルギーは、国際連盟の創設に力を貸した。 これは、世界的な国際
組織で、戦争の防止を目標としていた。 国際連盟は、アフリカにあった
ドイツの植民地ルアンダとウルンディ(現在のブルンディ)を、ベルギーの
委託統治領とした。 ベルサイユ条約によって、第一次世界大戦は、正式に
集結し、サンヴィット(現在は、何れもリエージュ州東部に所属)を獲得した。

LeopoldIII

1930年代の世界恐慌は、経済を再建しようとするベルギーの努力に水をさした。
失業率は増加し、法と秩序と経済的安定を看板に掲げた政治運動が、いくつも
起こった。 その中で、最も強力だったのが、ナチスで、アドルフ・
ヒットラーの指導の下に、ドイツで勢力を振るった。 この頃、ベルギーでは、
1934年にレオポルド3世が国王となり、安定した君主制が続いていた。

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