多言語翻訳 Samurai Global ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:リスボン

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    ユーラシア大陸最西端のロカ岬へ
    今回は、リスボンからポルトガル国鉄に乗ってユーラシア大陸最西端を目指します♪
    地球の歩き方には30分間隔程度で電車が出ているとの記載があったものの、
    何故か40分弱待たされることとなったため、とりあえず、ロシオ駅前にあった
    カトリック教会に入りました。 ヨーロッパの街の中心地には、必ず教会があり、
    人々が集う場所となっています。 この日は、教会内でミサが行われており、
    聖歌隊による歌が披露されていました。 カトリックは、どこもかしこも装飾が
    物凄く、宗教による力は偉大だと感じました。

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    ロシオ駅
    リスボン中心部にあるロシオ駅から、ユーラシア大陸最西端のロカ岬に行く
    電車が出ています。 まずは、シントラ駅までが電車で、その先がバスでの
    移動となりますが、このシントラが、かなり歴史的な建物が多く、もう一日
    このシントラを見たいと感じたものの、日程的に翌日にはモスクワに飛ば
    なければならなかったため、泣く泣く諦めました。 次回リスボンにやって
    来る際には、このシントラを重点的に周りたいと思います。 切符を買う
    窓口では、英語がそこそこ通じました。

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    シントラ駅
    シントラ駅は終点駅であるため、ここからロカ岬行きのバスが出ていますが、
    そのバス停が非常に分かり辛い。 駅からポルトガル語で「ロカ岬行きのバス停は
    どこにありますか?」と何度も質問をしているものの、なかなか見つからず、
    途中のお土産屋で気晴らしをした次第で御座いますw

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    ロカ岬
    シントラ駅からロカ岬までは、バスで1時間弱掛かるため、夕暮れに間に合わない
    かと思いましたが、ギリギリ間に合い、何とか奇跡の画像を撮りました。
    ちょうど完全に太陽が沈み、昼と夜の中間の感じが画像にもばっちりと収める
    ことが出来ました。 後30分程度早く来ていれば、もっと綺麗な写真が撮れたと
    思いますが、この日は、スペインの南部から長距離を移動して来たため、これ以上
    早めの時間にこの地に来る事は出来ませんでした。

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    【ロカ岬】
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    既に真っ暗になったロカ岬から最終便のバスに乗り、シントラへと戻ります。
    このロカ岬に来てみたいがために、ポルトガル語を習い始めたため、感慨ひとしお。
    我、ユーラシア大陸の最西端に立てり♪

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    ヨーロッパ南部は鉄道がない
    スペイン南部の中心都市セビリアからポルトガルの首都であるリスボンまでの間は、
    鉄道が全く通っていないため、現地の乗り合いタクシー(いわゆる白タクw)を
    5人でシェアして移動することとなった。 ヨーロッパでは、乗り合いタクシーが
    移動手段として合法化されており、乗り合いタクシー専用のスマホアプリも複数
    存在する。

    まずは、セビリア市内のマクドナルド前に集合
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    乗り合いタクシーは、この様な風景の場所を通り抜けた
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    テージョ川を渡ると、もうすぐリスボン到着
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    セビリアからリスボンまでの総移動距離は約450km、移動時間は5時間弱となって
    おり、車内は運転手のスペイン人、リスボン在住のスペイン人、韓国からの旅行客
    2名と私の合計5人であった。 日本では全面的に禁止されている白タクも、
    ヨーロッパでは、アプリで普通に誰も開業できるアルバイト的な仕事であるため、
    この様な交通の便が悪い場所では大活躍。 移動ルートは、Google Mapで確認した
    ところ、スペイン内陸部を通り、途中のポルトガル国境にあるBadajoz
    (バダホス)で休憩時間を取るという経路であった。

    【リスボン】
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    今回の旅は、ポルトガルのリスボンを基点としているため、リスボンに来るのは、
    これで3回目となるため、リスボンのゲストハウスに荷物をずっと預けており、
    移動が非常に楽であった♪

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    坂の街リスボン
    港町はどこも高低差が激しく、坂道が多いため、リスボンにはケーブルカーが
    2か所あります。 リスボンは、その高低差がそのまま地名となっており、
    「Alta(アウタ)」地区は「高い」と言う意味で、「Baixo(バイショ)」地区は
    「低い」と言う意味です。

    【ケーブルカー】
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    リスボンのケーブルカーは、乗車時間がものの5分程度しかありませんが、実は、
    歩いても余り時間は変わらず、単に楽に坂の上に登れるという代物。 この場所が
    リスボンの絵葉書に一番出て来る風景のため、最もリスボンらしい景色と言えます。
    ほんの数百メートルしかない路線であるため、実は、ケーブルカーを待っている
    間に、歩いた方が早いです。

    【リスボン】
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    ポルトガル土産は、陶器の焼き物が多いのが特徴で、特に、ニワトリの置物が
    ポルトガル土産の定番となっています。

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    2018年12月30日、ルフトハンザ・ドイツ航空を利用して、リスボン→
    フランクフルト→ダブリン、並びに、ダブリン→ミュンヘン→リスボンを
    往復しました。 往路のリスボン→フランクフルトは、2時間弱のフライト時間。

    ドイツの航空会社であるため、乗客の殆どがドイツ人でした。 実は、リスボン→
    ダブリン間は、アムステルダム経由のロイヤル・ダッチ航空の方が1万円程度
    安いのだが、ドイツ語を喋りたかったため、わざわざルフトハンザ航空を
    選びました (^-^)

    【ルフトハンザ航空】
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    2時間半のフライト時間で提供される機内食は1回のみで、最初から水が付いて
    いるのが非常に合理的。 機内放送は、ドイツ語と英語だけでしたが、ドイツ人は
    やはり英語が上手い。 同じ西ゲルマン語同士なので、語順は違えど、簡単なの
    でしょう。

    途中、スペイン、フランス上空を通過しましたが、ピレネー山脈らしき高い山の
    上空を通過しました。 フランクフルト・アム・マイン空港到着後は、空港地下に
    ある駅から近郊型電車のSバーンに乗り、10分弱で簡単に市中心部まで到着しました。

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    モスクワから5時間半のフライトでポルトガルのリスボンに到着。 まずは、
    自動券売機で地下鉄の切符を買わなければならないのだが、これがなかなか
    分かりづらい。 この券売機ではクレジットカードでの支払いが出来るのと、
    ポルトガル語と英語が選択出来るものの、デポジット制プリペイドカード式の
    券売機であるため、1回買うごとに0.5ユーロの手数料(返金なし)が一々掛かり、
    バスや路面電車も同一の切符で乗れるものの、プリペイド式ではなく、車内で
    購入した場合は、2倍以上の値段となるため、最も賢い切符の買い方は、10回分
    ぐらいをまとめて一気に買ってしまうこと。 1日に4回以上乗るのであれば、
    1日フリーチケットを購入するのが一番お得。

    尚、リスボンの地下鉄は3両しかないため、ホームの長さに対して、車両が極端に
    短いため、ぼ~っとしていると、電車に乗り遅れるため、要注意。

    【リスボンの地下鉄】
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    日本とリスボンは、時差が9時間もあるため、朝の6時から観光開始。 リスボンの
    地下鉄は、午前6時半からしか動てはいないため、路面電車が動いている場所まで
    徒歩で移動しました。 このため、最終日は宿から空港まで約65分掛けて全て
    歩くこととなった。

    市中心部のロシオ広場から15番の路面電車で20分あまり、リスボン西部にある
    ベレン地区まで移動しました。 ヨーロッパの交通機関は、概ねゾーン制を採用
    しているため、20分乗車しても料金は同じ1.5ユーロ。 この地域は、歴史的な
    建物が非常に多く、空高く建つキリスト像は、リオ・デ・ジャネイロのキリスト像を
    模して作成された物。 この場所は、ポルトガル国鉄も並走して走っているものの、
    付近には駅がないため、路面電車を使う方が断然便利。

    ポルトガル語では、『城』のことを『カステーロ』と言うが、これが日本語の
    『カステラ』の語源。 スペインの『カスティーリャ地方』が語源と言う説もある
    ものの、どちらも『城』と言う意味では、同じ語源。

    【ロシオ広場~ベレン地区】
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    世界遺産『ベレンの塔』。 営業時間は午前10時からであったため、中には入れ
    なかったものの、ポルトガルが世界的な大帝国であったことをまざまざと見せ
    付けられる建物。 16世紀にマヌエル1世によってヴァスコ・ダ・ガマの世界一
    周の偉業を記念して作られた建造物で、テージョ川を往来する船の出入りを
    監視するための要塞となっている。

    ポルトガル大航海時代を再現した『発見のモニュメント』。 インド航路発見者の
    ヴァスコ・ダ・ガマ、ブラジル発見者のペドロ・アルヴァレス・カブラル、初めて
    世界一周を成し遂げたフェルディナンド・マゼラン、喜望峰を初めてまわり
    インド洋へ到達したバルトロメウ・ディアス、日本へ1549年にキリスト教を
    伝道した宣教師フランシスコ・ザビエルとざっと見ただけでも、かなりの偉業を
    達成した人物ばかり。

    同じくベレン地区にある世界遺産『ジェロニモス修道院』。 マヌエル様式の
    最高傑作とも言われ、大航海時代の富をつぎ込んで建築された。 建築資金は当初、
    バスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料の売却による莫大な利益によって賄われ、
    その後も香辛料貿易による利益によって賄われたが、途中で建設が中断したため、
    最終的な完成までには300年以上の時を費やした。

    ベレンの塔~発見のモニュメント
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    リスボンの交通機関は、デポジット式のプリペイドカードを利用すると説明したが、
    車内でも清算が可能なものの、その料金は、前払いと比較して約2.5倍の3.8ユーロ
    (約480円)となり、元の1.5ユーロ(約190円)と比較すると、非常に高いため、
    2回以上車内で清算をする場合は、1日フリーパスが断然お得となる。

    リスボン観光の目玉、サンタ・ジュスタのリフト(エレベーターはアメリカ英語)。
    リスボンは港町であるため、高低差の起伏が激しく、このリフトで上に登ることが
    出来る。 ポルトガル土産は、スペインと同じく、絵柄の付いたタイルが多い
    のだが、青い色が多いのは、海のそばにある街ならでは。

    ジェロニモス修道院~サンタ・ジュスタのリフト
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    この日は、そのままフランクフルト経由でダブリンまで飛ばなければならないため、
    観光は早朝だけにして、午前中の便でダブリンへと向かいます。 今回の旅では、
    リスボンには、合計で3回来ることになるため、この日は、お土産は買わずに、
    品定めだけして、すぐに地下鉄に乗りました。 リスボン空港までは、ここからは
    地下鉄の乗り換え1回で行けるため、地下鉄が一番便利な交通手段と言える。

    ポルトガル名物のエッグタルト。 同じ物は、旧植民地であるマカオにもある
    ものの、やはり、本場リスボンで食べるエッグタルトは一味違う♪ この日は
    時間がなかったため、途中の乗換駅で、ピザとエッグタルトを買い、そのまま
    空港へと向うことにした。

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    残る14世紀の発展は、カスティーヤ王国との戦いが何度かあって、中断の憂き目に
    あった。 やがて、ガリシア、アラゴン、ナバラという新しい王国が、現在の
    スペインの中に形成されたが、カスティーヤ王国は、ずば抜けて大きく、強力な
    権力もあった。

    1383年、アルフォンソ王朝最後の王、フェルディナンド1世が死ぬと、夫人が後を
    継いだ。 夫人は、カスティーヤ王国のもとに嫁いでいる自分の娘に子供が出来る
    まで統治を続ける意向だった。 しかし、人望のある南部の地主で、アビス騎士団の
    団長でもあるジョアンに反対され、ジョアンは強力な軍を使ってフェルディナンド
    女王を追放してしまった。

    これに呼応して、カスティーヤ王国も王位を狙ってポルトガルに軍隊を差し
    向けたが、結局1385年、ジョアンがコルテスでポルトガルの王に選出された。

    ポルトガルにとって、主要な貿易相手国であるイギリスは、このアビス王家を支援、
    1386年、両国間の永久同盟を内容とするウィンザー条約が実現した。 この
    条約は、その後1387年に、ジョアン王がイギリスのフィリッパ妃と結婚する
    ことによって、一層堅固なものとなった。

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    【航海王子エンリケ】

    ジョアンとフィリッパとの間には5人の息子が出来、長男ヂュアルテが王位を継承、
    弟たちのうち、次男はアビス騎士団長を継いだ。 3男は広くアジア、アフリカへ
    航海に出掛け、4男はムーア人の牢の中で死んだ。

    このうち、最も有名なのが、航海に出掛けたエンリケ。 科学と探検を大いに
    奨励し、航海王子として名声を高めた。

    若い時、エンリケは1415年のセウタ攻略でその猛勇ぶりを見せ、ムーア人の要塞で
    北アフリカの貿易中心地でもあったセウタを占領した。 その後引退して、
    ポルトガル南西のサグレスに引っ込んだ。 エンリケは経験、知識に富んだ航海士や
    地図の専門家、数学者などを王室に連れて来て、航海学の向上を図った。
    エンリケはまた、自分の収入を増やすためにも海洋を利用しようと考えたのである。

    エンリケの兄のポルトガル国王は、セウタ攻略での功績を称えてアルガルベ地方
    からの収入を彼に与えた。 これらの資金を基にして、エンリケ王子は航海学校を
    運営した。 また、兄弟の中には、エンリケ王子以外にも広く航海に出て行った
    者もいて、それがまたエンリケ自身にとっての励みにもなった。

    ポルトガルの船乗りたちはリスボンやサグレスから出掛け、まず1419年に
    マディラ、1427年にアゾレス諸島にそれぞれ上陸した。 また、船乗りたちは、
    アフリカ大陸のガンビア川とセネガル川を探検、こうした航海によって、
    ポルトガル人は世界地理への知識を広め、金や塩を手に入れ、そしてアフリカの
    人たちを労働力として確保するようになって行った。

    【お勧めの一冊】


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    初期ポルトガルの国王たちは、権力の強化にはローマ・カトリック教会と裕福な
    地主たち支持が不可欠と知って、1211年にアルフォンソ2世は、高位の宗教指導者と
    貴族たちをコインブラに集めた。 これが後のコルテスと呼ばれるポルトガル
    身分議会の始まりである。

    アルフォンソ2世とその後継者、サンチョ2世の時代は、教会と諸王が土地や収入、
    権限を取り合って争い、その結果、ローマ・カトリックの法王は1245年、サンチョ
    2世の王位を与えることを拒否、代って弟のアルフォンソ3世を王位に就かせた。

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    アルフォンソ3世の下、ポルトガル軍は、アルガルベからムーア人を追い出し、
    ポルトガルの領土を現在の広さにまでしたのだった。 ムーア人はこれで、
    イベリア半島のポルトガル側に持っていた最後の砦を失ったことになる。
    アルフォンソ3世は更に、1253年コルテスを創設し、初めて商人や町人も、
    牧師や貴族と同席出来るようになった。

    ポルトガルは、アルフォンソ3世の息子、ディニス王(1279~1325年)の長い
    時代を通じて繁栄した。 ディニス王は、初めて大学を創設し、農業の開発、
    造船工業の育成にも力をつくした。 漁業と貿易も発展し、外国から金属類や
    武器、繊維がリスボンに入るようになった。 一方、ポルトガルからは、ワインを
    始め、ロウ、みつ、オリーブ油が北ヨーロッパに向け出荷されて行った。

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    リスボンは、その富と重要性から、当然のように新しい首都になり、1298年までに、
    政府の所在地は、コインブラからリスボンに移った。 ところが、1340年代、
    リスボンに停泊中の船の中に居たネズミがペストをポルトガルにもたらすことに
    なり、ポルトガル国民の3人に1人がこの伝染病に掛かって死んで行った。 この
    結果、労働人口の減少から農業生産はガタ落ちとなり、その後数十年もの間、
    政府は、荒地となった農地の再開発に取り組まなければならなかった。

    【お勧めの一冊】


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    他のヨーロッパ諸国に比べて、ポルトガルは人口が少なく、1058万人となって
    いる。 そのうち30%は、リスボン、ポルトなどの都市部に住んでいる。
    地方は、農漁村で、それぞれ近くには中規模の市場が開かれている。



    【リスボン】

    大西洋岸に位置し、ポルトガルの首都、かつ最大の都市。 ポルトガルの主要港
    でもある。 リスボンの人口は、約80万7,000人で、周辺を含めた首都圏には、
    約200万人が住んでいる。 丘の斜面には新旧さまざまな建築様式が見られる。
    市の中心部には、広い18世紀時代の広場に面して近代的なビルが立ち並ぶが、
    1988年の大火で焼けたものもある。

    リスボンはその長い歴史を通して、多くの征服者たちが到達したところでもあった。
    ローマの軍隊や北アフリカからやって来たムーア人にリスボンを占拠されたことも
    ある。 1100年代にポルトガルは、このムーア人たちからリスボンを取り戻し、
    約150年後に、リスボンはポルトガルの正式な首都になった。

    15~16世紀には、ポルトガルが世界の探検と植民地化を進めた時代で、冒険家
    たちはリスボンの波止場から世界各地へと航海の旅に出て行った。 リスボンは、
    そうして海外へ築き上げた広大な帝国の中心地となった。 1775年、リスボンは
    地震で崩壊し、地震後に起こった津波と火災で更に大きな被害を受けた。 よって、
    リスボンの建物には、首都が再建された18~19世紀以来のものが多い。

    第二次世界大戦(1939年~1945年)以来、リスボンは港を広げ、製油所や貯蔵
    施設、造船所、修理工場、その他の産業コンビナートを作っていた。 ポルトガルの
    工業製品の多くは、このリスボン港から世界に出荷されて行ったのである。

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    【地方の中小都市】
    ドウロ川沿いのポルトは、ポルトガル北部の代表的な港町で、工業の中心地。
    首都リスボンに次ぐ大きな都市で、人口32万7,000人を超えている。 広域では
    約15万人が住んでいる。 1700年代以来、ポルトは、イギリスのワイン商人相手に
    貿易をし、ポートワインの生産、出荷の中心地となって来た。 ドウロ川沿いに
    ざっと80軒のワイン貯蔵庫が立ち並んでいる。 更にポルトには、食品加工、
    石油精製、繊維加工、タイヤ、陶器類の製造など、各種工場が集まっている
    ポルトガルの一大工業地となっている。

    リスボンの南、半島になった沿岸には、港町、セトゥーバル(人口約7万8,000人)が
    あり、セトゥーバル湾への出入口として栄えている。 この湾には、サド川が流れ
    込む。 1966年には、この半島とリスボンを結ぶ橋が完成し、そのお陰で
    セトゥーバルにも何種類かの重要な産業が発展した。 造船施設、魚の缶詰工場、
    その他の企業が年中、忙しくしている。 毎朝、船体を明るい色に塗った
    パトロール船が港に戻って来ては、採って来た魚で地元の魚市場はひとしきり
    賑わう。

    中西部、モンデゴ川沿いにあるコインブラ(人口約7万4,000人)は、歴史に
    とんだ街で、ローマ人によって造られたが、11世紀までは、ムーア人に占領
    されていた。 12~13世紀の間は、ポルトガルの首都になり、権力を持った
    ローマ・カトリック司祭の所在地でもあった。 ポルトガル最古の大学、主な
    図書館や美術館があるのも、このコインブラとなっており、歴史関係の建築物が
    市内に散在している。 小規模ながら、産業もあり、地元の人たちの仕事に
    なっている。

    【お勧めの一冊】


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