ポーランド人が10世紀にキリスト教を信仰するようになって以来、カトリック
教会は、大きな影響力を持つようになった。 教会への忠誠心によって、
ポーランド人は19世紀の分裂と外国支配の時期にも、民族としての自覚を保つ
ことが出来た。 その後、共産主義政府が宗教活動を制限するようになっても、
一部の教会や神学校は、人々の間で存続した。 教会の指導者たちは反体制
運動に参加した。 1878年、ポーランド教皇、ヨハネ・パウロ2世となると、
自分の影響力と人気を活用して、改革を推進させた。
クリスマスとイースターは、主要な宗教的祭日である。 8月15日の聖母
被昇天の祝日には、多くのカトリック教徒がチェンストホヴォにあるヤスナ・
グラ修道院に行き、『黒の聖マリア』の霊廟に礼拝する。 信仰の厚い人たちは、
この聖母マリ像が17世紀のスウェーデンの侵略を阻止したと信じ、以来
『黒の聖母マリア』は、ポーランド民族の象徴となった。
ポーランド人の95%以上がカトリック教徒である。 残りの大部分はギリシャ
正教徒、プロテスタント、または、ユダヤ教徒となっている。
何世紀もの間、ポーランドはユダヤ人たちの信仰と知識と文化の重要な中心
だった。 しかし、第二次世界大戦中、ユダヤ系住民たちは、ナチスの迫害に
よって、蹂躙され、この戦争で生き残ったユダヤ人たちの大部分は、ポーランド
国外に移住して行った。
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