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    タグ:モスクワ

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    ロシアは、国全体の人口密度は低いが、人口の約73%が都市部に暮らしており、
    都市化の進んだ国と言える。 主な都市には、モスクワ、サンクト・ペテルブルグ、
    ノボシビルスク等がある。

    【モスクワ】

    ロシアの首都であるモスクワは、ボルガ川の小さな支流であるモスクワ川のほとりに
    発展した人口約900万人のヨーロッパ第一の都市。 1147年に初めて歴史書に登場
    して以来、モスクワは、ロシアを統一し、ロシア帝国を建設する上で重要な役割を
    果たした。 モスクワの街は、クレムリンと呼ばれる要塞を中心に発展した。
    現在のクレムリンは、連邦政府の建物となっている。 クレムリンに隣接する
    赤の広場には、レーニン廟、聖ワシリー寺院、かつて、世界最大と言われた
    グムデパート等がある。 モスクワは、ロシアの文化活動の拠点であり、ロシア
    正教会の中心地でもある。 更に、製造業の中心地でもあり、多くの工場が立ち
    並ぶ。



    【サンクト・ペテルブルグ】
    サンクト・ペテルブルグは、人口約500万人のロシア第二の都市であり、
    フィンランド湾に注ぐネヴァ川のほとりに建設された都市。 ピョートル大帝に
    よって、1703年に建設され、1712年にロシア帝国の首都となった。 運河が
    多く、ヨーロッパ風の建物が立ち並ぶのが特徴となっている。 20世紀に入り、
    第一次世界大戦が勃発すると、ロシアは、ドイツと戦った。 この時、ニコライ
    2世はがサンクト・ペテルブルグというドイツ風の名前を嫌い、ペトログラードに
    改称した。

    その後、共産主義政権が誕生すると、レーニンにちなんで、レニングラードと
    改称され、1991年のソ連崩壊時には、元のサンクト・ペテルブルグという名前に
    戻された。 エルミタージュ美術館、歴代の皇帝が暮らした冬の宮殿、
    ペトロパブロフスク要塞等が観光名所となっている。



    【ノボシビルスク】

    人口約150万人のロシア第三の都市。 『シベリアの首都』と呼ばれる事もある。
    オビ川のほとりに位置し、シベリア横断鉄道を建設中の1893年に建設された。
    現在でもシベリア横断鉄道の重要な停車地であり、産業と交通の拠点となって
    いる。 ノボシビルスクには、シベリア最大の美術館、北半球最大のバレエ劇場、
    有名な交響楽団とジャズグループ等があり、シベリア文化の中心地としても
    知られている。 1950年にロシア科学アカデミーの重要な支部が開設されて以来、
    学術研究都市が建設され、学問が非常に盛んになったロシアを代表する
    学術研究都市。



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    1991年12月末に、ソ連邦が崩壊し、それまでソ連邦内に15あったそれぞれの
    共和国は、独立し、『独立国家共同体(CIS)』という緩やかな国家連合に移行
    する事となった。 その直接の切っ掛けとなったのは、バルト三国での独立
    意識の高まりと、当時のゴルバチョフ氏が押し進めた、『情報公開』により、
    西側の情報が雪崩れ込んだため、それ以上の国家体制が維持出来なくなり、

    最終的に、ロシアが、同じスラブ人国家である、ウクライナとベラルーシを
    引き連れて、独立宣言を行った事にある。 よって、ウクライナ自体は、独自に
    独立活動をした訳ではなく、あくまでも、ロシアが独立する際の『道連れ』的な
    副産物に過ぎなかった。

    【ウクライナにおけるロシア語の使用率】
    language

    ウクライナは、1991 年に独立するまで、一度も自民族による独立国家を持った
    事がなく、その国境線も 20 世紀の後半になって、ようやく最終画定した経緯が
    あり、特に、東部のロシアとの国境は、長年に渡って、かなり曖昧なままであった。
    また、独立後、数年を経た後でも、ロシアとの国境線は、単なる『県境』程度の
    意味しか持たず、ソ連邦崩壊直後には、CIS内のどこの国境線においても、面倒な
    パスポートのチェック等はなかった。

    ウクライナは、元々は、ルーシ人の国家である、『キエフ・ルーシ』の中心地
    であり、その名の通り、キエフが首都であったが、モンゴルから遥々遠征して来た、
    モンゴル・タタール軍に攻め滅ぼされ、街が徹底的に破壊された後、数百年間に
    渡り、復活する事が出来なかった。 その間、台頭して来たのが、北にある
    モスクワで、当時は、『モスクワ公国』と呼ばれていたのだが、ウクライナは、
    数百年間にも及ぶ、ポーランド支配を脱したかったため、同じ東方正教国家である、
    隣国のモスクワに助けを求めたが、そのまま、モスクワへと吸収され、それ以降、
    モスクワは、『ルーシの正当な後継者』という意味で、『ルーシ国』という意味の
    『ロシア』という国になった。
     
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    ウクライナは、大きく分けると、西部が、ポーランド、リトアニアとの繋がりが
    強く、ガリツィア地方は、元々ポーランド領であったため、ロシアとの繋がりは
    希薄であった。 逆に東部は、ロシアとの国境線がなかなか定まらず、曖昧な
    ままにされたため、ロシア化が進んだ。西部地域は、ハプスブルグ家の支配を
    受けていた影響もあり、宗教的には、カトリックの影響が強い。 東部は、完全に
    東方正教の影響が強く、ウクライナは、東西格差が非常に大きい地域であった。

    ウクライナでは、独立後の1990 年代は、『中欧』概念の復活に乗じて、
    ハプスブルグの流れを汲む『ヨーロッパの一員』へのアイデンティティーに注目が
    集まり、EU、NATOの東方拡大や、2004年末の『オレンジ革命』を経た後は、
    EU加盟により、『ヨーロッパの一員』を希求するウクライナ・アイデンティティと
    『ヨーロッパの隣人(EUの外)でいる』アイデンティティとして議論される機会が
    増えた。 

    『ヨーロッパの一員』を強く熱望する余り、ウクライナ全域で使用されている、
    ロシア語への批判的な処置が行われ、国内で放送されていたロシア語番組には、
    全てウクライナ語の字幕を入る事が義務付けられ、ロシア語は、基本的に『外国語』
    扱いとされ、ウクライナ語以外は、公の場での使用を基本的に禁止された。

    【オレンジ革命の末路 ダイオキシンを盛られたユーシェンコ元大統領】
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    2014年に始まった『ユーロ・マイダン』以降は、ロシア寄りの政治家達を全て
    排除し、アメリカの誘導の元、EU寄りへと強引に舵を切ったが、そのEU自体が
    ウクライナ援助に関しては、全く乗り気ではなく、むしろ、ウクライナ排除の
    方向へと向かっている事実をウクライナ国民は全く知らさせてはいない。
    オリガルヒ(新興財閥)らによる情報操作も甚だしく、ウクライナでは、ウソが
    平然とまかり通っている。

    今後、ウクライナがEUの一員になる事を本気で望むのであれば、正しい情報の
    公開と、オリガルヒによる世界でも指折りの腐敗し切った政治を何とかしない限り、
    ロシアからもEU諸国からも愛想を尽かされる事となる。 本来、ウクライナが
    目指すべき道は、地政学的な事を鑑みても、『東西の架け橋』になる事であり、
    自分達の都合の良い主義主張ばかりをゴリ押ししているウクライナが、EU諸国の
    一員になれる日は、未来永劫ないのではないか?

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    ロシア連邦の首都であるモスクワは、ロシアのみならず、ヨーロッパ最大の都市
    でもある。 人口は、約1,000万人となっており、東京、ニューヨーク他と並ぶ、巨大
    メガロポリスと
    なっている。

    世界で最も美しいと言われているモスクワの地下鉄は、アメリカから核ミサイルが
    飛んで来た際には、
    核シェルターにもなる非常施設であるため、全て地中の深い
    場所を通っている。 モスクワの
    地名の由来は、モスクワ川の河岸にあるため、
    都市の名前もモスクワとなった。



    現在のロシア、ウクライナ、ベラルーシは、元々は同じひとつの国で、ルーシ時代の首都
    である
    キエフが、モンゴル・タタール軍に攻め滅ぼされたため、その中心地は、北方に
    あるモスクワ公国へと
    移った。 キエフがあるウクライナは、その後、数百年間にも及ぶ
    ポーランド支配から脱した際に、
    同じ正教の国であるモスクワが吸収したため、国の
    名前は、『ルーシ国』という意味のロシアに
    なったもの。



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    『ルーシ』とは、古代バイキングの言葉であるノルマン語で『櫂』という意味。
    ヨーロッパでは、
    形容詞+ ia で終わる国名が多いのだが、その理由は、この『ia』が、
    ラテン語では『国』という
    意味であるため。

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    1989年の共産党一党独裁時代のモスクワに留学していたのだが、当時のソ連は、
    確かに、どこのデパートやスーパーに行っても、全く物がなかったが、人間的には、
    日本人よりもロシア人の方が遥かにましであった。 ソ連時代は、何もかもウソで
    塗り固められていたが、国民は、その事に気付いていた。 子供達は「隣国である
    日本には、水すらないのだから、ソ連の方がまし」と政府から吹聴されていたが、
    そんな事は、ウソだと分かっていた。 それが、ソ連が崩壊した最大の原因。 
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    ソ連時代末期は、ソ連の悪口をロシア語では言わない方が良いとも言われていたが、
    それでも、助け合いの精神だけは、なくならなかった。 旧ソ連の場合は、教育水準が
    日本と比較すると、かなり高かったため、政府がいくらウソを言おうが、国民を騙す事は
    出来なかったのだが、日本の場合は、肝心な教育水準が、あり得ないぐらい低いため、
    話にもならない。 日本では、自分が何も知らずに、むしろ、ウソを吹聴している事すら、
    良く理解出来はいない。 国民を白痴化するのは、独裁国家の特徴。

    この国を変えるのは、この国の国民ひとりひとりです。 自分だけは大丈夫だと思って
    いる人間が、数百万人も居るこの国では、選挙による国民の声ですら、政治家には
    全く届かない。 本来、民主主義国家においては、国民が国家や政治家の暴走を
    食い止めるために、ひとりひとりが声を上げて行かなければならない筈が、日本では、
    それすら許されず、声すら上げられないまま、自殺を図る人が後を絶たない。

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