労働党から政権の座を引き継いだのは、マーガレット・サッチャーを
党首とする保守党であった。 サッチャーは、イギリス連合王国初の女性
首相となった。 サッチャーが目指したのは、国有化されていた企業を
私有化し、労働組合の力を弱め、社会福祉への支出を減らすことなどだった。
これらの政策で、インフレは抑えられたが、失業率は上がり、ストライキも
止まらなかった。

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ところが、1982年、一時的にではあるが、イギリス国民が経済上の不安を
忘れる事件が起きた。 イギリス・アルゼンチン紛争である。 南アメリカ
大陸近くの小さな島が集まったフォークランド諸島の所有権を主張して、
イギリスとアルゼンチンが争ったのだ。 イギリスは、1万人の兵士から成る
特別部隊を送り、アルゼンチン軍を撃破した。 フォークランド紛争の
勝利により、サッチャー首相の人気は急上昇した。

サッチャーは、人気の高まりを利用して、1983年の総選挙で保守党が再び
多数党となり、政権を握った。 また、1987年の総選挙でサッチャーは、
首相として史上初の連続3選を果たした。 勝利原因は、労働党内部の統一が
取れなかったこと、つまり、労働党内の不満グループが新党、社会民主党を
結成したことである。

サッチャー政府は、政府支出の削減や、国有企業の私的法人への売却を図った。
だが、1990年には、激しいインフレと高い失業率などが原因で、保守党支持は
弱まった。 人頭税と呼ばれる地方税の導入計画も、保守党政府の不人気の
元となった。 1990年4月、ロンドンでこの税に反対する市民の怒りが爆発、
暴動となった。 サッチャーは、人気が落ち、12月に保守党の仲間から党首を
辞めるよう要請された。 保守党は大蔵大臣だったジョン・メージャーを党首に
選び、メージャーが新首相となった。

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1992年4月の総選挙で再び保守党が議会の多数を占め、メージャーが首相を
続けた。 メージャーの考えは、サッチャーと共通なものが多いが、ECと
協力して行くことにサッチャーほど反対していない。

1992年にはEC加盟国はヨーロッパの更なる統合を目指して、マーストリヒト
条約(欧州連合条約)に調印、1993年からEU(欧州連合)として、ひとつの
貿易圏を形成している。 1994年には、イギリスとフランスを結ぶ海峡横断
トンネル(ユーロトンネル)が開通し、両国が結ばれるようになった。

しかし、このような動きがあったにも関わらず、イングランドの人々は、
自分達はヨーロッパ大陸の人々とは別だと考え、イングランドの長い歴史や
文化を誇りに思っている。

イングランド自身、北部と南部に分裂しようとしていると言う人もある。
保守党の拠点であるイングランド南部は、サッチャー、メージャーの下で
繁栄して来た。 北部は、失業者も増え、経済も衰えた。 大きな都市は、
今尚労働党支持が多い。 イングランドの将来は、これらの経済、および、
社会問題の解決にかかっている。

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