福祉のために多くの予算が割かれることも一因となって、デンマークは間もなく
財政赤字を生じるようになった。 1970年代初期には、外国からの借款の金額が
増加した。 経済上の利益のため、デンマークはEFTAを脱退してECに加盟した。
1973年と1974年の世界的な石油危機によって、石油の輸入価格は上昇し、
借款額は急上昇した。

借款を返済する一助として、政府は大増税を実行した。 増税に抗議して政府支出の
削減を要求する政党が結成された。 党員の多くは、伝統的な非社会主義集団の
出身者であり、また、社会民主党の中で、比較的保守的な集団の出身者でもあった。

それでも労働者の賃金は、毎年上昇し続けた。 賃金の支払いやその他の経費に
充てるため、企業の多くは、製品の価格を下げ、世界市場での競争力が低下した。
同じ時期、政府は多数の労働者を公務員として雇用した。

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1982年、長期に渡って政権を維持して来た社会民主党が、総選挙に敗北した。
80年代の終わりまで、どの政党も議会で過半数を占めることが出来ず、12の党が
様々な組み合わせでの連立政党を組織したが、いずれも短期間しか政権を維持
出来なかった。

1982年、社会民主党などを除く4つの政党が政権を握った。 保守党のポウル・
シュリッターが首班となった。 シュリッター政権は、財政支出を削減したが、
企業の借款が続いたため、国全体としての貿易赤字は増加した。

1980年代半ばには、環境問題も大きな議論を巻き起こした。 1987年、国会は
極めて厳しい環境保護法を通過成立させた。

1980年代末、シュリッターは、国の借款と支出を大幅に削減して、外国への負債を
払い始めることを提案した。  国は福祉への支出を削減し、賃金の増加は、
生産性を上げた労働者にしか認めないことにした。 労働者はこれで一時的に
せよ賃金の増加を抑えられ、高額の税金を支払わなければならなくなった。

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1990年代の初め、ECは加盟国相互間の全ての貿易障壁を取り除く準備を始めた。
オランダのマーストリヒトで条約が結ばれてEUが成立し、単一のヨーロッパ通貨を
つくる計画が立てられた。 しかし、デンマーク国民の多くは、この条約によって、
経済と政治の独立性が奪われるのではないかと恐れた。

1992年6月、デンマークの有権者達は、国民投票でこの条約を退けた。 この投票
結果は、ECの将来にも、ヨーロッパの経済システムの中での、デンマークの地位に
暗い影を投じたが、翌1993年5月、再度の国民投票によって同条約は批准された。

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