多言語のススメ ~ロシア・東欧情報~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

記事カテゴリーに CIS独立国家共同体(旧ソ連邦) 他を追加しました♪
    【プロフィール】
    旧ソ連・ロシア、オーストリア、カナダ、ベルギーに語学留学経験あり。
    1991年より、一貫して通訳・翻訳や海外営業等の語学専門職としての経験を
    積んでおり、英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語他の多言語を扱う
    語学のプロ。 専門はロシア語⇔ドイツ語の通訳論、言語学、並びに心理学。
    詳細はLinkedInを参照。

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    タグ:マルセイユ

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    1328年にフィリップ4世の後継者、シャルル4世は、後継ぎが居ないままに
    死去した。 シャルル4世のいとこ、ヴァロフ家のフィリップが王位に就き、
    フィリップ6世としてヴァロワ朝の第1代となる。 ところが、イギリス王
    エドワード3世は、フランスのカペー朝フィリップ4世の直系だから、イギリスと
    フランスの両方を統治する資格があるとフィリップ6世の王位継承に意義を
    申し立てて、実力行使に出た。 エドワード3世は1337年、ノルマンディーに
    侵攻し、100年以上続く戦争に火がついた。

    百年戦争が始まると、イギリスの勝利が続いた。 1348年にマルセイユで発生
    した黒死病(ペスト)のため、フランスの戦力は低下した。 港に入る船に
    住むねずみが、ヨーロッパ中に疫病を伝染させていたのだ。 数年間でフランスの
    住民の3分の1近くが疫病で死んだ。

    14世紀後半は、不安、病気、戦争の時代だった。 物価は高騰し、兵士たちは、
    群れを成してフランス国内で略奪を働いた。 フランス国王ジャン2世は、
    イギリスに捕らえられ、フランスはその釈放のため巨額の身代金を支払った。
    もうひとりの国王シャルル6世は、精神異常をきたしながら、42年間も王位に
    就いていた。

    1415年に、イギリス国王ヘンリー5世が、カレー港近くのアザンクールで
    フランス軍を破った後、フランスの大半はイギリスの手に落ちた。 1422年に
    シャルル6世を継いだシャルル7世は、領土を持たない国王だった。 イギリス軍が
    田舎を占領している間、都市から都市へ移動ばかりしていた。

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    フランスが悲惨のどん底に落ちていた1420年に、ロレーヌ地方の農家の娘、
    ジャンヌ・ダルクが現れる。 天使の教えに従ったと主張して、シャルル7世の
    宮廷に来たジャンヌは、百年戦争の行方を変えた。 カトリック教会と王に
    対するジャンヌの献身的な愛情は、フランス兵を奮い立たせ、ジャンヌ自身も
    軍隊を率いて、1429年に、オルレアンを包囲していたイギリス軍を粉砕した。

    オルレアンの戦いの後、イギリスの侵略軍は次々に破れ、海岸まで押し戻された。
    だが、ジャンヌは、イギリス軍に捕らえられて処刑されたが、フランスの抵抗を
    表すひとつの象徴となった。

    最後にシャルル7世は、イギリス軍を殆んどフランスから追い払い、百年戦争は
    1453年に終わった。

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    人はほぼ10万年間も、今のフランスの地域に住んでいた。 ヨーロッパのこの
    地域の最も古い人々の住居は、洞穴だった。 食料を得るために狩をする時の
    武器は、石器だった。 この石器時代の人々は、狩をした動物を生き生きと描いた
    絵を洞穴に残した。

    紀元前3000年頃、フランスの住人たちは、川や海岸沿いに段々と大きな集落を
    つくるようになった。 ドルメンと呼ばれる石の部屋に死者を埋葬し、メンヒル
    として知られている巨大な柱石を立てた。 当時の農民は、メンヒルを季節の
    移り変わりを予知するために用いた。

    並べた石と星の関係を見て、農民は穀物を植え、刈り入れる適切な時期を知る事が
    出来た。 紀元前800年頃、ケルト人と呼ばれる戦闘好きの民族が東方からやって
    来て、たちまちヨーロッパ大陸を支配した。 騎馬軍は鉄の武器を振り回し、
    圧倒的多数を頼みに敵を破った。

    しかし、ケルト人は次第に人口が増え、征服した土地だけでは生きて行けなく
    なって、更に領土を求めて南下した。 そしてケルト人は、ギリシャとローマの
    人々と接触するようになった。 ギリシャとローマは、南ヨーロッパの2つの
    強力な文明国だった。

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    【ローマ帝国とガリア】
    紀元前2世紀のローマは、大軍を抱えて拡張を続ける共和国だった。 ローマ人は、
    紀元前121年に、ギリシャの貿易港だったマルセイユを占領。 マルセイユ地方を
    ガリアと呼んだ。 ガリアの肥沃な平野に住むローマ人の人口は急増した。

    紀元前58年、ローマの将軍ユリウス・カエサルは、ケルト人を破ってガリアを
    ローマ領と宣言するために、大軍を率いてガリアを侵略した。 ケルト人は族長
    ウェルキンゲトリクスの指揮でカエサルに抵抗したが、カエサル軍を追い返す事が
    出来なかった。 紀元前52年、ブルゴーニュ地方のアレジアの戦いでケルト人が
    ローマ人に負けるまで、戦争は続いた。 ローマ人はウェルキンゲトリクスを
    捕虜にして、ケルト人のローマに対する抵抗は終わった。

    ローマ人はすぐ、ガリアの殆んど全域を植民地にした。 ローマ人は、ガリアに
    道路や都市を建設し大きな農園を開拓した。 ケルト人は、商人や農民になって
    成功し、ローマ人の言葉のラテン語を学んで、ローマ人に順応した。 ガリア人は
    やがて、キリスト教も受け入れて行った。 キリスト教は4世紀にはローマ人の
    公式の宗教となった。 数世紀の間、ガリアは平和であり、繁栄を続けた。

    しかし、5世紀の半ばには、ローマ帝国は衰え始める。 非キリスト教徒の
    西ゴート族、フランク族、ブルグンド族の戦士たちが、東ヨーロッパからガリアに
    侵攻し始めた。 この侵略で、ローマのガリア支配は弱まった。

    紀元前450年頃になると、フン族がアジアからガリアに攻めて来た。 アッティラ
    王が率いるフン族は、西へ進軍する時、農園や村落、都市を襲って火を放ち、
    財産を奪った。 フン族の侵略を止めるため、ガリア内に居るフランク族、
    西ゴート族、ブングルド族の軍隊はローマ軍と同盟軍を結成し、450年に、
    シャロンの戦いでアッティラを破った。 だが、戦いの後、ローマのガリア支配は
    ますます弱くなった。

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    フランス北部の平野を流れるセーヌ川沿いにあるパリは、10世紀以来、フランスの
    首都となって来た。 パリとその周辺地域を合わせた首都圏の人口は、国全体の
    約6分の1の870万人となっている。 中央政府の所在地であるパリは、国の金融と
    教育の心臓部でもある。

    市内には世界最大のルーヴル美術館など、美術館が沢山あり、芸術家や観光客を
    引き付けている。 一般のパリ市民は、観光産業、銀行業、コミュニケーションなど
    サービス産業に従事している。

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    パリ市内の多くの建物は、フランス帝国が絶頂期にあった18世紀と19世紀に建て
    られたもの。 19世紀にフランスの芸術家たちは、狭くて混雑の酷いパリの街路を
    幅の広い大通りに設計を変えた。

    これらの魅力ある素晴らしい大通りは、ショッピング、娯楽、住宅などの様々な
    建造物を保護するために、摩天楼のような高層ビルは、市の中心部から離れた
    ところにしか建設が認められていない。

    パリでは人口と商業活動が極狭い地区に集中しているので、ところによっては、
    混雑と騒音が甚だしい。 交通混雑と環境汚染がパリ中心部で深刻な問題となって
    いる。 政府は、企業や新しく建設するビルは、パリを取り巻く郊外に移す努力を
    している。

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    【その他の主な都市】
    フランス第二の都市は、リヨン(人口約120万人)で、2000年以上に渡って
    重要な都市となって来た。 ローヌ川の流域のちょうど真ん中にあるリヨンは、
    フランスの化学産業の中心地となっている。 また、繊維と自動車の生産でも
    重要な街でもある。 1983年には、パリとリヨンを結ぶフランス最初の超特急
    TGVが開業した。

    マルセイユ(人口90万人)は、フランスの最も重要な港であり、フランス第三の
    都市である。 自然の良港なので、約2600年前に古代ギリシャが植民地化した。
    市内には移民が大勢住み付き、世界中の船が港に停泊している。 色とりどりの
    ビル、活気溢れたが街路、ヤシやシュロが縁取る大通りもマルセイユの魅力と
    なっている。

    トゥールーズ(人口35万人)は、南西部のガロンヌ川沿いにある。 フランス
    航空産業の本拠地となっている。 また、ヨーロッパの宇宙計画に参加している
    企業も進出している。 エレクトロニクス、化学、食品加工の会社もある。 市の
    中心部の建物は、珍しい色付きの石材を使って建てられている。

    地中海の港町ニース(人口34万人)は、イタリア国境際、アルプスの麓にある。
    夏には、フランス内外から大勢の観光客が、美しいホテルや広々とした浜辺、
    余り暑くないからりとした気候を求めてやって来る。 ニースには、香水、
    オリーブ油、石鹸、セメントの工場もある。 ニースは、リヴィエラの中心都市
    となっている。

    フランスの各地方の中心都市となっている他の都市は、大きな川の流域で発展して
    来た。 例えば、ボルドーは、アキテーヌを流れるガロンヌ川沿いにあって、
    フランスワインの中心である。 ライン川沿いのストラスブールは、ヨーロッパの
    他の地方との河岸貿易の拠点となっている。 イギリス海峡に面した海岸には、
    カレー、ルアーブル、シェルブールの港がある。 これらの港には、出入りする
    漁船、貨物船、客船によって、イギリスと結び付いている。

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