ウクライナ市民がロシア人を襲撃
2014年5月2日、ウクライナ南部にある黒海に面した港湾都市オデッサで、
ウクライナのネオナチらによる労働組合会館放火事件が起きた。 これは、
ヤヌコビッチ政権が崩壊した2014年2月のユーロ・マイダン革命後に起きた
最大の悲劇であり、ロシア人を焼き殺し、拳銃で撃ち殺した事件である。
子どもや女性は近くの労働組合会館へ逃げ込んだが、その建物に
襲撃グループは火炎瓶を投げつけて炎上させ、逃げ道を塞いだ。
労働組合会館放火事件
労働組合会館放火事件(閲覧注意)
虐殺されたロシア人、特に子供と女性は、労働組合会館の地下で鉄の棒、
斧で切りつけられ殺された。 エレベーター近くで死んだ女性は、
ウクライナ人たち数人にレイプされ、その後、可燃性の液体を掛けられ、
焼き殺された。
襲撃グループのメンバーが建物に向かって銃を撃つ光景も撮影されている。
ウクライナ市民が投石をするために、石畳を剥がし、女性達が虐殺用の
火炎瓶を作っている場面が以下の画像である。
少女らが面白半分で火炎瓶を作っている
この労働組合会館放火事件、新政府派と旧政府派による両勢力の衝突としては
最悪の惨事で、治安当局は約170人を逮捕。 46名の死亡者と発表されている
ものの、実際には250人以上の死傷者が出た。
悲劇の始まりはサッカーだった
ヤヌコビッチ政権が崩壊した2014年2月のユーロ・マイダン革命後に起きた
最大の悲劇であり、ロシア人を焼き殺し、拳銃で撃ち殺した事件である。
子どもや女性は近くの労働組合会館へ逃げ込んだが、その建物に
襲撃グループは火炎瓶を投げつけて炎上させ、逃げ道を塞いだ。
労働組合会館放火事件
労働組合会館放火事件(閲覧注意)
虐殺されたロシア人、特に子供と女性は、労働組合会館の地下で鉄の棒、
斧で切りつけられ殺された。 エレベーター近くで死んだ女性は、
ウクライナ人たち数人にレイプされ、その後、可燃性の液体を掛けられ、
焼き殺された。
襲撃グループのメンバーが建物に向かって銃を撃つ光景も撮影されている。
ウクライナ市民が投石をするために、石畳を剥がし、女性達が虐殺用の
火炎瓶を作っている場面が以下の画像である。
少女らが面白半分で火炎瓶を作っている
この労働組合会館放火事件、新政府派と旧政府派による両勢力の衝突としては
最悪の惨事で、治安当局は約170人を逮捕。 46名の死亡者と発表されている
ものの、実際には250人以上の死傷者が出た。
悲劇の始まりはサッカーだった
オデッサの悲劇の最初の流血事件は、2014年4月20日のキリスト復活祭で起きた。
右翼セクター(ロシアでは禁止されている過激派組織)の妨害グループが
スロビアンスク近郊にあるビルバソフカ付近のドネツク人民共和国の民兵による
道路封鎖を攻撃した。 この時は、地元住民数名が犠牲となった。
右翼セクター(ロシアでは禁止されている過激派組織)の妨害グループが
スロビアンスク近郊にあるビルバソフカ付近のドネツク人民共和国の民兵による
道路封鎖を攻撃した。 この時は、地元住民数名が犠牲となった。
2014年4月末、オデッサでは2つの相反する政治活動家らの集団が出来きていた。
ロシアを支持する反マイダンのメンバーは、クリコボ・ポールを中心に活動
していた。 一方の右翼セクターは、オデッサ初代市長であったリシリュー
公爵の像の周りに集まり、双方がそれぞれ自衛軍を創設した。 両者の間では、
時折、小競り合いが起きていたが、流血の事態にまでは発展しなかった。
ロシアを支持する反マイダンのメンバーは、クリコボ・ポールを中心に活動
していた。 一方の右翼セクターは、オデッサ初代市長であったリシリュー
公爵の像の周りに集まり、双方がそれぞれ自衛軍を創設した。 両者の間では、
時折、小競り合いが起きていたが、流血の事態にまでは発展しなかった。
2014年5月2日、FCメタリスト・ハリコフの選手ら数百人が地元のサッカーチーム
であるFCチョルノモレツと対戦するために、オデッサ駅に到着した。 FC
メタリスト・ハリコフのファンらは、やがてユーロ・マイダンのデモ隊と合流し、
ソボルナヤ広場からスタジアムまで「ウクライナ統一行進」を行ったのである。
ウクライナ統一行進の様子
であるFCチョルノモレツと対戦するために、オデッサ駅に到着した。 FC
メタリスト・ハリコフのファンらは、やがてユーロ・マイダンのデモ隊と合流し、
ソボルナヤ広場からスタジアムまで「ウクライナ統一行進」を行ったのである。
ウクライナ統一行進の様子
反マイダンの支持者たちは、これを自分たちへの脅威と捉え、ソボルナヤ広場に
程近いアレクサンドロフスキー広場に集結した。 そして、午後2時30分頃から、
ついに衝突が始まった。 多くの人が負傷し、6人がこの時に死亡した。 警察は
衝突を抑えようとしたが、事態はついに収拾が付かなくなったのである。
程近いアレクサンドロフスキー広場に集結した。 そして、午後2時30分頃から、
ついに衝突が始まった。 多くの人が負傷し、6人がこの時に死亡した。 警察は
衝突を抑えようとしたが、事態はついに収拾が付かなくなったのである。
反マイダンの活動家は、多勢に無勢であったため、クリコボ・ポールまで退き、
防戦の準備をした。 即席のバリケードを築き、女性や老人を帰宅させたが、
この時は、野次馬や通りすがりの人達も、この守備隊に加わっていた。
防戦の準備をした。 即席のバリケードを築き、女性や老人を帰宅させたが、
この時は、野次馬や通りすがりの人達も、この守備隊に加わっていた。
午後7時頃には、右翼セクターは、反マイダンのキャンプを半円状に取り囲み、
労働組合会館に押し戻した。 この時、テントには、石や火炎瓶が投げ込まれた
ため、反マイダンの活動家ら総勢380人は、労働組合会館へと撤退した。 この時、
この建物の中には、戦闘員でも活動家でもない一般人が多く含まれていたが、
警察は特に何もせずに、事の成り行きを見守っていた。
労働組合会館に押し戻した。 この時、テントには、石や火炎瓶が投げ込まれた
ため、反マイダンの活動家ら総勢380人は、労働組合会館へと撤退した。 この時、
この建物の中には、戦闘員でも活動家でもない一般人が多く含まれていたが、
警察は特に何もせずに、事の成り行きを見守っていた。
労働組合会館には、多くの火炎瓶が投げ込まれたため、建物後方から中央階段へと
延焼し、出口は全て炎に包まれ、人々は閉じ込められた。 建物内部では、皆が
逃げ惑い、その殆どが労働組合会館の上階へと避難した。 この時、炎と煙に
耐え切れずに、建物の階上の窓から飛び降りる人達も多くいた。
延焼し、出口は全て炎に包まれ、人々は閉じ込められた。 建物内部では、皆が
逃げ惑い、その殆どが労働組合会館の上階へと避難した。 この時、炎と煙に
耐え切れずに、建物の階上の窓から飛び降りる人達も多くいた。
結局、誰も逮捕されなかった
これ以前から、キエフ政府からの独立を支持するロシア系住民らは、ドネツク人民
共和国とルガンスク人民共和国を宣言し、都市部では「新指導者革命」の反対派と
支持派の路上衝突が増え、キエフではネオナチを多く含む民族主義軍事部隊が
公然と結成された。
翌年4月初めにウクライナ検事総長の代表者らは労働会館の火事は偶発的な
ものとの声明を出した。 また、検事副総長は、死者ら自身が建物に放火したと
断言している。 死亡鑑定では拷問や暴行の痕は「見つかっていない」と
されている。 よって、この大量虐殺を扇動した右派急進主義組織には、
事件への責任は一切科せられていない。 これより1週間前、オデッサ地区
裁判所は、右派急進派の事件関与を示す「証拠は不十分」として検察庁に起訴状を
差し戻した。 残虐な虐殺事件であったにも関わらず、誰一人として逮捕され
なかったのである。
ものとの声明を出した。 また、検事副総長は、死者ら自身が建物に放火したと
断言している。 死亡鑑定では拷問や暴行の痕は「見つかっていない」と
されている。 よって、この大量虐殺を扇動した右派急進主義組織には、
事件への責任は一切科せられていない。 これより1週間前、オデッサ地区
裁判所は、右派急進派の事件関与を示す「証拠は不十分」として検察庁に起訴状を
差し戻した。 残虐な虐殺事件であったにも関わらず、誰一人として逮捕され
なかったのである。
コロモイスキーの計画
この労働会館で起きたウクライナ国民同士のジェノサイドは、ウクライナの
ユダヤ人新興財閥のコロモイスキーが計画したものと言われており、彼は
極右ファシストであるアゾフ大隊に資金提供し、同じユダヤ人のゼレンスキーを
大統領にし、実質ウクライナを支配しているのである。
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