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    タグ:ポップス

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    ソ連崩壊と新生ロシア
    ロシアの歌謡会は、過去に2回、大きな革命的な変革を経て、現在の形になった
    のだが、ロシアの現代ポップスをまともに語れる人間など日本ではほぼ皆無で
    あるため、この辺でその簡単な歴史をまとめておきませう。



    1986年のロック解禁とソビエト・ロック
    それ以前のソ連では、ロックは完全に禁止で、演奏どころか、聞くのも当然禁止。
    当時、国民は、ビートルズのカセットテープを勝手にダビングして、皆で回し
    聴きをしていた。 その後、ロックが解禁になって、一番最初にロックを
    歌ったのは、確か、ソフィア・ロタルやウラジーミル・クジミンの辺りだったと
    思う。 ソ連の音楽が本当の意味で始まったのは、この時からで、それ以前は、
    歌謡曲しかなかった。

    ウラジーミル・クジミン (Владимир Кузьмин)


    ソフィア・ロタル(София Ротару)


    キノー/ヴィクトル・ツォイ(КИНО - Виктор ЦОЙ)


    ソ連時代、特に、スターリンの時代は、粛清とかも普通に行われており、80年代は、
    流石にそこまでは酷くはなかったが、ソ連末期時代は、壁の中にマイクが仕掛けて
    あったりもしたため、ロックを聞いていることが周囲にバレると、秘密裏に処理
    (強制労働、シベリア送り等)されてしまうこともあったものの、ロシア人は
    仲間意識が非常に強いため、皆見てみぬ振りをしていた。 その昔聞いた話では、
    スターリンの時代は、ドイツ語の辞書を所持していただけで、シベリア送りと
    なって処刑されたお方とかもいたとか。 1991年12月末のソ連崩壊後、ロシアは
    長期に渡り経済的にどん底の時代が長く続いたため、音楽にも大きな変化が
    現れたのは、もう少し先のお話。 尚、ソ連は、国民100%が国家公務員であった
    ため、歌手やミュージシャンも全員国家公務員であった。

     【1999年から人気歌手が続々とデビュー】
    この時代にデビューをしたか歌手の中で、最も代表的なのがt.A.T.uで、この
    頃からロシアの音楽は革命的な大変化を遂げた。 それ以前のロシアの音楽は、
    聞いていてダサい音楽しかなく、ハッキリ言って、耳障りな音楽ばかりだった
    のだが、1997年の経済危機を乗り越えた辺りから、国内の経済が上向き始めた
    ため、音楽にも余裕が出て来た模様。 現在、ロシアの歌謡界で活躍をしている
    若手~中堅どころの歌手は、この前後にデビューを果たしている。

    t.A.T.u


    ヂアナ / イリーナ・ネルソン(Диана / Ирина Нельсон)


    ソ連邦内では、「メロージヤ(Мелодия)」と言う唯一の国営レコード会社が
    存在しており、ソ連国内で販売されるレコードは全て「メロージヤ」から
    発売されていた。 尚、ソ連崩壊直後、新生ロシアでは、一応CDは、発売
    されていたが、当時の平均的な月給が日本円に換算して3,000~6,000円程度で
    あったのに対して、CDは贅沢品として扱われていたため、1枚約3,500円程度も
    していた時代が長かった。

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    ロシアで毎年新年早々行われている歌謡祭『Песня года』 。 前年を代表するヒット曲を
    紹介する歌謡祭となっているが、ロシアの歌謡界は、非常にレベルが高く、美男美女
    ばかりが次から次へと出演するため、単に歌が上手いだけでは、ロシアではやって
    行けないことが、この動画を見ると良く分かる。

    放送時間も非常に長く、合計すると、約5時間ほど続くという、非常に見応えのある歌謡
    番組となっている。 尚、ロシアでは、音楽学校を卒業していない者は、基本的に、歌手には
    なれないため、このようなレベルの高い音楽を維持出来ている模様。

    【第一部】


    【第二部】


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    リサ·ニルソン(1970年8月13日Tyresö生まれ)は、スウェーデン出身の歌手。
    プロデューサーのウィリアム・バットによりスカウトされ、1989年に英語でのデビュー
    アルバム『Lean On Love 』をリリースした。 その後、1991年には、同じく英語で
    『Indestructible』を発表。 90年代には、ロシアのイーゴリ・ニコラエフとの
    デュエットも歌っている。

     

    1992年には、スウェーデン語で先行リリースされた『Himlen runt hörnet』が
    スウェーデン国内で大ヒットし、その後、『Ticke to Heaven』と題して1995年に
    英語版がリリースされた。 このアルバムは、日本でも同名で発売され、その後は、
    そのアルバムから、2曲が日本でもマキシシングルとしてリリースされた。



    それ以降は、1995年に『Till Morelia』、2000年に『Viva』、2002年に『Små rum』、
    2006年に『Hotel Vermont 609』と立て続けにアルバムを出したが、全て
    スウェーデン語のみで歌っている。

    Lean On Love
    Indestructible
    Till Morelia
    viva
    Små rum
    Hotel Vermont 609

    リサ・ニルソンの音楽スタイルは、父親であるジャズピアニストのイェスタ・
    ニルソンの影響で、ジャズをベースとしたものが多いが、その他にも、バラード、
    ダンス系、ポップスまで、幅広い活躍をしている。

    2002年には、イギリス生まれの映画監督コリン・ナットレーが制作した『Paradiset』で
    映画出演も果たしている。 2007年に女児を出産。



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    日本では、ポーランドの音楽と言えば、ショパン程度しか知られていないが、
    ポーランドは、クオリティーの高い音楽を供給している国として知られている。
    その中でもオススメなのが、Justyna Steczkowska(ユスティナ・ステチコフスカ)。

    justyna



    毎年5月には、ヨーロッパでは、ユーロビジョン・ソング・コンテストが
    開催されているが、意外な事にポーランドは、これまでに優勝を果たした
    事がない。 日本では、ポーランドをはじめとする東欧系のアーティストの
    CDを入手するのは、かなりの至難の業なのだが、ポーランドを訪れた際には、
    是非ともポーランドの音楽にも耳を傾けて欲しい。



    2000年前までのロシア、ウクライナ、チェコ他の東欧系のポップスは、
    到底聞いていられるレベルではなかったのだが、ポーランドだけは、
    共産党支配の時代から、かなりレベルの高い音楽を流通させていた。
    クラシック音楽でそれなりの結果を出している国の音楽にはハズレは
    ないのかも知れない。



    日本では、まず耳にする事がないポーランド語の響きにも哀愁を感じる
    のでは。 ポーランドは、知る人ぞ知る、東欧では最も親日な国。
    ワルシャワの街を歩いていると、日本から来たのか?と気軽に声を掛け
    られますが、英語がそこまでは通じないため、意思の疎通には、英語、
    ロシア語、ドイツ語を織り交ぜる必要があります。
     


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    1978年にリリースした、アーラ・プガチョワのデビューアルバム☆ しかも、ビクターから
    発売した、日本版 (^0^)/ 流石に、1978年のソ連までは、知りませんが、1983年以降で
    あれば、そこそこ詳しいですw

    旧ソ連の時代から長らく歌手活動を続けており、当時は、『歌う国家公務員』とまで
    言われた。

    IMG_5923

    加藤登紀子が、プガチョワの曲を多数カバーしていますが、その中でも、
    一番有名なのは、『百万本のバラ』。

     

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    1978年にリリースした、アーラ・プガチョワのデビューアルバム☆
    しかも、ビクターから発売した、日本版 (^0^)/ 流石に、1978年の
    ソ連までは、知りませんが、1983年以降であれば、そこそこ詳しいですw

    旧ソ連の時代から長らく歌手活動を続けており、当時は、『歌う国家公務員』
    とまで言われた。
    04577299.jpg


    加藤登紀子が、プガチョワの曲を多数カバーしていますが、その中でも、
    一番有名なのは、『百万本のバラ』。

     

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