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    タグ:ボルツァーノ

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    元々、チロルはひとつだったが、第一次世界大戦後、ハプスブルグ帝国の
    崩壊と共に、南チロルは、オーストリア領からイタリア領となった。 しかし、
    この地域では、今でも『チロル』としての住民意識が根強く、イタリア内に
    ありながら、多くの人達が今でもドイツ語で生活をしている。

    現在は、イタリア共和国トレンティーノ=アルト・アディジェ州ボルツァーノ
    自治県に属しており、街で飛び交う言語は、ドイツ語が最も多い。 街の通りは
    ドイツ語とイタリア語が併記されており、南チロルでは、イタリア語が強制
    されたことから、衝突が生じた時代もあったが、今では、ドイツ語で教える
    学校もあり、各家庭で子供をどちらで学ばせるかを選択出来るようになっている。



    【メラーノ(Merano) / メラーン(Meran)
    チロル地方の古都、メラーノは、ドイツ語では『メラーン』と呼ばれており、
    13世紀にチロル地方の都として定められた。 公式には、19世紀まで都であり
    続けたが、実際のところは、名ばかりであったため、現在では、緑あふれる
    気品のある街となっている。 ブルグラヴィアート(ブルクグラーフェンアムト)
    地方 (Burggrafenamt) の中心都市となっており、県都ボルツァーノからは、
    北西へ約25km、州都トレントからは、北へ約66kmの距離にあり、保養地
    として整備されているため、街歩きも実に楽しい。



    【ボルツァーノ(Bolzano) / ボーツェン(Bozen)】
    ボルツァーノは、ドイツ語では『ボーツェン』と呼ばれており、イタリア共和国
    トレンティーノ=アルト・アディジェ州北部の都市で、その周辺地域を含む人口
    約10万人の基礎自治体(コムーネ)で、ボルツァーノ自治県の県都となっている。
    古都メラーノの街からは、約25キロの場所にあり、山に囲まれた地理的な条件は
    同じだが、非常に対象的な街となっている。 緑の街であるメラーノに対して、
    ボルツァーノは石の町。 都であるメラーノに対して、ボルツァーノは商業の
    街だった。

    ボルツァーノの旧市街は意外に広く、街が古くから繁栄して来たことを意味して
    いる。 大きな広場を中心に、石畳の路地や、建物の中を通り抜けられる道が
    張り巡らされている。 建物には、壁画や彫刻を施されたものが目に付く。
    ボルツァーノは、石造りの特有の重々しい印象があるが、南チロルに降り注ぐ
    力強い日差しがそれを跳ね返し、街全体をとても明るくしている。 同じ
    チロルにある石造りの街、インスブルックと比較してみるのも興味深い。

    旧市街は、1本の川が境界線となっており、川沿いの道は、緑の多い公園と
    なっている。 古くは、ローマ時代まで遡る街だが、中世時代に、年に4回
    ほど大きな市が開かれたため、街が発展した。 その歴史を受け継ぎ、市が
    立つ通りが今でもある。

    【お勧めの一冊】




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    イタリアのボルツァーノ自治県は、イタリア共和国トレンティーノ=アルト・
    アディジェ特別自治州に属する県で、県都はボルツァーノ。 イタリアでは
    唯一、イタリア語・ドイツ語・ラディン語の3つの公用語を併用する県と
    なっている。 歴史的には、「チロル」と呼ばれた地域の一部で、「南チロル」
    とも呼ばれている。 この地域では、ドイツ語を母語とするドイツ系住民が
    人口の半分以上を占める他、レト・ロマンス語群の言語である、ラディン語の
    話者も居るため、地域内での言語事情が非常に複雑となっている。
    tirol
    1922年にムッソリーニ政権が誕生すると、ボルツァーノ県では、イタリア化
    政策が推進されたため、ドイツ語の使用が禁止となり、人名、地名は全て
    イタリア語に変更された。

    学校教育もイタリア語で行われるようになった他、イタリア南部からの移住も
    推奨され、徐々にイタリア語系住民の比率が高まって行った。 1939年、
    ムッソリーニは、アドルフ・ヒトラーから、ドイツ語系住民に、ドイツへの
    移住か、イタリアに留まり、イタリア人との同化政策を受け入れるかの選択を
    させる事を提案され、同意した。 住民は、故郷を捨てるか、母語を捨てるか
    という苦渋の選択を迫られた。

    第二次世界大戦後期の1943年、イタリア王国が連合国に降伏すると、直ちに
    ドイツ軍はイタリア北部を占領する。 ボルツァーノ県域は、名目上、イタリア
    社会共和国に属するとされたものの、ドイツ軍の占領統治下に置かれた。
    1945年5月のドイツ降伏に先立ち、4月27日にドイツからの独立を宣言した
    オーストリアの臨時政府は、1938年の独墺合邦の無効を宣言し、チロル州も
    オーストリア領に復した。 ボルツァーノ県の住民も南チロル人民党を結成
    するなど、オーストリアへの復帰を望んだが、国際情勢がそれを許さなかった。

    1946年9月5日、パリにおいて、イタリアのデ・ガスペリ首相兼外相と
    オーストリアのグルーパー外相との間で会談が行われ、同県のイタリア領有、
    および、ドイツ語系住民への自治権の付与について合意に達した。 1948年
    1月の法律で、自治権が保障されたが、パリでの合意に及ぶものではなく、
    ドイツ語系住民にとっては、不十分な内容であった。

    また、中央政府が南イタリアからの移住を推進した事に対しても不満があった。
    このため、完全自治、あるいは、チロル再統一を要求する組織が作られ、
    1950年代半ば以降、テロ活動が続き、1960年代には激しさを増した。
    1960年には、国際連合でも議題にあげられ、平和的解決が求められた。


    家庭内の会話における使用言語全国
    イタリア語のみ、あるいは主にイタリア語45.5%25.2%
    地方言語のみ、あるいは主に地方言語16.0%1.5%
    イタリア語と地方言語の双方32.5%4.1%
    他の言語5.1%65.5%

    【ドイツ語】
    ドイツ語話者は、県人口の約70%を占める。 2011年の「言語集団調査」に
    よれば、県の116コムーネのうち、103コムーネでドイツ語話者が過半数を占める。
    住民のほぼ全てが、ドイツ語話者であるコムーネも多く、ドイツ語話者が人口の
    90%以上を占めるコムーネが77コムーネ、98%以上を占めるコムーネが
    26コムーネある。 マルテッロでは、ドイツ語話者が100%となっている。
     
    公文書や教育・メディアなどでは、標準ドイツ語が用いられている。 ただし、
    この地域で話されているドイツ語は方言で、県内でも地方ごとに差異があり、
    東部はバイエルン人/バイエルン語話者、西部はアレマン人/アレマン語話者が多い。

    【イタリア語】
    イタリア語話者は、県人口の約25%で、県都ボルツァーノをはじめとする南部に
    多い。 2011年の「言語集団調査」によれば、イタリア語話者が過半数を占める
    のは、5コムーネで、ボルツァーノ(73.80%)、ライヴェス (71.50%)、
    ブロンツォーロ (62.01%)、サロルノ (61.85%) 、ヴァーデナ(61.50%) となって
    いる。 これに次ぐのは、メラーノ (49.06%) で、ドイツ語話者と拮抗している。

    【ラディン語】
    ラディン語は、レト・ロマンス語群の言語で、イタリア語とは同じロマンス
    諸語に含まれる。ラディン語話者は、オルティゼーイをはじめとする、県東南部の
    ヴァル・ガルデーナ、および、ヴァル・バディーアに集住しており、8コムーネで
    過半数(いずれも80%以上)を占める。 2011年の「言語集団調査」によれば、
    ラディン語話者が最大の比率を占めるのはラ・ヴァッレ (97.66%) である。
    8コムーネ以外では、オルティゼーイに隣接するカステルロットで15.37%を占める。

    ラディン語話者はボルツァーノ自治県、トレント自治県、ベッルーノ県に
    またがる山間地域に集まっており、これらの地域は、「ラディニア」と呼ばれる。
    ラディン語話者は、全体で約3万人とされており、ユネスコの「危機に瀕する言語」
    では「危険」と評価されている。 ボルツァーノ県にはこのうち約2万人が
    暮らしている。



    オーストリアは、長年に渡り、イタリアに対して、ドイツ語話者の多い南チロルの
    返還を求めているが、イタリアは、これに応じず、南チロルは、未だイタリア領の
    まま現在に至っている。

    世界には、このような、国境と言語が一致していない個所が多く見られるが、
    むしろ、日本のように、国境と言語が一致している国の方が珍しいのかも知れない。

    【お勧めの一品】


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