多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

世界80言語対応の『多言語翻訳GoWest』を運営しています。 お見積もりはお気軽に『お問い合わせ』からお願い致します (^-^)b 『我孫子ゲストハウス』の運営も行っております。



    ブログランキングに参加していますので、クリックをお願いします!
    I’m participating in blog ranking, please click the following buttons!
    Je participe au classement des blogs, veuillez cliquer sur les boutons suivants !
    Ich nehme am Blog-Ranking teil. Bitte klicken Sie die folgenden Schaltflächen!
    Я участвую в рейтинге блогов, пожалуйста, нажмите на следующие кнопки!
    にほんブログ村 外国語ブログへ
    にほんブログ村
    人気ブログランキング

    タグ:ベルリンの壁

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

    第二次世界大戦の後、ドイツは、4つに分割され、それぞれが主要な連合国の
    占領下に置かれた。 3つの地域は、まもなく『西ドイツ』として統合されたが、
    ソビエト連邦に占領されていた地域は、分断され、『東ドイツ』となった。

    この2つの国を隔てる国境は、国際社会に新しく誕生した敵対関係の境界線の
    一部となった。 新たな敵対関係とは、西側の資本主義諸国と、ソビエトが率いる
    東側の社会主義諸国との対立である。 この境界線は、しばしば『鉄のカーテン』
    と呼ばれた。

    MapGermany

    西側と東側の対立は、『冷戦』と呼ばれ、ベルリンは、その中心となった。
    ベルリンは、東ドイツ内にあったが、首都として4つの地域に分割占領されていた。
    西ベルリンには、イギリス、フランス、アメリカの占領地域があった。
    東ベルリンは、ソビエトの占領地域であった。 1948年、ソビエトは、
    ベルリンから他の国々の軍隊を撤退させる目的で、東ドイツを通過する補給物資の
    輸送を封鎖した。 これに対して、西側陣営は、食料品と燃料を空輸して対抗した。
    この作戦は、『ベルリン空輸』と呼ばれている。 空輸作戦は、およそ1年間続き、
    東ドイツの中で完全に孤立していた西ベルリン市民に、昼夜を問わず何百万トン
    もの補給物資を空輸した。

    しかし、これは、ベルリンの支配をめぐる長い戦いの始まりに過ぎなかった。
    1961年までに、200万人以上の人々が東側から西側へと亡命した。 東ドイツ
    政府は、西ベルリンの周囲に壁を建設し、東側の市民が西ドイツに逃亡しない
    ようにした。

    f7b8240076

    【ドイツ再統一】
    ソビエト連邦は、その後の30年間、東ドイツを支配したが、1970年代に入ると、
    ソビエト、東ドイツ等の東ヨーロッパ諸国からなる東側陣営の経済状態が悪化
    して来た。 1980年代になると、ソビエトの指導者、ミハイル・ゴルバチョフは、
    より民主的な政府を目指して改革を始めた。 同じように東ヨーロッパ諸国でも、
    自由を求める動きが強まった。 いくつかの場所では、国境の監視が緩められた。
    数千人の人々が『鉄のカーテン』を通って、西側へ流出した。

    img904

    1989年11月9日、東ドイツは、国境を開放した。 その夜、喜びに沸く群衆は、
    ハンマーやつるはしを使って壁を打ち壊した。 数日後、東ドイツ政府は倒れ、
    1990年10月、ドイツは再び統一国家となった。 それは、この国にとって、
    新しい試練の始まりでもあった。 東ドイツの破綻した経済と、近代的な西ドイツの
    統合には、当初から数々の困難が予想されたが、再統一から、25年を経た今でも、
    完全な心の東西の統一は果たされてはいない。

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

    1989年のベルリンの壁崩壊から、25年が経過した。 統一直後のベルリンは、旧東独に
    入った途端、急に暗い雰囲気になったものだが、ここ数年間の大々的な再開発事業により、
    その見た目も西側とさほど変わりがなくなった。
    img_554
    ベルリンには、元々『中央駅』はなく、東西分裂時には、『動物園駅』が西側の終点駅
    だったが、今では、単なる通過駅になってしまった。 見た目は変わってしまったが、
    東西の統一後も、心情的な壁はまだ残されたままで、分断されていた時間が長かった
    分だけ、真の統一までには、それと同じ長さの時間が必要なのかも知れない。

    ベルリンの壁崩壊から25年


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログ 通訳・翻訳(英語以外)へ

    にほんブログ村

    このページのトップヘ