多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

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共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:ベルギー

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    1477年、マリアはハプスブルグ家のマクシミリアン大公と結婚した。
    ハプスブルグ家はオーストリアを根拠地とする強力な王家で、13世紀後半以降、
    代々神聖ローマ帝国(現在のドイツ)の皇帝となっている家柄だった。
    ハプスブルグ家の権威は、ローマ教皇を戴くカトリック教会と強く結び付いていた。
    この結婚の後、ネーデルランドに対するマリアの支配権が強められ、議会の
    影響力は衰えた。

    1482年にマリアが死ぬと、マクシミリアンは、自分達の若い息子フィリップの
    代理として、ネーデルランドを支配した。 1480年代後期から、90年代初期に
    掛けて、諸都市の中でもとりわけ力の強いブルッヘ、アントウェルペン、
    ゲントの3都市がマクシミリアンに抵抗し、マクシミリアンは、軍隊を送って
    これを鎮圧した。

    1496年、フィリップは、スペイン王の娘ホワナと結婚した。 スペインは特に
    カトリック教会の影響の強い国だった。 2人の間に生まれたカール5世は、
    1519年までに神聖ローマ帝国、ネーデルランド、スペイン、および、その
    植民地等、広大な領地を継承するに至った。

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    【カール5世とカルヴァン主義】

    カール5世が統治を始めた時、アントウェルペンは、西ヨーロッパで最も繁栄した
    交易中心地のひとつだった。 アントウェルペンの港は、ヨーロッパ産の商品
    ばかりではなく、南アフリカのスペイン植民地や、西アフリカのポルトガル
    植民地の商品も扱った。 ベルギーの繊維産業は、一時衰退していたが、
    この時期に鋳造業、じゅうたん製造業、印刷業等が盛んになった。

    カール5世は、フラマン地域圏を含むネーデルランド全土の支配権を強化した後、
    これを自分の広大な領域の中の半独立的な部分として扱った。 彼は、各州に
    大評議会を設けて徴税と行政の指導に当たらせた。

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    この頃カトリック教会の腐敗を指摘し、教会を改革しようとする人々が現れ
    始めた。 このような人達をプロテスタントと呼ぶ。 この結果として、ドイツと
    スイスの各地に、ローマ教皇から独立したプロテスタントの教会が次々誕生した。
    しかし、べルギーの人民達はずっとカトリック教徒であり続けた。

    16世紀になって、フラマン地域を含むネーデルランドにも、カルヴァン主義と
    呼ばれるポロテスタント思想が入って来た。 カルヴァン主義は、スイスの
    ジュネーヴを根拠地とするジャン・カルヴァンが説いたもので、神の意志への
    厳格な服従と勤勉等を原則としていた。 1540年には、カルヴァン主義は、
    アントウェルペンまで広がり、カルヴァン主義者達は、自身の宗教的な自治体を
    組織しようと計画した。 カール5世やそれ以降のハプスブルグ家の君主達は、
    カルヴァン主義をカトリック教会のみならず、彼等自身の権威への脅威とみなした。

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    14世紀頃、現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルグの3国を合わせた地域は、
    ネーデルランド(低い土地)と呼ばれていた。 1369年、フランドル伯の後嗣
    マルグリードが、フランス王の息子のブルゴーニュ(現在のフランス東部)領主と
    結婚した。 これにより、フラマン地域は、ブルゴーニュ家の統治下に置かれる
    ことになった。 マルグリードの夫も、その後継者となった息子も、フラマンの
    政治にはそれほど関わらなかった。

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    ところが、3代目のブルゴーニュ公フィリップ善良公は、ネーデルランドの政治に
    積極的な役割を演じた。 1419年から1467年まで続いたフィリップの長い統治
    期間に、領土は南と東に広がり、ブラバント、エイノー、ナミュール、
    リュクサンブール、アントウェルペンの諸州を含むようになった。 これらの
    諸州は、単一の国家になった訳ではないが、ブルゴーニュ公の領土として緩やかに
    結ばれていた。

    フィリップは、自分の権威を集中するために、1465年、各州の代表者を
    ブリュッセルに招集した。 この集会は、後のオランダとベルギーの国民議会の
    前身である。 フィリップは、自分の臣下からなる大評議会に、ネーデルランド
    諸州の司法と財政を委任した。 この変革によって、各州の持っていた権限は、
    大幅に奪い取られた。 フィリップの息子のシャルル豪胆公は、1467年に父の跡を
    継いで、ブルゴーニュ公となった。

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    シャルルは、領土を拡大するために、フランス等周辺諸国と絶えず戦争をした。
    戦争費用をまかなうために、重い税金が課された。 シャルルの侵略的行動に
    憤慨した周辺諸国との戦いが続き、シャルルは、1477年に戦死した。

    シャルルの死後、フランスは、ブルゴーニュ家の領土を次々占領し始めた。
    フランスによる占領を避けるために、ネーデルランド各州の代表者達は、
    シャルルの娘で20歳になるマリアの継承権を支援した。 その見返りとして
    マリアは、フィリップ全良公が、かつて奪った各州の権利の一部を返還した。
    マリアはまた、ネーデルランド議会が、議会自身の意志で会議を開くことに
    同意した。

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    現在ベルギーになっている地域では、いくつもの先史時代の遺跡が発見
    されている。 それによれば、この地域の初期の住民の大部分は、農業と
    牧畜に従事していたようである。 西暦前3000年頃までに、東と北から侵略と
    移住が繰り返されて、この地域の人々の生活様式を変えてしまった。 新来の
    人々の一部は、金属加工に熟練していた。 その後、ヨーロッパ北部から
    ケルト人と呼ばれる人々が来て、死者を火葬にして、遺灰を骨壷に収める
    風習を広めた。

    西暦前およそ2000年頃までには、ケルト系の人々がこの地域に住むように
    なっていた。 その中でも、ベルガエ人は、よく知られている。 オランダ
    北部では、ケルト系とゲルマン系の両文化の接触は、ごく普通に行われ、西暦前
    1世紀には、ゲルマン系の民族が現在のフラマン地域圏に入って、ケルト系の
    人々と婚姻関係を結んだ。 それに対して、南部(現在のワロン地域圏)は、
    殆ど完全にケルト系のままだった。

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    【ローマ人の支配】
    西暦前1世紀、優秀な戦士だったベルガエ人は、ローマ帝国の軍隊と戦った。
    この帝国は当時、イタリアから北に向かって領土を広げていた。 西暦前
    58年~51年に掛けては、ローマの将軍、ユリウス・カエサル(ジュリアス・
    シーザー)の率いる軍団が、当時ガリアと呼ばれていたヨーロッパ北部の広い
    地域を征服した。 ローマ人は、やがて、ベルガエ人を服従させ、ベルギカ州を
    建設した。 この地域は、現在のベルギーから、北方のライン川まで広がって
    いた。

    ローマ人は、ベルギカ州内に軍隊の野営地を設置し、広い道路網を建設した。
    ベルギカの住民たちは、税金を支払い、また、兵士を提供した。 軍隊に食料を
    提供するために、ローマ人は大規模な農場を作り、穀物の収穫量を増やした。

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    ベルガエ人は、ローマの統治にやすやすと適応し、ローマ人の使っていたケルト語に
    取り入れられた。 西暦2世紀には、ベルギカ州内の多数の水路沿いに産業と交易が
    栄えた。 現在、いくつかの都市等には、ローマ時代の遺跡に残っている。
    しかし、4世紀の終わり頃には、ローマ政府内の様々な問題のために、帝国の
    防衛が弱体化し始めた。 ゲルマン系の民族グループの内、特に中央ヨーロッパ
    から来たフランク人がベルギカ州内のローマの本拠地を攻撃して、奪い取った。

    この頃までに、ローマ人は、キリスト教を国教として採用しており、この宗教は、
    ヨーロッパの他の地域にも広がり始めた。 ベルギカ州内のローマの支配力は、
    5世紀初期には、更に弱くなり、また、北海の高潮が、スヘルデ河口沿いの低地に
    洪水となって侵入した。 更に、奥の内陸部は、余りにも沼地が多く、農業や
    定住や防衛に適さないため、ローマ軍は、北の前哨戦から撤退して行った。

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    ベルギーの 人口は、約1,000万人となっており、その95%が都市に住んでいる。 この
    割合は、ヨーロッパ最高となっている。 この国の最も人口の集中している都市は、
    ブリュッセルとアントワープで、その他の都市では、シャルルロアや、リエージュのような
    都市の中心か、、または、ゲントやブルージュのような歴史的な都市に住んでいる。

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    【ブリュッセル】

    ブリュッセルの人口は、その郊外も合わせると、110万人となっており、面積の上では、
    ブラバンド州の半分近くを占めている。 この都市は、センヌ河畔にあって、ずっと以前
    からフラマン文化とワロン文化の接合点であった。 現代ブリュッセルは、国際的な産業と
    政治の中心となっている。 市民の3人に1人はベルギー国籍を持っていない。 この
    街では、オランダ語とフランス語が公式言語とされており、住民の大部分はフランス語を
    話すことが出来る。 また、英語やドイツ語、その他の言語も日常的に極普通に使われて
    いる。

    1830年以来、ブリュッセルは、ベルギーの首都ととして、商業、工業、そして、文化の
    中心であった。 住民の多くは、この都市にある政府機関や国際機関の職員となって
    いる。 ブリュッセルの主要な産物としては、繊維製品、薬品、電気機器、機会、ビール
    等がある。

    groenplaats

    【アントワープ】
    人口50万人のアントワープは、ヨーロッパでも最も船舶の出入りの多い港で、スヘルデ川
    沿いに広がっている。 15世紀と16世紀には、この都市は、商業の中心として繁栄し、
    商人、芸術家、職人が多数住み着いた。 現代でも、この都市の主要な収入源は貿易
    だが、精油工業、薬品工業、冶金業、食品加工業、電子工業等も盛んになっている、
    ダイヤモンド産業は、この都市の経済の重要な要素で、ダイヤモンド研磨業は、何世紀も
    前から、世界随一と言われている。

    charleroi

    【シャルルロア】
    シャルルロアは、人口25万人以上を擁する都市で、サンブル川の肥沃な農業地帯の
    ただ中にある。 付近に石炭が多量に埋蔵されているため、この都市の工業は19世紀
    に入って繁栄し、ワロン地域の大きな部分に富と仕事をもたらした。 この都市の運河沿い
    には、かつて商業活動が活発に行われた倉庫が立ち並んでいる。 冶金業関係の
    鋳造所や工場の多くは、時代遅れとなり、今では、ハイテク産業の町となっている。

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    【ゲント】
    ゲントは、人口23万5,000人の古い大学町で、東フラマン州の州都となっている。 
    ライエ川とスヘルデ川の合流地点に位置している数十の島々の上に建設されたため、
    ベルギー第二の港湾都市となっている。 1886年には西スヘルデ運河に直接連絡する
    運河が完成した。 何世紀も前からゲントは、ベルギーの繊維産業の中心となっている。
    最近では、鉄鋼の生産と草花の栽培も地元の経済に大きな意味を持つようになった。
    第一次世界大戦と第二次世界大戦では、ドイツ軍に占領されたが、貴重な建物は破壊を
    免れた。 9世紀に建てたれた城郭と16世紀に建てられた市庁舎は、今でも健在である。

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    【リエージュ】
    人口21万5,000人のリエージュは、ミューズ川の両岸にまたがっている。 遠い昔から、
    ワロン地域圏の行政と商業の中心地で、ひっそりした感じの中庭や狭い裏通り、急な
    坂道が多い。 1460年代にリエージュは、ここの市民に侮辱されたと考えたシャルル
    豪胆公によって、徹底的に破壊された。 そのため、現在残る建築物は、16世紀以降に
    建てられたものが多い。 リエージュは、付近に大量の鉱物が産出するため、19世紀から
    20世紀に掛けて、武器とガラス器の生産が盛んに行われるようになった。 2度の大戦
    では、ドイツ軍に樹凜され、工場の一部は破壊された。 戦後、リエージュは、ベルギーの
    文化の中心地のひとつとなり、喫茶店、キャバレー、コンサートホールやバレエの劇場が
    多数ある。

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    【ブルージュ】
    西フラマン州の州都であるブルージュは、7世紀に建設され、人口12万人、13世紀から
    15世紀に掛けて、ハンザ同盟の加盟都市として繁栄した。 この町と北海に面した
    ゼーブルッヘとは、運河で結ばれている。 市内の運河には数多くの橋が掛かり、運河
    沿いに13世紀以来の家屋が立ち並んでいる。 ゴシック様式の寺院、大きな広場、
    昔ながらの商業建築物等が交易の中心地だった頃の歴史を物語っている。

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    ベルギーは、フランスとドイツに挟まれており、国として成立したのは、
    1830年である。 国名は、古代にここに定住したケルト人の一派
    『ベルガエ人』に因んでいる。 この地域は、西暦前50年頃以降、ローマ、
    フランク、スペイン、オーストリア、フランス、オランダ等の勢力に次々と
    制服された。 2度に渡る大戦の際には、ドイツの攻撃を受け、占領された。

    provincemap

    この国には、フラマンとワロンという2つの大きな地域圏がある。 2つの
    地域の大きな違いは、言語である。 フラマン地域圏は、北部と西部にあり、
    ここに住んでいるのは、オランダ語(フラマン語)を使用している。
    そのうちの多くは、フランス語も知っている。 ワロン地域圏は南部にあり、
    ここの人々は、日常生活にフランス語を使用しているが、オランダ語も
    話せる人もいる。 また、ワロン地域圏の中には、ドイツ語を使用している
    グループもある。 外国に支配されていた時期が長かったにも関わらず、
    それぞれの地域圏に住む人々は、自らの歴史と文化に強い誇りを持ち
    続けている。

    grandplace401

    人々は、信仰と生活の上でカトリック教会と固く結びつき、教会は、
    いくつもの政党に強い影響力を持っている。 カトリック教徒ではない
    人々は、非宗教的な政党に所属している場合が多い。 これらの内部事情
    にも関わらず、近代と現代のベルギーは、ヨーロッパの経済的統合を目指す
    上で指導的な役割を果たして来た。 EU(欧州連合)の政策決定の本部は、
    ベルギーの首都に置かれている。 ベルギーは、EU加盟国として大きな
    市場に販路を持ち、また、EUに投下される財源から一定の助成を受けて
    いる。 これらの利点によって、ベルギー国民は高い水準に達することが
    出来た。

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    ベルギーの首都、ブリュッセルのグランプラスで毎年夏に開催されている
    『フラワーカーペット』。 来年度は、日本とベルギーの外交関係樹立
    150周年を迎える。

    Le prochain tapis de fleurs de la Grand-Place de Bruxelles célébrera
    le 150e anniversaire des relations diplomatiques entre la Belgique et
    le Japon, a annoncé l'ambassade du Japon.
     
    tapis-de-fleurs1

    今では、すっかりと観光名所となった『フラワー・カーペット』だが、隔年の
    8月15日の週にグランプラスで開催されている。 来年度で20回目を迎える
    このイベントは、8月12日から15日まで、日本をテーマにする。

    Un été sur deux, le week-end du 15 août, la Grand-Place de Bruxelles
    se couvre d'un tapis de fleurs devenu une importante attraction touristique.
    La 20e édition, programmée du 12 au 15 août 2016, mettra à l'honneur
    le Japon.

    日本大使館の話によると、日本側のスポンサーが、費用の半分を負担し、
    来年の5月に除幕式が行われる。

    Des sponsors japonais assureront la moitié des coûts du tapis floral,
    dont le design sera dévoilé en mai, selon l'ambassade du Japon.
     
    tapis-de-fleurs

    昨年度は、トルコ、モロッコからの移民が50周年を迎えた。

    L'an dernier, l'événement célébrait les 50 ans de l'immigration
    turco-marocaine.

    ベルギーの首都のメイン広場で開催された最初のフラワーカーペットは、
    1971年まで遡る事が出来る。 視覚的に彩られたイベントは、1986年から、
    毎年隔年で開催されている。 美しくも、はかないこのお祭りは、長さ75m、
    幅24m、合計1800平方メートルのベゴニアの花で構成されており、1平方
    メートルの花の数は、約300となっている。

    Le premier tapis de fleurs installé sur la place principale de la capitale
    belge remonte à 1971. Le spectacle visuel est organisé tous les deux ans
    depuis 1986. L'oeuvre éphémère mesure 75 m de long sur 24 m de large
    et est composée de 1.800 m2 de bégonias, soit environ 300 fleurs
    coupées par m2.



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    Je préfère vivre en Belgique plutôt qu'en France, parce qu'il y a trois langues
    officielles différentes là-bas et il a la culture néerlandaise et la latine mixtes.
    Je pense que c'est pays très unique et idéal pour moi.

    I prefer to live in Belgium rather than in France, because there are three different
    official languages there and it has Dutch and Latin mixed cultures. I think it's very
    unique and ideal country for me.

     



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    正式名称は、ベルギー王国。 隣国のオランダ、ルクセンブルクと合わせてベネルクス
    とも呼ばれる。 公用語は、フランス語、オランダ語、ドイツ語の3言語。 立憲君主
    国家であるため、国王が国民に向けてスピーチをする際には、この3言語にて、行われる。
    日本では、ビールやチョコレートなどで知られる。 ヨーロッパの十字路に位置している
    ため、古代から多くの戦乱の舞台となり、建国後もドイツやフランスなどの強国に
    翻弄されてきた。

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    首都のブリュッセルは、ヨーロッパ連合(EU)の主要機関の多くが集まっているため、
    『EUの首都』と呼ばれている。 19世紀にネーデルラント連合王国から独立した国家で、
    オランダ語の一種であるフラマン語が公用語の北部フランデレン地域と、フランス語が
    公用語の南部ワロン地域とにほぼ二分される。 建国以来、単一国家であったが、
    オランダ語系住民とフランス語系住民の対立(言語戦争)が続いたため、1993年に、
    フランデレン地域とワロン地域とブリュッセル首都圏の区分を主とする連邦制に移行した。

    紀元前後になると、ローマ人との接触がはじまり、ガイウス・ユリウス・カエサルが、
    紀元前57年に著した『ガリア戦記第二巻』に、この地に居住する民族について初めて
    言及がなされた。 カエサルは、同地に居住するゲルマン人との共通性を持つケルト人の
    多くを総称して『ベルガエ族』と呼んだ。 これが、現在のベルギーの国名の語源と
    なっている。

    3世紀に入り、海進によって居住地を失った人々が大規模な移住をはじめた。
    これによってフランク族がライン川を越えてローマ帝国へ侵入をはじめ、ライン川近郊の
    多数の都市が占拠されて行くと、帝国の国境はブローニュとケルンを結ぶ軍用道路線
    まで後退した。

    こうして北部ではゲルマン人の定着に伴うフランデレン語が、南部ではワロン語が
    浸透して行き、その結果生まれた境界線は、以降のベルギーにおけるラテン系・
    ゲルマン系という民族紛争、言語戦争の起源となった。 

    ブリュッセル~ワロンの画像

    14世紀にこの地に栄えた、ブルゴーニュ公国は終焉を迎え、フランドル地方は、
    ハプスブルク家の支配下に組み込まれる事となった。 同家がスペイン系と
    オーストリア系に分かれると、ベルギーは、スペイン領となった。 16世紀には、
    スペインの支配に対して反乱を起こし、ネーデルラント17州のうち、ユトレヒト同盟を
    結んだ北部7州は、ネーデルランド連邦共和国として正式に独立を承認されたが、
    南部諸州はスペインの支配下に留まった。

    この南ネーデルラントが現在のベルギー王国の起源となっている。 フランデレン
    地方は、18世紀のスペイン継承戦争の後に、オーストリア領となった。 1789年に
    ハプスブルク=ロートリンゲン家の支配に対して、革命が起こり、1790年には
    独立国家であるベルギー合衆国が建国されたが、短期間で滅ぼされた。

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    ベルギー、並びに、ルクセンブルクは、南ネーデルランドとして再びハプスブルク家の
    支配下に戻るが、その後フランス革命戦争により、フランス軍に占領された。 フランス
    革命勃発後、ジャコバン派がフランス革命国民義勇軍を主導したが、ベルギー戦線で、
    2度に渡り、オーストリア軍を殲滅し、その後、フランス軍は、南ネーデルランドを
    占領した。 その際、ナポレオンとオーストリアは、カンポ・フォルミオ条約を結び、
    その結果、南ネーデルランドは、フランスに併合された。

    アントワープ~フランドルの画像 

    ナポレオン戦争の終結後、1815年のウィーン議定書によって、ベルギーは、オランダと
    共に、ネーデルラント連合王国として再編された。 一方、ルクセンブルク大公国は、
    ドイツ連邦に加盟した。 1830年、ベルギーは、ネーデルラントの支配に対して、独立
    革命を起こし、同年に独立を宣言する。 1839年、オランダとベルギーとの平和条約が
    締結されたた、そこでは、オランダがベルギーの独立を認める見返りに、ベルギーは
    永世中立国の宣言をせよという事になっていた。 これはプロテスタント国家オランダに
    とって、カトリック国家フランスとベルギーとの同盟による軍事的脅威をなくすための
    ものであった。 このように、ベルギーの永世中立国化はオランダの安全保障が
    関わっていた。

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    第一次世界大戦では、中立政策を無視して進入したドイツ軍によって、ほぼ全土を
    占領された。 戦後、ドイツの脅威に対抗するため、フランスと軍事協定を結んだが、
    1936年にはこれを破棄して、中立政策へと回帰した。 第二次世界大戦においても、
    ドイツ軍によって国土を占領された。

    ロンドンに亡命政権が立てられたが、国内に残った国王レオポルド3世は亡命政府の
    意向を無視して、ドイツに降伏し、国王の権限を逸脱するものとして戦後に問題視される
    事となった。 第二次大戦後のベルギーは、1951年の欧州石炭鉄鋼共同体参加以来、
    ヨーロッパ統合において中心的な役割を果たしてきた。 現在、首都ブリュッセルは
    欧州委員会などの欧州連合の主要な機関が置かれており、欧州連合の『首都』的な
    性格を帯びている。 ブリュッセルは、2014年、ビジネス、人材、文化、政治などを
    総合評価した世界都市ランキングにおいて、特に『政治的関与』が高く評価され、世界
    11位の都市と評価された。

    ベルギーは、1993年の憲法改正により、連邦制に移行した。 連邦は、ブリュッセル
    首都圏地域、フランデレン地域、ワロン地域の3つの地域と、フラマン語共同体、
    フランス語共同体、ドイツ語共同体の3つの言語共同体の2層、計6つの組織で構成
    される。 そして、フランデレン地域とワロン地域の2つの地域は、それぞれ5つの州に
    分かれている。 ただし、フラマン語共同体とフランデレン地域については、ブリュッセル
    首都圏を除き領域が完全に重なるため、現行憲法が施行されて間もなく、フラマン語
    共同体政府がフランデレン地域政府を吸収する形で統合された。

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    統合された自治体は単にフランデレンと呼ばれている。つまり、現在のベルギーには
    連邦構成主体は、憲法上は6つ存在するが、実際上は5つしか存在しない。 フランデレン
    地域とワロン地域の境界線は、国土のほぼ中央を東西に横切っており、言語境界線と
    呼ばれる。 ベルギーの住民は、オランダ語のベルギー方言とも言うべきフラマン語を
    話すフランデレン人が58%、フランス語を話すワロン人が31%、その他混血などが11%と
    なっている。 特に首都ブリュッセルは、中東系を中心とした移民が多い。 ベルギーの
    国土は、使用言語により、3つの言語共同体に分かれており、それぞれに地方公用語が
    ある。

    北部のフランデレン地域は、フラマン語共同体に属し、フラマン語(オランダ語)が
    公用語となっている。 また、フローネン、ネーメン、コミーヌなどはフランス語地域と
    なっている。 しかし、フランデレン地域の大抵のフラマン人は、老若男女を問わず
    フラマン語(オランダ語)以外にも、フランス語と英語を習得している。

    南部のワロン地域は大部分がフランス語共同体に属し、フランス語が公用語となっている。
    ベルギーのフランス語は発音・語彙に若干の特徴があるが、フランスの標準フランス語と
    ほとんど同じである。 ただし、標準フランス語の他に、ワロン語とフランス語のいくつかの
    方言も広く話されている。 フランス語の諸方言は、主にフランス国境地域で話されている。
    また、南東部のルクセンブルク国境地域では、ルクセンブルク語が話されている。 ワロン
    地域の住民で、オランダ語や英語を話す者は非常に少ない。 また、ワロン地域では、
    英語がほとんど通じない。 ワロン地域の北東極一部のドイツ国境地域は、ドイツ語
    共同体に属し、ドイツ語が公用語となっている。 ただし、それぞれの話者の割合は
    均等でなく、オランダ語が60%程度、フランス語が40%程度、ドイツ語が1%未満である。

    尚、首都ブリュッセルでは、オランダ語の使われるフランデレン地域に囲まれているが、
    フランス語話者が8割以上を占めており、フラマン語共同体とフランス語共同体の双方が
    自治権を持っている。 フランデレン地域の人々とワロン地域の人々の間には、
    『言語戦争』とまで呼ばれる対立関係が存在する。

    2006年12月13日、ベルギーの公共放送RTBFが『フランデレン地域が独立を宣言して
    前国王アルベール2世がコンゴ民主共和国に亡命した』という架空ニュースを流した
    ところ、一時国内が大混乱に陥り、地域間の溝の存在を露呈する結果となった。

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