現在ベルギーになっている地域では、いくつもの先史時代の遺跡が発見
されている。 それによれば、この地域の初期の住民の大部分は、農業と
牧畜に従事していたようである。 西暦前3000年頃までに、東と北から侵略と
移住が繰り返されて、この地域の人々の生活様式を変えてしまった。 新来の
人々の一部は、金属加工に熟練していた。 その後、ヨーロッパ北部から
ケルト人と呼ばれる人々が来て、死者を火葬にして、遺灰を骨壷に収める
風習を広めた。

西暦前およそ2000年頃までには、ケルト系の人々がこの地域に住むように
なっていた。 その中でも、ベルガエ人は、よく知られている。 オランダ
北部では、ケルト系とゲルマン系の両文化の接触は、ごく普通に行われ、西暦前
1世紀には、ゲルマン系の民族が現在のフラマン地域圏に入って、ケルト系の
人々と婚姻関係を結んだ。 それに対して、南部(現在のワロン地域圏)は、
殆ど完全にケルト系のままだった。

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【ローマ人の支配】
西暦前1世紀、優秀な戦士だったベルガエ人は、ローマ帝国の軍隊と戦った。
この帝国は当時、イタリアから北に向かって領土を広げていた。 西暦前
58年~51年に掛けては、ローマの将軍、ユリウス・カエサル(ジュリアス・
シーザー)の率いる軍団が、当時ガリアと呼ばれていたヨーロッパ北部の広い
地域を征服した。 ローマ人は、やがて、ベルガエ人を服従させ、ベルギカ州を
建設した。 この地域は、現在のベルギーから、北方のライン川まで広がって
いた。

ローマ人は、ベルギカ州内に軍隊の野営地を設置し、広い道路網を建設した。
ベルギカの住民たちは、税金を支払い、また、兵士を提供した。 軍隊に食料を
提供するために、ローマ人は大規模な農場を作り、穀物の収穫量を増やした。

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ベルガエ人は、ローマの統治にやすやすと適応し、ローマ人の使っていたケルト語に
取り入れられた。 西暦2世紀には、ベルギカ州内の多数の水路沿いに産業と交易が
栄えた。 現在、いくつかの都市等には、ローマ時代の遺跡に残っている。
しかし、4世紀の終わり頃には、ローマ政府内の様々な問題のために、帝国の
防衛が弱体化し始めた。 ゲルマン系の民族グループの内、特に中央ヨーロッパ
から来たフランク人がベルギカ州内のローマの本拠地を攻撃して、奪い取った。

この頃までに、ローマ人は、キリスト教を国教として採用しており、この宗教は、
ヨーロッパの他の地域にも広がり始めた。 ベルギカ州内のローマの支配力は、
5世紀初期には、更に弱くなり、また、北海の高潮が、スヘルデ河口沿いの低地に
洪水となって侵入した。 更に、奥の内陸部は、余りにも沼地が多く、農業や
定住や防衛に適さないため、ローマ軍は、北の前哨戦から撤退して行った。

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