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    タグ:ベラルーシ

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    イギリスBBCのカシェンコ大統領インタビュー
    2023 年 2 月 16 日 ベラルーシのミンスクにて、ベラルーシ大統領である
    ルカシェンコ氏がウクライナに関するインタビューに応じた。
     
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    ルカシェンコ大統領
    「この紛争は、ウクライナ自体の内戦から始まりました。 その主な原因と
    なったのは、マイダン革命と、ヤヌコビッチ(2010年から2014年までウクライナ
    大統領) の追放です。 彼は、ドンバスでの秩序を取り戻すため、ドンバスに
    行きましたが、これが全ての始まりです。 これはプーチン大統領と何の
    関係があるのですか? ロシアは、これと何の関係がありますか?

    ウクライナ当局がこの作戦を主導しました。 その時は、戦争を避けるために、
    ロシアとウクライナは、双方が合意する必要性がありました。 しかし、
    この地では、平和的な合意などではなく、最初から戦争を始めることを目的と
    していました。 ウクライナは、その戦争の切っ掛けになっただけなのです。
    米国は最初から、この戦争を望んでおり、西ヨーロッパも同じでした。

    現在、欧米諸国は、知らんぷりです。 彼らがウクライナをこの戦争へと
    叩き落としましたが、彼らは、この戦争を承認したと言うことです。
    ドンバスへの侵略はありませんでした。 あなたは「侵略」と言うが、私は
    これを「保護」と考えています。 ロシアの権利と、そこに住んでいる
    ロシア人の保護です。

    印象操作が余りにも強過ぎる日本側のインタビュー


    BBC記者:この特別軍事作戦を開始する価値はありましたか?

    ルカシェンコ大統領
    「あなたたちがウクライナ側の戦力を強化し、この戦争に備えたという
    視点から考えると、答えは「はい」です。 あなたにも同じ質問があります。
    この特別軍事作戦を開始する価値ありましたか? それとも、ロシアが
    あなたたちに要求した安全保障を締結する方が良かったのでしょうか?

    ロシアは、少なくとも、安全保障の文書を提出するよう西側に求めました。
    ウクライナ、または、ヨーロッパ側からロシアに対する侵略がないことを
    約束する文書です。 核兵器と長距離ミサイルが、ウクライナの領土に
    配備されないことを保障する内容です。 西側には、戦争が必要でした。
    よって、ロシアはこのような西側の言動により、自国の安全を確保することが
    難しくなりました。 あなたたちは、ロシアがウクライナの領土を侵略
    していると非難していますが、あなたたち自身が、ポーランドを使って、
    ウクライナの一部を侵略するつもりです。 これは紛れもない事実でしょう!

    ウクライナに平和を望んでいますか? 明日は平和についてお話しましょう。
    しかし、あなたたちは、それを望んでいません! 今は、戦死者が出ているので 、
    早く止めましょう! しかし、あなたたちは平和を望んでいません!

    24300479

    ヨーロッパも戦争を終わらせる準備が出来ているのでしょうが、あなたたちは
    平和を望んでいません。 西側は、私を非難していますが、私はウクライナに
    ベラルーシの兵士を1人も送りませんでした。 逆に、西側は、自国の何千人もの
    軍隊をウクライナに送りました。 2万人以上の兵士がそこで戦っています。
    西側は、私を常に非難しています!」

    西側は、ルコシェンコがロシア軍のウクライナ領土への進入にベラルーシ領土の
    使用を許可したとして非難

    参考記事:BBCニュース

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    ブダペスト覚書
    ブダペスト覚書(英:Budapest Memorandum on Security Assurances)とは、
    1994年12月5日にハンガリーのブダペストで開催された欧州安全保障協力機構
    (OSCE)会議で署名された政治協定書で、ベラルーシ、カザフスタン、
    ウクライナが核不拡散条約に加盟したことに関連して、協定署名国がこの3国に
    安全保障を提供するという内容で、アメリカ合衆国、ロシア、イギリスの
    核保有3カ国がこの覚書に署名。 また、中国とフランスは別々の書面で
    若干の個別保障をしているものだが、最近の「ロシアによるウクライナ侵攻」を
    名目に、ゼレンスキー・ウクライナ大統領は、この覚書からは脱退することを
    表明、ウクライナは今後、核武装を行う可能性が出て来た。

    ブダペスト覚書からの脱退を表明するウクライナ大統領


    ドンバス戦争
    2014年ウクライナ騒乱、および、ユーロマイダン運動により、親ロシア路線であった
    ヤヌコーヴィチ政権は崩壊し、2014年3月初旬にウクライナ随一の大富豪とも言われて
    いる新興財閥オリガルヒのペトロ・ポロシェンコが大統領に就任したが、ポロシェンコは
    ロシアとは決別し、親米路線を選択したため、大統領就任当日からウクライナ国内に
    住むロシア系住民(日本では「武装した親露派」と偏向報道)への攻撃を大々的に開始。
    同国ドネツク州とルガンスク州(一般に「ドンバス」と総称される地域)は、
    ウクライナで突如武力によって誕生したクーデター政権からの独立を宣言した。 
    このドンバスの独立運動は、旧ロシア領であったウクライナ南部と東部の広域な地域で
    展開され、一時は、ウクライナ第2の都市であるハリコフもウクライナから独立を
    宣言するほど激化、親米路線の新ウクライナ政府と激しく対立した。更に、これが
    激化してハリコフ人民共和国、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国とウクライナ
    政府側との武力衝突に発展した。 当初の抗議行動は主にウクライナ新政府に対する
    ロシア系住民らによる国内不満を表明するものだったが、この戦いでは、幾度も
    停戦協定が結ばれては協定違反の武力衝突が繰り返されており、2022年時点でも
    紛争終結の見込みは立っていない。

    尚、ドンバス地域は、現在ウクライナ政府の支配は一切受けてはおらず、ウクライナ側
    からの入国は不可となっているため、ロシア側から入国するしかない。

    ドンバスからロシアへの大量難民を報道するメディア

    上記のドンバス戦争とブダペスト覚書からのウクライナの脱退を受けて、ドンバス
    地域に住むロシア系住民のロシアへの大量移動が始まった。 以下の動画を見ても
    分かる通り、ドンバスから緊急避難をして来たロシア系住民は、着の身着のままの
    状態で、長期間に渡る避難生活を余儀なくされているが、長引く戦争により、
    再度自宅に帰宅出来る目途は全く立っていない。 避難民の主な行先は、主に
    ロシアのロストフ州だと言われているが、この地域は、ユーロマイダン運動によって
    ウクライナを追われたヴィクトル・ヤヌコーヴィチ元ウクライナ大統領の亡命先とも
    なっている。

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    ベラルーシでは、2020年8月9日の大統領選で現職であるアレクサンドル・
    ルカシェンコ(67)氏の得票率80%での圧勝が発表されたが、民衆は選挙結果が
    操作されたとし、その後、抗議デモがベラルーシ全土に広がった。 同国の人口は
    約950万、200万弱の首都ミンスクで、日曜日ごとに数万から十数万人のデモが
    数カ月間も続いた。

    ミンスクでのデモの様子


    【反政府デモの経緯】出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)
    2020年
    大統領選挙が行われた翌8月10日、6選を決めたルカシェンコに対して抗議する
    市民と治安維持部隊が衝突し、1人が死亡、多数の市民が拘束された。
    反政府デモは全国的に広がり、10月26日には大規模なゼネストが行われた。

    11月28日には、ルカシェンコは即時辞任を否定した上で、代替案として、改憲を
    提案し、新憲法が成立したあかつきには退任して権限を移譲することを表明した。

    12月17日には対立候補であったスヴャトラーナ・チハノスカヤに人権活動を讃える
    サハロフ賞が授与され、国外に向けてベラルーシの民主化への支援を求めたが、
    2021年2月11日、ルカシェンコが指導する国民会議が開かれ、反体制派が求める
    民主化に応じない姿勢を見せた。

    実は結構温和な性格のルカシェンコ氏
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    2021年
    3月25日、チハノフスカヤが、自由の日にルカシェンコへの退陣を求める抗議
    活動を改めて行うことを呼びかけた。 当日、ミンスクの街頭を少数の集団が
    行進したが、200人以上の市民が逮捕された。 ベラルーシ当局はこれらの抗議
    活動を何とか抑え込み、2021年現在ベラルーシ国内においては大規模な不服従
    行動は起きていない。

    5月23日、ベラルーシ領空を飛行していた旅客機をミンスクの空港に着陸させ、
    搭乗していた反体制派メディア「ネフタ」の共同創設者であるロマン・
    プラタセヴィチが拘束された。 翌24日、ルカシェンコはデモに対する報道を
    禁止する法律に署名した。

    8月1日、東京オリンピックでベラルーシ代表として出場していたクリスチーナ・
    ツィマノフスカヤが、ベラルーシのSNS「テレグラム」で自国のコーチ陣を
    批判したとして帰国命令が出たことから、オーストリアへの亡命を希望し、
    最終的に4日、人道ビザを発給したポーランドへと亡命した。

    8月3日、隣国ウクライナでベラルーシからの脱出を支援してきたヴィタリー・
    シショフが首吊り状態で発見された。

    11月8日、EUの経済制裁に対抗する形でベラルーシの隣国であるポーランドとの
    国境に中近東系の移民を送り込む問題が発生した。

    12月14日、ベラルーシの裁判所は、シャルヘイ・チハノフスキーを含む
    反政府指導者6人に対し10年以上の禁固刑を言い渡した。

    政府支持派と反政府派が盛んにデモを行なった

    【西側による情報操作】
    同国史上、過去に類を見ない異例の事態となり、政権のデモ弾圧も激しさを増し、
    11月には治安部隊による全国の日曜デモで拘束者が1日千人を超える日が続いた。
    西側メディアは盛んにルカシェンコ大統領を「ヨーロッパ最後の独裁者」として
    非難し、デモを取材するジャーナリストも標的にされ、多数拘束された。

    「英雄の行進」と名付けられたデモには数万人が参加したが、実は、このデモは、
    反政府派によるデモだけではなく、政府支持派のデモも頻繁に行なわれたのだが、
    その様子を西側のメディアは一切報道しなかった。 政府支持派と反政府派の
    行進は、すぐ隣りでのすれ違いも多々あったが、特に暴動は起きなかった。

    政府支持派と反政府派の見分け方は非常に簡単で、それぞれ支持する側の国旗を
    手に、政府支持派は口々に「За Беларусь!(ベラルーシ賛成)」「За Батьку!
    バーチカ賛成)」と叫び、また、手にはベラルーシ国旗を持ち、行進した。

    一方の反政府派は、口々に「Уходи!(出て行け)」と叫び、白赤白の旧ベラルーシ
    人民共和国の国旗を手に行進した。 赤と白は、伝統的にリトアニア大公国と
    ポーランド・リトアニア共和国の国家の紋章に使われた色である。

    日本では、ルカシェンコ大統領は、反政府派を認めないと報道されたが、現地の
    ベラルーシのロシア語放送を見る限り、ルカシェンコ大統領は、反政府派の
    デモを禁止などはしておらず、むしろ、容認したため、その後、デモは鎮静化した。

    ※「バーチカ」は元々は「父親」と言う意味だが、ここでは「ルカシェンコ」の意味

    現在のベラルーシの国旗         旧ベラルーシ人民共和国の国旗
    elarusvg556e

    【ヨーロッパ最後の独裁者】
    日本をはじめ、西側メディアがこぞって使用した「ヨーロッパ最後の独裁者」と言う
    言葉だが、これは、アメリカ43代目大統領のジョージ・ブッシュJrが、当時用いた
    表現と全く同じであり、かつ、1度しか口にしなかったものだが、日本では
    ベラルーシ大統領を報じる際には、必ずと言って良いぐらいに「枕詞」として
    必ず用いられているが、アメリカは、敵対する国、または、従わない国に対して、
    常に介入、制裁、戦争を仕掛けているため、本当の独裁者はどちらなのかと
    言いたくなる。

    最近のニュースは、アメリカのバイアスが必ず入っているため、しっかりと歴史を
    学び、何でも鵜呑みにせずに、自分の頭で考え、ウソと真実を見極める知識を
    持つべし。

    ミンスクでの大規模デモの様子
    2020FF8001

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    本来、国民に対して公正中立な立場で正しい情報を伝えるのがマスメディアの
    本来あるべき姿なのだが、現在ではその機能を失い、特定集団に対して異常に
    偏った擁護、又はバッシングを公然と行っている。

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    国境なき記者団による世界報道自由度ランキングでは、日本の2020年度の順位
    は66位であり、2016年度と2017年度には72位にまで沈んでいる。 日本の順位は、
    OECD(経済協力開発機構)加盟国中、ここ数年間は常に最下位グループに位置
    しており、偏向報道の危険性が指摘されている。

    日本の報道の自由度が低い原因としては、会員制で排他的な記者クラブの存在、
    広告収入に大きく依存している為スポンサーに不利な報道を避ける傾向、番組・
    記事制作者のモラルの低下が挙げられるが、特に、この数年間での偏向報道は
    目に余るものがあり、何でも言った者勝ちの「情報戦」が繰り広げられている。

    マスコミはその影響力の大きさからある程度の中立性を持つことが望まれるが、
    近年スポンサーにかなり配慮した報道姿勢や政治的な偏り、特定集団への過剰な
    擁護・バッシングが目立つようになって来た。 発言の一部削除や切り張り、
    情報の隠匿、過剰な誇張表現等による印象操作やプロパガンダはもう珍しい
    ことではなくなった。

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    ベラルーシ大統領選挙
    ベラルーシ大統領選挙が2020年8月9日に実施され、現職大統領のアレクサンドル・
    ルカシェンコ氏が8割を超える票を得て圧勝した。 今回の大統領選挙には、
    ルカシェンコ氏を含め5人の候補者が立候補したが、ベラルーシ中央選挙管理
    委員会が発表した暫定結果によると、ルカシェンコ氏の得票率は80.08%で、
    主要な対抗馬のスベトラーナ・チハノフスカヤ氏は10.09%、その他の候補者は
    1%台に留まった。 投票率は84.17%だった。

    その後、この選挙を無効として、首都ミンスク市を中心に市民によるデモが度々
    起こったが、その際にも日本のメディアは、ルカシェンコ大統領を「ヨーロッパ
    最後の独裁者」と名指し批判し、決して擁護しようとはしなかった。 但し、
    実際のベラルーシで行われているデモでは、約4割程度がルカシェンコ大統領を
    支持してデモを行っており、現ベラルーシ国旗を掲げるグループがルカシェンコ
    大統領の再選を支持、反ルカシェンコ大統領派のグループは、ベラルーシにソビエト
    政府が成立する以前の白赤白のベラルーシ人民共和国の国旗を掲げてデモを行った。
    どちらのグループがルカシェンコ大統領を支持しているのか否かは、この旗を見て
    容易に区別が付く。

    【ミンスクでのデモ】


    アメリカ大統領選挙
    2020年のアメリカ合衆国大統領選挙では、立候補者は35組いるが、2大政党以外の
    候補者で全州で立候補出来た者はリバタリアン党のジョー・ジョーゲンセンのみ
    である。 第三勢力では、2016年のゲーリー・E・ジョンソンに引き続いて、
    リバタリアン党が唯一全州で立候補した。 他に第三勢力から、ほぼ全国規模で
    立候補した大統領候補は、アメリカ緑の党のハウィー・ホーキンズ(46州+
    ワシントンD.C.)、社会主義解放党のグロリア・ラ・リヴァ(31州+ワシントン
    D.C.)、アメリカ連帯党のブライアン・T・キャロル(34州)、同盟党の
    ロッキー・デ・ラ・フエンテ(27州)、となっている。

    これらの候補は過半数の大統領選挙人を擁立しており、大統領に当選する可能性が
    あるのは、全州立候補のジョー・ジョーゲンセン、ほぼ全国規模のハウィー・
    ホーキンズら4名、それに2大政党の候補者(共和党のドナルド・トランプと
    民主党のジョー・バイデン)を含めた7名ということになるが、1州のみで立候補した
    候補者は16組を占める。

    2020年11月3日の投票開始当初こそトランプ氏とバイデン氏の接戦が報道されたが、
    時短が経過するに連れて、あからさまなバイデン氏支持の報道ばかりが伝えられる
    ようになり、トランプ大統領の敗北まで伝えられたが、実際のところは、各地で
    バイデン氏の投票が無効化されており、投票開始から2週間が経過した11月16日
    現在、まだ新しい大統領は決まってはいない。

    【トランプ大統領支持派によるデモ】
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    3655085391
    5621255053
    15406288176
    715434134549
    87291433411309
    15112020FF800
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    20201114001581

    【対策】
    このような偏向報道に振り回されないためには、物事に対する知識や理解度を
    高める必要性がある。 大手メディアが言ってるから安心だではなく、自分で
    考えて自分なりの意見を持つことが重要となる。 2000年以降は、急速な
    インターネットの普及により、個人でも海外の情報を気軽に入手出来るように
    なったが、それらの情報の中には、上記で述べた偏向報道が普通に紛れ込んで
    いるため、その全てが情報が正しいとは限らないのである。

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    1986年4月26日1時23分に発生したチェルノブイリ原発事故により、
    プルトニウム(半減期約2万4000年)、ヨウ素131(半減期約8日)、
    セシウム134(半減期約2 年)、セシウム137(半減期約30年)、
    ストロンチウム90(半減期約28年)等の大量の放射性物質が大気中に
    放出された。  大気放出された放射線は、数時間後にスウェーデンや
    フィンランドまで到達し、翌日の朝までにはイタリア北部や
    アイルランドまで到達した。

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    最も広範囲に汚染された国々は、原発が立地するウクライナ(41,750平方
    キロメートル)、ベラルーシ(46,600平方キロメートル)、ヨーロッパ・
    ロシアの一部(57,100平方キロメートル)となっており、約9万人の労働者の
    力を借りて『石棺』が建設されたのは、1986年6月から11月までの206日間
    であった。

    1986年11月30日、国家委員会の決定により、チェルノブイリ原子力発電所
    4号炉の核燃料が抜き取られた。 現在、この強制避難区域内の特殊企業で
    働いている従業員は約6,500名おり、更に、約2,500名がチェルノブイリ原発で
    直接働いている。 原発事故後の11日間で、述べ10万人以上が避難をし、
    1986年度中には、原発付近から合計約115,000人が避難、1986年以降、
    ベラルーシ、ロシア、ウクライナからは合計で約22万人が移住をした。
    チェルノブイリ原発から大気中に放出された放射性物質は、北半球全体で
    測定された。

    26s04 cher11

    放射線による人体への影響は、予想されたものとは異なっており、被災地
    からの強制移住によって、家族が崩壊したり、失を失ったり、うつ病および
    ストレス関連疾患が激増した。 放射線による汚染地域に住む住民らのうち、
    国際的に認められた白血病の発生率が増加したという証拠はまだない。
    成長過程におけるガンの発生率に関しても、統計的に確かな根拠はなく、
    奇形児の誕生もなかった。 ウクライナ西部の慈善団体が寄付を集めるために
    使用していた先天的に障害を持った乳児のほとんどの写真は、チェルノブイリとは
    何の関係もない病気の写真であった。

    原発事故後は、今後奇形児が生まれるという噂により、ウクライナや
    ベラルーシでは中絶が激増した。 放射線の影響により数千人が死亡した、
    あるいは、深刻な病気を抱えている人が350万人もいるとも言われたが、
    実際に原発事故で死亡したのは134名であり、その死亡理由は急性放射線症
    であった。 このうち、事故直後の2ヶ月間で28名が死亡した。

    最大の放射能汚染を受けたのは、事故当時の天候から、チェルノブイリ原子力
    発電所のすぐ北に位置するベラルーシであり、放射性希ガスを除く全放出量の
    およそ70%が同国に落下・沈着したと推定されている。 セシウム137の
    濃度が1平方メートル当り3万7000ベクレル(旧単位で1平方キロメートル当り
    1キュリー)以上の汚染地域がベラルーシでは全国土面積の23%に達した。
    これに対しウクライナでは5%、ロシアでは0.6%であった。 ベラルーシの
    汚染地域に居住する人口は220万人で、同国人口のおよそ5分の1に達した。

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    1989年に公式に発表された汚染地図は、三つの共和国の約2万5000平方キロ
    メートル(日本の四国の面積が約1万8000平方キロメートル)2,225居住地区が、
    1平方メートル当り18万5,000ベクレルを超えるセシウム137の地表汚染のある
    ことを示している。  これらの地域では外部照射に基づく被曝線量だけでも
    年間4.38ミリシーベルトに達し、そこに住み続けた場合は、医学的検診が必要な
    レベルに達することになる。

    2005年までのデーターによると、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ国内では、
    事故により被爆したとされる小児や青少年のうち、6,000件以上が甲状腺ガン
    として登録されており、今後も数値の増加が予想される。 これらのガン
    発症例の多くは、事故直後の放射線被爆によって引き起こされた可能性が高いが、
    発症例の増加や事故20年後の人体への影響に関する医学的な根拠は今のところ
    解明されていない。 よって、放射線によるガンの発生率、死亡率、良性腫瘍等の
    増加率に関しては、科学的根拠がない。 白血病に関しては、発生率は増加して
    おらず、高濃度汚染地域に住んでいる国民は、放射線の影響により、日々被曝の
    可能性には直面しているが、国民の多くが重大な健康被害を被る可能性は低い。
    原発事故とは全く関係がない他の健康被害もチェルノブイリ原発事故の中には
    多数混在している。


    26s04 cher6

    【放射性物質の放出】
    チェルノブイリ原発事故は、定期メンテナンスのために原子炉を停止する際に、
    電源システムの実験を行っていた最中に発生した。 安全基準を無視して、
    監視システムの電源を切り、元々、設計ミスであった原子炉が不安定となった。
    急激に電力が増加したことにより、水蒸気爆発が発生し、原子炉本体に亀裂が
    発生し、炉心が破壊され、原子炉建屋が大規模損傷した。 その後、炉心から
    発生した火災により、10日間火災が続いた。 このような条件の下、大量の
    放射性物質が大気中に放出された。

    事故直後に建設された石棺の建設費は3億ドルとなっており、1992年から1998年
    までの間は、ロシアだけが連邦予算から30億ドルを支払っていた。 米国と
    西ヨーロッパ諸国は、これまでにウクライナにおける事故を処理するために
    8億ドル以上を費やした。 予測によると、ベラルーシでは、チェルノブイリ
    被災者に対する補償として、820億ドルを2015年までに費やす予定となっている。
    欧州復興開発銀行(ECB)は、チェルノブイリの影響を解消するために23億
    ユーロを費やす計画となっている。 過去10年間で、ウクライナはチェルノブイリ
    原発に対して、60億ドルを費やした。 キエフ政府によると、今後20年間で、
    更に50億を要するという。

    最も被害を最小に見積もった調査によれば、チェルノブイリ原発の事故処理を
    完了するためには、全世界で更に10億から12億ドルのコストが掛かると
    言われている。 

    26s04 cher7

    チェルノブイリ原発強制移住区域における事故と人命への影響
    チェルノブイリ原発事故の結果、総面積207.5千平方キロメートル、合計
    17カ国に渡る広大な土地が1Ci/km2(37 kBq/m2)以上のレベルでセシウム137に
    よって汚染された。 セシウム137による汚染は、ウクライナで37.63千平方
    キロメートル、ベラルーシで43.5千平方キロメートル、ロシアで59.3千平方
    キロメートルとなっている。 ロシアでは、19名がセシウム137により被爆した。
    最も汚染された地域は、ブリャンスク州(汚染地域11.8千平方キロメートル)、
    カルーガ州(4.9千平方キロメートル)、トゥーラ州(11.6万平方キロメートル)、
    オリョール州(8.9千平方キロメートル)となっている。

    1Ci/km2以上のレベルでのセシウム137により汚染された地域は、約6万平方
    キロメートルとなっており、この中には、旧ソ連邦以外のオーストリア、ドイツ、
    イタリア、英国、スウェーデン、フィンランド、ノルウェー他が含まれており、
    西ヨーロッパ諸国全域が広域に渡って汚染された。 ロシア科学アカデミーに
    よると、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの国土の広範囲が5Ci/km2(185m2)
    以上の水準で汚染され、約52,000平方キロメートルの農地がセシウム137と
    ストロンチウム90に汚染されたが、それぞれの半減期は30年と28年となっている。

    事故直後に31名が死亡し、消火活動に参加した60万人が高線量の放射線により
    被爆した。 約840万人のベラルーシ、ウクライナ、ロシア国民が被爆し、
    そのうち約404,000人が移住した。 事故後は、放射線量が非常に高いため、
    原子力発電所の運転が停止された。 汚染された地域の除染と石棺建設の後、
    1986年10月1日には第1電源回路が、11月5日には第2電源回路が、そして、
    1987年12月4日には、第3第一電源回路が遮断された。 チェルノブイリ原子力
    発電所は、最終的には、2065年に完全に廃止される予定となっている。

    チェルノブイリ原発作業員とその家族が住む街、プリピャチ市民の避難は、
    4月27日14:00から始まった。 市民には「3日間」だけ街を離れると告げられたが、
    その後、この地に再び戻って来ることはなく、街は土で埋められた。 キエフと
    その他の地域から1,225台のバスが到着し、2台のディーゼル車が鉄道の駅に
    送られた。 この他にも、自宅に車を持っていた市民らは自力で避難をし、
    人口約5万人全員が3時間以内に避難を完了した。 5月上旬には、キエフ市内の
    全ての児童がピオネールキャンプ場へと連れて行かれたため、キエフ市内からは
    子供の姿が完全に消えた。

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    【健康に対する影響】
    チェルノブイリ原発事故の直後、放射線の影響により急性放射線障害が発生した。
    1986年4月26日早朝からの作業を行っていた600人の作業員のうち、134名は、
    高濃度の放射線(0.8-16グレイ)を浴びて急性放射線障害になった。 これらの
    うち、28名は事故発生直後の3ヶ月間に死亡し、残りの19名は、必ずしも放射線
    被ばくとは関連しておらず、様々な理由により、1987年から2004年の間に
    死亡した。 また、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)の
    2008年度の報告書によると、事故後の作業員53万人の大部分は、1986年から
    1990年までの期間に、0.02 - 0.5 グレイの被曝をした。 これら作業員は、ガンや
    他の病気の発症等の可能性があるため、長期的に厳格な健康管理を行っている。

    放射線にさらされた青少年の間では甲状腺ガンの発生率が急激に増加したが、
    原発事故が原因でガンや白血病を発症したという明確な証拠はなく、放射線量は
    高かったものの、他にも時間を掛けた調査が必要で、これらの病気は、事故前
    にも被災地で観察されていたことにも留意すべきである。
    【現場責任者のその後】
    尚、原発の現場責任者であったブリュハーノフ所長、フォーミン技師長、
    ディアトロフ副技師長は、1986年8月に全ての役職を剥奪されて失脚し、安全
    規則違反で刑事裁判に掛けられ禁固10年を宣告、労働収容所に収監された。
    ブリュハーノフはこれに加えて、権力濫用の廉で更に5年の刑期を追加されている。

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    モスクワ・シェレメーチェヴォ空港を後にして、モスクワ中心部を目指します。
    空港からは、アエロエクスプレスで約40分ほどで、モスクワの中心地へと
    到着します。SVOとは、シェレメーチェヴォ空港のこと。 アエロエクスプレスは、
    片道500ルーブル(約850円)で、座席指定はなく、自動改札にバーコードを
    かざして中へ入り、好きな席に座ります。 切符は窓口でも購入出来る物と、
    自販機でも販売しているため、英語を選択すれば、ロシア語が出来なくとも、
    誰でも簡単に切符を購入出来ます。 翌日乗る帰りの切符を買うのが面倒だった
    ため、1000ルーブルの往復券を購入しましたが、30日間有効なだけで、往復割引
    というものは、一切ありません。

    尚、シェレメーチェヴォ空港は、モスクワ市内よりもゼロが1個ぐらい物価が高い
    ため、この空港で両替をするのは、絶対に止めた方が良いです。フリーWiFiの電波も
    入りますが、かなり電波が弱いため、自前でWiFiを持って行くのが無難。

    【モスクワ】
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    アエロエクスプレスで約45分後、モスクワ市中心部にあるベラルーシ駅に到着。
    尚、ロシアの駅名は、フランスと同じく『目的地』が駅名のため、モスクワ市内
    には『モスクワ駅』はありません。 よって、『ベラルーシ駅』は、その名の通り、
    ベラルーシやドイツ方面への国際列車が発着する駅。 ウクライナ方面は、
    『キエフ駅』なのに、ベラルーシ方面は、『ミンスク駅』ではありませんので、
    要注意w

    尚、モスクワの鉄道と地下鉄には、大体、WiFiが付いているため、WiFiマークが
    ある場所付近では電波が入ります。 東京では、新幹線ですらWiFiが付いていない
    ため、日本が世界からどれ程遅れをとった後進国なのかが良く分かります。
    モスクワの物価は、収入に対する物価の高さ世界一であるため、モスクワの物価は
    東京よりも遥かにお高め。 『ロシア語が喋れない場合』のホテルの相場は、
    1泊3万円以上でなければ、殆んどありませんw ロシアでの常識は、『搾り取れる
    ところから根こそぎ搾り取る』であるため、値段交渉が出来ない場合は、そのままの
    値段となりますが、モスクワでは、言い値の半額位まで値切るのが常識。

    【モスクワ生誕の日
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    2018年9月10日のモスクワは、モスクワ誕生871周年際であったため、市中心部
    では、至る所でお祭りを開催していました。今年は、『ロシアにおける日本年』で
    あるため、クレムリン付近では、和太鼓の演奏が行われていました。

    社会主義建国の父、カール・マルクス(ドイツ人)の銅像の下には、『万国の
    労働者達よ団結せよ!』とロシア語で記されていますが、ソ連時代は、この
    フレーズが連邦共和国15言語でそれぞれの国旗に記されていました。 尚、この通り
    には、ボリショイ劇場があり、現在の通りの名前は、『劇場通り』となっているが、
    ソ連時代までは、『カール・マルクス通り』と言う名前であった。 この日は、
    ロシア歴史博物館やグム百貨店もライトアップされ、お祭り気分を盛り上げて
    いました。

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    第二次世界大戦の歴史を展示している『大祖国戦争博物館』は、ミンスクを
    中心としたベラルーシにおける戦争の歴史を分かりやすく展示した博物館で、
    ミンスクを理解するためには、是非訪れて欲しい観光スポット。

    この博物館では、武器や写真、ジオラマ等による展示が行われており、
    ベラルーシでは『大祖国戦争』と呼ばれている『第二次世界大戦』の歴史を
    伝えている。 当時ミンスク郊外には、アウシュビッツ等に次ぐ第3のナチスの
    収容所があり、20万人が虐殺されたとも言われている。 その収容所の様子を
    伝える展示もあり、他の国では見る機会が非常に少ない貴重な戦争の博物館で
    あるため、改めて平和について考えさせられるミンスクのおすすめ観光スポット。

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    ロシア語では、『第二次世界大戦』のことを『大祖国戦争』と呼ぶが、それは、
    対独戦で100万人以上にも及ぶ多大な戦死者を出したためこう呼ばれている。
    ミンスクの街は、ドイツ軍によって徹底的に破壊され、その後、社会主義経済に
    則り、復興されたため、ミンスク市内は旧ソ連式の大規模な建物が多い。

    戦争とは、幾ら語り継いだとしても、正確には伝わらないため、このような
    目で見て直接確かめることが出来る展示型の博物館が最も効果的。 米軍により
    爆撃を受けた仙台にも『戦災復興記念館』なるものがあるが、館内の展示品が
    少ないため、余り実際の戦争を想像出来ないのだが、この巨大な戦争博物館では、
    様々な展示品を用いて、かなり忠実に戦争を再現している。

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    大祖国戦争博物館は、地下鉄の駅からは若干離れており、全ての展示を見て周る
    ためには、半日程度は必要。 但し、この日は、列車が出るまでの時間が少なかった
    たため、45分程度の駆け足での見学となってしまったが、もっとゆっくりと時間を
    翔けて、色々な事を考えながら見たい設備であった。

    案内に展示していある展示物は、実際に戦争で使用された物も多く、非常に
    生々しく、蝋人形を交えて、更に細かく説明をしているため、非常に分かりやすい
    設備であった。

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    その後、ミンスク駅の1番線の一番奥にある21番線からビリニュス行きの電車に
    乗り、リトアニアの首都であるヴィリニュスへと旅立った。 ロシアから
    ベラルーシへ入国し、リトアニアへ抜ける場合、ベラルーシのビザが絶対に必要
    となる
    。 ビザをを所持していない場合、ここからリトアニアとの国境までは
    行けるものの、そこでビザがないことが判明すると、またミンスクまで強制的に
    連れ戻されるため要注意。

    べラルーシの国境が、実際のロシアとEUとの国境となるため、世界でも出入国
    審査が非常に厳しい場所となっている。 元々は、同じソビエト連邦という国
    だったのだが、体制が急激に変わったため、色々と面倒な手続きが増えた。

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    ベラルーシの首都であるミンスクは、人口約200万人程度のこじんまりとした街で、
    仙台の姉妹都市となっている。

    ミンスク空港からミンスク市内へやって来る際は、宿のおばさんに地下鉄の
    終点駅まで乗せて来てもらったため、空港への行き方が分からなかったが、
    ミンスク駅のお隣り(と言っても、日本の感覚で言うと5件ぐらい隣り)に
    あるバスターミナルから空港行きのシャトルバスが20分間隔で出ている事が判明。
    更に、後で分かった事だが、このシャトルバスは、40分おきに乗り合いタクシーと
    路線バスが交互に出発しているため、空港への到着時間が20分程度異なっている。

    乗り合いタクシーは空港まで40分程度で到着するのだが、路線バスの場合は、
    1時間弱掛かる。 しかも、乗り合いタクシーの場合は、「降ります」の意思表示
    ボタンが付いていないため、降りたい場所に近づいたら、運転手に
    「降ろしてください」と意思表示をしない限り、タクシーから降りる事すら
    ままならないw

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    ミンスクは、こじんまりとした街なので、徒歩で街中にある主要な観光地を
    全て見て周ることが出来るが、要所要所では、やはり、運賃約30円でどこまで
    でも乗れる地下鉄が便利。 外は暑いので、地下鉄の中は避暑地にもなる。
    有事の際には、核シェルターにもなるモスクワの地下鉄とは異なり、ミンスクの
    地下鉄は、そこまで深い場所を走っていないため、エスカレーターの移動も
    さほど苦にはならず。 ミンスクは思っていたよりも綺麗な街並みなので、主な
    観光地を徒歩で丸1日掛けて、ほぼ網羅した。

    「最も社会主義時代の痕跡が色濃く残る国」という偏った情報に騙されて、
    重苦しい雰囲気の街を想像していたのだが、ミンスクは、想像以上に綺麗な街で
    あった。 ドイツ軍に街を破壊されてからは、ソ連式の復興計画に則り、
    街の復興がなされた名残で、多少ソ連式の重厚な建物は残っているものの、
    そこまでの暗さは感じられなかった。 道路の清掃も行き届いており、中途半端に
    アメリカの薄汚い街へ観光に行くよりも、ミンスクの方が断然お勧め。 ロシア語も
    全く訛っていないため、ロシア語留学にも適している。

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    明るい雰囲気のミンスク市内。 この周辺が街の中心部であるため、お土産屋の
    キオスクが軒を連ねていた。 ベラルーシの民族衣装を着た人形やロシアの
    マトリョーシカなど、観光客は少ないなりに、それなりには居るのだと思った。
    但し、皆ロシア語で喋っていたため、旧ソ連邦内、特に、ベラルーシではビザが
    必要のないロシアからの観光客だと思う。

    ヨーロッパにある街の中心部には、必ず教会があるのだが、敬虔な祈りの場で
    あるため、観光地ではない。 写真を撮るのは余りお勧め出来ないが、邪魔に
    ならない程度であれば、特に文句を言われることもないので、主なものだけ
    写真に収めて、教会を後にした。

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    先ほどの教会がある地下鉄の駅からは若干離れているものの、正しい歴史を
    知るために、第2次大戦の記念館に行く事にした。 ミンスクは、ドイツ軍に
    よって破壊された街だが、ビリニュスはソ連軍によって破壊されたもの。
    ヨーロッパでは、至る所で殺し合いをしているので、それを乗り越えてEU
    というものが存在している事を忘れてはならない。

    博物館に行く途中にデパートがあったため、若干寄り道。 地下に食料品
    売り場があったため、ミンスクの生活を垣間見るために、色々と見て回った。
    ミンスクでは、流石にお隣りウクライナ・ポロシェンコ大統領の「アリョンカ」は
    売っていなかった。 物の全くない時代に旧ソ連に住んでいた者としては、
    世界が大きく変わってしまったという感想しか出て来ないのだが、逆を言うと、
    超極貧な地域でも、ものの20年程度で、この様に大発展出来る事を意味している。
    日本の場合は、逆にこの20年間ですっかりと退化してしまったため、
    ベラルーシをはじめ、旧ソ連地域における存在価値を全く見出せなかった。

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    そのお隣りに本屋があったため、日本語の本を物色。 旧ソ連邦では、日本語の
    人気が高いため、日本語の教科書が30種類程度も置いてあった。 ここで
    自分へのお土産として、露和辞典を700円程度で購入した。 語彙数は約2万語
    であるため、基礎的な単語しか書かれていないのだが、用例が多いため、非常に
    勉強になる1冊であった。

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    モスクワから1時間半のフライトで、ベラルーシの首都ミンスクに到着。
    このミンスク第2空港は、中国の資本で建設されたとかで、あちこちに漢字
    表記があるため、日本人には非常に便利。 空港到着後は、ベラルーシの
    厳しい入国審査があるのかと思いきや、一切何もなく、そのまま外に出て
    しまったため、拍子抜けした。 夜中の11時半にミンスクに到着したため、
    タクシーが一切捕まらず、色々と交渉した結果、恐らく、ミンスク市が
    運営している予約制のタクシーを1時間後にようやく予約出来たため、
    夜中の1時過ぎに本日のお宿である健康センターへとたどり着いた。

    【ミンスク】
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    空港から宿までの道には、街灯がひとつもなく、正に漆黒の闇の中を林の
    中へとずんずん突き進んだ場所にこの健康センターがあるのだが、一夜明けて、
    朝になると、素敵な森の中にある施設である事が判明。 日本円にして1,200円
    程度でスウィートルームを予約したため、朝から気分は大金持ちのおぜう様w
    健康センターだけあって、マイナスイオンたっぷりの朝の散歩が気持ち良い。
    敷地内には、サウナやらレストランやら、色々な施設があった。

    ミンスク市内は、ロシア語とベラルーシ語のちゃんぽん表記が多く、周囲は
    皆ロシア語だけで話しているのに、地下鉄の放送は、ベラルーシ語と英語のみ。
    元々、ベラルーシ語は「死語」と呼ばれる程すたれた言語だったが、近年になって、
    徐々に復活をしている模様。 旧ソ連邦の国々では、ロシア語のみが公用語で
    あったため、ベラルーシ語やウクライナ語が激しく規制されていた時代もあった
    影響で、各民族語がすたれたのだが、ソ連から独立の後は、各民族語の復活に
    力を入れている国々もあるものの、ウクライナのように、余りにも強引な
    やり方をして、ロシア語話者の人権を無視している国もあるため、ベラルーシ語の
    復活にも、慎重な体制で臨んで欲しいところ。

    【ミンスク】
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    基本的に、ベラルーシ語はロシア語に非常に似ているため、特にロシア語の
    アナウンスをしなくとも理解出来るのだが、周囲で喋っている言語と、公共
    放送とのズレがあるのには違和感を感じた。 大阪で標準語の放送等、この逆
    パターンは、幾らでもあると思うのだが、道路表記は、話し言葉が追いついて
    来てから変更した方が良いと思った。

    ミンスク駅構内のキオスクでは、溢れるばかりの商品が並べられていた。
    一部の旅行雑誌には、「ベラルーシは、旧ソ連邦の中でも最もソ連時代の面影を
    残している国」との記載があったため、どれほど古めかしい国なのかと思いきや、
    こんな程度のレーニンやらモニュメント的な遺物は、ロシアこくないにもまだまだ
    残っているため、ロシアとベラルーシの決定的な違いは見出せなかった。
    ベラルーシでは、チェルノブイリ原発事故の影響で、国内を旅行するという
    習慣がないそうなのだが、その現実を後で何気ない場所で見る事となった。

    【ミンスク】
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    ミンスク駅前には、重々しい重厚な雰囲気の建造物があり、社会主義建設の
    象徴となっている。 この日は、このまま夜にこの駅からビリニュスへ向けて
    旅立つため、まずは、駅の下見から。 行き先とホームの番号が記載されている
    ものの、ビリニュス行きの電車は、1番線の最先端部分にある21番線からの出発と
    なっており、非常に分かり辛い。 ミンスク空港から入国し、5日間のビザなし
    訪問でベラルーシへやって来た人達の場合は、鉄道での国境越えは絶対に出来ず、
    今回は、わざわざベラルーシのビザを取得して来ているため、この超難ルート
    での国境越えに挑みます。 ミンスク空港からのビザなし訪問でベラルーシへ
    入国した場合は、絶対にミンスク空港から以外は出国出来ないため、ご注意
    くだされ(出発前にベラルーシ大使館に確認済み)
    。 

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    ノボシビルスク・トルマチョーヴォ空港からモスクワ・ドモデドヴォ空港へと
    移動。 約4時間半のフライト時間で、ノボシビルスクとモスクワの時差は3時間。
    ドモデドヴォ空港は、モスクワに6つある空港の中でも最大規模の空港で、
    日本からは、JALで飛んだ場合のみ、このドモデドヴォ空港に到着する。

    モスクワ・ドモデドヴォ空港からは、30分間隔で運転されているアエロエクス
    プレスに乗った。 モスクワ中心部から3つの空港に向けて、このアエロ
    エクスプレスが運行されているのだが、ドモデドヴォ空港は、そのうちの一路線。
    空港から地下鉄のパヴァレツカヤ駅までは、約45分の旅で、料金は500ルーブル
    (約1,000円)。 エクスプレスと言う割には、運行速度が50キロ前後と妙に
    遅いため、もっとまともな速度で走れば、パヴァレツカヤ駅までは、恐らく
    20分弱で到着すると思う。 全車両2階建てなので、さほど混まずにゆっくりと
    旅が出来るので、お勧め。 逆に、モスクワのタクシーは、交渉性の挙句の果てに、
    極端に高いため、公共交通以外は余りお勧め出来ない。

    ノボシビルスク出発が、案の定40分弱遅れたため、モスクワ観光を全てタクシー
    からの車窓のみにして、そのままタクシーで、シェレメーチェヴォ空港へと
    向かった。 運転手のおじさんが親切なタタール人だったので、パヴァレツカヤ
    駅からルジニキ・スタジアム、モスクワ大学を経由して、シェレメーチェヴォ
    空港まで1,800ルーブル(約3,600円)で行ってくれた。 ロシアのタクシーは、
    基本的に交渉性なので、アプリでタクシーを呼ぶヤンデックス・タクシーの方が、
    先に料金を表示しているため、騙されずに済むと思います。

    【モスクワ・ドモデドヴォ空港】
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    モスクワ・シェレメチェヴォ空港からベラルーシのミンスクへと飛び立ちます。
    ロシアとベラルーシは、関税協定を結んでいるため、実は、『国内』扱いなのだが、
    航空機の出発は『国際』扱いのため、シェレメチェヴォ空港Dターミナルからの
    出発となった。 但し、シェレメチェヴォ空港Dターミナルでは良くある、
    ターミナルを離れてからバスで延々と走って、旧シェレメチェヴォ第1空港
    (国内線用)の方の滑走路から飛び立つというパターンであった。

    前回、このシェレメチェヴォ空港からタタールスタンのニジネカムスクへ飛び
    立った際も同じで、ターミナルからバスで15分以上も延々と走って飛行機に
    たどり着くという意味不明な搭乗方法となっているため、この暗黙のルールを
    知らないと、不安を煽られるというシェレメチェヴォあるあるであった。
    元々、シェレメチェヴォ第1空港の方は国内専用で、シェレメチェヴォ第2空港の
    方が国際ターミナルだった2つの空港が合併して、現在のシェレメチェヴォ空港
    ターミナルDEFとかになっているため、この歴史を知らないと、とんでもない
    目にあうのであった。

    【モスクワ・シェレメーチェヴォ駅】
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    ロシアからベラルーシに向かう際には、必ずビザが必要となり、あくまでも
    国内の扱いのため、シェレメチェヴォ空港では一旦出国手続きをするものの、
    ベラルーシのミンスク空港では、一切何もないという意味不明なフライトとなって
    いる。 ロシア出国時に、ロシアの出入国カードを誤って取られてしまうと、
    ベラルーシを出国する際に、死ぬほど困るという、嫌がらせのようなシステムを
    かいくぐって旅をしておりますw しかも、ワールドカップ開催期間中は、72時間
    以内に住所登録を内務省に出さなければならないため、ここで一旦ロシアを
    出国して、時間を稼ぎました。 尚、ここから先は、アエロフロート・ロシア
    国際航空で飛びます。

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    中世においてベラルーシは、東スラブ初の国家、キエフ公国の一部であった。
    この国が没落すると、ベラルーシは、諸侯の支配するいくつかの国に分裂し、
    その後14世紀には、リトアニア大公に統治されることになった。 この大公は、
    1385年にポーランドと同盟を結んだ。 これにより、ベラルーシは、ポーランドの
    強い影響下に置かれた。

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    特に、貴族らが受けた影響は、非常に大きく、彼らの間にカトリック信仰が
    広まった。 他の東スラブ地方と文化の差が広がるにつれて、独自の
    ベラルーシ語が形成されて行った。 18世紀にポーランドが分割されると、
    ベラルーシは、ロシア帝国に属することになった。 しかし、ポーランド
    文化の影響を受けた上層階級の人々は当初、依然として重要な地位に
    留まっていた。

    19世紀になると、指導者たちは、ロシア化政策を推し進め、ベラルーシ語での
    出版が禁止された。 一方で、ベラルーシの文化的な自立を求める民族運動も
    高まった。 彼らは、ロシアであれ、ポーランドであれ、あらゆる外国の支配に
    対抗したのである。

    1917年のロシア革命後、まず『ベラルーシ民族共和国』というブルジョワ国家が
    設立されたが、これは1919年に『ベラルーシ・ソビエト社会主義共和国』の設立に
    よって解消された。 共和国は、ロシア・ポーランド戦争後、1921年にリガの
    和約でポーランドに接する西側の領土を失った。 1922年、共和国はソビエト
    連邦に加盟した。

    ソ連は当初、民族文化の自発的発展にある程度の自由を与える政策を取っていたが、
    スターリン時代になると、あらゆる民族運動に対して強い弾圧が加えられた。

    第二次世界大戦では、ベラルーシは多数の死者を出し、破壊的な痛手を被ったが、
    大戦後、1921年に失ったポーランドの領土を再び取り戻した。 1945年には、
    スターリンがルーズベルトとチャーチルに求めた国連におけるソ連の3つの議席の
    うち、1つをベラルーシが得た。

    1980年代の政治改革によって、ベラルーシでも民族運動が盛んになった。 1989年、
    バルト諸国に倣い、『民族戦線』が創立された。 1990年に主権宣言を行い、
    1991年には、独立を宣言した。 当初、形態を変えて連邦を存続されることを
    他国よりも強く主張したベラルーシであったが、1991年12月には、独立国家共同体
    (CIS)設立を主唱する3国の1つとなった。

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    ベラルーシ(白ロシア)は、旧ソ連西部に位置する。 西はポーランド、北は
    リトアニアとラトビア、南はウクライナそそれぞれ国境を接している。 総面積
    20万7,600平方キロメートルの国土を持つ。 国名の『白』とは、『北』を
    意味する。 キエフ公国から見れば、この国は北にあったからである。

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    ベラルーシは、氷期に形成された低地に広がる国である。 モレーン低地
    (ベラルーシ山地)辺りにのみ激しい起状が見られる。 この国はいわゆる
    東ヨーロッパ混合林地域にあり、国土の約4分の1が森林と雑木林からなっている。
    この地域は、東ヨーロッパの一般的な気候から言うと、極めて降水量が多い。

    この地の自然は、湿地帯に広がる森林と低地の草原、また数多くの湖によって
    特徴付けられる。 この地の土壌は農業には余り適していないため、ここでは
    特に畜産(養豚、乳牛飼育)が盛んである。 主要農産物は、麻、ジャガイモ、
    ライ麦、飼料作物などである。

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    総人口は1000万人を上回り、そのうち、約80%がベラルーシ人で、その他、
    ロシア人12%、ポーランド人4%、ウクライナ人2%、ユダヤ人2%が住んでいる。
    ロシア革命以前は、国民の大半がロシア正教を信じていた。長い間、ポーランドや
    リトアニアとの交流も盛んであったため、カトリック信仰も、特に西部において
    かなり広がりを見せていた。

    ベラルーシは、自然条件から見ると、余り恵まれた国とは言えない。 土壌が
    優れないために、農業も畜産に限られている。 石炭、塩、石油、泥炭も生産
    されるが、国内需要にのみ使用されている。 国民の教育水準は比較的高く、
    機械や鉄鋼などの専門的な工業の育成が奨励されて来た。 首都ミンスクは、
    人口から言っても、また産業の集中度から言っても、他都市を遥かに上回る
    主要都市である。

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