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    タグ:プーチン

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    イギリスBBCのカシェンコ大統領インタビュー
    2023 年 2 月 16 日 ベラルーシのミンスクにて、ベラルーシ大統領である
    ルカシェンコ氏がウクライナに関するインタビューに応じた。
     
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    ルカシェンコ大統領
    「この紛争は、ウクライナ自体の内戦から始まりました。 その主な原因と
    なったのは、マイダン革命と、ヤヌコビッチ(2010年から2014年までウクライナ
    大統領) の追放です。 彼は、ドンバスでの秩序を取り戻すため、ドンバスに
    行きましたが、これが全ての始まりです。 これはプーチン大統領と何の
    関係があるのですか? ロシアは、これと何の関係がありますか?

    ウクライナ当局がこの作戦を主導しました。 その時は、戦争を避けるために、
    ロシアとウクライナは、双方が合意する必要性がありました。 しかし、
    この地では、平和的な合意などではなく、最初から戦争を始めることを目的と
    していました。 ウクライナは、その戦争の切っ掛けになっただけなのです。
    米国は最初から、この戦争を望んでおり、西ヨーロッパも同じでした。

    現在、欧米諸国は、知らんぷりです。 彼らがウクライナをこの戦争へと
    叩き落としましたが、彼らは、この戦争を承認したと言うことです。
    ドンバスへの侵略はありませんでした。 あなたは「侵略」と言うが、私は
    これを「保護」と考えています。 ロシアの権利と、そこに住んでいる
    ロシア人の保護です。

    印象操作が余りにも強過ぎる日本側のインタビュー


    BBC記者:この特別軍事作戦を開始する価値はありましたか?

    ルカシェンコ大統領
    「あなたたちがウクライナ側の戦力を強化し、この戦争に備えたという
    視点から考えると、答えは「はい」です。 あなたにも同じ質問があります。
    この特別軍事作戦を開始する価値ありましたか? それとも、ロシアが
    あなたたちに要求した安全保障を締結する方が良かったのでしょうか?

    ロシアは、少なくとも、安全保障の文書を提出するよう西側に求めました。
    ウクライナ、または、ヨーロッパ側からロシアに対する侵略がないことを
    約束する文書です。 核兵器と長距離ミサイルが、ウクライナの領土に
    配備されないことを保障する内容です。 西側には、戦争が必要でした。
    よって、ロシアはこのような西側の言動により、自国の安全を確保することが
    難しくなりました。 あなたたちは、ロシアがウクライナの領土を侵略
    していると非難していますが、あなたたち自身が、ポーランドを使って、
    ウクライナの一部を侵略するつもりです。 これは紛れもない事実でしょう!

    ウクライナに平和を望んでいますか? 明日は平和についてお話しましょう。
    しかし、あなたたちは、それを望んでいません! 今は、戦死者が出ているので 、
    早く止めましょう! しかし、あなたたちは平和を望んでいません!

    24300479

    ヨーロッパも戦争を終わらせる準備が出来ているのでしょうが、あなたたちは
    平和を望んでいません。 西側は、私を非難していますが、私はウクライナに
    ベラルーシの兵士を1人も送りませんでした。 逆に、西側は、自国の何千人もの
    軍隊をウクライナに送りました。 2万人以上の兵士がそこで戦っています。
    西側は、私を常に非難しています!」

    西側は、ルコシェンコがロシア軍のウクライナ領土への進入にベラルーシ領土の
    使用を許可したとして非難

    参考記事:BBCニュース

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    日本政府の北方領土交渉を見ていると、第二次世界大戦(日本では太平洋戦争)の
    結果を一切認めてはいないため、国際的な観点から見ると、「交渉の席にすら
    就けていない」とみなすのが妥当な評価だと思うのだが、日本政府が本当に
    国際法の則って争う気持ちがあるのであれば、まずは、現状を受け入れ、そこから
    打開策を見つけ出さない限り、国際的な効力が得られないため、この先も
    北方領土は1島足りとも返っては来ない。

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    日本は、アメリカとの「日米安保条約」により、日本国内のどこにでも米軍施設を
    造ることが可能だが、いつまでも意味不明な対応を採り続けている日本政府を
    相手に、誠実な対応をしているロシア政府の方が数段まともだとも言える。
    ロシアが抱える隣国との領土問題は、これまでにノルウェー、リトアニア、
    中国、ウクライナと全て解決済みのため、日本との「北方領土」問題のみしか
    残されてはいないが、ロシアは、元々親日国であるため、日本との交流を早急に
    望んでいるものの、そんなロシアの親日情報すら日本側には何も伝わっては
    いないどころか、逆に情報自体が非常に歪められている。

    これは、実践経験のない自称専門家らが、自己の勝手な憶測や感情移入を
    ふんだんに含めた情報を垂れ流しているため、そのウソの情報を真に受けている
    人間が多いのが現状。

    これまでの北方領土の交渉に関しては、私の覚えている限りでは、エリツィン氏が
    ロシア初代大統領になる以前の共産党第一書記時代の1989年に根室までやって
    来て、「北方領土は日本の領土である」とハッキリと述べているのだが、その後、
    1991年末にソ連邦が崩壊し、その直後に行われた1993年の領土交渉においても、
    歯舞群島、色丹島、国後島の3島までの日本側への引渡しは確定的だったのにも
    関わらず、日本政府があくまでも「4島一括返還」に固執したため、2島どころか、
    1島すら返って来なかったというのが歴史的事実なのだが、そのような愚かな
    過去も日本政府は公式に認めるべきだと思う。

    plt1811160024-p2

    北方領土問題は、実は、田中角栄の時代には、4島全てで解決しそうになった
    時期があったのだが、その直後に、「ロッキード事件」をでっち上げられて失脚、
    鳩山由紀夫は一家全体がロシアの専門家だが、沖縄の米軍基地問題に切り込んだ
    直後に、民主党ごと失脚。 結局のところ、全てアメリカが絡んでいるため、
    全ての交渉が流れている。

    2000年代に入り、プーチン氏の代に代わってからも、3島を先に引き渡し、軍事
    基地がある択捉島は、早急に結論を出さずに、「未来の世代に委ねる」という
    ところまで交渉が進んだものの、日本政府があくまでも「4島一括返還」の姿勢を
    一切崩さなかったため、今日に至っている。

    北方領土最大の択捉島は、先に述べた「日米安保条約」により、そのまま米軍基地に
    されることがほぼ確実なため、ロシア側としては、すぐには引渡しが出来ない。
    このことは、先日の領土交渉にて、プーチン氏もハッキリと述べている。
    ロシアにとっては、最後の隣国との領土問題となるため、早々にこの問題を
    解決したいのだが、日本のメディアが発信する情報は、全てアメリカ寄りで、
    ウソばかり報道されないため、この国では、ある一定数の人間は、ロシアとの
    交流など一切望んではいないと考えて間違いない。



    かれこれ30年以上も「北方領土問題」を見て来たが、現在の状況は、過去よりも
    遥かに後退している。 本気で北方領土を返して欲しいのであれば、まずは、
    過去の歴史を正確に学ぶべきなのと、ウソしか言わない自民党与党政府のそのウソを
    しっかりと見抜けるようになってから責任のある発言をすべし。 余計なウソの
    拡散は、更に領土の引渡しを遅らせるだけなので、北方領土の返還を遅らせて
    いるのは、誰でもない、実は、日本政府とその国民だと思う。

    北方領土に渡航自粛令を発令しているのは、実は、日本の外務省であり、ロシアの
    外務省ではない。 北方領土、ロシア語名「南クリル」は、ロシアのビザさえ
    取得すれば、誰でも行くことが出来る。

    北方領土の日本政府の見解としては、以下の通りになるが、現在国際法上でも
    「南クリル」は、ロシアの領土なのに、「いまだかつて一度も外国の領土となった
    ことがない」と平然と述べている時点で、国際法を完全に無視しているため、
    話が全く先に進まない。

    日本の領土をめぐる情勢(外務省)
    (1) 北方領土はいまだかつて一度も外国の領土となったことがない、日本固有の
    領土です。しかし、現実には、北方領土は依然としてロシアの不法占拠の下に
    おかれており、現在、日本はロシアとの間で北方領土返還のための交渉を精力的に
    行っています。

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    話し合いにはそれなりのルールが必要だが、そのルールを完全に無視して、己の
    ことだけを述べ立てるのは、大人がすべき行動ではない。 北方領土問題の担当は、
    内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)だが、過去に北方領土のことを
    学んだことすら人間が、何をどうやって領土交渉に望めるのか、甚だ疑問である。

    最近では、安倍首相自らが、何度も会談に臨んでいるが、特に何の知識も持ち
    合わせてはいないため、単なる税金の無駄使いにしか見えない。 国民の税金を
    投入して会談に臨むからには、それなりの「成果」が必要だが、その成果すら
    全く期待出来ないのであれば、そもそも、会談自体を開催する意味がないが、
    日本政府は、隣国を「敵」に仕立て上げて、軍備増強を押し進めようとしている
    としか思えない。

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    ロシア・柔道アカデミーは、モスクワの西65キロの場所にある柔道専門施設。
    2012年の施設オープン当初は、プーチン大統領もわざわざ視察に訪れ、
    モスクワ郊外に華々しくオープンしたものの、建設途中で390億ルーブルが
    横領されたため、施設は完全には完成されないまま放置され、現在、水、電力、
    冷暖房は、一時的な利用のみとなっている。 館内はコンクリートがむき出し
    になっており、雨漏りも酷いため、存続が危ぶまれている。

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    ロシアの国技、サンボ(武器を持たない護身術の意)は、柔道からより実践的な
    ものだけを取り入れた競技となっており、柔道、合気道、空手は、ロシアでは
    比較的人気の高いスポーツとなっている。

    2000年シドニー五輪でロシアは、銅メダル1個と銀メダル2個、2004年アテネ
    五輪では銀メダル2個と銅メダル3個を獲得したが、2008年北京五輪ではメダルを
    獲得出来なかった。 北京五輪の後、1980年モスクワ五輪の金メダリストで
    1984年ロサンゼルス五輪の銀メダリストであるイタリアの柔道家
    エツィオ・ガンバ氏が、コーチとして招かれ、リオデジャネイロ五輪では、
    ロシアは金メダル5個を含む、五輪メダル8個を手にした。

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    チェチェン共和国は、ロシア連邦国内にある小国であり、カスピ海と黒海に
    挟まれたロシア南部のコーカサス地方にある国。 大きさは、日本の四国ほどで、
    住民の多くは、アジア系のチェチェン人で、主にイスラム教を信仰しているため、
    主に東方正教を信仰しているロシア人とは、民族的にも宗教的にも異なる。

    ロシア連邦からの独立を望むチェチェン共和国との戦いは、テロという姿に形を
    変えて今でも水面下で続いている。 1991年にソ連が崩壊する間際には、ソ連
    各地で独立運動や暴動等が起き、大混乱に陥ったが、チェチェン共和国でも
    この頃から独立に向けた動きが活発になった。

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    1991年10月にチェチェン共和国の大統領に選ばれたドゥダエフは、すぐさま
    独立を宣言。 当時は、ソ連の中にロシア連邦共和国があり、ロシア連邦の中に
    チェチェン共和国があるという状況になっていたため、チェチェンは、ロシアに
    対して、独立を求めた。 しかし、当時のロシアの大統領であった、エリツィンは、
    チェチェンの独立を認めず、治安部隊を派遣して、これを鎮圧しようとした。

    1991年12月にソ連が崩壊し、15の共和国がそれぞれ独立したが、ロシアは、
    この際にもチェチェンの独立を認めず、チェチェンの独立運動は、その後も続く
    事となった。

    第一次チェチェン紛争(1994年~96年)
    ソ連崩壊から、3年後の1994年、ロシア国内の混乱をおさめ、政治体制を固めつつ
    あったエリツィン大統領は、本格的に、チェチェン問題に乗り出した。 12月に
    大規模な軍隊を投入し、チェチェンへ介入を始めた。 こうして第一次チェチェン
    紛争が始まった。 ロシア軍は、激しい空爆を行い、チェチェンの首都である
    グロズヌィを攻めたが、激しい抵抗にあい、首都制圧は出来なかった。 この
    戦いは、1996年まで続き、ロシア側とチェチェン側を合わせて、数万人の死者が
    出たと言われている。 チェチェンでは、ロシアの空爆により、一般市民にも
    多くの死者が出た。 1996年には、5年間にも渡って独立闘争を指揮して来た
    ドゥダエフ大統領までもが、ロシア軍の攻撃により死亡した。

    こうしたなかで、ロシアの国家保安保障会議のレベジ書記と、チェチェンの
    マスハドフ参謀総長らの努力により、1996年8月に和平交渉が行われ、両者は、
    チェチェンの独立問題を2001年まで先送りする事を定めたハサブユルト和平
    合意を結び、全面的な停戦が成立した。 これに伴い、1997年、ロシア軍は
    チェチェンから撤退した。

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    第二次チェチェン紛争(1999年~2009年)
    ロシア連邦がチェチェンから撤退した後、OSCE(欧州安全保障機構)等の
    監視の下で、民主的な選挙が行われ、マスハドフが大統領に選ばれ、国際的に
    承認された。 ハスハドフ大統領は、アメリカやアラブ諸国を訪ね、チェチェンの
    ロシアからの独立を訴えると共に、ロシアのエリツィン大統領とも定期的に
    交渉を行い、正式な独立に向けて準備を進めた。 ところが、チェチェン国内の
    武装勢力を上手くおさめる事が出来ず、誘拐等の犯罪が頻繁に起こるようになった。

    1999年8月、独立最強硬派のシャミル・バサエフとアミール・ハッターブに率い
    られた1,500名程のチェチェン人武装勢力が隣国ダゲスタン共和国へと侵攻し、
    一部の村を占領するという事件が発生する。 また、同時期にモスクワでは
    アパートが爆破されるテロ事件が発生し百数十名が死亡した。 これを受けて、
    ロシア政府はチェチェンへのロシア軍派遣を決定し、プーチン首相の強い
    指導の下、9月23日には、ロシア軍がテロリスト掃討のため、再びチェチェンへの
    空爆を開始し、ハサヴユルト協定は完全に無効となった。

    第二次チェチェン紛争以降にテロが過激化して来た事に関しては、イスラム原理
    主義の思想を持つイスラム過激派の勢力が加伸張して来た事があげられている。
    チェチェン領内でのゲリラ戦に加えて、2002年10月のモスクワ劇場占拠事件や
    2004年9月のベスラン学校占拠事件等、チェチェン共和国外での一般市民や政府
    などに対する攻撃や自爆テロも数多く起きている。 自爆テロの中にはチェチェン人
    の女が関わっているケースがあるが、これは殺害された独立派武装勢力兵士の
    妻等が、仇討ちのためにテロに身を投じていると考えられている。

    チェチェン独立派は事件直後には犯行声明を出さない事が多く、むしろ、発生後
    しばらくの間は、自分たちの関与を否定するかのような発言を行い、ある程度
    時間が経った時に初めて声明を出す事が多い。 また、独立派は、捕らえた一般
    市民やロシア兵を殺害する様子をビデオテープに記録し、インターネット上に
    配信した事もある。

    Battalionview

    このような紛争のテロリズム化に対して、ロシアは2003年から2006年に掛けて
    独立派最高指導者のチェチェン共和国の第2代大統領ゼリムハン・ヤンダルビエフ、
    第3代アスラン・マスハドフ、第4代アブドル・ハリムを殺害し、シャミル・
    バサエフ等の最強硬派の過激派指導者も殺害した。 これ以外にも、アフメド・
    ザカエフのような穏健な独立派指導者も大半は国外へ脱出している事から、
    チェチェン共和国の弱体化が指摘される事もあった。

    このような状況の中、チェチェン共和国の第5代大統領であった、ドク・ウマロフは、
    2007年に北コーカサスでのイスラム国家の建設を目指すコーカサス首長国の建国を
    宣言した。 2009年の戦争終結宣言以降も、コーカサス首長国等のイスラム
    過激派達はロシア連邦軍とチェチェン共和国政府に対するゲリラ戦を継続し、
    兵士や市民を殺害する事態が続いている。

    独立派は、この戦争により、6万人の市民が死んだと主張している。 また、
    ロシア国防省はこの紛争で、6,000人以上のロシア兵が死亡したと発表した。
    独立派指導者の一部は、西側諸国に対して仲介を要望し、ロシアの軍事行動等に
    対しては抗議をしている。

    独立派に対するロシアのプーチン政権の強硬策に対する批判も一部から出て
    おり、独立派は、紛争当初こそ各国から支援を得ていたものの、世界的な
    『テロとの戦い』という流れの中でチェチェン紛争もこの一部とされることが
    多く、紛争後期には独立派もアルカイダ等の国際テロ組織との関係を疑惑視され
    孤立無援となった。

    Beslankollazh

    【第二次チェチェン紛争に係る主要テロリズム一覧】
     
    2002年
    モスクワ劇場占拠事件 - 169人死亡
    首都グロズヌイの政府庁舎爆破 - 72人死亡

    2003年
    共和国北西部の行政庁舎爆破 - 60人以上死亡
    モスクワ野外コンサート会場爆破 - 15人死亡

    2004年
    モスクワ地下鉄爆破 - 41人死亡
    グロズヌイの対独戦勝記念式典を爆破 - 親ロシア派のチェチェン共和国大統領
    アフマド・カディロフなど30人死亡
    イングーシ共和国内務省などを襲撃 - 約90人死亡
    モスクワ発旅客機同時爆破 - 80人以上死亡
    モスクワ地下鉄駅付近爆破 - 約10人死亡
    北オセチア共和国ベスラン学校占拠事件 - 322人死亡

    2005年
    カバルジノ・バルカル共和国首都ナリチク同時襲撃事件

    2006年
    イラクのイスラム武装勢力がロシアの外交官を拉致しチェチェン共和国からの
    ロシア部隊撤退を同国政府に要求。要求が拒否されたため外交官を殺害。
    アンナ・ポリトコフスカヤ暗殺事件

    2007年モスクワ・サンクトペテルブルク間列車爆破事件

    【紛争終結宣言以降の第2次チェチェン紛争に係る主要テロリズム一覧】
    2009年
    モスクワ・サンクトペテルブルク間列車爆破事件

    2010年
    モスクワ地下鉄爆破事件

    2011年
    ドモデドボ空港爆破事件

    【お勧めの一冊】


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    【プーチン 語録】


    ■ ソ連が恋しくない者には心がない。 ソ連に戻りたい者には脳がない。
    ■ 我々の敵は、テロリストではなく、ジャーナリストだ。
    ■ 生きることそのものが危険なのだよ。
    ■ 可愛くてついやってしまった。
    ■ (地球温暖化により)毛皮のコートを買う金を節約できる。
    ■ 日本は、不倫や近親相姦を紙幣にするほど堕落したのか。
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    ■ (金日成は)国を良い方向に変化させたいと望んでいる。
    ■ 歌詞を知らないなら、せめてガムを噛むなと選手に伝えて欲しい。
    ■ 我々が戦っている相手は、冷酷な連中、人間に化けた獣だ。
    ■ 医者を送り込んで始末しなければならない。
    ■ EUは恥を知れ。 国際社会のルールに反する勝手は許されない。
    ■ 汚職をする公務員は、手首を切り落としてしまえばいい。
    ■ 睾丸を縛って吊るし上げてやる。
    ■ 裏切り者はろくな死に方をしない。 酒か薬に溺れてのたれ死にする。
    ■ 例え便所に隠れていても息の根を止めてやる。

    【プーチン大統領 オバマも引きつる無言の朝食会】
      

    【ペン放り出して財閥社長を震え上がらせる】
     

    【野党が提出した文書を破り捨てる】


     【空気を乱すTBS記者にプーチン大統領がぶち切れてリアルデスノート発動!】


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    米経済誌『フォーブス』は、2015年11月4日、『世界で最も影響力のある人物』73人の
    番付を発表した。 ロシアのプーチン大統領が3年連続でトップ。 安倍晋三首相は、
    前年の63位から41位に順位を上げた。 日本人の最高は、トヨタ自動車の豊田章男社長で
    28位だった。
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    同誌は、プーチン氏を1位に選んだ理由について、『自分がやりたいと思うことをやってしまう、
    世界で数少ない人物の一人だ』と論評した。 安倍首相については『日本の首相は頻繁に
    代わるが、長く政権を担っている』とした。

    【日本人が知らないロシアのプーチン首相が震災後の日本に贈ったメッセージ】


    前年2位だったオバマ米大統領は3位に後退。 ギリシャ債務危機など欧州をめぐる課題の
    解決で重要な役割を果たしてきたメルケル独首相は、前年の5位から2位に順位を上げた。

    13位は「投資の神様」と呼ばれる米著名投資家のウォーレン・バフェット氏、17位に米ネット
    通販最大手アマゾン創業者のジェフ・ベゾス氏、19位には米フェイスブック創業者マーク・
    ザッカーバーグ氏が入り、米国の企業経営者らも多く上位にランキングされた。

    尚、ロシア政府は、東日本大震災が発生した際に、日本への追悼の意味として、日本から
    シベリアへの労働者の受け入れを表明したが、それが日本で公表される事はなかった。 

    出典:プーチン大統領の「これだけは知っておきたい」15の真実
    1. プーチンの母親はレニングラード包囲戦を生き延びた

    1941年から1944年まで、ドイツ軍とフィンランド軍は、ソ連のレニングラードへの
    すべての物資供給を組織的に遮断し、この大都市の住人を餓死させようとした。
    この出来事は、ドイツ軍がソ連領土で犯した戦争犯罪の中で最も過酷なものだった。
    プーチンの母親、マリア・イワーノヴナはこの凄惨な包囲をくぐり抜けて
    生き延びた。 この包囲戦で100万人が死亡した。その中にはウラジーミルの
    兄もいたが、ウラジーミルはまだ生まれていなかった。


    2. プーチンは感情をあまり表に出さない環境で育った

    ドイツ公共放送連盟 (ARD) 制作のドキュメンタリー
    『Ich, Putin (私はプーチン)』の中で、プーチン大統領はジャーナリストの
    フーバー・ザイペルに次のように語っている:

    私の家族は感情を表に出す家族だったとは言えません。会話もそんなに多くは
    ありませんでした。皆それぞれが、自分の中に閉じこもっている感じでした。
    とはいえ、私たちはとても仲がいい家族でした。私の両親は死ぬまでずっと
    一緒に過ごしました。 それでも、両親はロシアの英雄の偉業や困難、
    悲劇といったことを熱く語ることを好まず、わたしもそういったことは知らずに
    育ちました。


    3. プーチンの父親は「真のプロレタリア」だった

    プーチンの幼なじみであるセルゲイ・ロダルジンによれば、プーチンの父親は息子を
    愛していたが、いつもプーチンに叱っていた。「彼は子供に甘過ぎる親と見られる
    ことを恐れていました」と、ロダルジンはザイペルに語っている。


    4. プーチンが柔道を始めたのは「集団の中で自分の立場を保つ」ためだった

    どちらかというと華奢な体つきをしていた10代のプーチンは、他の10代の男子の
    思春期の成長が自分よりも早いことに気付いた。それが柔道を習い始めた理由だ、
    とプーチンは語っている。彼は集団の中で自分自身の存在を主張したかったのだ。


    5. プーチンが、前妻に自分が諜報機関(KGB)で働いていることを伝えたのは、
    結婚する直前だった

    「諜報機関で働いていることをどうしても話さなければいけない立場にある人間は、
    諜報機関で働くのにふさわしくない」とプーチンはザイベルに語っている。


    6. プーチンは、西側諸国がロシアを恐れていると考えている

    プーチンの伝記『Ich, Putin (私はプーチン)』の冒頭に、その前の数カ月に起こった
    出来事を考えると奇妙に思える対話がある。

    ――西側諸国のあなたに対するネガティブな態度は何が原因だと思いますか?」
    「不安だと思います」
    ――あなたへの不安ですか?
    「ロシアへの不安です。ロシアの規模、ロシアが所有する核兵器、その他様々な
    分野でのロシアの可能性が彼らを不安にさせるのです。 しかし、それは
    古い考え方です」


    7. プーチンはドイツ語を完璧に話す

    その一例として、2001年にドイツ連邦議会で行ったスピーチがある。
    彼は約5年間、ドイツのドレスデンでKGB諜報員として活動し、1990年に
    東ドイツが崩壊し始めると、モスクワに戻った。


    8. プーチンは、ソ連の終焉は「20世紀最大の地政学的大惨事」だったと
    考えている。 しかし、ソビエト時代を懐かしく思ってはいない

    プーチンが、権力の象徴だったソ連に強い親愛の情を抱いているのは事実である。
    例えば、彼はソ連国歌に新しい歌詞をつけて再びロシアの国家として導入した。

    しかし、ソ連時代に実施された社会政策の成果はもはやほとんど残っていない。
    例えば、壊滅的な医療制度や財政的セーフティーネットなどだ。2011年末の時点で
    16%のロシア人が月に192ドルという最低保証すら下回った生活をしていた。
    その一方、ロシア富裕層は比較的良い暮らしをしている。ロシア富裕層は21世紀
    初頭から所得税を13%しか払っていない。


    9. プーチンは自分をアイスホッケー選手として見せたがる

    郊外のアイスリンクで数時間の練習をするにも関わらず、プーチンは
    アイスホッケーがあまり上手くない。 しかし、アイスホッケーはロシアの国技
    であり、ドイツでのサッカーと同様、共感を得るのにうってつけのスポーツだ。


    10. さまざまな国内問題を抱えているにも関わらず、プーチンはロシアを
    「再建した」と評されている

    これは、1990年代にロシアが深刻な危機に瀕していた事実に大きく関わる。
    90年代の危機は、ロシアの経済に打撃を与えただけでなく、官僚制度や、
    文化生活、社会的結束、そしてロシアの独立国家の概念が大きく揺らいだ。

    2000年にプーチンが政権を握ると国家機構の改革に着手し、独裁的なやり方で
    再建した。 その後の数年間で、天然資源の輸出を中心にロシア経済を立ち
    直らせた。

    しかし、クリミア危機の前に経済成長が減速したのも事実だ。ロシアが今必要と
    しているものは投資である。しかし現在ロシアには制裁措置が課されているため、
    現時点でロシアへの投資は予測できない。


    11. プーチンは田舎の屋敷にいても、「P・ディディ(パフ・ダディ)のように
    取り巻き」を抱えている

    有名なプーチンのポートレイト写真を撮った写真家のプラトンはそう主張している。


    12. プーチンはビートルズが好きである

    これもプラトンが言っていることだが、ビートルズの中でプーチンのお気に入りは
    ポール・マッカートニーだ。一番好きな曲は、「イエスタデイ」だという。


    13. プーチンは党員ではないのに政権与党「統一ロシア」の党首を4年務めた

    正確に言えば、プーチンは党総裁になることを要請された。これも国内での
    彼の影響力の大きさを物語っている。


    14. プーチンは自分を外交家だとは考えていない

    ARDのリポーターからの質問に対して、「全く違う」と答えた。


    15. 対立する相手に、公の場で屈辱を与えたことが何度もある

    例えば、クレムリンで収録されたテレビの生番組中に、石油王のミハイル・
    ホドルコフスキーを税務調査で脅したことがある。その後すぐ、ホドルコフスキーは
    逮捕された。

    もう一つ、倒産しかけていた船用プロペラ工場を訪問した時のエピソードがある。
    工場を操業停止に追い込み、労働争議を巻き起こしていた経営者に、プーチンは
    次のように語った。「私がここに来ると言ったら、君たちはゴキブリみたいに
    騒ぎ回っていたが、全く問題を解決できなかった。君たちは、君たち自身の野心、
    能力のなさ、どん欲さによって、労働者を人質に取っている」

    その後、同工場の株主たちは公の場で、工場の操業維持を保証した契約書に
    サインしなければならなかった。
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    ブログネタ
    日本の政治 に参加中!

    北方領土に関する意外な事実として、ロシア側からの領土返還交渉が度々
    なされたが、日本では、その事実を余り大きくは取り上げなかったため、
    この情報を知らない人が意外に多い。

    ソ連とロシアは、これまでに数度に渡り、北方領土の解決策を日本側に
    提案して来たが、日本政府は、それをことごとく全て断った。 ソ連時代の
    2島返還論から始まり、故エリツィン氏が共産党第一書記長時代に根室まで
    来た際には、ハッキリと『北方領土は日本の領土』と名言した。 プーチン氏の
    時代になってからも、3回程日本側に2島返還、更には、3島返還(残り1つの
    択捉島は、次の世代に託す)とまで大幅譲歩したのだが、それですら
    日本政府はあくまでの『4島一括返還』に拘り、ロシア側からの提案を断った。

    世界一の国土の広さを誇るロシアにとって、北方領土は、特に大切な場所でも
    何でもなく、広大な領土の極々一部分でしかないため、日本に返還したとしても、
    特に困らない場所なのだが、あえて難点を言うとすれば、択捉にロシアの空軍
    基地があるため、すぐに日本に引き渡すことが出来ないため、とりあえず、
    問題を先送りして、次の世代に委ねるとしたのだが、旧島民は、高齢化が進み
    過ぎて、現在、旧島民全員が80代以上の高齢者ばかりとなっているため、今更、
    まともなインフラが整っていない北方領土に住むのは、かなり難しく、ロシア側の
    住民たちも、70年にも渡って北方領土に住み続けている。 また、両国の
    若者たちは、このような僻地には住みたがらないため、この問題は、簡単には
    解決出来ない。

    日本では、アメリカのプロパガンダにより、情報が相当ねじ曲げられているのだが、
    日本には、ロシアに関するまともな知識を持った人材がほぼ皆無に近く、その
    ことが、両国の領土問題の解決を更に難しくしている。 日本でロシアの
    専門家を名乗っている人達も、実際には、実践経験がほぼないため、事実関係を
    知らない。 英語さえ知っていれば、世界を何でも知っていると思っている人間が
    日本には多過ぎる。

    ichi

    プーチン氏の次女は、『日本史』が専門であるため、千葉大学に留学をして
    いただが、プーチン氏自体も柔道の黒帯所持者であるため、歴代の指導者の
    中では、ブッチギリの親日家なのだが、90年代の初めは、ソ連が崩壊したため、
    島民の大方が、領土を日本に返還して、インフラ整備をした貰った方が、生活が
    潤うという考え方であった。 このため、日本への返還は致し方なしという
    考え方が多数派であった。 当時は、北方領土の返還が概ね実現しそうであった
    ため、『日本国民』になれる事を夢見て、ロシア本土からマフィアがかなり
    流れ込んで来ていた。 国後の辺りでは、当初、北海道からの電波を拾えたため、
    島民は、日本の携帯を使っていた。 プーチン氏は、これまでの事を覚えている
    ため、上手く交渉すれば、少なくと2島は返って来ると思のだが、日本政府には、
    そのような交渉術を持った人材がいないのと、4島であったとしても、アメリカが
    首を縦には振りそうもないため、交渉は、相当難航すると思われる。



    91年当時、ソ連が崩壊した時に、日本は、お金で北方領土を全て買い取る
    べきであった。 その頃の日本は、まだかなりバブルな時代であったため、
    日本にもそのような余裕があったのだが、その後、ロシアが経済的に成長して
    しまったため、今更ロシアには、島を返す意味などないであろう。 日本では、
    極右的な考えのニュースばかりが報道されているのだが、ロシア人はかなり
    親日的なので、ちゃんと話し合いさえ行えば、解決出来る問題だと思う。
    しかも、ロシアにとっては、長年の懸念であったクリミアの帰属問題を解決した
    ため、残りの領土問題は、日本のみ。 因みに、中国との領土交渉では、3つの
    島の帰属権を中国側に渡した代わりに、その他の清の時代までの広大な中国の
    領土(ハバロフスク~ウラジオストック周辺)を全て未来永劫放棄させている。

    最近になって、ロシア側が北方領土の交渉に関して、かなり難色を示しているのは、
    日本がロシアに対して、経済制裁を続けているからであり、日本がまず最初に
    経済制裁を解除すれば、問題が好転するかも知れない。 ロシアは、クリミア
    問題以降、この先、アジア重視の政策に転換する可能性が高いため、可能性は
    まだ残されている。

    В 1991 году были две попытки отдать Курилы японцам

    Хорошо помню эту ситуацию, потому что в то время я только что начал
    работать как переводчик в Саппоро. Правительство СССР пыталось
    несколько раз отдать 2 или 3 острова(кроме Итурупа) Японии, но
    министерство иностранных дел Японии отказалось от предложения
    от Советской стороны и оно даже сказало, что "возврат остров должен
    быть вчетвером", то есть, надо отдать Итуруп, Кунашир, Шикотан и
    Хабомаи все вместе. Говорят, что это все связано с американцами и
    они даже имели отношение к территориальной проблеме между нами
    и в конце концов заставили так сказать японцам.
     
    Дело в том, что бывшим жителям на этих островах уже более 80 лет и
    многие из них уже умерли, а новые жители - они живут там уже 70 лет,
    так что эта проблема не может быть легко решена. Все равно для
    Москвы и Токио это очень далекое место и молодежи никогда не хотят
    жить на таком месте.

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    На Украине убили много безоружных людей, а в Японии нормально живут
    безответственные люди, и они даже не ходили на выборы из-за холоды.
    Разве это имеет справедливость? Вы меня понимаете, японцы?
    Ваш монументальный идиотизм всегда убивает ваших окружающих.



    In Ukraine killed many unarmed people and in Japan, still normally living
    irresponsible people, and they didn't even go to the elections because of the cold.
    Is is fair? Can you imagine Japanese people? Your monumental idiocy kills
    always your associates.

    ウクライナでは、武器を持たない人たちが、大勢殺されました。 日本では、責任を
    持ちたくない人たちが、寒さで選挙にすら行きませんでした。 これが公平な世界だと
    言えるのでしょうか? 日本人のお花畑は、周囲を見殺しにして、成り立っています。Putin-reviziya-itogov-Vtoroy-mirovoy-voyny-nedopustima
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    EU内で、ウクライナの居場所を見つけ出せ☆

    皆様、ウラジーミル・プーチンです! 本日は、皆でこの問題を解こうではありませんか!w
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    ロシアのみならず、世界では、ロシアのプーチン大統領の人気が衰えないが、
    その理由は、類まれなるその指導力と、決して屈服しないという強い精神力を
    兼ね備えているからなのではないだろうか。

    日本では、これまでにも、海外への資金流出が続いてきたが、このまま資本流出を
    指をくわえて見ているだけではなく、早急に流出止めるべきところだが、そのような
    骨のある政治家が日本には、全く存在しないため、このまま、なし崩し的に、
    アメリカの後を追うばかりで、他に一切何の手立てすらないのが現状。

    putin043

    金持ちのために、マイナスになるような事をすると、叩かれるのは、結局は、
    日本も世界も同じと言うこと。 ユダヤ系の金融資本に操られている、現在の
    オバマ氏も、直接手を下しているという意味では、同罪。 アメリカでは、この
    ユダヤ金融資本に逆らうと、ケネディー氏のように抹殺されてしまうため、何の
    影響力もない無難な操り人形を大統領に据えておくのが得策なのか?

    出典:日本が見習うべきはロシア
    前回の記事で、政府が推進する「クールジャパン」が、実は単なるユダヤ金融資本のための儲け話に過ぎなかったということを書きました。要するに、日本はお金だけをユダヤ人に吸い取られているだけでなく、文化までもユダヤ人に乗っ取られてしまったということです。
     
    ○クールジャパンの正体。やはりそれはユダヤ金融資本のための儲け話だった。
     
    さらに……悲しいかな。あれだけ反発の大きかった郵政民営化も、未だに水面下では着々と計画が進んでおり、日本郵政の株式が2015年には上場される予定となっています。それどころか、傘下にある「ゆうちょ銀行」と「かんぽ生命保険」の金融2社を同時上場するらしいです。さらには、あれだけ反発された「かんぽの宿」売却まで進める予定だとも。呆れ返ってものも言えません。
     
    ○日本郵政、2金融子会社と“異例の”同時上場狙う理由〜厳しい本業、かんぽの宿売却も加速
     
    これで日本の何百兆もの富がまたしても海外に流れることになり、日本はますます貧しくなります。日本国に流通するお金が減るるので、経済はさらに疲弊し、誰もものを買わなくなり、企業は次々と倒産していくでしょう。最初にそのあおりを食うのが中小企業ですが、大企業もいずれはバタバタと倒れはじめるかも知れません。そうしておいて、ユダヤ人たちは日本とは違う国(例えば中国とか、他の新興国家)を食い物にしていくつもりなのでしょうか。
     
    まあ、そんな先のことまでは私には分かりませんが、アメリカそのものが既に崩壊寸前なので、アメリカに寄生したユダヤ人たちがそのときまで生き残れていられるかどうかは疑問です。ただし、2015年まであと一年しかないので、その際に郵政のお金が吸い尽くされたならば、日本経済の打撃はかなり大きいでしょう。最初のうちはその痛みを余り感じないかも知れませんが、時間が経つに連れて、じわじわとその効き目が現れてくることでしょう。
     
    しかし、このようにユダヤ金融資本の犠牲になった国というのは、なにも日本だけではなく、お隣の国・韓国も同じです。1997年にIMF(=アメリカ)は「韓国経済の救済」という名のもと、韓国を実質的に支配し、好きなだけ韓国の経済を吸い尽くしてきました。お陰で、韓国ではそれから自殺者が急増したそうです。そして、今でも相変わらず韓国経済は救済されるどころか、相変わらず没落の一途を辿っています。それを日本のネトウヨの皆さんは笑い者にしていますが、日本も人のことを笑っていられる場合ではなくなるかも知れません。
     
    しかし、同じくユダヤ人に生き血を吸われながらも、見事に反撃をしている国があります。それがロシアです。プーチンが大統領になって以来、彼は次々とロシアの市場を食い物にしてきたユダヤ金融資本を叩きのめし、徹底的に排除してきたのです。そのため、ユダヤ人たちはプーチンを敵視し、ウクライナ危機をでっち上げ、プーチンを悪者に仕立て上げて、メディアを通してプーチン=悪者というイメージを拡散してきました。
     
    しかし、そんなユダヤ人の画策もものの見事に失敗し、ロシアでのプーチンの支持率はなんと80%にも達成。日本でもネット住民のほとんどがテレビ・新聞の垂れ流す報道に騙されることなく、プーチンを支持している模様です。
     
    プーチンのユダヤ金融資本に対する反撃は今のところ成功しています。アメリカに寄生したユダヤ金融資本家たちはもう財力も尽き、プーチンに対して大して打撃を加えることができないようです。今後もプーチンが引き続き彼らの退治に成功してくれることを願うばかりです。
     
    ○ロシア 金貸しによる人工国家からの脱却・プーチンの闘い
     
    ロシアがこのような快進撃を続ける一方で、日本の安倍政権は相変わらずアメリカ様のおとなしい飼い犬となり、ユダヤ人たちに尻尾を振りまくっています。竹中平蔵という史上またとない売国奴が未だに何食わぬ顔をしてテレビで大口を叩き、産業競争力会議なるものを取り仕切って、ユダヤ様たちに日本のお金を次々と差し出している、という体たらくぶりです。
     
    この状況を覆してくれるような人物は今後、この日本から現れてくれるのでしょうか。

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