ヴェストファーレン条約によりザクソン、バイエルン、ブランデンブルグ、
プロイセンなど、ドイツの主な領邦国家は支配力を強め、これらの諸侯は、
ヨーロッパの貿易や領土をめぐる対立において、重要な役割を果たすようになる。
一方、ハプスブルグ家の領地は『オーストリア』と呼ばれるようになっていたが、
その権力は次第に下降線をたどっていた。

18世紀初頭までにホーエンツォレルン家は、北ドイツにあるプロイセン、
ブランデンブルグ両地域を支配するようになり、無駄のない優れた政治組織と、
強力で精鋭な軍隊を誇った。 1740年にはプロイセン王国フリードリッヒ2世
(大王)が、ハプスブルグ家の支配下にあった、豊かな鉱山を有する
シュレージエンを侵略、占領した。

Preussen

このシュレージエンをめぐる抗争は1756年、オーストリアとプロイセンの新たな
対立に繋がり、フリードリヒ大王は、オーストリアとその同盟国ロシア、フランス、
バイエルン、ザクセンに攻撃を仕掛けた。 この7年戦争で大きな犠牲を払った末、
ハプスブルグ家の女帝マリア・テレジアは1763年、講和を申し入れ、
ブベルトゥスブルグ条約によって、プロイセンのシューレジエン条約によって、
プロイセンのシュレージエン領有が確定した。 その後、ホーエンツォレルン家は
北ドイツに版図を広げ、ドイツにおける最大で最強の王国に発展して行った。

【お勧めの一冊】


>>トップページに戻る



クリックをお願いします☆
にほんブログ村 外国語ブログへ
にほんブログ村