チェコスロバキア共産党は、戦後初の総選挙で多数を獲得した。 3年間ベネシュを
大統領としていた共産党は、諸党と連立を組んで政権の座に居た。 共産党の首相
クレメント・ゴットワルドは、共産党から主要閣僚を任命した。 経済の国家管理を
掲げる共産党をはじめ、諸党から参加した人民委員会が企業の国有化を決定した。
共産党の権力が高まるにつれて、政府内の多くの反共産主義派は、危機感を高めた。
1948年をはじめ、内閣の反共産主党閣僚は、新しい選挙を強行するために辞表を
提出した。 選挙をすれば、共産党の敗北は確実との確信があったからである。
しかし、共産党は、選挙戦に参加する代わりに、プラハで威圧的な集会を開いた。
深まる混乱を避けるため、ベネシュは共産党幹部たちを新政権の閣僚に任命した。
1948年、ベネシュに代って、共産党のゴットワルドが大統領になった。 政府は、
反対党を禁止し、チェコスロバキアを厳しい一党支配の国に代えた。 報道機関、
学校、経済は、国家に管理された。 チェコスロバキアは、ソ連へますます接近し、
ヨーロッパ共産主義国の軍事同盟であるワルシャワ条約機構にも参加した。
ソ連を模範として、チェコスロバキアは工業、銀行、農業分野も政府の管理下に
置いた。 政府は、高い生産目標を設定し、同時に価格を賃金を固定した。 国家は
ソ連からエネルギーを輸入し、チェコスロバキア製品は、ソ連を市場として輸出
された。 新しい体制では、ほとんどの労働者は、低賃金で長時間働いた。
地方では、農民は土地と農業機械を共有し、強制的に共同組合に加入させられた。
価格が固定された協同組合の収穫や家畜の販売先は、政府に限られていた。
政府によって没収された土地は、国営農場に組み込まれ、農民は賃金労働者に
なった。 例え、収穫が増えても農民は、生産の増収に値する賞与を受けて
いなかった。
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