フリードリッヒ1世とその息子の下、ドイツでは海岸沿いやライン川に面した内陸の
地域で商工業が発達した。 そこで、地方の労働者たちは、都市に移住し、商人、
貿易業者、職人として働くようになった。 やがてこれら商業の中心地は発展し、
豊かになったので、ドイツの諸侯から独立して、自由都市として歩むようになる。

1241年には、このようないくつかの自由都市の代表が集まって、ハンザ同盟を結成
した。 ドイツの港町リューベックで設立されたこの同盟には、ブレーメン、
ハンブルグ、ケルンも入っており、独自に海法および商法体系を発展させ、銀行を
創設、立法府、法廷、公庫を設けた。 ハンザ同盟の交易基点網は、西はイギリス、
東はロシアやスカンジナビア半島にまで及んだ。

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ハンザ都市が栄える一方、諸侯や領主の支配する領地は地方に留まり、依然として
農業中心であった。 商業がほとんどなく、財政を充実させることが出来ない
これらの諸侯は、兵士を雇うために税金を課したり、河川や道路の通行税を徴収
するのにやっきになった。

1273年、ドイツの諸侯は、ハプスブルグ家のルドルフ1世を国王に選出した。
ルドルフ1世は、ドイツ南東に位置するドナウ川沿いの公国であったオーストリアを
侵略し、ハプスブルグ家の領地を広げた。 こうしてハプスブルグ家は、征服や
政略結婚により、支配地を拡大して行った。

14世紀には、ドイツ国王であると同時に、神聖ローマ皇帝でもあるカール4世が、
古くからある伝統を成分化し、『金印勅書』と呼ばれる法律を布告した。 これに
よって、7人の『選帝侯』に神聖ローマ帝国の選出権を与えることが定められ、
また、『選帝侯』の領地は分割が不可能とされたため、これら諸侯は権力を増し、
帝国の中で最も財力のある支配者となって行った。

1438年にはハプスブルグ家のアルブレヒト2世が皇帝に選ばれ、その後、
オーストリアや他の公国を支配下に置き、巨大な王朝となったハプスブルグ家が、
5世紀にも渡り、皇帝位を継いで行くことになる。

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