ブダペスト覚書
ブダペスト覚書(英:Budapest Memorandum on Security Assurances)とは、
1994年12月5日にハンガリーのブダペストで開催された欧州安全保障協力機構
(OSCE)会議で署名された政治協定書で、ベラルーシ、カザフスタン、
ウクライナが核不拡散条約に加盟したことに関連して、協定署名国がこの3国に
安全保障を提供するという内容で、アメリカ合衆国、ロシア、イギリスの
核保有3カ国がこの覚書に署名。 また、中国とフランスは別々の書面で
若干の個別保障をしているものだが、最近の「ロシアによるウクライナ侵攻」を
名目に、ゼレンスキー・ウクライナ大統領は、この覚書からは脱退することを
表明、ウクライナは今後、核武装を行う可能性が出て来た。

ブダペスト覚書からの脱退を表明するウクライナ大統領


ドンバス戦争
2014年ウクライナ騒乱、および、ユーロマイダン運動により、親ロシア路線であった
ヤヌコーヴィチ政権は崩壊し、2014年3月初旬にウクライナ随一の大富豪とも言われて
いる新興財閥オリガルヒのペトロ・ポロシェンコが大統領に就任したが、ポロシェンコは
ロシアとは決別し、親米路線を選択したため、大統領就任当日からウクライナ国内に
住むロシア系住民(日本では「武装した親露派」と偏向報道)への攻撃を大々的に開始。
同国ドネツク州とルガンスク州(一般に「ドンバス」と総称される地域)は、
ウクライナで突如武力によって誕生したクーデター政権からの独立を宣言した。 
このドンバスの独立運動は、旧ロシア領であったウクライナ南部と東部の広域な地域で
展開され、一時は、ウクライナ第2の都市であるハリコフもウクライナから独立を
宣言するほど激化、親米路線の新ウクライナ政府と激しく対立した。更に、これが
激化してハリコフ人民共和国、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国とウクライナ
政府側との武力衝突に発展した。 当初の抗議行動は主にウクライナ新政府に対する
ロシア系住民らによる国内不満を表明するものだったが、この戦いでは、幾度も
停戦協定が結ばれては協定違反の武力衝突が繰り返されており、2022年時点でも
紛争終結の見込みは立っていない。

尚、ドンバス地域は、現在ウクライナ政府の支配は一切受けてはおらず、ウクライナ側
からの入国は不可となっているため、ロシア側から入国するしかない。

ドンバスからロシアへの大量難民を報道するメディア

上記のドンバス戦争とブダペスト覚書からのウクライナの脱退を受けて、ドンバス
地域に住むロシア系住民のロシアへの大量移動が始まった。 以下の動画を見ても
分かる通り、ドンバスから緊急避難をして来たロシア系住民は、着の身着のままの
状態で、長期間に渡る避難生活を余儀なくされているが、長引く戦争により、
再度自宅に帰宅出来る目途は全く立っていない。 避難民の主な行先は、主に
ロシアのロストフ州だと言われているが、この地域は、ユーロマイダン運動によって
ウクライナを追われたヴィクトル・ヤヌコーヴィチ元ウクライナ大統領の亡命先とも
なっている。

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