多言語翻訳 Samurai Global ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:フランス語

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    カナダでは毎年7月1日が『カナダの日』(建国記念日)となっているが、2017年
    7月1日、カナダは建国から150周年の節目を迎える。 毎年、カナダの日では、
    首都オタワの国会議事堂前での式典をはじめ、カナダ各地でイベントやパレードが
    行われ、街中にカナダ国旗や楓をペイントした人々が溢れ、盛大に記念日を
    祝います。

    イギリスのヴィクトリア女王がイギリス系とフランス系住民の融和を目指して新たに
    建設されたのが、現在の首都のオタワであり、英語とフランス語の境界線上にある。
    カナダの公用語は、英語とフランス語となっており、バイリンガル教育も盛んに
    行われているが、ケベックでは、現在でもフランス語のみが公用語となっている。
    英語話者はフランス語を、フランス語話者は英語を学校で習わなければならない。
    海外から年間約25万人の移民を受け入れ続けているカナダは、世界一の移民超大国で
    あり、カナダに居ない民族はないとまで言われている。

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    【カナダの略歴】
    1497年、イギリスの探検家ジョン・カボットがニューファンドランド島のセント・
    ジョンズに上陸。 そして1534年、フランスの探検家ジャック・カルティエが
    ガスペ半島に到達し、ヌーヴェル・フランスを宣言。 1864年にシャーロット
    タウンで最初の建国会議が開催されてから3年後の1867年、ついにカナダ連邦が
    誕生した。

    16世紀にフランスがセント・ローレンス川中流域にフランス植民地ヌーベル・
    フランスを建設したが、アメリカに植民地を広げていたイギリスが次第に
    カナダへと領土を拡大する動きが広まりフランスと対立を深めて行った。
    最終的には1763年のパリ条約により、カナダはイギリスの植民地と定められた。
    それ以降、カナダはイギリス領となり約100年間イギリスの支配下にあった。

    カナダ建国の切っ掛けとなったのは1812年の米英戦争である。 カナダ併合を
    狙っていたアメリカに対抗するため、1867年7月1日英国議会は、当時イギリスの
    自治領であったカナダをカナダ連邦と定めたことが独立への一歩となった。
    当初はオンタリオ州、ケベック州、ニューブランズウィック州、ノバスコシア州の
    4州から成り立っていた。

    その後、マニトバ州、ブリティッシュ・コロンビア州、プリンス・エドワード・
    アイランド州と徐々に領土を広げ、1885年の大陸横断鉄道の完成により現在の
    カナダが誕生したのである。 アルバータ州とサスカチワン州も連邦に加わり、
    第一次世界大戦の後にカナダは外交権を与えられ法的にイギリスから独立を
    果たした。 その後、先住民族を中心とするユーコン準州、北西準州、ヌナブト
    準州が新設された。



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    5月のカナダの祝日と言えば、ヴィクトリアデー。 この祝日は、イギリスの
    ヴィクトリア元女王の誕生日を祝う日。 ビクトリア元女王の誕生日は1819年
    5月24日で、毎年5月25日より前で一番近い月曜日がヴィクトリアデーとなる。



    【ヴィクトリア女王】
    18歳で即位してから63年7ヶ月在位し、歴代イギリス国王の中ではエリザベス2世に
    次いで2番目に長かったと言われている。 世界各地を植民地化・半植民地化して
    繁栄を極めた大英帝国を象徴する女王として知られ、その治世は『ヴィクトリア朝』
    と呼ばれている。

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    カナダはイギリス連邦王国のうちの一つであり、オーストラリア・
    ニュージーランド・ジャマイカなど、カナダを含め、現在16カ国が属している。
    これらの国はそれぞれ独立しているのだが、現在でもイギリスの王位がそれぞれの
    国の君主の地位にある。

    カナダの首都は、ヴィクトリア女王が選定したものだが、この時、彼女は目を
    つぶって地図にピンを突き刺した場所を首都に選び、それがオタワだったという。
    現在、オタワは、英語圏とフランス語圏の境界線上にあるため、首都以外にも、
    両言語話者の融和の象徴としての役割も果たしている。

    ヴィクトリアデーを含めた週末は、3連休となるため、May Long Weekend
    (メイ・ロング・ウィークエンド)と呼ばれることもある。 日本でいう夏至の
    ように、ヴィクトリアデーを境に夏が始まると言われている。 また、各地で
    様々なイベントが催されたり、屋外プールや夏の営業時間などが開始される日と
    なっている。

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    英語の歴史は1500年以上にも及ぶ。 5世紀にアングロ・サクソン人たちによって
    イングランドにもたらされた英語は、イングランド全域に定着するだけでも1000年
    以上の歳月を要している。 イギリス諸島を離れて本格的に海外進出を始めたのは
    17世紀初頭になってからのこと。

    英国史上に残る様々な出来事は、英語の伝播においてもターニングポイントと
    なった。 1066年のノルマン征服を境にアングロ・サクソン人による支配が
    終わりを告げ、フランス出身の王たちがイングランドを支配するようになる。
    フランス語およびラテン語が公的な言語となり、標準語として徐々に発達しつつ
    あった英語は、一転して庶民の使う日常語という地位に甘んじることになった。

    しかし英仏百年戦争(1337~1453)によって、フランス語への敵意と、英語が自国語
    であるという意識が芽生えてくる。そして16世紀頃になると宗教改革が起こり、
    格調高いが専門家しか理解できないラテン語の書物よりも、多少拙くとも誰にでも
    わかる土着語による書物が重んじられ始めた。 さらに印刷技術の普及も相まって
    英語の「社会進出」は加速して行く。 

    そんな個々のプロセスから、さらに一歩視点を下げて大きな流れを見て行くと、
    他の言語から取り入れられた「借用語」が英語発展の鍵になっていることがわかる。

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    英語で洗練された文章を書こうとすると、語彙不足のために満足な表現ができない
    ことが度々あったため、表現力不足を解消する1つの方法として作家や翻訳家たちが
    行っていたのが、外国語から語彙を借用することだった。

    フランスからの借用語は政治や宗教、軍事、ファッション、食文化、学問などに
    関するものが多く、ギリシア語は専門的で高度な語が多い。 ラテン語は借用の
    時期によって傾向が全く異なる。 至るところで、おなじみの単語の意外な
    ルーツに出くわす。 語彙の乏しさによる劣等感をバネに、英語が他の言語を
    巻き込みながらうねるように広まっていた様子が分かる。

    国際標準語として不動の地位を確立した英語。 メインの言語として話す
    「母語話者」がいない会話でも使われるほど、その影響力は大きい。だが元を
    辿れば、英語にも北ヨーロッパの片田舎で使われる言語に過ぎなかった時代がある。

    オランダやドイツの一部地域で使われる、フリジア語という言語があるそうだ。
    現在の話者は約50万人で、そのほとんどがオランダ語あるいはドイツ語との
    二言語併用者である。 実は、フリジア語と英語それぞれの元になった言語は、
    隣り合う地域で使われる方言同士だった。 英語史を勉強すると、英語と最も
    系統の近い言語としてフリジア語の名が出されるという。

    地理的にも言語的にも事実上同じところから出発したと言っていいような言語が、
    片や世界的な存在に、片や母語話者もほとんどいない状態になっているのは、
    英語史を紐解く上で、非常に興味深い。

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    フランス語は、ラテン語から形成された言語で、大部分の常用語は、撥音的に
    2音節だが、音韻変化の過程で、ラテン語の音頭音節とアクセント音節のみが
    残ったため、こうなったと言われている。 しかし、新しい概念を言い表す
    ことが必要となる場合には、そのつど、ラテン語に適当な語を求め。、語尾だけを
    フランス語風に単純化して、多音節語を作る。 こうした、2音節以下の短い
    常用語と数音節からなる長めの専門用語という語彙の多様性が、フランス語に
    豊かな表現力を与えている。

    また、フランス語は美しい響きを持つ言葉としても有名。 その秘密は、単語
    それ自体が固有のアクセントを持たない点に求められる。 フランス語は通常、
    リズム・グループといって、意味的なまとまりを持った数語(通常5~6音節、
    長くても8音節を超えない)を一息に発音するが、アクセントは、その最後の
    音節に落ちる。 適度な単調さとそれを被るアクセントとの組み合わせが、
    フランス語に落ち着きと絶妙のリズムを与えている。

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    更に、独特の響きを持つ母音の働きがある。 例えば、鼻母音は、母音の後に
    鼻子音nが続く場合には、そのnを発音せずに、代わりに母音の呼気の一部を鼻腔に
    送って発音する。 現在フランス語には[ɑ̃][ɔ̃][ɛ̃][œ̃]の4つの鼻母音がありますが、
    それぞれの母音の鼻腔における共鳴音がnという子音に取って代わった訳で、
    これが深くて柔らかい響きをフランス語に与えている。 また、脱落音の
    eといって、アクセントを受けない位置にある母音はeは、多く無強勢音に弱まり、
    かつ、リズム・グループの中では、消失する。 これもまた、フランス語に
    軽やかな響きを与えることに大きく関わっている。



    【フランス語の今】
    グローバリゼーションの進行する現在、フランスにいやおうなく英語が押し寄せて
    いる。 しかし、英語をフランス語に言い換え、自分達の言葉の純粋性を保とうと
    する努力が官民を問わずに払われている。 ある統計によれば、高級紙
    ル・モンドには、165語に1語の割合でしか外来語が混じっていない。 脱落性の
    eが頻繁に省略されて、耳障りな子音の連続が増えたが、4つの鼻母音の区別が
    あいまって、 [ɑ̃]と[ɔ̃]の中間の鼻母音ひとつで済まされる傾向が現れている。

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    【デンマークによる征服】
    アルフレッド王死後も、王国の統一は破られず、平和が続いた。 だが、11世紀
    初頭に再びデンマークが侵入して来ると、ウェセックスのエセルレッド王は、
    デーン税と呼ばれる税金を徴収し、この金でバイキングを買収し、その襲来を
    防ごうとした。 しかし、これも長続きせず、1013年にデンマーク人が大軍で
    襲って来た。 スウェイン王の下、デンマークのバイキングはエセルレッドの
    領土を征服した。

    スウェイン王が1014年に死んだ後、王国は息子のカヌートが引き継いだ。
    カヌートは、イングランド人にもデンマーク人にも支持されたが、カヌートの
    後継者には人望のあつい者が出ず、また、直径の跡継ぎも残さずに死んだ。

    1042年、ウェウセックスの指導者達は、エセルレッド王の息子であり、
    ノルマンディー(現在のフランス北西部地方)で育てられたエドワードを
    イングランド王に選んだ。 懺悔王のあだ名を持つエドワードは、信仰心があつく、
    治世の大半をロンドンの寺院建設に費やした。 現在のウェストミンスター
    寺院がそれである。

    1066年、エドワード王が跡継ぎを残さずに死ぬと、イングランドの指導者達は、
    義理の弟ハロルドを王位に就けようとしたが、ハロルドは、その難しさを
    知っていた。 故エドワードの遠縁ノルマンディー公ウィリアムなどが王位
    継承を主張していたからだ。 ウィリアムは兵を率いて、イングランド南部に
    上陸、1066年10月14日ヘースティングスの戦いでハロルドを破った。
    ウィリアムは、ノルマン人初のイングランド王となり、ウィリアム征服王と
    呼ばれた。

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    【ノルマン人治下での変化】

    ノルマン人の勝利の後、ノルマン人の貴族、聖職者、役人、職人、商人が
    大挙してイングランドに渡り、ウィリアム征服王は、イングランド人から
    奪った土地を彼らに分け与えた。 ノルマン人は、独特の建築様式を持ち込み、
    新たに建てられた城塞や聖堂に反映された。

    ノルマン人の言語であるフランス語は、裕福で教養のある上流階級の言葉
    となるが、一般の人々は、アングロ・サクソンの言語から発達した初期の
    英語(古英語)を依然として使っていた。 ノルマン征服はまた、
    イングランドの権力構造を激変させた。 土地所有者は、資力がどれほど
    大きくとも、その地位は、王位の下にあり、また、王室を除く全ての人は、
    自分より上の地位にある人に責任を負うことになった。

    paradigm

    ウィリアムとその後継者達は、この封建制と呼ばれる制度を1世紀掛けて強化して
    行く。 内乱や、不満を募らせたノルマン人、イングランド人貴族の小さ反乱は
    あったが、封建制は続き、1154年までにノルマンの政治形態が確立された。

    この年、ウィリアムの曾孫アンジュー(ノルマンディーの南)のヘンリーが
    イングランド王となり、フランスのアンジュー、アキテーヌ、ノルマンディーの
    地に加え、イングランドも所領として支配することになった。

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    ベルギーの人口は、1,000万人を超え、ヨーロッパで最も人口密度の高い国の
    ひとつとなっている。 人口は、都市や郊外に集中し、1平方km辺りの人口密度は、
    ブリュセルとアントウェルペンで1158.3人、アルデンヌの田園地域は50.2人以下
    である。

    出生率も地域圏によって、大きな差がある。 フラマン地域圏の人口増加率は
    高く、圏外に移住する者は、極めて少ない。 これに対して、ワロン地域圏では、
    人口増加率はマイナスであり、地元生まれの親から生まれる幼児の数は、減少
    している。 しかし、この地域圏に流入する外国人が多く、相対的な人口は安定
    している。

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    【民族グループと社会構造】

    フラマンとワロンは、この国の人種と言語の区分の核心である。 フラマン
    地域圏は、西部と北部で、西フラマン、東フラマン、アントウェルペン、
    リンブルフの4州と、ブラバンド州の北部である。 ワロン地域圏は、
    ブラバンド州の南部の他、エイノー、ナミュール、リエージュ、
    リュクサンブールの4州を含む。

    両地域圏の人種的背景は、殆ど同じで、どちらも、ケルト民族のベルガエ人と、
    ゲルマン民族のフランク人の子孫である。 フラマン地域圏では、ゲルマンと
    ケルトの両文化が混合し、ゲルマン系の言語であるオランダ語が使われるように
    なった。 ワロン地域圏では、ケルト文化的特徴が比較的強く、フランス語が
    使われて来た。

    人々の約56%は、オランダ語だけを、32%がフランス語だけを話す。 両方を話す
    市民は、11%だけとなっている。 ドイツ語を母国語とする人は1%未満で、ドイツ
    との国境のリエージュ州東部に住んでいる。 どちらの地域圏でも、社会は複数の
    自立的な『柱』に分かれ、この『柱』が生活の殆どの分野の基本となる。 『柱』の
    それぞれに、独自の政党、労働組合、新聞、学校等の社会組織がある。 人々は、
    この『柱』のシステムを通して職業を見つけ、医療を受け、事業を営む。

    宗教や政治上の意見の似ている人々は、普通、同じ『柱』に属する。 ひとつの
    『柱』から別の『柱』に心を移すのは、単に、別の政党に籍を移す以上の大きな
    意味を持つ。

    この『柱』は、3つ存在し、その内訳は、カトリック、リベラル、社会主義と
    なっている。 カトリックの『柱』は、社会を横断していて、上流、中流、
    労働者の3つの階級を結び付けている。 この『柱』の中には、フランス語を
    話す人々の政党と、オランダ語を話す人々の政党が、それぞれひとつづつあって、
    両方の言語グループの利益を擁護する。

    リベラルの『柱』は、主として、中流階級の職業人が所属し、社会主義の『柱』は、
    労働者が権力を握っている。 リベラルと社会主義のどちらの『柱』にも、
    それぞれの政党内にオランダ語ブループとフランス語グループが存在する。 

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    【教育】
    言語の違いは、教育制度にも及んでいる。 教育に使われる言語は、フラマン
    地域圏では、オランダ語、ワロン地域圏では、フランス語である。 殆どの
    国民は、2つの民族言語のどちらかひとつを読み書き出来る。

    児童は、満16歳まで学校に通う。 政府は、公立、私立どちらの学校にも資金を
    支出し、教育は無料で行われる。 児童の57%は、私立学校に通い、私立学校の
    大部分は、宗教ブループが経営している。 初頭高等学校教育のための学校は、
    一般、技術、芸術、職業の各科目について教育を行う。

    大学は6つあり、職業教育の高等専門学校がいくつもある。 大学で最も古いのは、
    ルーヴァンのカトリックの大学で、1425年に創立された。 ここの図書館は、
    世界的に有名で、6世紀から16世紀におよぶ中世の資料を保管している。 元は、
    2つの民族語を併用していたが、1970年にオランダ語とフランス語に分割された。

    ブリュッセル自由大学は、1834年に創立され、宗教的な制約は全くないが、
    フランス語で教育が行われている。 その他の大学は何れも、19世紀以降に開設
    されたもので、ゲントにある国立大学は、1917年創立で、オランダ語で講座が
    開かれている。 リエージュとモンスにある大学では、フランス語で講座が
    行われている。

    【お勧めの一冊】


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    ヨーロッパで話されているフランス語の発音や語彙に慣れていると、ケベックで
    耳にするフランス語には少し違和感を感じるかも知れない。 また、もしかすると、
    その逆もあるかも知れない。 もちろん、どの国や地域で話されようと、
    フランス語はフランス語なのだが、ケベックの場合、イギリス領のおよそ
    百数十年間、様々なレベルでフランスとの公的交流を絶っていたという事実がある。
    そのため、言語としての独自性が強いのである。

    ケベックのフランス語の特徴は、主に発音と語彙に端的に現れている。 発音の
    一例を挙げると、フランス語の母音I(イ)とU(ユ)の前にTやDが来る、TI(ティ)
    TU(テュ)DI(ディ)DU(デュ)と発音されるが、ケベックでは、多くの場合、
    TIはツィ、TUはツュ、DIはズィ、DUはズュと発音される。

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    さて、ケベックで話されているフランス語は、次の3つのレベルに分類される。

    ①標準的フランス語
    これは、表現や選択がヨーロッパの、主としてフランスで話されている
    フランス語に近い。 テレビやラジオのアナウンサーやレポータが話すフランス語が
    これにあたる。 また、知識人もこのフランス語を話すことが多い。

    ②ジュアル(Joual)
    ジュアルを厳密つに定義することは、大変困難である。 一般的に、ジュアル
    とは、後述の大衆フランス語に含まれるものである。 ジュアルという言葉は、
    フランス語で馬を表すシュヴァール(Cheval)という単語をケベックの人が
    発音すると、ジュアルと聞こえるというところから来ている。 この由来からも
    分かるように、ジュアルは話し言葉を表すことが多く、同時に少し自虐的な
    ニュアンスさえ含むのである。 ジュアルは、都市圏の若者や労働者の間で多く
    話されるスラングの一種であり、意味不明なフランス語の使用や音節の省略等が
    その特徴としてあげられる。

    そして、ジュアルは、言語のレベルを超えてイデオロギー的な側面を持ち、むしろ、
    この点の方が社会に大きな影響を与えて来たと言える。 1960年代に入ると、
    ケベックの青年文学者ブループ『パルティ・プリ』と呼ばれる文学集団を作る。
    イギリスの支配下に置かれて以降、ケベクックは政治、経済等多くの領域で
    イギリス系他州に常に遅れをとり、同州内にあっては、数的にマジョリティとは
    言え、現実的には、支配的なイギリス系との間で社会格差が生じ、苦悩していた。

    こうして、進むべき未来をまだ描くことが出来ずにいるケベックの閉塞的な状況を、
    彼らはケベックのフランス語が伝統的に持っている牧歌的て、美しい表現や語彙を
    全て排除し、ジュアルを多用して行った。 それはいわば、『言語の劣化』だった。

    ③大衆フランス語
    前述の標準フランス語が規範文法を重んじているのに対して、ケベックの人々が
    日常生活の中で普通に話しているフランス語が大衆フランス語である。 大衆
    フランス語は、ケベックの社会の現実に即して、言語のあらゆる可能性を排除する
    ことなく用いられる。 そのため、ケベックに固有なフランス語表現等がこの中に
    入って来る。 また、極めて特徴的なことは、英語からの直接的な『借用』や、
    『読み換え』等が大変多く見られるという点である。 この事実は、ケベックが
    置かれている地理的、社会的状況を踏まえれば、むしろ当然なことかも知れない。



    【今後のケベック・フランス語】
    フランス語に関する認識は、変わりつつある。 以前は、フランスで話されている
    フランス語が唯一基準となるフランス語であるとする考え方が主流であった。
    しかし、今や、フランス語圏の文化的、社会的多様性がフランス語をより一層
    豊かで、強固なものにしているという捉え方に移行しつつある。 つまり、国際
    フランス語という考え方である。 この国際フランス語という枠組みの中で重要な
    役割を果たしているのが、まさにケベックである。  ケベック州政府は、ケベック
    特有のフランス語をラルース等のフランス語辞書の語彙に加えるようにフランス語
    圏の国際委員会に働き掛け、それと同時に、新語の開発でもフランス語圏の主導的
    役割を果たしている。

    例えば、ソフトウェアを現すLogicielという語彙がある。 これは、現在は、
    フランスを始め、フランス語圏では当たり前のように用いられているIT用語である。
    この用語は、実は、ケベックで作られたものである。 ケベックでは、
    フランス語は、単なるコミュニケーションツールを超えるものと深く理解
    されている。 ケベックは、これからも独自のフランス語の歴史を作り上げ、
    そして、世界のフランス語圏の中でますます
    重要な地位を占めて行くと
    思われる。

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    ベルギーは、フランスとドイツに挟まれており、国として成立したのは、
    1830年である。 国名は、古代にここに定住したケルト人の一派
    『ベルガエ人』に因んでいる。 この地域は、西暦前50年頃以降、ローマ、
    フランク、スペイン、オーストリア、フランス、オランダ等の勢力に次々と
    制服された。 2度に渡る大戦の際には、ドイツの攻撃を受け、占領された。

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    この国には、フラマンとワロンという2つの大きな地域圏がある。 2つの
    地域の大きな違いは、言語である。 フラマン地域圏は、北部と西部にあり、
    ここに住んでいるのは、オランダ語(フラマン語)を使用している。
    そのうちの多くは、フランス語も知っている。 ワロン地域圏は南部にあり、
    ここの人々は、日常生活にフランス語を使用しているが、オランダ語も
    話せる人もいる。 また、ワロン地域圏の中には、ドイツ語を使用している
    グループもある。 外国に支配されていた時期が長かったにも関わらず、
    それぞれの地域圏に住む人々は、自らの歴史と文化に強い誇りを持ち
    続けている。

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    人々は、信仰と生活の上でカトリック教会と固く結びつき、教会は、
    いくつもの政党に強い影響力を持っている。 カトリック教徒ではない
    人々は、非宗教的な政党に所属している場合が多い。 これらの内部事情
    にも関わらず、近代と現代のベルギーは、ヨーロッパの経済的統合を目指す
    上で指導的な役割を果たして来た。 EU(欧州連合)の政策決定の本部は、
    ベルギーの首都に置かれている。 ベルギーは、EU加盟国として大きな
    市場に販路を持ち、また、EUに投下される財源から一定の助成を受けて
    いる。 これらの利点によって、ベルギー国民は高い水準に達することが
    出来た。

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    フランス語


    難易度★★☆☆☆

    【母語話者数 7,200万人 / 総話者数 2億2000万人】
    国連公用語でもあるフランス語は、ベルギー、カナダをはじめ、世界29カ国で
    公用語となっている言語。 イギリスとの長きに渡る対立の歴史により、
    フランス人は英語を余り話したがらないが、英語とは、単語的にも文法的にも
    類似点が非常に多いため、英語からはかなり入りやすい。 但し、発音が難しい
    ため、非常に取っ付きづらいイメージがあるが、綴りは、英語より規則が多い
    ため、最初は面食らうものの、基本的に書いてある通りに発音するため、
    慣れれば、むしろ英語よりも簡単。 男性名詞と女性名詞の区別がある。

    ドイツ語


    難易度★★★☆☆

    【母語話者数 1億3,000万人】
    英語と同じ西ゲルマン語に属している言語。 但し、英語やフランス語とは異なり、
    複雑な格変化や格支配を覚えなければならないため、日本で習える外国語の中では、
    比較的難しい部類に入る。 英語と似ているため、ドイツ語を学ぶと、英語学習の
    効率が飛躍的に向上します。 恐らく、世界で最も合理的な言語であるため、
    不規則変化はあっても、例外はひとつたりともないという、ドイツ国民をそのまま
    言語にしたような言葉。 よって、発音、文法全てにおいて、説明可能な分かり
    やすい言語となっている。 男性名詞、中性名詞、女性名詞の区別がある。
     
    ロシア語


    難易度★★★★★★
     
    【母語話者数 1億8000万人 / 総話者数 2億7,000万人】
    国連公用語のひとつとなっているロシア語は、世界でも難解な言語のひとつ。
    あり得ないぐらいの格変化、格支配、多数の例外変化、動詞の体、名詞の性、非常に
    難しい発音と、どれを取っても、簡単な要素がひとつたりともない。 音素的には、
    フランス語の二倍程度の音域を使用しているため、聞き取りも非常に難しい。

    旧ソ連邦諸国全てで通じる言語であるため、中央アジアに行く際には、必須の言語と
    なっているが、日本で習える場所がかなり少ないため、希少言語となっており、
    日本でロシア語をまともに喋れる人材自体が、非常に稀となっている。 男性名詞、
    中性名詞、女性名詞の区別がある。

    タイ語


    難易度★★★☆☆

    【母語話者数 4,600万人】
    欧州言語とは異なり、冠詞等が無く、文法が非常に単純であるため、非常に
    とっつきやすい一方で、声調、発音に苦労させられるため、独学では、ほぼ
    不可能と言われる言語。 中国語を知っていると、声調が似ているため、多少
    学びやすいかも知れない。 経済発展著しい東南アジアの新興国であるため、
    日系企業の工場が多く、その割には、タイ語を話せる人材が少ないため、今後も
    需要も見込まれている。 

    スウェーデン語


    難易度★★☆☆☆

    【母語話者数930万人】
    北ゲルマン語に属している北欧の言語(デンマーク語、ノルウェー語、アイスランド
    語)は、フィンランド語を除いて、全て非常に似ており、ドイツ語や英語との
    共通点も多い。 スウェーデンの他、フィンランドでも公用語となっている。
    ノルウェー語だけは、名詞の性が3つ残ってるため、若干難しいが、文法的には、
    北欧全言語ほぼ共通となっている。

    強弱高低アクセントであるため、スウェーデン語は、北欧語の中でも、かなり
    特徴的なイントネーションとなっている。  概ね、英語とドイツ語の中間言語と
    考えて間違いない。 両性名詞、中性名詞の区別がある。

    オランダ語


    難易度★★☆☆☆

    【母語話者数2100万人】
    オランダの他にも、アルバ、ベルギー、オランダ、オランダ領アンティル、
    スリナムで公用語となっている言語で、いわゆる、標準語がない。 日本で最も
    古くから使われている外国語のひとつだが、現在の人気は今一つで、東京都内でも、
    オランダ語を学べる場所は、極めて少ない。 日本が長らく鎖国をしていた時代に、
    唯一使われていた言語であるにも関わらず、これ程人気がない言語も珍しい。

    英語とドイツ語の完全中間言語となっており、必ず、どちらかに似ているため、
    英語とドイツ語を理解していると、概ね理解出来る言語。 英語、ドイツ語と
    同じく、西ゲルマン語に属しており、オランダ語を学ぶと、ドイツ語が、どの
    ような過程を踏んで英語へと変化したかが分かる。 通性名詞、中性名詞の
    区別がある。

    トルコ語 

     
    難易度★★☆☆☆
     
    【母語話者数 6000万人】
     
    VISTAの一角を担い、経済発展著しいトルコ語は、日本語にも文法上での共通点が
    多く、日本人には非常に学びやすい言語のひとつ。 母音調和の概念などが共通
    である中央アジアのカザフ語やウズベク語、ウイグル語などは、チュルク諸語と
    呼ばれ、トルコ語の方言とみなされることもある。 トルコ国内の人口増加は
    著しく、最近になって日系企業も多く進出しはじめたため、ビジネスでの需要が
    今後拡大して行くかも知れない。 

    タガログ語



    難易度★★☆☆☆

    【母語話者数2,500万人】
    フィリピンには、およそ、170の言語が存在すると言われており、経済の中心で
    ある首都マニラ付近で使われいるのが、タガログ語。 フィリピン語とも呼ばれて
    いる。 フィリピンでは、かなり英語が通じるが、訛りがキツく、理解しづらい。
    英語とタガログ語は、語順が非常に似ており、タガログ語話者には、英語は非常に
    とっつきやすいため、アジアの中でも英語が喋れる人の割合が、非常に高くなって
    いる。 インドネシア語やマレー語とは、文法的には異なるものの、共通語彙が
    多い。 日本では、司法通訳の需要が高い。 

    インドネシア語


    難易度★☆☆☆☆

    【母語話者数2,300万人】
    インドネシア語は、母音が少なく、時制までないため、日本人にとっては、非常に
    学習しやすい言語と言われている。 一説によると、世界で最も簡単な言事も
    言われている。 日本企業の進出が盛んな地域であるため、今後のビジネス需要が
    期待されている。 インドネシアでは、元々、ジャワ語が広く使われていたが、
    マレー語を基に、人工的に造られたのが、インドネシア語。 よって、マレー語
    とは、ほぼ同一言語。

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    現在のカナダ東部海岸を最初に探検したのは、1497年、イギリス国王ヘンリー7世の
    命を受け、ニューファンドランドやケープ・ブレトン島周辺を探索した、ジェノバ生まれの
    航海士、Jカボットである。 カボットの探検隊は、後に同地域がイギリス領となることの
    発端となった。

    フランスは、イギリスの動きに少し遅れて、1524年、フランス国王のフランソワ1世の
    命を受け、フロリダからニューファンドランドまでを航海し、その『新大陸』を『ノヴァ・ガリア』
    と名付けた。 1534年には、ジャック・カルティエが、ニューファンドランドからセント
    ローレンス湾の沿岸、リシュリュー湾周辺を探検している。 カルティエは、現ケベック州の
    ガスペ半島の先端である、ガスペ岬に上陸し、この地に『フランス国王万歳』と彫り込んだ
    十字架を建て、同地をフランス領とする事を宣言している。 これを持って、『ヌーヴェル・
    フランス』の歴史の始まりとされている。 その後、サムエル・ド・シャンプランがケベックを
    創設し、以降、この地が北米におけるフランスの植民地活動の拠点となって行く。

    【ヌーベル・フランスの領土】(青い部分全て)

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    現在、『ケベック問題』と呼ばれるカナダの最大の政治的課題は、17世紀から18世紀
    中期に掛けてのカナダ東部沿岸地域における英仏の覇権争いに端を発していると
    言える。 英仏の衝突は、ケベックの陥落(1759年)、そして、1763年のパリ条約
    (1763年)によって、一応の決着を見せ、『ヌーベル・フランス』は、スペインとイギリスに
    移譲された。 その後、カナダでは、イギリスの覇権が確率されたが、ケベック州の
    人口の約8割を占めるフランス語系住民達のナショナリズムは、その後のカナダ政府の
    文化政策、移民の動向、エスニック集団の扱いに大きな影響を与えて来た。

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    カナダの総人口のうち、民族的には、イギリス系が最も多数となっているが、一口に
    イギリス系と言っても、その内訳は複雑で、カナダへの移民は、アイルランド人、
    スコットランド人、ウェールズ人の順となっている。 イギリス系カナダ人がケベック
    以外のカナダで安定した覇権を確立して行った分岐点のひとつは、アメリカ合衆国
    からの執拗な攻撃を食い止めた1812年戦争からであると言える。 アメリカ軍は、
    アメリカに親近感を持つものの多い、『ウェスト・カナダ』(現在のオンタリオ州)をまず
    攻撃した。

    しかし、イギリス軍は、有能な司令官アイザック・ブロックの巧みな作戦と、イギリス側に
    付いた先住民の協力によって持ち堪え、いくつかの曲折を経て、1817年のラッシュ・
    バゴット協定と1818年の協定によって、英領北アメリカ(現在のカナダ)とアメリカの
    間の国境確定が、ロッキー山脈の東側の麓までで、ほぼ確定されている。 この1812年
    戦争では、フランス系カナダ人は、革命的で脱宗教的なフランス共和国とヨーロッパで
    戦うイギリス人に好感を持ち、イギリス軍と共にアメリカ軍と戦っている。

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    1812年戦争までは、アメリカ13植民地からの英語系の移民が多かったが、その後は、
    第二次イギリス系の波がカナダへと押し寄せた。 1815年から1850年までの
    35年間の間に80万人近いイギリス系移民がやって来た。 彼らは、イギリスが
    フランスを破った、ワーテルローの戦いの後に職を失ったイギリス軍の将校たち、
    アイルランドの職人や貧民、スコットランドの職人や小作人、イングランドの工場労働者
    たちであった。

    1815年から38年の間にイギリスから新しく到着した人々の多くは、スコットランド人で、
    それでの王党派が多かったノバスコシア、プリンス・エドワード島、ニュー・ブラウンズ
    ウィックや、セントローレンス湾岸に定着して行った。

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    カナダは、英語とフランス語の2言語を公用語とするバイリンガル国家であり、
    『1982年憲法』では、両言語を以下のように規定している。

    『英語、及び、フランス語は、カナダの公用語であり、連邦議会、及び、連邦政府の
    全ての機関における使用言語として、対等な地位と権利が認められる』(憲法第16条
    第1項)

    但し、これは、国民に両言語の習得を義務付けている訳ではなく、連邦政府の全ての
    公的機関において、この両言語が対等に扱われているため、どちらかの言語を話す
    事が出来れば、国のサービスを受けられる事を意味している。

    【カナダ国歌】 バイリンガルバージョン


    アメリカでは、英語を強要されるが、カナダの場合は、基本的に、この両言語によって、
    公的機関でのコミュニケーションが図られる事となっているが、実際は、多民族の
    移民国家らしく、窓口には、多数の移民を取り揃えているため、その他の言語でも
    一律にサービスを受ける事が出来る。

    カナダ人の約85%(2,686万人)は英語を話し、約31%(979万人)がフランス語を話す
    ため、バイリンガルを含めて合計すると、100%を超えることとなる。 但し、カナダでは、
    言語的な地域格差が大きいため、皆一様に両言語を自由に操れる訳ではない。
    小学校等の義務教育では、お互いの言語を学ぶことが義務付けられてはいるものの、
    両言語のバイリンガルは、概ね、両言語の言語的な境界線上にある首都のオタワ~
    ケベック州周辺に限られる。 首都であるオタワは、元々、ビクトリア女王が、両言語
    話者達の融和を願って、わざわざ言語境界線上に新たに建設したバイリンガル都市。

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    カナダ最大の都市である、トロントがあるオンタリオ州では、約85.9%が英語を話すが、
    残りの約14%が全てフランス語話者という訳ではない。 トロントにおける
    英仏バイリンガルの比率は、約11.4%となっており、決して高くはない。 逆に、フランス語
    だけが公用語となっている、カナダ第二の都市であるモントリオールを有するケベック州
    では、約53.9%が、フランス語を話すが、全ての方向を英語話者らによって囲まれて
    いるため、約4割がバイリンガルとなっており、バイリンガル率がカナダの中で最も高い。

    ケベック州は、カナダ連邦の中でも唯一、フランス語のみを公用語としているが、その
    面積は、カナダの約4分の1を占めており、英語話者に対しても、かなり敵対意識が高い。



    この他にも、カナダは、多民族国家、移民国家であるため、公用語以外の言語が
    日常的に使用されている。 例えば、家庭言語として、英語、フランス語に次いで最も
    多く話されているのは、約2.6%=76万人の話者を抱えている、中国語(広東語)である。
    その次に、インドやパクスタンで話されている、パンジャビ語が、約0.8%=約27万人を
    占めている。

    更に、カナダの多様化に拍車を掛けているのが、アラビア語話者の急激な増加で、
    約0.5%の14万4,000人となっている。 この他にも、近年は、アジアからの移民が
    増加しており、カナダでは、言語の多様化が進んでいる。 世界一の移民都市である
    トロントでは、地下鉄やバスに乗っていても、見渡す限り移民ばかりが乗っているため、
    通常、英語などでは喋っていない事の方が圧倒的に多いのだが、例え英語や
    フランス語で話していなくとも、お互いに理解する努力さえ惜しまなければ、世界中
    どこに行っても、誰とでも仲良くなれるため、カナダでは、積極性が非常に重要となる。

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    EUが、ウクライナを仲間に入れない理由は、分かりやすくひとことで言って
    しまうと、東欧が嫌いだからなのだが、その事は、EU内でロシア語で実際で
    喋ってみると、かなり体感出来る。 更に、ドイツ語、フランス語が理解
    出来ていると、あからさまに周囲から、悪口を言われているのも分かる。

    assosiation_468

    EU、特に、ドイツ、フランスにとっては、ロシアもウクライナも旧ユーゴも
    似たり寄ったり。ブルガリアとルーマニアをEUに入れてしまった事を後悔して
    いるのが、EU、特に、ドイツです。 ドイツは、ブルガリアとルーマニアからの
    労働者の移動を7年間規制
    していたものの、最近、それが解除されてしまったため、
    現在、ブルガリアとルーマニアに居住していた、ジプシーこと、『ロマ』が、
    列挙して、『EU市民』として、ドイツ、フランス等に押し寄せている。

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    EUは、第二のブルガリア、ルーマニアを恐れているだけではなく、それ以上の
    劣悪な環境の国をEUには入れたがらない。 EUの中でも、1人勝ちと言われて
    いるドイツは、これ以上の余計な重荷を背負いたくはないため、むしろ、
    ドイツが、EUから脱退する可能性もある。

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