モントリオールからセントローレンス川を230キロほど下ると、ケベック州の
州都であるケベック市がある。 ケベックというのは、先住民の言葉で
『川が狭まる所』という意味で、丘から見下ろすと、確かに、ここは川幅が
狭まっているのが分かる。 ケベック市の下流は殆ど海のようであり、狭く
なっていると言っても、上流も大型船舶が航行出来るだけの十分な広さがある。

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ケベック市は、人口規模では、モントリオールの3分の1にも満たず、(2006年
調査では49万人)、周辺部を入れても71万人程度で、州人口の1割にも満たない。
しかし、ここから北米に『フランス的事実』が広がって行ったのである。 また、
ここは、1759年にフランス軍がイギリス軍に敗北した場所でもある。 更に、
この街で1864年にカナダ連邦形成に連なる『ケベック決議』が採択された。
その意味で、ケベック市というのは、歴史の重みがあり、単なる州都を超える
特別な地位を占めている。

ケベック市の基は、1608年、サミュエル・ド・シャンプランによって築かれた。
2008年には、ちょうど400週年にあたり、それを記念して盛大な記念式典が
開かれた。 この街は、イギリス領となるまでは、北米におけるフランス
植民地の中心地であった。 そして、19世紀中頃までには、ニューヨーク、
ニューオリンズに次ぐ北米第三の港として隆盛を誇るようになった。

輸出品の4分の3は、木材で、そこでは、イギリス系商人のために、多数の
フランス系カナダ人やアイルランド系住民が働いていた。 しかし、1860年頃に
なると、木材特恵関税の廃止等、いくつもの要因が重なって、木材取引は衰退し、
ケベック市の経済力も衰えて行った。

それに伴い、イギリス系やアイルランド系は、主として、モントリオールに移って
行った。 だが、20世紀初頭には、産業化が進み、カナダでも有数の工業都市に
なった。 経済の中心は、工業からサービス、金融、観光等へ移り、今日に
至っている。 官公庁に携わる仕事も多い。 現在はカナダ7位の経済規模の
都市となっている。

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北米で唯一城壁に囲まれた都市ケベック市。 この街は、ユネスコにより、
1985年に北米初の世界遺産に選ばれた。 城壁の内側には旧市街が、外側には、
近代的な市街が広がる。 旧市街は、ダルム広場、その前にそびえ立つシャトー・
フロントナック、ノートルダム大聖堂をはじめとした教会、そして、プチ・
シャンプラン通り等。 恐らく、この辺りは、北米でも最もヨーロッパ的な地区
であろう。

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