スラブ人は、6世紀に中央アジアから来たアヴァール人の侵入で大損害を受けた。
アヴァール人は、ボヘミア一帯も支配していた。 7世紀はじめに現れたドイツ人の
商人サモが、チェコ人と結んでアヴァール人を破り、ボヘミア地帯にサモ王国を
つくったのが、はじめてのチェコ人の国である。 しかし、その後100年以上に
渡ってチェコ人は、アヴァール人、ポーランド人、フランク人なとど地域の
支配権を争った。 尚、サモ王国は、7世紀に出現した歴史的に実証し うる最初の
スラブ人国家となっている。

samo

チェコ人にとって西にあるフランクは強い国で、805年になると、ボヘミアと
モラヴィアは外敵からの防衛を条件に、フランクの支配者カール大帝
(シャルルマーニュ)に貢納するようになり、フランク王国防衛の最前線地方に
なった。 優れた武将であったカール大帝は、アヴァール人を破り、ヨーロッパの
北部と西部をフランクに編入した。 ローマ教会と繋がりが強いフランクは、
スラブ人を力ずくでキリスト教に改宗した。

814年のカール大帝の死後、フランク王国は分割された。 孫のルードヴィッヒは
東フランクの統治者になり、現在のドイツの地域に相当する複数の有力な公国を
与えられ、頻繁にチェコ人の領土やボヘミアとモラヴィアの間題に介入した。

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