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    タグ:ヒットラー

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    1939年9月1日、ドイツ軍は、ポーランドへの大規模な侵攻を開始し、同時に
    ソビエト軍も東から攻撃を始めた。 2日後には、、イギリスとフランスは、
    ドイツに宣戦を布告したが、ドイツ軍どソビエト軍は、ポーランド国土を蹂躙し、
    国土を再び分割した。 ポーランドの指導者たちは、イギリスに逃れて亡命政府を
    つくった。

    ドイツ軍の爆撃と戦闘によって、グダニスク、ワルシャワ、その他の工業都市は
    破壊された。 ナチスはポーランド国内に、アウシュヴィッツ
    (オシヴィエンツィム)など、いくつもの強制収容所をつくり、何百万人もの
    ユダヤ人や政治的因人を虐殺した。 戦争中に殺されたポーランド系のユダヤ人は、
    300万人以上に上っている。

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    1941年、ヒットラーがソビエトと戦争を始めると、ドイツ軍はポーランド全土を
    占領した。 しかし、1944年には、ソビエト軍は間もなくポーランド全土を
    占領し、更に進んでドイツの首都ベルリンを陥落させた結果、ナチス政府は、
    1945年5月についに降伏した。

    戦争中、アメリカとイギリス両国は、ポーランド臨時政府の閣僚たちをポーランドの
    公的指導者として承認した。 しかし、戦争が終わると、ポーランド共産党の
    支配する人民解放委員会は、臨時政府の帰国に反対した。 共産党員たちは、
    ポーランドを占領していたソビエト軍の支援を受けて、政府の重要なポストを
    独占した。 臨時政府の閣僚たちは、祖国に帰れなくなった。

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    ソビエト連邦崩壊を前にした1991年8月、ソビエトからの独立を果たした
    ラトビア、エストニア、リトアニアのバルト海に面する三国は、ドイツの
    ヒトラーとソビエトのスターリンの間で結ばれた独ソ不可侵条約(1939年)に
    よって、ドイツとソビエトに占拠され、後にソビエトに併合された。

    その後、1985年からのミハイル・ゴルバチョフによるペレストロイカ(政治
    改革運動)の中では、この占領は、『ソビエトの利益に反するスターリン個人の
    決定だ』として明確に非難されていた。

    2005年5月9日、ロシアのヴラジーミル・プーチン大統領は、対独ソ戦勝記念日に
    当たるこの日、更に踏み込んだ発言をした。 旧ソ連によるバルト三国占拠は、
    悲劇であると認めたのだ。 プーチン氏は、『実際、バルト三国は、壮大な
    世界政治における取引材料に過ぎなかった。 これらの国にとっては正に悲劇
    だった点は、ハッキリさせねばならない』と明言。 占領と言う言葉こそ使わな
    かったが、初めてその間違いを認めたのだ。

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    【それぞれ異なる三国の特徴】
    バルト三国と一口に言っても、ラトビア、エストニア、リトアニアでは、その
    成り立ちも国民の気質も大いに異なる。 バルト海に面する共和制国家である
    ラトビアは、13世紀には、ドイツ騎士団、17世紀には、ポーランド、18世紀には
    ロシア帝国からの支配を受けるなど、受難の歴史を繰り返して来た。 民族的には、
    ヨーロッパ系で、言語は、ギリシャ語、ラテン語、英語、ロシア語などが含まれる
    印欧語族の一派のバルト語派となっている。

    エストニアには、13世紀にはデンマーク、16世紀にはスウェーデン、そして18世紀
    にはロシア帝国に支配される。 民族は、フィンランドと同じアジア系で、言語も
    フィンランド語に近い。

    リトアニアは、14世紀にはポーランド・リトアニア連合王国を形成し、16世紀に
    なってポーランド・リトアニア共和国が成立した。 しかし、18世紀後半に
    ポーランドの分割によって、ロシア帝国に併合され、1918年なってようやく独立
    した。 言語は、ラトビアと同じ印欧語族の一派のバルト語派。

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    【三国に共通するロシア人問題】
    ソビエトの崩壊で、三国はほぼ半世紀ぶりに独立を果たしたが、共通するものは、
    ロシアに対する反感とロシア人の処遇問題となっている。

    ラトビアの場合、ラトビア人が60%を占めるが、ロシア人も28%と三国の中では
    一番多い。 そのせいか、公用語はラトビア語とされてはいても、ロシア語系住民
    (ロシア人、ベラルーシ人など)が多いことから、ロシア語使用の頻度が高い。

    ラトビア人の70%がロシア語を、ロシア人も半数以上がラトビア語を話すことが
    出来る。 また、映画館やテレビ放送では2つの言語での字幕が並んでいたり、
    新聞や雑誌ではラトビア語版とロシア語版があったりするものの、ロシア語版の
    方が種類、量とも豊富である。 独立した今も、かつての占領国のロシア語が
    大いに幅を利かせている事実から、ロシアを脅威と感じるラトビア人は多い。
    1990年に独立した際に、ラトビア政府は、ロシア系住民の国籍取得に対して、
    厳しい条件を付けた。 それは、ソビエト時代にラトビア井に移民して来た
    ロシア人や、ラトビアで生まれた人の子孫には与えなかったことだ。

    仕方なく彼らは、旧ソビエトが発給した旅券をそのまま使用していたが、1997年
    には、ラトビア政府発給のエイリアンパスポート(無国政旅券)への切り替えが
    義務付けられ、無国籍者と定義されるようになった。 ラトビア移民帰化局に
    よると、約230万人のラトビア人口のうち、ラトビア国籍者は、約180万人、
    外国籍が3~4万人、そして、残りの45~50万人は無国籍者となっている。

    エストニアでもロシア人の国籍取得には、エストニア語試験などの条件を付けて
    いるが、リトアニアでは、人口の80%以上がリトアニア人で、ロシア人は6%と
    少数派であるところから、ロシアとの関係は、他の2国に比べると、良好だと
    されている。

    独立後のロシア人処遇問題は、人権に関わるとして、当のロシアやヨーロッパからの
    指摘が絶えない一方、三国に共通する悩みは、ロシア人マフィアの存在だ。 麻薬や
    密輸品の売買、人身売買や売春などに暗躍するマフィアは、地元の下請け組織の
    協力もあって、その犯罪件数は、うなぎ登りとなっている。 ヨーロッパとロシアの
    間に位置するバルト三国は、犯罪の中継地点という、ありがたくない名前をいかに
    して返上するかが、これからの課題となっている。

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