貴族のグスタフ・エリクソン・バーサは、『ストックホルムの大虐殺』を免れ、
軍隊を組織し、クリスチャン2世をスウェーデンから追い出した。 これにより、
カルマン同盟は崩壊した。 1523年6月6日、グスタフは、スウェーデン国王に
選出された。 スウェーデンでは、この日を建国記念日として、今も祝っている。

グスタフは、君主制を強化し、軍隊も変えた。 それまでの軍隊はたいてい、
戦争が起きると招集され、戦いが終われば家に帰された。 しかし、グスタフの
軍隊は、戦争があろうとなかろうと、常に集団をなしていた。 ヨーロッパの
キリスト教がカトリックとプロテスタントに分裂した時、グスタフはルター派
というプロテスタントの一派を選んだ。 カトリック教会の財産と土地支配権は、
国のものとなった。

Gustav

それまで、スウェーデン国王は、貴族から選出されていた。 1544年、議会で
法律が変えられ、国王の子孫が王位を継ぐことになり、グスタフの一族による
バーサ王朝が1818年まで続いていた。 1600年代には、グスタフ2世アドルフを
はじめとする王たちが、バルト海周辺の土地を征服し、スウェーデンをヨーロッパ
屈指の強国にした。 しかし、1709年、スウェーデンは、ロシアに敗れた。
その10年後、国王の権限の多くが議会に移された。

1700年代、ヨーロッパの思想家たちは、人間は理性を用いることによって、知識と
自由を探求するべきだと主張した。 この啓蒙思想と呼ばれる考え方を持つ人達の
中には、植物学者のリンネウスや物理学者のアンデルス・セルシウス等の
スウェーデン人もいた。 国王グスタフ3世は、芸術の黄金時代を支えた。 グスタフ
3世は、議会から権力を奪い返したが、敵も多く、1792年に舞踏会で暗殺された。

1805年、国王グスタフ4世は、フランスに対抗するヨーロッパ諸国の同盟に
加わった。 当時、フランスを率いていたのは、ナポレオンと同盟を結んだ
ロシア軍が、13世紀からスウェーデンの領土になっていたフィンランドの大部分を
占領した。 この敗北の後、グスタフ4世は、王位を退くことを余儀なくされた。

新国王カール13世には子供がいなかった。 スウェーデン議会は、フランス軍人
ジャン=バティスト・ベルナドットを皇太子に選出した。 彼の率いるスウェーデン
軍とその同盟軍は、1813年にナポレオンを破った。 和平調停の中でノルウェーは、
スウェーデンの支配下に置かれることになり、スウェーデンとノルウェーの同君
連合が1905年まで続いた。 ベルナッドは1818年、カール14世として即位した。

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