スロバキアには、大都市がなく、ヨーロッパでも最も、地方を主体とした国である。
人口537万人の57%が都市に住んでいる。 これは、ほかのヨーロッパ諸国に比べて
低い割合だが、主に戦後の工業化の結果、都市部の人口は、着実に増え続けている。

スロバキアの首都であるブラチスラヴァ(人口約45万人)は、ドナウ川に面し、
オーストリアとハンガリーと、真近に国境を接している。 市の一部には、先史
時代から人間が住み、やがて古代ケルト人が定住した。 紀元後5世紀に
ブラチスラフ(市の名は彼に由来)という名のリーダーに率いられたスラブ人の
一団が、その地に定住した。

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ハンガリーに支配された時代は、ブラチスラヴァはポジョニと呼ばれていた。
1500年代には、ハンガリー議会の所在地になった。 文化、教育、政治全般の
中心をなしていたブラチスラヴァは、スロバキア人、ハンガリー人、ロマニ
(ジプシー)、ドイツ人が集まった。

市の最も有名な場所は、城である。 はじめは9世紀初期に、ドナウ川に面した
要塞として建設されたが、その後、3回火災にあっている。 現在の城は、
1953年に再建されたものである。 もうひとつの名所は、代々のハンガリー国王が
戴冠した聖マーティン大聖堂である。

全スロバキアの10%の工業製品は、ブラチスラヴァで作られる。 重要な産業は、
化学工業だが、織物、石油精製、食品工業も主産業である。 多数の貨物船や
貨客船が出入りする港から製品を輸送する。

コシツェ(人口23万人)は、東スロバキアの主な都市である。 市は13世紀に
ドイツ人の定住者によって建てられ、後に重要な文化の中心となった。 第二次
世界大戦後、巨大な製鉄所が市の付近に建設され、コシツェは工業の中枢となった。
しかし、工場は周辺地域を広く汚染する原因にもなった。

バンスカ・ビストリッツァ(人口10万人)は、中部スロバキアのホロン川に面し、
700年前に金や貴金属が発見されてから急速に発展した。 ドイツ人の鉱山労働者が
この町に群れをなし、ヨーロッパでも最も豊かな街となった。 しかし、鉱山は既に
長いこと堀り尽くされ、街は鉱山に代わって、観光業で収入を得ようとしている。

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