【百年戦争とユグノー戦争】
1328年にカペー朝が絶えると、バロア朝が起こった。 これに対して、
カペー朝の血を引くイギリス国王エドワード3世が、王位継承を主張して、
1339年にフランスに攻め入った。 これが百年戦争の始まりである。 1429年、
ジャンヌ・ダルクが現れてイギリスの支配下にあったオルレアンを解放。
これに力を得たフランス軍は、1453年にイギリス軍を破り、百年戦争は終わりを
告げた。

15世紀末からフランスは、イタリアに何度か侵入し、領土を広げると共に、
イタリアのルネッサンス文化を移入した。 一方、16世紀中頃、フランスには
キリスト教プロテスタントのカルバン派(ユグノー)が広まり、カトリック教徒
との間で国を二分するユグノー戦争(1562年~1598年)が起こった。 やがて、
優勢となったアンリ・ド・ナバルが、カトリックに改宗しアンリ4世として
ブルボン朝を開いた。

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【絶対主義王政の確立とフランス革命】
アンリ4世の後、ルイ13世とルイ14世の時代に、中央集権化が進み、絶対王政の
最盛期を迎えた。 ルイ14世は、外国との貿易を進め(重商主義)、強力な
常備軍を整え、フランスの国力を高めた。 18世紀後半には、教会や絶対王政を
批判するボルテールや、法のあり方を論じたモンテスキューら啓蒙思想家が現れ、
社会体制を批判した。

ルイ16世の時代に、財政危機や凶作等から民衆の不満が高まり、1789年、王政が
廃止され、共和制が成立した。 しかし、政局が安定しない中、1799年、
ナポレオンがクーデターを起こし、1804年に皇帝となった。 ナポレオン1世は、
強力な軍事力を元に、ヨーロッパ各地に遠征した。 しかし、1812年のモスクワ
遠征に失敗したのを切っ掛けに、エルバ島に流された。 1815年には、再び軍を
起こすが、イギリス軍に敗れて、セントヘレナ島へ流された。

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