【キエフ・ルーシの始まり】
現代ロシア人の祖先は、6世紀には、ヨーロッパ・ロシアのステップ地帯に住み
着いた東スラブ民族に始まる。 9世紀には、バルト海からバイキングの
バリャーク人が、ドニエストル川沿いの地域に乗り出し、スカンジナビアから
ビザンチウムへの交易ルートを開いた。 彼らの首領のひとりである、
リューリクがロシア最初の王朝を建て、その後継者であるオレーグが最初の
キエフ・ルーシを創建した。

Russia_C2

しかし、1237年、外部からの力で破局が訪れた。 タタール(モンゴル)軍が、
ルーシの多数の都市を侵略し、そのご200年間に渡ってルーシを支配した。
こうして、ルーシは、少公国に分裂したのだが、その中から、モスクワが次第に
力を伸ばし、やがて、タタール人の支配を覆す事となる。



【中心地がキエフからモスクワ公国へ】
9世紀にオレーグ公が建国したキエフ・ルーシは、ウラジーミル1世、ヤロスラフ
賢公、ウラジーミ=モノマフといった、偉大な支配者の元で、400年間に渡って
栄え、ヨーロッパで最も大きく、裕福な国となった。 しかし、1237年、内分の
半目によって、弱体化していたキエフは、チンギス・ハンの孫である、バツーが
率いるモンゴル軍(黄金軍団)に滅ぼされた。

最盛期の1054年には、キエフ・ルーシの領地は、黒海からバルト海まで、北は
オネガ湖まで至った。 キエフの衰退後、ルーシの中心は、北東部に移り、最初は、
ウラジーミル、その後は、モスクワ公国の首都モスクワが中心となった。
モスクワ公国は、白海から、東は、ボルガ川を超えて、シベリア西武にまで至る
土地を支配した。

【モンゴルの支配者】
モンゴルの支配者であるチンギス・ハンは、アジアの本拠地に居ながら、中国、
インド北部(現在のパキスタン)、中央アジアを征服した。 1222年には、
優れた騎馬団がルーシ南部を席巻し、ボルガ川とドニエプル川の間の土地を
荒らし回った。 孫のバツーは、1237年に、ルーシの侵略を終え、キエフ・
ルーシの大部分と新しい都市ウラジーミルとスズダリを占領した。 更に、彼は、
ハンガリーとポーランドを目指して西進した。 この際に、アジア側から
ヨーロッパへと押し出されて、その後、コーカソイド化した民族が、ブルガリア人、
ハンガリー人、フィンランド人となっている。

【キエフ・ルーシの歴史】


>>トップページに戻る



クリックをお願いします☆
にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村