2016年5月3日、旧ユーゴスラビアを代表する国民的歌手であるヤドランカ・
ストヤコヴィッチがALS(筋萎縮性側索硬化症)の呼吸不全により死亡した。

1983年のサラエボ・オリンピックのテーマソングを歌ったことにより、一躍有名
となったヤドランカは、大の日本好きで、俳句や浮世絵に興味を抱き、1984年と
1988年に来日を果たすが、1988年の来日、レコーディング中に祖国であった
ユーゴスラビアが内戦により崩壊したため、そのまましばらく祖国へは帰れなく
なった。

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その後、日本へと活動の中心を移し、22年間という長きに渡って積極的に
音楽活動を行っていた。 元々、大学での専攻が芸術と心理学であったため、
音楽活動の傍ら、日本でも絵画の創作活動も行っていた。 その一環として、
子供達と一緒に絵を完成させるという活動も行っており、数々の作品を残した。
この活動では、ヤドランカが下絵を描き、子供たちが、その上から絵を描いて
完成させるという手法がとられた。



旧ユーゴスラヴィアでは、知らない人は居ないと言われる程、人気があった
ヤドランカだが、1989年の祖国崩壊から帰国に至るまでの道のりは、決して
あまいものではなかった。 2000年近くになるまで、祖国の地を踏むことすら
叶わず、サラエボで再びコンサートを開いたのは、1999年のことであった。

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2011年3月末、クロアチアでのアルバム発売のプロモーション活動等のため
渡欧した際にALSと診断され、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで治療をしつつ、
音楽活動を継続。 すぐに帰るはずであった日本に、今度は帰れなくなって
しまった。 3.11の東日本大震災発生直後であったため、常に日本を気にして
いたという。

病が徐々に進行する中、アーティスト仲間によるチャリティコンサートが何度も
開催され、ドキュメンタリー番組も多数制作された。 2016年5月3日、ALS
による呼吸不全の為逝去。 享年65。

国民的歌手であったヤドランカの訃報は、ボスニアのみならず旧ユーゴ全域に
テレビ、ラジオ、新聞のトップニュースとして伝えられた。 5月7日はサラエボで
作曲家協会による追悼式があり、日本の大使も弔辞を述べた。

5月9日にはバニャ・ルカで追悼式と国葬がとり行われ、現在の国境に関係なく
大統領はじめ、総理大臣、有名アーティスト、著名人が多数参列し、数百人の
ファンが彼女の死を悼んだ。 本人の遺言で棺にはギターが納められた。



2016年7月21日~24日に掛けて、四ツ谷にあるP3 art and enviromentにて、
『ありがとうヤドランカ~追悼作品展 & LIVE』が行われ、遺品となった絵画の
展示とライブ、トークショーが開催された。 7月24日は、ヤドランカの誕生日
であったため、この日を目標として、 ヤドランカの死後、急ピッチで準備が
進められ、当日は、ヤドランカのベスト盤の発売も行われた。

【ヤドランカ・ベスト盤】



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