タジキスタンの人口は、およそ520万人であるが、国名の由来であるタジク人の
占める割合は59%に過ぎない。 隣国のトルクメン人、ウズベク人、キルギス人は
トルコ系民族である。 しかし、宗教では、隣国民と同様、イスラム教スンニ派を
信仰している。 タジキスタンの最大の少数民族はウズベク人で、彼らは、人口の
23%を占めている。 その他にはロシア人10%、タタール人3%が住んでいる。

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タジク人は、インド・ヨーロッパ語系の言語を使用し、恐らく、紀元前から既に
中央アジアに定住していた。 時代の移り変わりと共に、彼らの住む地域は、様々な
民族によって侵略された。

17世紀以降、タジク人は、ウズベクのブハラ・ハン国によって支配され、その結果、
タジク人のウズベク化が進んだ。 今日のタジク語に多くのウズベク語の外来語が
あるのは、この時代の歴史に由来する。 19世紀には、ロシア帝国が中央アジアに
侵攻した。 この際、現在のタジキスタンの北部は、ロシア帝国のトルキスタン
総督領に併合された。 また、南部は、ブハラ・ハン国の支配下に留まった。
このブハラ・ハン国は帝政ロシアの下で、自治的な地位を守った。

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【自らの言葉と共に目覚めた民族意識】
ソビエト政権が確立し、行政組織の様々な変革が行われた後、1924年に『タジク
自治共和国』が『ウズベク共和国』内に設立された。 1929年には、『タジク・
ソビエト社会主義共和国』として連邦構成国に昇格した。この時、タジキスタンは、
その歴史において、初めて独立した国家となった。 しかし、もちろん共産党の
独裁の下では、自決権を持っていなかった。 しかし、それにも関わらず、
タジク人の間に国民意識は徐々に芽生えて行った。 それは彼らがタジク語の
文章語を守り続けたことによっても促進された。 1930年代の粛清の時代には、
タジク人の知識人たちは、『ナショナリスト』と非難され、迫害された。

1980年代、旧ソ連全土で見られた諸民族の抵抗運動が、このタジキスタンでも
起こった。 1990年8月24日、タジキスタンは主権宣言を採択、翌1991年9月9日に
独立を宣言し、同年12月21日には独立国家共同体(CIS)に加盟した。

この国の複雑に入り混じる諸民族の間には、緊張が高まっている。 既に多くの
ロシア人がこの国を去って行った。 ウズベキスタンとの間にも、国境問題や
少数民族が存在する、歴史的にも民族的にも非常に近い関係であるイランとの
繋がりも、今後見直されて行く事であろう。 イスラム原理主義の次第にこの地に
根を下ろし始めている。

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