第一次世界大戦勃発の地である『ラテン橋』。 この橋のたもとで、
オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇太子が暗殺され、第一次世界大戦が
始まりました。 第一次世界大戦での敗北により、オーストリア=ハンガリー
二重帝国は崩壊、それと共に、ハプスブルグ家の支配が終わり、オーストリアは、
ドイツ民族以外の土地を全て失い、共和制へと生まれ変わりました。
オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇太子が暗殺され、第一次世界大戦が
始まりました。 第一次世界大戦での敗北により、オーストリア=ハンガリー
二重帝国は崩壊、それと共に、ハプスブルグ家の支配が終わり、オーストリアは、
ドイツ民族以外の土地を全て失い、共和制へと生まれ変わりました。
元々、ドイツ民族の中心国家は、オーストリアであり、このため、現在の
ドイツの国歌は、オーストリアのお古w よって、オーストリア人は、今でも
頻繁に、『帝国時代は良かった』と言います。
ドイツの国歌は、オーストリアのお古w よって、オーストリア人は、今でも
頻繁に、『帝国時代は良かった』と言います。
ラテン橋は、『ヨーロッパ側』にあるものの、ものの数分も歩くと、また
イスラムの景色に戻ります。 数百メートルおきに、モスクが大量に乱立して
いるため、歩いている間に見飽きて来ました。 以前、タタールスタンの
ニジェネカムスクで、ヨーロッパ化したモスクに入った際には、1時間ほど、
ロシア語でコーランの説明を受けたため、今回は、モスクには入らないことに
しましたw
イスラムの景色に戻ります。 数百メートルおきに、モスクが大量に乱立して
いるため、歩いている間に見飽きて来ました。 以前、タタールスタンの
ニジェネカムスクで、ヨーロッパ化したモスクに入った際には、1時間ほど、
ロシア語でコーランの説明を受けたため、今回は、モスクには入らないことに
しましたw
基本的に、食べ物には関心がないため、旅先では、余り食事と言う物を取り
ませんが、この日は朝ごはんを食べずに歩き回ったため、お昼は、ボスニア名物の
ケバブとトルコ・コーヒーにしました。 正確に言うと、ボスニア風ケバブと
ボスニア風コーヒーらしい。
ませんが、この日は朝ごはんを食べずに歩き回ったため、お昼は、ボスニア名物の
ケバブとトルコ・コーヒーにしました。 正確に言うと、ボスニア風ケバブと
ボスニア風コーヒーらしい。
【バシチャルシアの水飲み場付近】
モンテネグロの現在の首都の名前は、ポドゴリツァですが、旧名は、チトー
大統領に因んで、『チトーグラード』と言う名前でした。 ベオグラードに
埋葬されているのも知っていたものの、そこまでチトーが好きな訳でもないので、
次回ベオグラードに行く時に持ち越しました(←既に行く気満々♪)。
ひとつひとつが手作りのトルコ・コーヒーのカップ。 このコーヒーセットが
結構欲しかったのですが、予想外に高かったたのと、リュック1つしか持参して
いないため購入を断念。 次回は、しっかりとトランクを持参して、コーヒー
セットとイスラムランプを購入したいと思います。 こういう自分の常識に
囚われないエキゾチックな場所が大好きなので、サラエヴォには、また来たいと
思いました。
大統領に因んで、『チトーグラード』と言う名前でした。 ベオグラードに
埋葬されているのも知っていたものの、そこまでチトーが好きな訳でもないので、
次回ベオグラードに行く時に持ち越しました(←既に行く気満々♪)。
ひとつひとつが手作りのトルコ・コーヒーのカップ。 このコーヒーセットが
結構欲しかったのですが、予想外に高かったたのと、リュック1つしか持参して
いないため購入を断念。 次回は、しっかりとトランクを持参して、コーヒー
セットとイスラムランプを購入したいと思います。 こういう自分の常識に
囚われないエキゾチックな場所が大好きなので、サラエヴォには、また来たいと
思いました。
【ムスリム人居住区】
サラエヴォのムスリム人居住区。 内戦時、サラエヴォはセルビア軍に包囲された
ため、完全に孤立し、これらの建物の多くが破壊されました。 セルビア人、
クロアチア人、ムスリム人による血で血を洗う戦争は、民族浄化まで引き起こし、
最終的には、国連の指導の下、3民族が分かれて住み分けを行うことで最終的に
合意しました。 セルビア人、クロアチア人、ムスリム人は、元々は同じ
南スラヴ人で、同じセルボ・クロアチア語を話す民族ですが、支配されていた国が、
オスマン・トルコとオーストリアに分かれていたため、一部の人たちがイスラム化
してムスリム人に、セルビア正教を受け入れた人達がセルビア人に、カトリックを
受け入れた人達がクロアチア人へと完全に分化しました。 この3民族を分けて
いるのは宗教だけ。 セルボ・クロアチア語は、ブルガリア語と非常に似て
いますが、イントネーションが完全にイタリア語寄りのため、ロシア語からは、
非常に聞き取りづらいのが特徴。
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ため、完全に孤立し、これらの建物の多くが破壊されました。 セルビア人、
クロアチア人、ムスリム人による血で血を洗う戦争は、民族浄化まで引き起こし、
最終的には、国連の指導の下、3民族が分かれて住み分けを行うことで最終的に
合意しました。 セルビア人、クロアチア人、ムスリム人は、元々は同じ
南スラヴ人で、同じセルボ・クロアチア語を話す民族ですが、支配されていた国が、
オスマン・トルコとオーストリアに分かれていたため、一部の人たちがイスラム化
してムスリム人に、セルビア正教を受け入れた人達がセルビア人に、カトリックを
受け入れた人達がクロアチア人へと完全に分化しました。 この3民族を分けて
いるのは宗教だけ。 セルボ・クロアチア語は、ブルガリア語と非常に似て
いますが、イントネーションが完全にイタリア語寄りのため、ロシア語からは、
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